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後だしジャンケン

2014年10月13日(月)

「後だしジャンケン」の意味が分らない、という書き込みを頂いた。
ごもっとも。
たしかに説明不足だと思うので、分り易く説明してみたい。
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すべてのがんを
・がんもどき、と
・本物のあん、の2つしかないという勝手な「仮定」を作った人がいる。

助かれば、「それは、がんもどきだったんだ」と言い、
死ねば、「それは本物のがんだったんだ」と、言う。

死なない=がんもどき
死=本物のがん、と、    死んでから言う。

勝手に造った仮定を基に、結果を見てから、2極化のどちらかに落とし込む。


がんの手術を受けて元気になった芸能人=それは「がんもどき」だった。
がんの手術を受けて死んだ芸能人=それは、「本物のがん」だったからだと。

死なない=がんもどき
死=本物のがん、と勝手な定義をした場合、
死ねば、必ず、どちらか分かるという理屈になる。

ジャンケンに喩えたら、相手の手を見てからから必ず勝つ手を出したならば、100%勝てる。
「勝った、勝った。どうだ俺のジャンケンの勝率は100%だろう!」と言うことができる。

だから「俺の理論は正しい」、と。

すなわち、結果が分ってから、手を出して勝率100%を誇ることを
「後だしジャンケン」という。

実際は、どちらから分らない。
分らないから苦労するのだが。


どこかに怪しい宗教家がいた、としよう。
「俺の宗教に入らないと死ぬぞ、他の宗教に入ると死ぬぞ!」と脅したとする。

死なない=俺の宗教に入ったから
死んだ=俺の宗教に入らなかった、と、死んでからいう。

そんなインチキ宗教は、現実にはいくらでもある。
インチキ健康食品も、チラシには全部、そんな感じで書いてある。

世の中のがんには、「がんもどき」のようなものはいくらでもある。
そして「本物のがん」もある。

しかし大半は、その中間であり、2極化できないのが、「がん」なのだ。
それを医学では、「悪性度」といい、いろんな振る舞いのがんがあるのは常識。

最初は、がんもどきであっても、途中から悪性度が変わることもいくらでもあるし
その反対もある。

人間の社会ならば、
・超善人と
・超悪人のどちらかしかいない、と仮定したとしよう。

現実には、99%の人はその中間で、悪人と善人の間を揺れ動いているのだが。
人間もがんも同じである。

多様性があるものを故意に二極化して、さらに自説が絶対的に正しいと主張する
ことを「原理主義」と呼ぶ。

原理主義に勧誘する際に用いるワザが、後だしジャンケン。
これは世の常。

詐欺師の常套手段。
常に連戦連勝なので、凡人は簡単に騙される。

そんな後だしジャンケン本に、100万人も騙される現代日本人。
メデイアもみんな騙されているが、気がつかない。

所詮、人ごと。
自分自身にがんが見つかったら治療するくせに、本が売れるので煽る、煽る。

人の命をなんともなんとも思っていない教祖とマスコミ。
そしてそれを支持する多くの国民。

当然、その根底には、患者の医療不信がある。
不満は、布教活動には格好の追い風となる。

要は論理学の問題。
その視点から、「がんもどき理論」の間違いを研究する論理学者もいる。→こちら


私は不思議で不思議でしょうがない。

間違っているものは、間違っている、と言うだけ。
しかし本を書いても理解されないので、仕方が無く、後だしジャンケンという比喩を使うだけ。

2極化や極論からは、何も生まれない。
人を幸せにしない。

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

長尾和宏先生
はじめまして。私は医療とは全く関係ない地方雑誌編集の仕事をしています。
このたび家族が消化器系のガンで今後地元のガンセンターで治療開始予定です。
関係書物を慌てて何冊か読みましたが、未だ情報が錯綜しているため、正直結論に至りません。
本日の長尾先生の「後出しじゃんけん」のご説明興味深く拝読させていただきました。
(すなわち、結果が分ってから、手を出して勝率100%を誇ることを「後だしジャンケン」)がこの論旨でした。
つまり勝ち負けの主は近藤先生です。
一方、近藤先生は最新刊で「がんもどき理論をじゃんけんにたとえるのは不適当。転移がある人が負け、転移がない人が勝ちとするのはおかしい」と述べています。
つまり勝ち負けの主を患者として説明を試みています。さらに(転移していない患者に「治療のおかげで治った、よかったですね」などと言うこと自体が「後出しじゃんけん」)と皮肉たっぷりに述べています。
このように御二人の議論は焦点が異なるため、不毛である上患者にとってはそれほど重要な議論ではありません。
インチキ宗教とインチキ健康食品のたとえも失礼ながらやや感情が含まれる比喩で、雑誌編集者としてはもう少し万人の共感を得る比喩にされたほうがよろしいかと思います。。
とは言えガンの悪性度にはバリエーションがあり、超善人と超悪人のどこかの位置に人は属するのと同じ、という比喩は大変良く理解できます。おそらく病理学者も、それどころか近藤先生ですら同意見でしょう。
ただ近藤先生はそのような従来の病理学のパターン認識作業とは全く違う角度からの考え方を著書で述べています。
すなわちパターンとしては「悪性度が低いとされるガン」でも
「転移能力を獲得したもの」を「本物ガン」、「悪性度が高いとされるガン」でも「転移能力を獲得していないもの」を「もどき」と分類しています。そうしますとこの分類に関してはその間のグラデーションというものは存在しないと考えられますがどうなのでしょうか。
この種の疑問を共有する患者は相当数に上ると思われるため、我々素人にも分かり易く解説していただければ本当にありがたく思います。よろしくお願いいたします。

Posted by 三田慎太郎 at 2014年10月13日 11:22 | 返信

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