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「認知症行方不明1万人報道」から見えてくるもの

2014年10月15日(水)

日本医事新報の10月号には、「認知症行方不明者1万人」について書いた。
この報道から見えていくるののは沢山ある。→こちら
お医者さんにこそこの問題を考えて欲しいと願いならがあれこれ書いてみた。
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医事新報10月号 認知症行方不明1万人報道から見えてくるもの   長尾和宏
 
NHK報道の衝撃
 去る5月11日に放映されたNHKスペシャル「認知症行方不明1万人」を観た。身元不明の認知症徘徊者として7年間、群馬県館林市の介護施設に保護されている女性の取材だった。保護当時の華やかな様子が、7年間の施設暮らしのなかで寝たきりになり、その変貌ぶりに驚いた。番組終了後に視聴者から沢山の情報が寄せられたという。その結果、その女性は東京・浅草の元ラジオアナウンサー(67歳)と判明した。
女性は、2007年10月の深夜、東武鉄道館林駅近くで保護された。身なりはよかったが、認知症者として扱われた。保護される数時間前に、東武鉄道館林駅と電車でつながる浅草でいなくなったという。実はその2年前に女性はアルツハイマー型認知症と診断されていた。顔写真を入れた公開手配チラシが作成され、都内や隣の県のみならず、東武線沿線の自治体、福祉施設にも配られたそうだ。館林の施設側も「保護情報」を県内外に発していた。しかし情報提供がないまま4年前から寝たきりになっていた。

この報道は社会に大きな衝撃を与えた。警視庁は6月になり、認知症不明者の調査結果を発表した。2013年にいなくなって捜索願が出たのは、1万0322人。死亡判明388人を除くほとんどが見つかったが、151人が行方不明のままである。前年からの人も含めると258人が未だ発見されていない。さらに保護されたものの身元が分らない人が13人いた。発見・所在確認までの期間は「当日のうち」が63%で、これを含め98%の人が1週間以内だった。ちなみに1ケ月~3ケ月が48人で、3ケ月以上が67人もいた。

名古屋の鉄道事故の裁判判決といい、このような徘徊行方不明者の報道といい、認知症の人が「隔離」の方向に時計の針が逆戻りすることを強く懸念する。作家の五木寛之氏が近著「孤独の力」の中で書いておられるように、そもそも「人間とは徘徊する動物」なのである。私は、講演会でよく「徘徊ではなく目的行動」、「徘徊で認知症が改善する」などと話す。閉じ込めると認知症状が必ず悪化する。「移動という尊厳」があると考える。
 
私の周囲にもいるかもしれない行方不明者
この報道とその後の経過を知り、私は驚くとともに「自分の周囲にもそのような人がいるかもしれない」と直感した。というのも、在宅医療で診ている方の中には戸籍の無い方がいる。生活保護を受けているので住民票はある。しかし担当の福祉ケースワーカーが戸籍が無い、というのだ。つまり、今そこにいるのは分るのだが、元来どこの誰なのかが全く分からない日本人もいる。もちろん本人に出生の記憶を尋ねても分らない。つまり戸籍も記憶も行方不明なのだ。

あるいは、生活保護者を多く収容している施設の入所者が頭に浮かんだ。状態が悪化して生命の危機が迫った時に、通常ならば家族に病状を説明する。しかし説明する相手の無い人も現実におられる。こうした「認知症のおひとりさま」は意外に気楽に生活しているので、悲壮感は無い。周囲が考えるより幸せなのかもしれない。私もたしかにこれまで「天涯孤独のおひとりさまのほうが平穏死できる」などと講演してきた。しかしこうしたすぐ近くにいる自分が関わっている「認知症のおひとりさま」の中に、もしかしたら「認知症行方不明者」が混じっているのではないか。親戚縁者がどこかで今も探しているのではないか、という不安に駆られた。すなわちこの問題は決して他人事では無いはずだ。そして自分自身もいつかこうした立場になっているのかもしれない、と漠然と感じた。
 
続々とHP公開に踏みきる自治体
こうした報道を受けて、多くの自治体も動き出した。埼玉県は「狭山市で保護中の男性が18年間、施設で生活している」と発表し、その報道のあと、東京の人であると判明した。千葉県も6月、「5市の施設に保護されている身元不明者が6人いる」と発表した。うち5人が認知症ないしその疑いがあり、13年以上施設で暮らす人もいるという。千葉県はさらに身元不明者の写真、保護状況、身体状況など身元確認の手がかりになる情報を県のホームページで公開した。続いて静岡県も身元不明者について本人の了解が取られれば、ホームページで写真や情報の公開に踏み切っている。こうした自治体HPにおける行方不明者の情報公開の動きが広がっている。

しかし1回のテレビ報道ですぐに身元が判明するのに、なぜ行政や警察の力では何年もかかるのだろうか。それも、案外近くで保護される例が多い割には相当な時間がかかっている。そういう素朴な疑問が浮かび上がる。ひとつは個人情報保護法の壁だろう。もうひとつは、警察と行政や行政、そして医療・介護との連携不足であろう。今後、職種や自治体の枠組みを超えた、身元不明者の情報共有が期待される。実は、地域包括ケア推進のヒントは、こうした取り組みに隠れているのではないか。
 
身元不明者の意思決定はどうあるべきか
 私事で恐縮だが父親は37年前、うつ病で入退院を繰り返した果てに、京都のあるお寺の裏山で自死した。その時、警察に行方不明者として取り扱われていた。しかし幸いなことに死後数日目に警察から連絡があった。身元不明者として焼き場に送られる直前に、遺体と対面できた。当時、まだ高校生であった私は、その幸運の意味がよく分らなかった。しかし今回の報道に接して、死亡したからこそ数日で身元が判明したと思った。もし亡くなっていなければ、身元が分らないままどこかに保護されていた可能性があった。すなわちこうした行方不明者の問題は、認知症に限らず、精神疾患全般でもあり得ると思う。

今回は行方不明としてクローズアップされたが、それぞれの医療内容はどうだったのだろうか?そこで、もはや意思決定ができなくなった人の医療をどうするべきかという問題があり、先進各国で議論が盛り上がっている。たとえばイギリスでは2005年から「意思能力法」(The mental Capacity Act 2005)として国家として真剣に取り組み、2007年10月から身上監護を含む広範な権利擁護法として施行されている。ドイツも同様に、2009年9月から「ドイツ世話法」が施行されている。翻って我が国では、終末期における患者の意思決定に関する議論は、「医学会のガイドラインがあるのでそれで充分だ」として、この9年間、空転したままだ。宗教界、法曹界、そして医学界がこぞってこうした問題を直視しない現状を残念に思う。大認知症時代への具体的な取り組みが急がれるはずだ。
 
地域包括ケアと徘徊町づくり
こうした行方不明報道は医療界に、どのように映るのだろうか。医者は病気だけ診ていればいい、では今後は立ちゆかなくなる。医療とは社会医学でもあるからだ。今回の行方不明者報道から、警察・行政と医療・介護現場は、もっと密接に情報交換するべきという教訓を得た。個人情報保護法という大きな壁があるが、人道的利益を優先する現実的な対応策を構築すべきだ。医師会はこうした現実を直視して、行政や社会福祉法人や認知症関連NPO法人等との連携強化を目指すべきだろう。

みんなおひとりさま、みんな認知症、の時代がやがてやって来る。認知症になっても住み慣れた地域で暮らす仕組み造りが、「地域包括ケアシステム(略して、ちほうケアと呼んでいる)」ではないか。ならば、福岡県大牟田市の「徘徊町づくり」のような「具体的行動」が、医療界に求められている気がする。とかく上から目線になりがちな認知症対策だけではなく、こうした報道から多くの教訓を学び、下から目線(?)の認知症施策も模索すべきではないか。そうでないと地域包括ケア構想は画餅に終わるかもしれない。少なくともそのような感性が、今こそ求められていると思う。

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この記事へのコメント

行方不明者と認定されると、施設に、入れて貰えるんですね。
でもどこのだれか、分かっちゃったら、家族のもとに返されて、家族が面倒を見る事になる。
家族にとっては、喜ぶべきなのか、どうか微妙なところなのかな。
何処のだれか分かった上で、家族の近くの施設に、入所できたら、万々歳ですけどね。
毎週でも、毎日でも面会に行けるし、お正月は家庭に戻れるでしょうし。

Posted by にゃんにゃん at 2014年10月15日 02:44 | 返信

私が勤めている特養のショートステイに、地域包括支援センターの仲介で緊急利用がありました。
最寄りの駅でうずくまっていたところを警察に保護されたとのことでした。
 
ショートステイ利用初日から奇異な印象の老婆でしたが、ご飯の食べ方、食べ残し方、介助拒否、
特に入浴拒否、人前で服を脱ぎ裸になろうとするなどから、ピック病(前頭側頭型認知症のひとつ)と、
私は鑑別しました。
 
2日目、介護の限界から隣の精神科病院に保護入院となりました。
その病院は偶然にも、老女を昔から統合失調症患者として診ていたことが後日判明しました。

私は、「統合失調症ではなく、ピック病ですよ」と、その病院の医師に根拠を示して助言したのですが、
理解してもらえませんでした。
 
独居であるその老女は、緊急の保護入院にて平穏に生活していると、数週間後に聞きました。
医者は認知症をちゃんと診断して、適切に治療してはいない。
そのツケが介護現場に廻ってきている。それ以前のこととして、患者本人が認知症医療難民となっている。
 
そのように痛感したエピソードでした。
認知症をケアの視点から社会問題とする視点も重要なのですが、医療の視点から社会問題としてクローズ
アップする報道の視点がまだまだ不足しているようにも思えてなりません。

Posted by YOSHIKI at 2014年10月15日 10:50 | 返信

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