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統合へと向かう「終末期ガイドライン」とLWの法的担保
2014年11月11日(火)
ようやく、一部のマスコミは、「どうやら誤報をやったようだ」と気がつき始めた。
NHKを含めて9割のマスコミが、誤報をした今回のブリトニーさんの安楽死報道。
医学会の終末期ガイドラインとLWの法的担保を含めて、日本医事新報の連載に書いた。
NHKを含めて9割のマスコミが、誤報をした今回のブリトニーさんの安楽死報道。
医学会の終末期ガイドラインとLWの法的担保を含めて、日本医事新報の連載に書いた。
日本医事新報11月号 統合へ向かう「終末期ガイドライン」とLWの法的担保 →こちら
各医学界からの相次ぐ終末期ガイドラインと法的担保
日本老年医学会の「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」や日本医師会や厚労省の終末期ガイドラインなど各界から相次いで終末期のガイドラインが発表されてきた。さらに今春、日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本循環器学会は、3学会合同で「終末期医療に関するガイドライン」を発表した。治療しても数日以内に死亡が予想される時、本人の意思が明らかでなく家族が判断できない場合は、主治医を含む「医療チーム」で延命治療を中止できるといった指針が述べられている。今後、これらのガイドラインを医療現場でどう活かすかが大きな課題となる。さらに医療・介護者のみなならず全国民への分り易い周知が急務である。今回、3学会の合同作業は高く評価できる。そして最終的には日本医学会ないし日本医師会が専門家集団として我が国としてひとつのガイドラインへの統合を目指すべきであろう。
一方、超党派の100数十名の国会議員が「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」の上程を目指して議論を重ねて9年が経過した。リビングウイル(LW)の法的担保に関する議論に私も参加してきたが、残念ながら議論は停滞している。ちなみに先進国でLWが法的担保されていないのは日本だけだ。しかし日本医師会、難病や障害者の患者団体、日本弁護士会、全日本宗教連盟(仏教、神道、キリスト教)などの多くの団体は、LWの法的担保には反対の立場を表明している。ただし現在議論されているのはあくまで「尊厳死法制化」ではなくて「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」であることを、ここに明記しておきたい。私は「安楽死」とよく混同される「尊厳死」という言葉を使わずに「平穏死」という言葉を用いて数冊の書籍を書いてきた。今後、立派な終末期ガイドラインがあるから法的担保は必要ないとするのか、それでも法的担保は必要だとするのか、充分に議論すべきだ。
“患者不在のキャンサーボード”
先日、朝日新聞・電子版(アピタル)の連載記事に、何気なく“患者不在のキャンサーボード”という小文を書いた。抗がん剤の“やめどき”について講演した後の質疑応答において、あるがん診療拠点病院のキャンサーボードでは抗がん剤治療の継続是非は「がん専門」と名がつく専門職だけで決めているそうだ。患者さんの意見は一応参考にするが、患者さん自身は抗がん剤継続か中止かの話合いには参加できないという。私は「そのような患者不在の意思決定プロセスはおかしい」と発言。だから亡くなる直前まで抗がん剤を打つのだ、と。このメデイアには1600日以上、1日も休まず、毎日記事を提供してきたが、なんとこの記事が「そう思う!」というクリックがそれまでの中で最多であったのに驚いた。これこそが現代の医療についての国民の生の声であろう。一番大切な抗がん剤の“やめどき”を患者さん抜きで決めている現状に疑問を感じない専門職ばかりであること自体に大きな疑問を持っている。だから医療否定本が飛ぶように売れることになる。
抗がん剤治療中の患者さんは、常に死と向き合っている。しかし患者の死や人生に向き合っていない医療者が多いと患者さんが感じている現状はたいへん残念だ。人生の最終章の医療というと何か特別なものだと考えがちだが、実際にはがん医療であれば、抗がん剤の“やめどき”がまさに人生の最終章なのだ。そして死を前にした患者さんには、ガイドラインなんてどうでもいい。ただただ穏やかに最期まで自宅で普通に暮らしたいだけだ。キャンサーボード同様、患者不在の終末期ガイドラインにならぬようなチェックも必要だ。また、今後、各学会の枠を超えての「治療ガイドライン」と「終末期ガイドライン」との“連携”を深めるべきであろう。そしてできれば患者さん自身も、議論に参画すべきであろう。“終末期”が単独で存在するわけでではなく、実際には“治療”と重なっていることを意識すべきであろう。
29歳の“安楽死”報道から何を学ぶか?
去る11月1日に脳腫瘍の末期で4月に医師から余命6ケ月と宣告されたアメリカの29歳の女性が予告どうりに“安楽死”した。彼女が安楽死を決意するに至った経緯を語ったネット投稿が全米のみならず、日本においても話題になり彼女の死を沢山のメデイアが報じた。日本でもネット上で多くの若者が反応した。・自分の意思で死んでなぜ悪いのか?・日本ではなぜ欧米と同じように安楽死できないのか?・なぜ人の死に赤の他人がとやかく言う必要があるのか?・・・。こうした若者の素朴な問いこそ、もっとも本質的なもので、今後日本国民全体で大切に議論すべき命題であると感じた。ただ気になることがある。
メデイアは彼女の死を1)安楽死、2)尊厳死、3)自殺、の3種類で報じた。正しくは、「安楽死」ないし「自殺」であり、決して「尊厳死」ではないはずだ。しかしなぜ多くのメデイアは、「尊厳死」として報じたのか?実は、あれを欧米では「尊厳死」ともいうからだ。「Death with dignity」の直訳が日本語では「尊厳死」となる。しかし日本語での「尊厳死」とはそれではなく、「自然死」、「平穏死」のことだ。では日本の尊厳死/自然死/平穏死は欧米ではなんと言うのか?欧米では当たり前なので、特に言葉は無いが、敢えていうなら、やはり「自然死」か。欧米で言う「Death with dignity」とは、日本語の「尊厳死」に加えて日本語の「安楽死」をも含む言葉で、厳密には自然死より広い概念だ。あるいはそもそも日本語での「尊厳死」と「安楽死」をあまり区別していないようだ。では、「自殺」という表現はどうなのか?欧米では「Death with dignity」とは、別名「Physician assisted suicide」、つまり医者が介助する自殺のことだ。医者が薬物を用いて人為的に寿命を短くして命を断つ行為。それには2つの方法がある。1)医師が直接、薬剤を注射ないし点滴する場合と、2)医師が死ぬ錠剤を処方して患者が自分で飲む場合。1)は100%死ぬが、2)では錠剤を持っているだけで実際に飲む人は少ないそうだ。ブリタニーさんの場合は2)で、実際に飲んでしまったわけだが。日本での自殺といえば、首を吊ったり、飛び込こみのイメージだが、欧米では、「Physician assisted suicide」のことを指す。日本のような自殺/自死は、キリスト教に反する行為だから、医者に「殺してもらう」しか道は無い。だからブリタニーさんの死を「尊厳死」と報じたメデイアは間違っている。なぜならここは日本だから、日本語を使わないといけない。そもそもこうした言葉の混乱が議論の混乱の元になっていることを知っておきたい。今回の誤報道から、私は「尊厳死」を死語にすることを考えている。ちなみに議員連盟も、今後「尊厳死」という言葉を使わない。
日本は法律を持たないが“平穏死”できる国
2年前、スイスのチューリッヒで開催された「死の権利・世界連合」に参加した。今年はアメリカシカゴで3日間開催され、世界24ケ国から50団体が集まった。2年前は、スイスの自殺ほう助組織Dignitasが運営する“看取りの家”を見学した。イギリスやドイツから末期がんの患者さんがここに来て医者から自殺薬をもらって安楽死していた。私は、「なんでこんなことをするのか。日本なら自宅で尊厳死(平穏死)できるのに」と思った。2大会連続で参加して感じたことは、欧米では議論が明確に安楽死へ向かっていることだ。だから今年、私は「日本は、リビングウイルを担保する法律が無いが自宅で枯れて死ぬこと(平穏死)ができる国だ」という講演をした。安楽死に向かう欧米の終末期医療に反対した。そんな話をしたのはもちろん私だけだ。もちろん国民皆保険制度、在宅医療制度、緩和ケアの充実があるからだ。宗教、文化、制度の背景が異なるので単純な比較はできないが強い違和感をもった。終了後、欧米の参加者から様々な質問が寄せられた。
日本においては、まずは終末期ガイドラインの周知、活用とリビングウイルの啓発が急がれる。“大認知症時代”を想定して、代理人も定めた「新・日本版の事前指示書」の作成を目指して、毎月「リビングウイル検討会」を開催している。そしてどんな場合に、リビングイルの法的担保が必要なのか、広く自由に議論すべき時が来たと思う。
各医学界からの相次ぐ終末期ガイドラインと法的担保
日本老年医学会の「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」や日本医師会や厚労省の終末期ガイドラインなど各界から相次いで終末期のガイドラインが発表されてきた。さらに今春、日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本循環器学会は、3学会合同で「終末期医療に関するガイドライン」を発表した。治療しても数日以内に死亡が予想される時、本人の意思が明らかでなく家族が判断できない場合は、主治医を含む「医療チーム」で延命治療を中止できるといった指針が述べられている。今後、これらのガイドラインを医療現場でどう活かすかが大きな課題となる。さらに医療・介護者のみなならず全国民への分り易い周知が急務である。今回、3学会の合同作業は高く評価できる。そして最終的には日本医学会ないし日本医師会が専門家集団として我が国としてひとつのガイドラインへの統合を目指すべきであろう。
一方、超党派の100数十名の国会議員が「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」の上程を目指して議論を重ねて9年が経過した。リビングウイル(LW)の法的担保に関する議論に私も参加してきたが、残念ながら議論は停滞している。ちなみに先進国でLWが法的担保されていないのは日本だけだ。しかし日本医師会、難病や障害者の患者団体、日本弁護士会、全日本宗教連盟(仏教、神道、キリスト教)などの多くの団体は、LWの法的担保には反対の立場を表明している。ただし現在議論されているのはあくまで「尊厳死法制化」ではなくて「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」であることを、ここに明記しておきたい。私は「安楽死」とよく混同される「尊厳死」という言葉を使わずに「平穏死」という言葉を用いて数冊の書籍を書いてきた。今後、立派な終末期ガイドラインがあるから法的担保は必要ないとするのか、それでも法的担保は必要だとするのか、充分に議論すべきだ。
“患者不在のキャンサーボード”
先日、朝日新聞・電子版(アピタル)の連載記事に、何気なく“患者不在のキャンサーボード”という小文を書いた。抗がん剤の“やめどき”について講演した後の質疑応答において、あるがん診療拠点病院のキャンサーボードでは抗がん剤治療の継続是非は「がん専門」と名がつく専門職だけで決めているそうだ。患者さんの意見は一応参考にするが、患者さん自身は抗がん剤継続か中止かの話合いには参加できないという。私は「そのような患者不在の意思決定プロセスはおかしい」と発言。だから亡くなる直前まで抗がん剤を打つのだ、と。このメデイアには1600日以上、1日も休まず、毎日記事を提供してきたが、なんとこの記事が「そう思う!」というクリックがそれまでの中で最多であったのに驚いた。これこそが現代の医療についての国民の生の声であろう。一番大切な抗がん剤の“やめどき”を患者さん抜きで決めている現状に疑問を感じない専門職ばかりであること自体に大きな疑問を持っている。だから医療否定本が飛ぶように売れることになる。
抗がん剤治療中の患者さんは、常に死と向き合っている。しかし患者の死や人生に向き合っていない医療者が多いと患者さんが感じている現状はたいへん残念だ。人生の最終章の医療というと何か特別なものだと考えがちだが、実際にはがん医療であれば、抗がん剤の“やめどき”がまさに人生の最終章なのだ。そして死を前にした患者さんには、ガイドラインなんてどうでもいい。ただただ穏やかに最期まで自宅で普通に暮らしたいだけだ。キャンサーボード同様、患者不在の終末期ガイドラインにならぬようなチェックも必要だ。また、今後、各学会の枠を超えての「治療ガイドライン」と「終末期ガイドライン」との“連携”を深めるべきであろう。そしてできれば患者さん自身も、議論に参画すべきであろう。“終末期”が単独で存在するわけでではなく、実際には“治療”と重なっていることを意識すべきであろう。
29歳の“安楽死”報道から何を学ぶか?
去る11月1日に脳腫瘍の末期で4月に医師から余命6ケ月と宣告されたアメリカの29歳の女性が予告どうりに“安楽死”した。彼女が安楽死を決意するに至った経緯を語ったネット投稿が全米のみならず、日本においても話題になり彼女の死を沢山のメデイアが報じた。日本でもネット上で多くの若者が反応した。・自分の意思で死んでなぜ悪いのか?・日本ではなぜ欧米と同じように安楽死できないのか?・なぜ人の死に赤の他人がとやかく言う必要があるのか?・・・。こうした若者の素朴な問いこそ、もっとも本質的なもので、今後日本国民全体で大切に議論すべき命題であると感じた。ただ気になることがある。
メデイアは彼女の死を1)安楽死、2)尊厳死、3)自殺、の3種類で報じた。正しくは、「安楽死」ないし「自殺」であり、決して「尊厳死」ではないはずだ。しかしなぜ多くのメデイアは、「尊厳死」として報じたのか?実は、あれを欧米では「尊厳死」ともいうからだ。「Death with dignity」の直訳が日本語では「尊厳死」となる。しかし日本語での「尊厳死」とはそれではなく、「自然死」、「平穏死」のことだ。では日本の尊厳死/自然死/平穏死は欧米ではなんと言うのか?欧米では当たり前なので、特に言葉は無いが、敢えていうなら、やはり「自然死」か。欧米で言う「Death with dignity」とは、日本語の「尊厳死」に加えて日本語の「安楽死」をも含む言葉で、厳密には自然死より広い概念だ。あるいはそもそも日本語での「尊厳死」と「安楽死」をあまり区別していないようだ。では、「自殺」という表現はどうなのか?欧米では「Death with dignity」とは、別名「Physician assisted suicide」、つまり医者が介助する自殺のことだ。医者が薬物を用いて人為的に寿命を短くして命を断つ行為。それには2つの方法がある。1)医師が直接、薬剤を注射ないし点滴する場合と、2)医師が死ぬ錠剤を処方して患者が自分で飲む場合。1)は100%死ぬが、2)では錠剤を持っているだけで実際に飲む人は少ないそうだ。ブリタニーさんの場合は2)で、実際に飲んでしまったわけだが。日本での自殺といえば、首を吊ったり、飛び込こみのイメージだが、欧米では、「Physician assisted suicide」のことを指す。日本のような自殺/自死は、キリスト教に反する行為だから、医者に「殺してもらう」しか道は無い。だからブリタニーさんの死を「尊厳死」と報じたメデイアは間違っている。なぜならここは日本だから、日本語を使わないといけない。そもそもこうした言葉の混乱が議論の混乱の元になっていることを知っておきたい。今回の誤報道から、私は「尊厳死」を死語にすることを考えている。ちなみに議員連盟も、今後「尊厳死」という言葉を使わない。
日本は法律を持たないが“平穏死”できる国
2年前、スイスのチューリッヒで開催された「死の権利・世界連合」に参加した。今年はアメリカシカゴで3日間開催され、世界24ケ国から50団体が集まった。2年前は、スイスの自殺ほう助組織Dignitasが運営する“看取りの家”を見学した。イギリスやドイツから末期がんの患者さんがここに来て医者から自殺薬をもらって安楽死していた。私は、「なんでこんなことをするのか。日本なら自宅で尊厳死(平穏死)できるのに」と思った。2大会連続で参加して感じたことは、欧米では議論が明確に安楽死へ向かっていることだ。だから今年、私は「日本は、リビングウイルを担保する法律が無いが自宅で枯れて死ぬこと(平穏死)ができる国だ」という講演をした。安楽死に向かう欧米の終末期医療に反対した。そんな話をしたのはもちろん私だけだ。もちろん国民皆保険制度、在宅医療制度、緩和ケアの充実があるからだ。宗教、文化、制度の背景が異なるので単純な比較はできないが強い違和感をもった。終了後、欧米の参加者から様々な質問が寄せられた。
日本においては、まずは終末期ガイドラインの周知、活用とリビングウイルの啓発が急がれる。“大認知症時代”を想定して、代理人も定めた「新・日本版の事前指示書」の作成を目指して、毎月「リビングウイル検討会」を開催している。そしてどんな場合に、リビングイルの法的担保が必要なのか、広く自由に議論すべき時が来たと思う。
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この記事へのコメント
私なら現在の心境として「LWの法的担保」はちょっと怖いと思いますが「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律」であるならとてもいいものだと思いました。アピタル1663も読みましたから。。
29歳のアメリカ女性の自殺予告はこちらで初めて知りましたが、医師から薬をもらっても飲まない人が多くいるというのに実際に飲んでしまったという背景を想像すると恐ろしいです。ただ「尊厳死」という言葉自体は紛らわしいには違いありません。わかり易いものであってほしいです。ちなみに家で読んだ紙面は毎日と朝日でしたが。。
Posted by おーい at 2014年11月12日 01:56 | 返信
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