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医療事故と報道
2014年11月24日(月)
昨日は、「第9回医療の質・安全学会学術集会」に出席。
その目玉は、WHOのガイドラインのシンポジウムだった。
「医師法21条の拡大解釈の反省から患者医師信頼関係へ」に5人のシンポジストが熱く講演。
その目玉は、WHOのガイドラインのシンポジウムだった。
「医師法21条の拡大解釈の反省から患者医師信頼関係へ」に5人のシンポジストが熱く講演。
医療事故と報道
昨日は、「第9回医療の質・安全学会学術集会」に出席しました。
その目玉は、WHOのガイドラインのシンポジウムでした。
「医師法21条の拡大解釈の反省から患者医師信頼関係へ」
という演題に5人のシンポジストが熱い講演を行いました。
この会場は超満員で、入りきれない人たちが沢山いました。
医師法21条とは、「異状死体を見た医師は24時間以内に
警察に届けなければならない」という趣旨の法律です。
あくまで行き倒れや殺人事件を見た場合の話でした。
しかし1999年の都立広尾病院事件を契機に医師法21条の
拡大解釈が始まりました。
すなわち21条は医療事故にも適応される、という考えです。
2004年の最高裁判決で、関係者に有罪判決が下されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E7%AB%8B%E5%BA%83%E5%B0%BE%E7%97%85%E9%99%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6
各病院で医療安全に関する関心・対策が急速に高まりました。
医療者は「安全」と共に「訴えられない」ことを考えるようになりました。
この判決から、ちょうど10年が経過しました。
昨日の学会も第9回ということで、凄い賑わいでした。
ところで報道では医療事故という表現と医療過誤という表現があります。
両者はどう違うのでしょうか?
また報道されてた医療事故はどうなったのでしょうか?
この辺の事情を、以下、2010年にm3.comに
岸友紀子先生が書かれた文章から引用させて頂きます。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本における医療事故に関する報道は、1999年の東京都立広尾病院事件を契機に1998年の386件から1999年の1289件に急増。医療事故をきっかけに新聞報道が増え、一般市民の関心が高まりました。ただし注目すべきは、その際、わが国では、事件発生当初で正確な調査が進んでいない段階から、「医療過誤」という表現が新聞報道の大部分を占めたことです。「事故」でなく「過誤」という表現は、医療者の過失を前提としています。事件の真相が十分に明らかでない段階で、新聞がセンセーショナルに報道することは、事故に関する先入観を形成する危険性があります。医療事故の存在を一般市民が認識するのは、マスメディアを通じてであり、マスメディアの医療事故報道には一定の特徴があります。このことを、医療者も国民も、認識すべきです。
こうしたわが国の医療事故の報道内容が変わり始めたのは、2004年からです。1999年から2001年にかけて、大きな医療事故報道が続き、医療事故の存在を一般市民が認識するようになりました。2004年に都立広尾病院事件の最高裁判決が下るまでは、医療事故報道は「訴訟」や「処分」にウェイトが置かれ、「システムエラー」や「原因究明」に関する報道は散発的でした。しかしながら、この判決以降、わずかずつですが、システムエラーや原因究明に関する報道が増えてきました。この状況も、米国と類似しています。米国では、1994年の医療事故のセンセーショナルな報道を契機に社会的な関心が高まり、当初は医師の処分が注目されましたが、やがて、「2000年には医療事故を減らすには背景にあるシステムエラーを考えることが重要である」というコンセンサスに到達しました。医療事故について社会がコンセンサスを形成するためには、きっかけとなる事件ならびに長期間にわたる議論が必要ということでしょう。
そしてさらに、わが国の医療報道のあり方が大きく変わったのは、2006年の福島県立大野病院産科医師逮捕事件以降です。この事件では、癒着胎盤を合併した前置胎盤の妊婦が帝王切開手術中に死亡し、担当医が業務上過失致死罪で逮捕されました。この事件をきっかけに、多くの医師が「担当医に過失がなくても、結果が悪ければ刑事処分されてしまう」と感じるようになりました。このため、多くの医師が防衛医療を行うようになり、また訴訟リスクの高い産科医を廃業しました。
当初、逮捕された担当医に対して批判的であったマスメディアも、時間が経つにつれて、この事件が我が国の産科医療システムに破滅的な影響を与えたことを報道するようになりました。現に、2006年以降の新聞報道では「医療過誤」という単語の使用が減少し、「医療事故」という単語に置き換わっていました。また、2007年から2008年にかけての同事件の裁判報道と連動して、「システムエラー」や「調査」、さらに医療事故の背景の「医師不足」「医療崩壊」などの単語の出現頻度が急増していました(図1)。このような変化は、長年の議論を経て医療事故に関する国民的な理解が深まってきたところに、福島県立大野病院事件がコンセンサス形成のきっかけを与えたことを反映していると考えられます。
医療事故の報道姿勢については、新聞間に差がありました。「医療事故」という単語の報道量についても、総記事数に対する医療事故の記事割合が2007年で読売新聞は0.2%でしたが、他紙の平均は0.1%で、読売新聞が他の4紙の約2倍でした。一方、「医療過誤」という単語については新聞間に差はなく、どの新聞においても使用頻度は急速に減少していました。医療事故報道に対するウェイトの置き方には新聞社毎に差があるものの、いずれの新聞社も「医療過誤」という表現を控え、冷静に分析しようとしていることが伺われます。
医療事故は医療訴訟と密接に関連し、医療制度を破壊する潜在的な危険性を有します。医療事故および医療訴訟は「医療界と世論の軋轢」と見なすことも可能で、この問題を解決するには、これに対する世論の動向を正確に把握することが重要です。新聞は世論に大きく影響すると同時に、世論を反映するので、新聞における医療事故の報道を評価することは意義があります。しかしながら、この作業は新聞のデータベースが整備され、安価で公開されなければ、実行不可能です。今回、このような研究が遂行できたのは、日本国内で発表されているすべての新聞記事を網羅したデータベースが整備され、インターネットを用いて閲覧、検索が可能になったからです。これは、PUBMEDなどのIT技術が医学研究のあり方を変えたことと似ています。近年、医療とメディアの関係について様々な研究が進んでいますが、データベースの整備・公開は、このような研究の進行を加速するでしょう。今回は新聞を研究対象としましたが、テレビ、雑誌、オンラインメディアなどに関しても、同様の調査が必要です。このような媒体についてはまだデータベースが未整備であるため、早期の整備が望まれます。
昨日は、「第9回医療の質・安全学会学術集会」に出席しました。
その目玉は、WHOのガイドラインのシンポジウムでした。
「医師法21条の拡大解釈の反省から患者医師信頼関係へ」
という演題に5人のシンポジストが熱い講演を行いました。
この会場は超満員で、入りきれない人たちが沢山いました。
医師法21条とは、「異状死体を見た医師は24時間以内に
警察に届けなければならない」という趣旨の法律です。
あくまで行き倒れや殺人事件を見た場合の話でした。
しかし1999年の都立広尾病院事件を契機に医師法21条の
拡大解釈が始まりました。
すなわち21条は医療事故にも適応される、という考えです。
2004年の最高裁判決で、関係者に有罪判決が下されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E7%AB%8B%E5%BA%83%E5%B0%BE%E7%97%85%E9%99%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6
各病院で医療安全に関する関心・対策が急速に高まりました。
医療者は「安全」と共に「訴えられない」ことを考えるようになりました。
この判決から、ちょうど10年が経過しました。
昨日の学会も第9回ということで、凄い賑わいでした。
ところで報道では医療事故という表現と医療過誤という表現があります。
両者はどう違うのでしょうか?
また報道されてた医療事故はどうなったのでしょうか?
この辺の事情を、以下、2010年にm3.comに
岸友紀子先生が書かれた文章から引用させて頂きます。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本における医療事故に関する報道は、1999年の東京都立広尾病院事件を契機に1998年の386件から1999年の1289件に急増。医療事故をきっかけに新聞報道が増え、一般市民の関心が高まりました。ただし注目すべきは、その際、わが国では、事件発生当初で正確な調査が進んでいない段階から、「医療過誤」という表現が新聞報道の大部分を占めたことです。「事故」でなく「過誤」という表現は、医療者の過失を前提としています。事件の真相が十分に明らかでない段階で、新聞がセンセーショナルに報道することは、事故に関する先入観を形成する危険性があります。医療事故の存在を一般市民が認識するのは、マスメディアを通じてであり、マスメディアの医療事故報道には一定の特徴があります。このことを、医療者も国民も、認識すべきです。
こうしたわが国の医療事故の報道内容が変わり始めたのは、2004年からです。1999年から2001年にかけて、大きな医療事故報道が続き、医療事故の存在を一般市民が認識するようになりました。2004年に都立広尾病院事件の最高裁判決が下るまでは、医療事故報道は「訴訟」や「処分」にウェイトが置かれ、「システムエラー」や「原因究明」に関する報道は散発的でした。しかしながら、この判決以降、わずかずつですが、システムエラーや原因究明に関する報道が増えてきました。この状況も、米国と類似しています。米国では、1994年の医療事故のセンセーショナルな報道を契機に社会的な関心が高まり、当初は医師の処分が注目されましたが、やがて、「2000年には医療事故を減らすには背景にあるシステムエラーを考えることが重要である」というコンセンサスに到達しました。医療事故について社会がコンセンサスを形成するためには、きっかけとなる事件ならびに長期間にわたる議論が必要ということでしょう。
そしてさらに、わが国の医療報道のあり方が大きく変わったのは、2006年の福島県立大野病院産科医師逮捕事件以降です。この事件では、癒着胎盤を合併した前置胎盤の妊婦が帝王切開手術中に死亡し、担当医が業務上過失致死罪で逮捕されました。この事件をきっかけに、多くの医師が「担当医に過失がなくても、結果が悪ければ刑事処分されてしまう」と感じるようになりました。このため、多くの医師が防衛医療を行うようになり、また訴訟リスクの高い産科医を廃業しました。
当初、逮捕された担当医に対して批判的であったマスメディアも、時間が経つにつれて、この事件が我が国の産科医療システムに破滅的な影響を与えたことを報道するようになりました。現に、2006年以降の新聞報道では「医療過誤」という単語の使用が減少し、「医療事故」という単語に置き換わっていました。また、2007年から2008年にかけての同事件の裁判報道と連動して、「システムエラー」や「調査」、さらに医療事故の背景の「医師不足」「医療崩壊」などの単語の出現頻度が急増していました(図1)。このような変化は、長年の議論を経て医療事故に関する国民的な理解が深まってきたところに、福島県立大野病院事件がコンセンサス形成のきっかけを与えたことを反映していると考えられます。
医療事故の報道姿勢については、新聞間に差がありました。「医療事故」という単語の報道量についても、総記事数に対する医療事故の記事割合が2007年で読売新聞は0.2%でしたが、他紙の平均は0.1%で、読売新聞が他の4紙の約2倍でした。一方、「医療過誤」という単語については新聞間に差はなく、どの新聞においても使用頻度は急速に減少していました。医療事故報道に対するウェイトの置き方には新聞社毎に差があるものの、いずれの新聞社も「医療過誤」という表現を控え、冷静に分析しようとしていることが伺われます。
医療事故は医療訴訟と密接に関連し、医療制度を破壊する潜在的な危険性を有します。医療事故および医療訴訟は「医療界と世論の軋轢」と見なすことも可能で、この問題を解決するには、これに対する世論の動向を正確に把握することが重要です。新聞は世論に大きく影響すると同時に、世論を反映するので、新聞における医療事故の報道を評価することは意義があります。しかしながら、この作業は新聞のデータベースが整備され、安価で公開されなければ、実行不可能です。今回、このような研究が遂行できたのは、日本国内で発表されているすべての新聞記事を網羅したデータベースが整備され、インターネットを用いて閲覧、検索が可能になったからです。これは、PUBMEDなどのIT技術が医学研究のあり方を変えたことと似ています。近年、医療とメディアの関係について様々な研究が進んでいますが、データベースの整備・公開は、このような研究の進行を加速するでしょう。今回は新聞を研究対象としましたが、テレビ、雑誌、オンラインメディアなどに関しても、同様の調査が必要です。このような媒体についてはまだデータベースが未整備であるため、早期の整備が望まれます。
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