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多剤投与への処方箋は誰が切る?
2015年01月14日(水)
連日、多くの薬を処方されている患者さんが来られて
薬を少なくする作業に苦労する。
どうして20種類もの薬を飲まないといけない日本なのか。
薬を少なくする作業に苦労する。
どうして20種類もの薬を飲まないといけない日本なのか。
今週号の医療タイムスの連載には、多剤投与について書いた。→こちら
医療タイムス12月号 多剤投与への処方箋は誰が切る? 長尾和宏
医学が発達し、専門分化が進みその恩恵に預かる患者さんは確かに増えた。○○専門医だけではなく、○○専門看護師も続々と誕生している。日本中が専門家だらけになっている。その専門家が集まって「チーム」を造ることが美徳となった。たしかに今まで分らなかったことが解明されることはある意味、快感でもある。各医学会は時代とともに発展して、年々「診療ガイドライン」は更新され、町医者がついていくのは本当にたいへんだ。
一方、私自身は、学生時代から「なんでも屋」を目指してきた。とはいえ医学研究もかじったし専門医の試験も受けた。そんなことも芸の肥しになる(?)かもと考えていた。しかし最近は、「なんでも屋」までもが「専門医」として扱われる時代となったので、「なんでも屋の専門医を持たないなんでも屋」を目指している。というのも、50歳を超えると専門医資格の維持が大変なのだ。学会に行く時間や気力が無くなる。そしてなにより、専門医を持っていても何ひとつ得(?)をしたことがないことを経験で知っているからだ。
年を取ると病気が増える。これは古今東西、生物、いや生命体の宿命だ。年を取るということは日本人では診察券の枚数が増えること。そしてお世話になる専門医の数が増えること。そして専門医の数だけ薬の種類が増えることは、ある意味、必然だ。しかし余命1ケ月という紹介状を持って自宅に帰ってきた末期がん患者さんの投薬数が20種類を超えているのを目の前にすると、松田優作ではないが「なんじゃこりゃー!」と叫びたくもなる。ご飯さえもまともに食べられない人が、どうやって20種類の薬を飲むのか?「多剤投与」という素朴な疑問に、医療界は応えることができない。
日本医師会は“かかりつけ医”制度を推進している。私は正しい方向性だと思う。だから「大病院信仰、どこまで続けますか?」(主婦の友社)という本を書き、かかりつけ医の啓発を行っているがまだまだである。日本国民の病院信仰は、マスコミがある限りそう簡単には変わらないだろう。また“かかりつけ医”と言っても、たとえば「緩和ケア」の技術はさまざまだろう。常々、「緩和ケアは地域にある」、「緩和ケアはがん、非がんを問わない」と言っているが、かかりつけ医がそれを担うにはもう少し時間がかかる気がする。そして「多剤投与」は、きっと“かかりつけ医”の課題だろうが、病院との併診期間は勝手な減薬はできない。もし勝手に減薬して、なにかイベントが起これば訴訟リスクを負う。
“総合診療専門医”制度というものができたらしい。詳しくは知らないが、きっと病院内でのアイデンテイテイー確立に苦労しているのではないか。専門医偏重は、今も昔もそう変わっていないように感じる。しかし、もし“総合診療専門医”が「多剤投与」を担ってくれるのなら、こんな嬉しいことはない。例えば、地域に帰る時に、必ず“総合診療専門医”を通じて“減薬”が実行できれば、患者さんの利益は極めて大きい。
師走の中、「その症状、もしかして薬のせい?」(セブン&アイ出版)という本を出した。もちろん多剤投与をテーマにした本だ。個人的には、強引なジェネリック誘導より、多剤投与対策が優先すると思う。多剤投与への処方箋は誰が切るのか?そろそろ真剣に議論すべき時ではないだろうか。
医療タイムス12月号 多剤投与への処方箋は誰が切る? 長尾和宏
医学が発達し、専門分化が進みその恩恵に預かる患者さんは確かに増えた。○○専門医だけではなく、○○専門看護師も続々と誕生している。日本中が専門家だらけになっている。その専門家が集まって「チーム」を造ることが美徳となった。たしかに今まで分らなかったことが解明されることはある意味、快感でもある。各医学会は時代とともに発展して、年々「診療ガイドライン」は更新され、町医者がついていくのは本当にたいへんだ。
一方、私自身は、学生時代から「なんでも屋」を目指してきた。とはいえ医学研究もかじったし専門医の試験も受けた。そんなことも芸の肥しになる(?)かもと考えていた。しかし最近は、「なんでも屋」までもが「専門医」として扱われる時代となったので、「なんでも屋の専門医を持たないなんでも屋」を目指している。というのも、50歳を超えると専門医資格の維持が大変なのだ。学会に行く時間や気力が無くなる。そしてなにより、専門医を持っていても何ひとつ得(?)をしたことがないことを経験で知っているからだ。
年を取ると病気が増える。これは古今東西、生物、いや生命体の宿命だ。年を取るということは日本人では診察券の枚数が増えること。そしてお世話になる専門医の数が増えること。そして専門医の数だけ薬の種類が増えることは、ある意味、必然だ。しかし余命1ケ月という紹介状を持って自宅に帰ってきた末期がん患者さんの投薬数が20種類を超えているのを目の前にすると、松田優作ではないが「なんじゃこりゃー!」と叫びたくもなる。ご飯さえもまともに食べられない人が、どうやって20種類の薬を飲むのか?「多剤投与」という素朴な疑問に、医療界は応えることができない。
日本医師会は“かかりつけ医”制度を推進している。私は正しい方向性だと思う。だから「大病院信仰、どこまで続けますか?」(主婦の友社)という本を書き、かかりつけ医の啓発を行っているがまだまだである。日本国民の病院信仰は、マスコミがある限りそう簡単には変わらないだろう。また“かかりつけ医”と言っても、たとえば「緩和ケア」の技術はさまざまだろう。常々、「緩和ケアは地域にある」、「緩和ケアはがん、非がんを問わない」と言っているが、かかりつけ医がそれを担うにはもう少し時間がかかる気がする。そして「多剤投与」は、きっと“かかりつけ医”の課題だろうが、病院との併診期間は勝手な減薬はできない。もし勝手に減薬して、なにかイベントが起これば訴訟リスクを負う。
“総合診療専門医”制度というものができたらしい。詳しくは知らないが、きっと病院内でのアイデンテイテイー確立に苦労しているのではないか。専門医偏重は、今も昔もそう変わっていないように感じる。しかし、もし“総合診療専門医”が「多剤投与」を担ってくれるのなら、こんな嬉しいことはない。例えば、地域に帰る時に、必ず“総合診療専門医”を通じて“減薬”が実行できれば、患者さんの利益は極めて大きい。
師走の中、「その症状、もしかして薬のせい?」(セブン&アイ出版)という本を出した。もちろん多剤投与をテーマにした本だ。個人的には、強引なジェネリック誘導より、多剤投与対策が優先すると思う。多剤投与への処方箋は誰が切るのか?そろそろ真剣に議論すべき時ではないだろうか。
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この記事へのコメント
薬の話
また 父親の話
〜必ず
副作用
がある。
〜 薬は控えて 当たり前
薬を投薬されると 必ず 副作用を聞きます。
〜〜 高血圧 血糖値 の 薬 不必要です、
原因と対策を 考慮 します。
〜〜 例えば、血糖値の薬の副作用が
低血糖って わらっちゃいます。
ー〜〜 だから 言っただろう
父親が、言っていると思いますよ、
Posted by おこらんど at 2015年01月15日 12:02 | 返信
患者の立場
意見言うこと は 医師の権威 否定と感じる医師
まだ 多い。、!
それと これは 違う だけれど
父親が 阪大で 最後を 迎える
医師から 家族と 話したいとか
いわゆる ガン宣告
➖ 女しか いないのか?
➖ 女しかいません、何 か あかんの。、!!!
➖ それでは ガン宣告 余命 6ケ月
➖ ついては 手術必要
承諾か 家族に
➖ 何故 本人に いえないの!
➖ まして 手術 受けるのは 父親
➖ 隠しことして 患者も 家族も 変な状態
➖ 押し付け
なんにの為の医療?
ずっと 改善されたらしい!
しかし 根本の哲学 思想に
変わりないのでは?
いかが お考えで いらっしゃる
!!???
匿名からおこらんどへの返信 at 2015年01月15日 05:52 | 返信
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