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新たなステージを迎える認知症医療
2015年01月22日(木)
日本医事新報の第45回目の連載は、認知症医療について書かせて頂いた。
「なぜコウノメソッドなのか?」を、全国の医師に分り易く解説したつもり。
早くも4刷りになった「家族よ、ボケと闘うな!」にも、いろいろ書いている。
「なぜコウノメソッドなのか?」を、全国の医師に分り易く解説したつもり。
早くも4刷りになった「家族よ、ボケと闘うな!」にも、いろいろ書いている。
「家族よ、ボケと闘うん!」は、現在、アマゾン総合51位で
認知症の部で1位になっている。
応援、ありがとうございます!
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日本医事新報1月号 新たなステージを迎える認知症医療
話題になった2冊の拙書
私ごとで恐縮だが昨年末に2冊の本が出版された。2014年に10冊の本が世に出たことになるのだが、最後に出た、「その症状、もしかして薬のせい?」(セブン&アイ出版)と「家族よ、ボケと闘うな!」(役人の近藤誠氏との共著、ブックマン社)は、それぞれAmazonのお薬部門と認知症部門のベストセラー1位となっている。(12月22日現在)
前者は、高齢者の多剤投与に警鐘を鳴らす本である。歳を取るほど病気の数が増え、それに比例して薬の数も増える。医学の専門分化に伴う必然なのであろうが、各医学会のガイドラインに従って、多科受診をすればすぐに10~20種類投薬になる国である。その中に抗認知症薬が入っていることも少なくない。こうした多剤投与は誰が解決するのか。患者なのか医師なのか。そうした想いで、「大病院信仰、どこまで続けますか?」(主婦の友社)という本も出版し、「かかりつけ医」の大切さを啓発した1年でもあった。
さて高齢化といえば、認知症の増加である。予備群を含めて800万人と言われる認知症に対応すべく、がん対策基本法と同様に拠点病院をピラミッドの頂点としたトップダウン方式の認知症施策が国を挙げて遂行されている。本当にそのやり方でいいのだろうか?早期診断、早期治療で誰が一番喜ぶのだろうか?もちろん本人であるべきだが、もしかしたら製薬会社ではないのか?医者は製薬会社に踊らされていないか。製薬会社が主催する講演会に行くと、お抱え講師による同じような話が繰り返されている。デイオバン事件がまだ記憶に新しいが、もしかしたら?という想いが頭をよぎる。抗認知症薬の綺麗過ぎる臨床データに違和感を持つのは私だけだろうか。
識者から高い評価を得ている「認知症の真実」(東田勉著、講談社新書)には、「認知症は国と医者が作り上げた虚構の病だった!」とある。東田氏は、「かいご学会イン西宮」で毎年顔を合わせる医療ジャーナリストだ。こうした国民の声に日本の医療界はどう応えていくのだろうか。
コウノメソッドとの出会い
2014年夏、日本ホスピス在宅ケア研究会神戸大会の懇親会の後、コウノメソッドの提唱者である河野和彦医師に初めてお目にかかった。私と歳が同じで名前に同じ「和」という文字があることに親近感を抱いた。すでに何冊かの書籍を読んでいた私は河野医師にちょっと失礼な質問をぶつけてみた。「治療法に、自分の名前をつけるのはどういうことなのか?健康食品を使って怪しくないのか?」。河野医師は静かな声で、「そうではない。名前をつけたのは全責任を自分が持つという覚悟の表明にすぎない。それ以上の目的はない」と答えた。アルツハイマー病だけでなくレビー小体型認知症やピック病に関して初対面とは思えないほど語りあった。私は認知症の専門医でもなんでもないが、認知症の人を診るのが大好きだ。それは認知症が「予測不能」であるからだ。
抗認知症薬の功罪については私の印象と同じであった。アリセプトをはじめとする4種類の抗認知薬はさじ加減を大切にした個別化医療として用いれば大変有用な道具となり得る。しかし個別性を無視して、製薬会社や厚労省の指示どうりに増量すれば、役に立つどころか炎上させてしまう場合がある。それを「炎上」と認識できればいいが、認識できなければ、薬が効いていないと判断して逆に増量してしまう・・・。そして世界に例を見ない向精神病薬の処方率となっている。向精神病薬の処方率は死亡率と比例するというデータがある。ふらついて転倒→骨折→施設入所→胃ろうコースが世間にどれだけ多いことか。
以上は、同じく昨年、認知症のベストセラーになった拙書「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」で述べたように町医者の実体験そのものである。こうした一般書も書いている関係からか、全国から認知症の方と家族が相談に来られる。暴れて困るという相談への処方箋は極めて単純だ。抗認知症薬を止めるだけで別人のように回復したケースを沢山経験した。昨年、朝日新聞電子版(アピタル)に何気なくそんなエピソードを書いたら、過去最高の「そう思う」クリックが押されて、書いたほうがが驚いた。
誤診、誤処方だらけの現実
誤診、誤処方だらけの現実。こう書くと、医療界や製薬業界から大きな返り血を浴びることは覚悟の上で、近著「家族よ、ボケと闘うな!」で警鐘を鳴らした。というのもピック病をアルツハイマー病と誤診して、抗認知症薬で炎上させているケースを自分自身の失敗も含めて沢山経験してきたからだ。クチコミで寝た切りの方の在宅医療を依頼されても、全ての薬を中止したらスタスタ歩きだした、なんて笑い話のような話もいくつかあった。
認知症は、糖尿病をはじめとする生活習慣病やロコモテイブシンドロームなどの合併症を有している場合が多い。従ってどうしても多剤投与になりやすい。それに加えて誤診、誤処方が混在していることが少なくない。多剤投与への処方箋は別の機会に書くとして、誤診、誤処方は医師の努力で改善できる部分がかなりある。
河野医師は専門医の立場から誤診、誤処方だらけの現実に、具体的な「処方箋」をいくつも提唱している。日本医事新報社から出版されている書籍をはじめ講演やネット上での発信は、極めて実践的な情報が溢れている。常に現在進行形であるが、これは仕方がない。医学の進歩とはそのようなものだ。大切なことは、常に患者さんと家族の立場に立った医療の実践者であり続けることだ。コウノメソッドの最大の特徴は多くの家族や市民が支持していることだ。従来の医療とは違う現実的な側面が評価されている。私自身、すでに多くの認知症や神経難病にコウノメソッドを試してみたが、半数以上の人に効果を認めたている。なかには介護スタッフが声を出して驚くような著効例も散見される。まさに目からウロコ、論より証拠である。こうした武器を持たせて頂いた河野医師に感謝している。何より家族に感謝され、町医者冥利を味あわせて頂いている。
中枢神経系にこそ求められる個別化、総合診療
コウノメソッドの対象疾患は認知症にとどまらない。いまや神経難病や精神疾患にも及び、縦横無尽に「薬」という道具を上手に使うことを実践医は模索してやまない。中枢神経系の総合診療、と言っていいだろう。腹部臓器の医学は胃腸や肝胆膵と細分化することで発展を得てきた。しかし脳はネットワーク臓器なので、細分化手法だけでは当然限界がある。従って、臓器別縦割りに拘らない総合診療的な思考が必須である。
認知症は、どの科で診るべきか?同じ患者さんが、精神科に行くとうつ病と言われ、神経内科に行くとパーキンソン病と言われ、脳外科に行くと脳梗塞と言われ、老年科に行くと認知症と言われたという話がある。診療科によってこれだけ診断名が変わることが現実にあるのだ。一方、介護の世界では、認知症とは関係性の障害という見方をする。
最近、レビー小体病とパーキンソン病が兄弟関係のようなものであることがテレビCMの効果もあり広く知られてきた。しかしレビー小体病=精神科で、パーキンソン病=神経内科という縦割り構図で本当にいいのか。診療科を超えた考察、対応が求められるのが認知症ではないか、という想いがある。
一方、個別化医療という言葉は、がん治療や高血圧治療においてよく使われる。しかし私は脳の病気こそが個別化医療の対象だと思う。がん治療や高血圧治療における使用薬剤の個体差は、せいぜい2~3倍で多くも数倍程度であろう。一方、がん性疼痛に使用されるオピオイドの至適容量の個体差は、10倍、いや数百倍にも及ぶ。たとえば繊維筋痛症という病気の疼痛閾値の個体差も百倍単位に及ぶはずだ。脳というネットワーク臓器の薬剤感受性には想像以上の個体差があるはずだ。しかもその差は、同一個体であっても病気や日にちや日内でも大きく変動することは容易に想像できる。しかしそうした個別性を無視した認知症医療には疑問を感じる。
認知症医療はおそらく今年、新たなステージを迎えるだろう。その起爆剤がコウノメソッドであると確信している。当然、反発もあるだろう。しかし間違っている部分はさじ加減で修正すればいい。私は大きな挑戦だと評価している。そしてお薬だけではなく、その人らしい生活やスピリチュアルケア、そして人生の最終段階の医療・介護までしっかりと「肉づけ」するのが、私たち生活をも診る町医者や在宅医の責務ではないだろうか。
来る3月1日(日)に東京品川で第1回認知症治療研究会が開催される。詳細はコウノメソッドでネット検索されたい。医師以外ノコメデイカルも参加可能である。新たなステージを迎える認知症医療を一緒に楽しめたら幸いである。
認知症の部で1位になっている。
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日本医事新報1月号 新たなステージを迎える認知症医療
話題になった2冊の拙書
私ごとで恐縮だが昨年末に2冊の本が出版された。2014年に10冊の本が世に出たことになるのだが、最後に出た、「その症状、もしかして薬のせい?」(セブン&アイ出版)と「家族よ、ボケと闘うな!」(役人の近藤誠氏との共著、ブックマン社)は、それぞれAmazonのお薬部門と認知症部門のベストセラー1位となっている。(12月22日現在)
前者は、高齢者の多剤投与に警鐘を鳴らす本である。歳を取るほど病気の数が増え、それに比例して薬の数も増える。医学の専門分化に伴う必然なのであろうが、各医学会のガイドラインに従って、多科受診をすればすぐに10~20種類投薬になる国である。その中に抗認知症薬が入っていることも少なくない。こうした多剤投与は誰が解決するのか。患者なのか医師なのか。そうした想いで、「大病院信仰、どこまで続けますか?」(主婦の友社)という本も出版し、「かかりつけ医」の大切さを啓発した1年でもあった。
さて高齢化といえば、認知症の増加である。予備群を含めて800万人と言われる認知症に対応すべく、がん対策基本法と同様に拠点病院をピラミッドの頂点としたトップダウン方式の認知症施策が国を挙げて遂行されている。本当にそのやり方でいいのだろうか?早期診断、早期治療で誰が一番喜ぶのだろうか?もちろん本人であるべきだが、もしかしたら製薬会社ではないのか?医者は製薬会社に踊らされていないか。製薬会社が主催する講演会に行くと、お抱え講師による同じような話が繰り返されている。デイオバン事件がまだ記憶に新しいが、もしかしたら?という想いが頭をよぎる。抗認知症薬の綺麗過ぎる臨床データに違和感を持つのは私だけだろうか。
識者から高い評価を得ている「認知症の真実」(東田勉著、講談社新書)には、「認知症は国と医者が作り上げた虚構の病だった!」とある。東田氏は、「かいご学会イン西宮」で毎年顔を合わせる医療ジャーナリストだ。こうした国民の声に日本の医療界はどう応えていくのだろうか。
コウノメソッドとの出会い
2014年夏、日本ホスピス在宅ケア研究会神戸大会の懇親会の後、コウノメソッドの提唱者である河野和彦医師に初めてお目にかかった。私と歳が同じで名前に同じ「和」という文字があることに親近感を抱いた。すでに何冊かの書籍を読んでいた私は河野医師にちょっと失礼な質問をぶつけてみた。「治療法に、自分の名前をつけるのはどういうことなのか?健康食品を使って怪しくないのか?」。河野医師は静かな声で、「そうではない。名前をつけたのは全責任を自分が持つという覚悟の表明にすぎない。それ以上の目的はない」と答えた。アルツハイマー病だけでなくレビー小体型認知症やピック病に関して初対面とは思えないほど語りあった。私は認知症の専門医でもなんでもないが、認知症の人を診るのが大好きだ。それは認知症が「予測不能」であるからだ。
抗認知症薬の功罪については私の印象と同じであった。アリセプトをはじめとする4種類の抗認知薬はさじ加減を大切にした個別化医療として用いれば大変有用な道具となり得る。しかし個別性を無視して、製薬会社や厚労省の指示どうりに増量すれば、役に立つどころか炎上させてしまう場合がある。それを「炎上」と認識できればいいが、認識できなければ、薬が効いていないと判断して逆に増量してしまう・・・。そして世界に例を見ない向精神病薬の処方率となっている。向精神病薬の処方率は死亡率と比例するというデータがある。ふらついて転倒→骨折→施設入所→胃ろうコースが世間にどれだけ多いことか。
以上は、同じく昨年、認知症のベストセラーになった拙書「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」で述べたように町医者の実体験そのものである。こうした一般書も書いている関係からか、全国から認知症の方と家族が相談に来られる。暴れて困るという相談への処方箋は極めて単純だ。抗認知症薬を止めるだけで別人のように回復したケースを沢山経験した。昨年、朝日新聞電子版(アピタル)に何気なくそんなエピソードを書いたら、過去最高の「そう思う」クリックが押されて、書いたほうがが驚いた。
誤診、誤処方だらけの現実
誤診、誤処方だらけの現実。こう書くと、医療界や製薬業界から大きな返り血を浴びることは覚悟の上で、近著「家族よ、ボケと闘うな!」で警鐘を鳴らした。というのもピック病をアルツハイマー病と誤診して、抗認知症薬で炎上させているケースを自分自身の失敗も含めて沢山経験してきたからだ。クチコミで寝た切りの方の在宅医療を依頼されても、全ての薬を中止したらスタスタ歩きだした、なんて笑い話のような話もいくつかあった。
認知症は、糖尿病をはじめとする生活習慣病やロコモテイブシンドロームなどの合併症を有している場合が多い。従ってどうしても多剤投与になりやすい。それに加えて誤診、誤処方が混在していることが少なくない。多剤投与への処方箋は別の機会に書くとして、誤診、誤処方は医師の努力で改善できる部分がかなりある。
河野医師は専門医の立場から誤診、誤処方だらけの現実に、具体的な「処方箋」をいくつも提唱している。日本医事新報社から出版されている書籍をはじめ講演やネット上での発信は、極めて実践的な情報が溢れている。常に現在進行形であるが、これは仕方がない。医学の進歩とはそのようなものだ。大切なことは、常に患者さんと家族の立場に立った医療の実践者であり続けることだ。コウノメソッドの最大の特徴は多くの家族や市民が支持していることだ。従来の医療とは違う現実的な側面が評価されている。私自身、すでに多くの認知症や神経難病にコウノメソッドを試してみたが、半数以上の人に効果を認めたている。なかには介護スタッフが声を出して驚くような著効例も散見される。まさに目からウロコ、論より証拠である。こうした武器を持たせて頂いた河野医師に感謝している。何より家族に感謝され、町医者冥利を味あわせて頂いている。
中枢神経系にこそ求められる個別化、総合診療
コウノメソッドの対象疾患は認知症にとどまらない。いまや神経難病や精神疾患にも及び、縦横無尽に「薬」という道具を上手に使うことを実践医は模索してやまない。中枢神経系の総合診療、と言っていいだろう。腹部臓器の医学は胃腸や肝胆膵と細分化することで発展を得てきた。しかし脳はネットワーク臓器なので、細分化手法だけでは当然限界がある。従って、臓器別縦割りに拘らない総合診療的な思考が必須である。
認知症は、どの科で診るべきか?同じ患者さんが、精神科に行くとうつ病と言われ、神経内科に行くとパーキンソン病と言われ、脳外科に行くと脳梗塞と言われ、老年科に行くと認知症と言われたという話がある。診療科によってこれだけ診断名が変わることが現実にあるのだ。一方、介護の世界では、認知症とは関係性の障害という見方をする。
最近、レビー小体病とパーキンソン病が兄弟関係のようなものであることがテレビCMの効果もあり広く知られてきた。しかしレビー小体病=精神科で、パーキンソン病=神経内科という縦割り構図で本当にいいのか。診療科を超えた考察、対応が求められるのが認知症ではないか、という想いがある。
一方、個別化医療という言葉は、がん治療や高血圧治療においてよく使われる。しかし私は脳の病気こそが個別化医療の対象だと思う。がん治療や高血圧治療における使用薬剤の個体差は、せいぜい2~3倍で多くも数倍程度であろう。一方、がん性疼痛に使用されるオピオイドの至適容量の個体差は、10倍、いや数百倍にも及ぶ。たとえば繊維筋痛症という病気の疼痛閾値の個体差も百倍単位に及ぶはずだ。脳というネットワーク臓器の薬剤感受性には想像以上の個体差があるはずだ。しかもその差は、同一個体であっても病気や日にちや日内でも大きく変動することは容易に想像できる。しかしそうした個別性を無視した認知症医療には疑問を感じる。
認知症医療はおそらく今年、新たなステージを迎えるだろう。その起爆剤がコウノメソッドであると確信している。当然、反発もあるだろう。しかし間違っている部分はさじ加減で修正すればいい。私は大きな挑戦だと評価している。そしてお薬だけではなく、その人らしい生活やスピリチュアルケア、そして人生の最終段階の医療・介護までしっかりと「肉づけ」するのが、私たち生活をも診る町医者や在宅医の責務ではないだろうか。
来る3月1日(日)に東京品川で第1回認知症治療研究会が開催される。詳細はコウノメソッドでネット検索されたい。医師以外ノコメデイカルも参加可能である。新たなステージを迎える認知症医療を一緒に楽しめたら幸いである。
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