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後藤健二さんの遺志を共有しよう!

2015年02月08日(日)

産経新聞・生と死シリーズ第7回目は、後藤健二さんについて書いた。→こちら
後藤さんは今回の事件まで知らなかったが、彼が我々に残したたくさんの
優しいメッセージを共有したい。
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産経新聞・生と死シリーズ第7回   憎しみにある時こそ愛を
                       後藤健二さんの遺志を共有しよう!
          
 生と死シリーズで書いてきたところに、とても悲しいニュースが届きました。ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害されたという報道。生還を祈っていたのに本当に残念。まさに世界中が、後藤さんの「生」と「死」に揺れた今週でした。後藤さんの軌跡を振り返ってみます。

 死には、「予期された死」と「予期されなかった死」があります。後者は突然死です。高齢者はよく「ピンピンコロリ(PPK)したい」と言われますが、純粋なPPKとは突然死のこと。くも膜下出血や心筋梗塞などの急病、交通事故や災害、あるいは自死で亡くなる場合です。こうした場合には「終末期」は無く、いきなり死が訪れます。一方、がんや臓器不全症や認知症や老衰で亡くなる場合、「終末期」を経て死に至ります。実は統計学的に突然死する人の割合は5%と分っています。逆に言えば95%の人は終末期を経て死に至ります。しかし医学の発達や最期の医療の選択まで医者任せにした結果、終末期が分りにくくなっています。その終末期の定義が困難という理由で、終末期医療に関する自由な議論がこの10年間停滞したままなのが、日本という国です。

 さて、後藤さんの最期はどちらだったのでしょうか。私はどちらでもなく、敢えて言うなら「覚悟した死」とも呼ぶべき極めて稀な最期に思えました。後藤さんの最期は私が知らなかった世界で、言葉が見つかりません。

 映像や活字で見る後藤さんはとても優しく温和な人でした。貧困地帯で暮らす子供たちの教育を気にかけ絵で支援(レインボープロジェクト)しました。紛争の悲惨さだけでなく子供たちや難民の生活や笑顔を日本人ならではの視点で伝えました。そして危険を承知で湯川遥菜さんを捜しに行きました。こんな勇敢な日本人がいることを、私たちは誇りに思うと同時に、彼が残したメッセージをしっかり噛みしめないと申し訳ない。

 後藤さんの昨年12月2日のツイートから。「そう、取材現場に涙は要らない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない」(原文)。さらに私が感銘を受けた言葉を記します。「怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域」。「戦地は怖いが神様がいる」。こうした後藤さんが残した魂の言葉に世界中が共鳴しています。

 後藤さんは日本の誇りです。世界中の人々が「I AM KUNJI」というプラカードを抱えた映像サイトは、国境を超えて広がりました。そして「WE ARE KENJI」に変わりつつあります。紛争や暴力から目をそらすのではなく、声なき声に耳を澄まそうという後藤さんの勇気と遺志にそれぞれの立場で報いたい。後藤さんの愛の言葉を共有しましょう。後藤さんの「死」はPPKでも病死でも自死でもありません。国境を超えて子供たちの未来に殉じた「生」と一体となった「死」に思えます。自分のような町医者なぞ、なんてちっぽけなものだと思いました。後藤さんの御冥福をお祈り申し上げます。
 
キーワード  レインボー・プロジェクト
後藤さんはカラフルな絵を描いたことがないアフガンの子供たちに「夢を描いて欲しい」とう想いからクレヨンや色鉛筆を贈るプロジェクトに2009年まで取り組んだ。2008年、子供たちが青空の下で描いた100枚以上の絵が日本に届いた

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この記事へのコメント

 歌手、長谷川きよし さんの42年前の楽曲『サローム』より
=イスラム教とは平和を願う宗教=
サラーム アレイコム:あなたに平和を ⇒ アレイコム サラーム:あなたこそ平和を
これが挨拶の言葉、人と会う度に交す言葉なのだそうです。
 ISとは...?どうして、こんな事態になってしまったのでしょう...。
映画アナと雪の女王の結末のように、冷たく固く閉ざされた"イスラム国"首謀者の心を溶かす術はないのでしょうか。
 報道で知る情報ですが、後藤さんの御友人でいらっしゃるジャーナリストの方が仰るには
「人間愛でしか術は無い」と後藤さんが語っておられたそうです。
 悲しすぎる事態。これ程、悲しいという言葉が空虚に感じられるとは...。言葉になりません。

Posted by もも at 2015年02月08日 08:55 | 返信

「人間愛でしか術は無い」
後藤さんの思いの深さと、イスラム国の問題の本質を突いた言葉だと思います。
>歴史とは「人々の怒り」の積み重ねである。(1/29 I am not Abe)
その怒りを溶かすのは「人間愛でしか術は無い」のだと思います。

Posted by 桜 at 2015年02月09日 06:57 | 返信

人間愛には限界があります…
「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域」
「戦地は怖いが神様がいる」
この言葉の深い意味を想います。
人間愛を超えたところのものを、後藤さんは知っていた…ので成せた行動、彼の遺志。
このことを深く深く想います。
究極、人間には「祈る」ことしかできない…その祈りが地球上で捧げられてることを実感し感謝します。
イスラム国と言われている人々、内戦を続けるしかない人々、殺すか殺されるの世界でしか生きられない人々を想い、私自身を含めて神の赦しと憐れみを請い願うばかりです。
長尾先生の痛みの発信を心から感謝し共感し、今日与えられた仕事、日常を精一杯生き切りたいです♪悔いなく…♪

Posted by あい at 2015年02月09日 11:33 | 返信

日々の暮らしの中でどの様な人間関係でも「憎しみにある時こそ愛」を持って考えられる自身であること、祈りを持って向き合える自身であること、直面する問題から一歩下がって考えられるとき、その努力の繰り返しを続ける人が一人でも多くある限り「冷たく固く閉ざされた"イスラム国"首謀者の心を溶かす」力につながるのだと思います。
人間の心を動かすのは人間しかいない。「憎むは人の業にあらず」というその行動の中に「神」は宿るのだと思います。
そして起こる結果はどのようなものであれ「裁きは神の領域」なのだと思います。
イスラム国だけが特別ではない。
日々の暮らしの中で自身の課題とし、取り組める日々でありたいと思います。

Posted by 桜 at 2015年02月09日 08:02 | 返信

ネットサーフィンから、思わず目にした後藤さんのツイート。画面を消すのが惜しまれて、すみません
下記にコピーさせて下さい。後藤さんがUPなさったBBCニュースにも、痛み入る思い。
I am not Abe !


https://twitter.com/kenjigotoip?original

後藤健二 @kenjigotoip
フォローする
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。


2010年9月7日 22:49


41,851件のリツイート 49,526人がお気に入りに登録

Posted by もも at 2015年02月09日 08:35 | 返信

後藤さんはキリスト者(クリスチャン)かと。
人間愛に限界があるとわかっての、彼の行動…聖書に記載されている創造主、
神を信じていることでの最期の生き方。
聖書の中にこのような言葉があります…「死んでも生きる」(聖書)
前後の脈絡なく記載していますので、誤解なく!
同じキリスト者は、後藤さんは「死んで」。。。「生きる」です。
人間は神になることなどできない…ましてや「義人はいない」(聖書)
この地球上では「神」理解の違いなどなどで争いが生まれ殺戮が繰り返される。
この世は矛盾だらけで、慎重に、扱われなければならない大問題が山積み。
…長尾先生が発信してくださる課題、問題などもそのひとつで。
見えるところのものだけを信じてアタフタせず、地に足をしっかりと
踏みつけて…今日も長尾先生のブログにアクセス~クリックです(^^♪
「生きる」ことをよくよく考えさせてくださる機会を、課題を、長尾先生ありがとうございます♪

Posted by あい at 2015年02月10日 12:56 | 返信

 建国記念日の今日、国家と国民の長久繁栄を祈願する "紀元祭"が行われるという、神宮に参拝してきました。天照大神を御祭神とし国民全ての祖神であるという、その神宮の願い事札に
「後藤健二さんのご冥福をお祈りします」と記させて頂き、お参りさせて頂きました。
 深い失意の中にありながら、社会への謝辞を表明なさった奥様と母上様、お兄様の御心を思う時に、
どのような言葉を選べば良いのか、言葉とは無力に思えてなりませんが、後藤健二さんが報じた映像やメッセージを胸に刻み、平和を享受している幸せに感謝しながら、これからも日本の平和と伴に世界平和を願っていきたいと思います。
 後藤健二様のご冥福をお祈り申し上げます。
 そして、塗炭の悲しみの中にある御遺族様の御心にも、一日も早く春の陽がさし癒される日が訪れることを心よりお祈り申し上げます。
 

Posted by もも at 2015年02月11日 09:05 | 返信

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