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施設入所者の5段階
2015年03月28日(土)
キューブラーロスは、がん患者さんの心の動きに5段階あると言った。
拒絶→怒り→取引き→うつ→受容。
実は、無理やり施設に放り込まれた高齢者もこれと同じ葛藤を辿る。
拒絶→怒り→取引き→うつ→受容。
実は、無理やり施設に放り込まれた高齢者もこれと同じ葛藤を辿る。
介護施設をうろつくといろんな人がいる。
入口近くでウロウロしている人は、”脱出”の機会をうかがっている。
文句ばかり言っている人は、怒りの最中にいる。
3ケ月経っても、”ここは自分の居場所ではない”と主張する人は、拒絶のまま。
1日中、机にひれ伏したり、うつろな目をしている人は”うつ”の真っただ中。
全部を通り越して、”諦め”まで来たころには、平穏死が待っている。
受容まで来られる人は、僅かだ。
年度末で、多くの面接や来客がある。
介護施設勤務が長い人には必ず聞く質問がある。
「介護施設ってどんなどんなところですか?」
「牢屋より酷い所でした!」
素晴らしい回答は。
いくら立派な名前はついていても、職員は知っている。
今週、北海道のあるグループホーム経営者から電話があった。
2年前には、そこに講演に行ったこともある。
そこは、鍵がかかっていなかった。
鍵がかかっていないグループホームを生まれて初めて見た。
介護報酬減額を目前に、、施設経営者は苛立っている。
生き残りをかけて、牢屋介護に拍車がかかる。
入居者の気持など眼中にない施設経営者がいる。
そんな環境の中、医療と介護の連携など画餅に見えることが増えている。
介護の質をあげるには。
・国が介護教育に本気に取り組む(国立教育センター)
・介護報酬を増やす
・ケアマネの独立化
要は、食と排泄、移動という尊厳を
介護者のみならず、経営者にも徹底的に教え込むことだ。
がん患者さんの死の死の5段階はともかく、
何も悪いことをしていない高齢者が、牢屋以下の場所に無理やり入れられて
やはり、5段階のどこかの段階で苦しんでいる様を診るのは、本当に辛い。
医師として、社会人として無力であり、
私自身も”うつ”の段階にとどまっている。
しかし、時には、本を書いたりして”取引き”もする。
「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」
「家族よ、ボケと闘うな!」
まだ読んでいない人は読んで欲しい。
親を入れてから読んで、後悔して手紙を書いてくる人が後をたたない。
もっと早く読んでいたら・・・と、みんなつづられている。
PS)
今日は、養老の滝で有名な養老町で平穏死10の条件、で講演する。
入口近くでウロウロしている人は、”脱出”の機会をうかがっている。
文句ばかり言っている人は、怒りの最中にいる。
3ケ月経っても、”ここは自分の居場所ではない”と主張する人は、拒絶のまま。
1日中、机にひれ伏したり、うつろな目をしている人は”うつ”の真っただ中。
全部を通り越して、”諦め”まで来たころには、平穏死が待っている。
受容まで来られる人は、僅かだ。
年度末で、多くの面接や来客がある。
介護施設勤務が長い人には必ず聞く質問がある。
「介護施設ってどんなどんなところですか?」
「牢屋より酷い所でした!」
素晴らしい回答は。
いくら立派な名前はついていても、職員は知っている。
今週、北海道のあるグループホーム経営者から電話があった。
2年前には、そこに講演に行ったこともある。
そこは、鍵がかかっていなかった。
鍵がかかっていないグループホームを生まれて初めて見た。
介護報酬減額を目前に、、施設経営者は苛立っている。
生き残りをかけて、牢屋介護に拍車がかかる。
入居者の気持など眼中にない施設経営者がいる。
そんな環境の中、医療と介護の連携など画餅に見えることが増えている。
介護の質をあげるには。
・国が介護教育に本気に取り組む(国立教育センター)
・介護報酬を増やす
・ケアマネの独立化
要は、食と排泄、移動という尊厳を
介護者のみならず、経営者にも徹底的に教え込むことだ。
がん患者さんの死の死の5段階はともかく、
何も悪いことをしていない高齢者が、牢屋以下の場所に無理やり入れられて
やはり、5段階のどこかの段階で苦しんでいる様を診るのは、本当に辛い。
医師として、社会人として無力であり、
私自身も”うつ”の段階にとどまっている。
しかし、時には、本を書いたりして”取引き”もする。
「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」
「家族よ、ボケと闘うな!」
まだ読んでいない人は読んで欲しい。
親を入れてから読んで、後悔して手紙を書いてくる人が後をたたない。
もっと早く読んでいたら・・・と、みんなつづられている。
PS)
今日は、養老の滝で有名な養老町で平穏死10の条件、で講演する。
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この記事へのコメント
老人にも基本的人権があるのだから、また、悪名高き「医療保護入院制度」には該当しないのだから(何故って、施設は病院ではない)、本人が気に食わない施設に「無理やり入れられる」ハズは有り得ない。
介護施設にしても、本人の意思を無視して、『無理やり入れる』ことは不可能である。故に、子供を中心とする家族に責任をすり替えて、「家族が老人を無理やり酷い施設に閉じ込めている」と受け取れる表現をすることになる。
問題はどこにあるのか。
家があるのなら、老人を家に帰せば良いのだ。長尾理論がまかり通るなら、独居老人が一番世話をしやすいわけだから、世話を引き受ける家族や親戚がまったくいなくても、かかりつけ医と訪問看護・介護で自宅で一人で生活できるはずである。
しかし現実は異なる。何故か。一般人の意識の問題があると思う。
たとえば、
ちょっと前の事だが、自転車で駅へ行く途中のアパートの敷地に低いブロック塀があり、顔見知りの近所の老女、といっても私と同じくらいの年齢かもしれないが、彼女がそのブロック塀に座って荷物を膝に置いて目を閉じていた。私は一度通り過ぎてから、やはり声をかけた方が良いと思って引き返して、「大丈夫ですか?」と言うと彼女は怒り出した。
「放っておいてよ。みんなして大丈夫ですか?大丈夫ですかって。うるさいのよ。」-----
私は、ああ、やっぱり。と思って、ごめんね、そうだよね、うるさいよね。と謝って駅へ向かった。
その老女はウチから5分位の一軒家に一人で住んでいると思われる。老女なのにヤングみたいな服装だったり風貌はちょっと変わっている。絵を描いている、というハナシを聞いたことがある。近所の小さな公園のベンチにうなだれて座り込んでいたことがあって、その時、私は、「市役所に通報されて精神病院行きにならなければいいんだけど・・・」と心配になったが余計な口を出すほどヒマではない。
今回なぜ私が通り過ぎたのにまた引き返して「大丈夫ですか?」と「おせっかい」をしたのか。
彼女はブロック塀に座って目を閉じていたが、もし万一気を失っていたり、あるいは息絶えていたら、そういう可能性がある人を放置してよいのか、という思いがアタマをかすめたのである。
しかし彼女はちょっとすわって休みたかっただけなのだ。
みんな、「ちょっとフツーじゃない人」を放っておかない。放っておくことがニグレクトという「罪」になる、なんて、だれがいつ言い出したのだろう。医療につなげて介護につなげることが「人道的」だなんて、誰が言い出したのだろう。何が「フツー」なのだろう。
Posted by komachi at 2015年03月28日 07:21 | 返信
養老町の講演に参加させていただいた宮ちゃんです
以前 長野の講演の申し込みしましたが 精神訪問看護算定研修会の方に行かないと仕事ができないという悲しい選択を虐げられ 参加を断念しまして…
待ちに待った今日の講演会でした
わたしの想像通りの素晴らしい先生でした
小田和正さんの音楽にのせて
やよい会のみなさまの笑顔を拝見させていただいた時 涙が溢れてきました
うちのステーションで看取りをさせていただいた方々と重なってしまいました
実は 利用者さまが お亡くなった現場で、 泣いたことはないんですよね
でも 今日は おうちで笑顔に暮らしてる姿に 涙しちゃいました
うちの利用者さまも 亡くなる寸前まで ご飯を食べてました
ある方は、ご主人が亡くなりそうなのに 奥さまが甘酒を飲ませたり、また ある方は 息子さんが はちみつをたべさせたり…
病院勤めだった時は 絶対にありえないことです
なぜなら 医師の指示=絶食だから 絶対に 食べさせませんでした
食べること 出すこと…大事ですね
今日の講演会に参加させていただいて 勇気が出ました
自分で やりたくて 作った訪問看護ステーションだから 自由にやってみます
壁にぶちあたったら
先生の本を武器に 乗り越えますよ
本当に 本当に ありがとうございました
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2015年03月28日 10:43 | 返信
komachiさん、お年寄りに「大丈夫ですか?」と、お声をかけてしかられたなんて、笑っちゃいます。
お忙しいkomachiさんが、わざわざ引き返して、心配してあげたのにね。
そういえば、私めも、電車に乗ったら若い女性に「どうぞ、お掛け下さい」なんて言われちゃって、仰天して「けっこうですう!ありがとうございます」と言ってから、苦笑いしてしまいました。
でも座席を譲ってくれるなんてうれしいものですね。
komachiさんも、良いことをなさったのですよ。
それはそうと、もう10年以上前ですけど、私の母が近所のキリスト教系の教会へ行っていた時の一つ年下のAさんと言うお友達(女性)が、ご主人の胃癌の看病をして亡くなった後、一人でアパートに閉じこもりがちなりました。それを心配した教会の女性が彼女に老人の助成制度を利用して、医療費を安くしてあげたりしていました。その延長線上で、Aさんを特養に、一日ショートステイさせました。すると今度はお正月を挟んで、一週間も、泊まることになりました。その特養に入所しているお年寄り達が、夫々自分の子供達家族の家に一週間帰るので、その空き部屋に入れられたわけです。Aさんが泊まってみますと家に帰れない認知症の人達が残っていて、手掴みでご飯を食べたり、便こねをしたり、夜中に大声でどなったりでAさんはすっかり疲れてしまいました。それで正月明けの3日に自分のマンションに帰った後血圧が上がっていて、心臓の発作を起こしたのか人事不省に陥ったのです。翌朝ヘルパーさんが来て大騒ぎになり、消防署のレスキューが来て窓を割って入り救急病院に、入院しました。内科のお医者さんが「点滴をしたらもう良くなったから、帰って宜しい」と言ったのに、教会の夫人達の一人に医師夫人がいて「私達はこの人と、赤の他人です。以前からボーっとして痴呆症だから施設に入れないと危険だ危険だ」と強硬に主張して、若い主治医に他の病院の介護施設宛に紹介状を書かせました。そして教会の人達が来たら良く分かるようにと、紹介状を開封してあるのです。そこには「Aさんは、痴ほう症です。これこれの症状があるので、貴施設への入所を希望します」と書いてありました。
Aさんは、動揺していたので、病室の中で転倒して股関節の骨折をしてしまいました。
そのあと京都に住んでいる(死んだ主人の姪)が来て財産もマンションの権利書も預かってしまいました。姪はAさんを西陣病院で股関節の骨折の手術を受けさせてくれました。その代り「伯母さん、手術にお金がかかったから、マンションを売って,そのお金を私に下さい」と言ったのでAさんと、大ゲンカになりました。
Aさんは、(正常圧水頭症)ではないかと思われる足元の不安定感があったので、股関節の手術をしてもリハビリができませんでした。姪はAさんを京都の老人施設に入れようとしましたが、京都は、できるだけ在宅介護を推進していて、施設は殆ど空きはありませんでした。それで又、長年暮らした宝塚にある(そもそもAさんが一週間ショートステイをして人事不省を起こした)施設の系列の特養に入居しています。
Aさんが「正常圧水頭症」かどうかわかりませんが、痴ほう症だと間違われた症状もあり、足元のふらつきもあり、多量の尿漏れもあったので、マンションも姪が売却してしまったので、施設で暮らしています。
彼女の不幸を見ていると、私の老後も暗い予想しかできません。
Posted by にゃんにゃん at 2015年03月30日 03:43 | 返信
にゃんにゃんさんのお話のAさんの件は、Aさんのご自宅が売却されAさんの資産がご主人の姪御さんに自由にされている法的な経過がわからないのでその点については言及を控えますが、今の老人は、自身の権利が(特に親族によって)侵害されているにもかかわらずそれを第三者に(法的に)訴えることをヨシとしない傾向があります。これは私の世代(今年62歳)くらいから徐々に変化して親族とはいえ権利侵害に対してはっきりした態度を取るようになると思います。しかしながら、問題は、
「可哀そうな独居老人を施設に入れてあげよう」とか、「お医者様に診てもらってお薬を飲めば絶対もっと良くなるから」という、当人はとても良いことをしていると思っている「おせっかい」や「医療崇拝」です。これらの「羊の皮をかぶったオオカミ」さん達は、おそらく今後も延々と増殖し続けるだろうと思われます。
施設入所のほうが良い場合もあるのです。ウチの父のように施設で生活した方が元気で長生きする場合も多いです。もちろんその逆もあります。
はっきり言えることは、本人が本当に自宅で一人で生活する意思があるのなら、面倒を引き受ける家族がいてもいなくても、自宅へ戻すべきだということです。しかしそれは(長尾クリニック周辺以外では)ほぼ不可能です。独居老人を引き受ける訪問診療医師とケアマネを見つけるのが至極困難、加えて、ご近所は独居老人を嫌がる。いつ火を出すかわからない、ふらふらウチに入ってこられては困る、ゴミの出し方を理解できない、etc.
長尾先生のご意見のうち、施設のあり方として「地鶏介護」を推奨なさるのは現実味がありますが、「独居老人が死ぬまで自宅で生活できる社会」は、それ自体が閉ざされた施設のような「独居老人生活地域」となり、健常なフツーの世代とは切り離された「特殊区域」となるしか存在できないと思います。
あちこちに徘徊老人が歩いていて、座り込んで眠っているのか気絶しているのかわからない老人がちょこちょこ目に入ってくる、老人ストーカーもいるし、介護施設だからこそ「あってはならない事件」として老人同士の殺人がニュースになるけれども、「独居老人居住ゲットー」では老人同士の事件が増えますよ。認知症でなくても年寄りは頑固で思い込みが強くて自己中心なんだから。
そういう地域に、毎日時間に追われて働いている世代が住みたいと思うでしょうか?
現在の政府が推進しようとしている在宅介護は、家族が介護することを前提としています。いつまでたっても家族の犠牲と無料奉仕を求めている。
一つの救いは、私の世代は、今の老人を反面教師として年を重ねているということです。
少なくとも子供に面倒を看てもらうのが当然と考えている人は(私の周囲には)まずいません。それどころか、同居だと良い仕事にありつけないから、通える範囲でも大学生になるとアパート生活をさせて就職に備えている。親と同居は、いつ介護が降りかかってくるかわからないので重要戦力とはみなされないそうです。
メタボ警告をもらってるからなのか、首にタオルを巻いてせっせと歩いてる高齢者予備軍を見かけることが多いです。私もチャリをやめて徒歩で駅まで歩くのが良いのですが、夜は自転車のほうが安全なので・・・これは言い訳かも。
私は、老人問題は、変わっていくと思います。認知症も、製薬会社と医者がこじつけで増やそうとしない限り、減ると思っています。認知症は生活スタイルおよび思考型に大半の原因があると私は感じています。それに気づいている人達は結構多いです。コワイのは「医療崇拝」です。本当に必要な医療は、実際に行われている10%程度だという説もあるようです。過剰医療から如何に身を守るか、それが、自立して生を終えるキーワードだと思います。
Posted by komachi at 2015年03月31日 02:21 | 返信
平成27年度介護報酬改定の説明の中には家族介護に疲れて高齢者虐待がないかケアマネジャーが監視するようにと強調されて書かれています。
なにをか言わんやです。
Posted by にゃんにゃん at 2015年04月01日 04:46 | 返信
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