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カナダで医師の介助による死が合法化

2015年05月30日(土)

世界の医学界に大変影響力のあるNew England Journal of Medicine 5月号に
カナダで医師の介助による死が合法化されたという記事が掲載されている。
「巻子の言霊」の松尾幸郎さん(米国在住)が、その論文を翻訳して頂いた。
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 尊厳ある死に満場一致の採決 
  
カナダに於ける医師の介助(ほう助)による死の合法化

                                                                                  Amir Attaran, D.Phil., LL.B.
 
2015年2月にカナダは医師の介助(ほう助)による死を合法化しました - 
これは慣習法制度を持つ諸国に於ける最初のものであり、慣習法制度では、しばしば個々の事例判決、判例を通して、判事によって判断され、それが法律となる - 
カナダの最高裁判所はCarter v.Canada*の裁判で合法と判決を下しました。その臨床実施に対する理由付けと影響はこれからの審査を待つことになります。

ここまでに至るカナダが通った道程は決して短いものではありませんでした。
1993年、裁判所は医師の介助死の合法化を5対4の僅差で否決しました。そして議会は、それ以来数度に亘ってこの問題について審議致しましたが、常に反対を表明してきました - 2014年ケベック州は “Medical aid in dying “(医療介入による死)に関する法律を通しましたが -
Carter v. Canada* のケースの判決 - それは一年間の猶予期間を与えて、その間にカナダ連邦と各州政府及び医学・医療界が秩序ある転換をもって2016年の初頭までには、カナダ国民である患者が医師の協力によって死ぬ選択が出来るような体制の構築を要請するもの - が引き金となりました。
(*最初はBritish Colombia州の最高裁判所に提訴され、その後カナダ最高裁判所に控訴された)


医師の介助による死は倫理的にも法的にも論争の的になるものであります。いくつかの国及び州はすでに合法化しております。(時系列表を参照)
その中にあって、カナダ国民は今やその時が来たと圧倒的に信じております。

そして、衝撃的と言えるほど、裁判所の9人の判事が満場一致で、なんの異論もなく合法であるべきと判決しております。この判決に対して、世論調査では、78%のカナダ国民が賛同を表明しております。そのうち、60%が“強く”支持しており、強く反対するものは9%に過ぎませんでした。

画期的なことは、カナダ医師会は医師の介助による死に対する従来の反対の立場を取り下げました。
従いまして、このような火の付きやすい提案を受け入れるこれからの裁判所、カナダの医学・医療界、法曹界そして社会一般の(それを受け入れる)絵模様とはどんなものになるのでしょうか?

カナダの刑法は生命の保全を最重要視しております。自殺を犯そうとする人にカウンセリングしたり、手伝ったり、教唆したりすることを禁じております。そしてその様な手助けが間接的にも死に至らしめる場合は殺人罪とみなします、それがたとえ、本人が同意したものであろうとも、です。

しかし、一方 カナダの憲法は、それは法律の最高位に位置するものですが、個人の自主・自立と尊厳を強調しております。(カナダ憲法の一部である)権利と自由の憲章(Canadian Charter of Rights and Freedoms )の下では、皆が個人の生命、自由、安全の権利を有しております。そしてその権利は何ものからも剥奪されるものではなく、唯一の例外はFundamental justice (正義の基本原理に関するカナダ宣言)の原則に反する場合であり、その場合には、社会は一定の制限を加えることが出来るとされております。
精神的に健全な知的能力を有する者は自由に、死ぬ意志を表明し、医師の介助を求めるとき、刑法がそれを禁じるか、または憲章の権利が優先するかは、明確ではありません。

患者の死に医師が介入することを考えたとき、医療行為は、不作為(蘇生治療を断ることは許されている)によるものか、積極的作為(バルビツールの過剰投与は禁じられている)によるものかを区分けします。
この区分けは危篤な緩和ケア病棟では日常に対応されていることであります。しかし多くの法学者や裁判官は長い間、それは非論理的ではなかろうかと考えてきました。

1993年、一例をあげますと、英国の最高裁判所は家族の同意を得て、医師が植物状態にある患者に鼻からの栄養投与を中止することは法的にどうなのか、考えてきました。
挿管を止めることは積極的作為による殺人の罪になるのか、それとも挿管をしたままにして、次第に餓死に至らしめることが、不作為による人道的行為なのか、そこに道義上の差異をつくることになるが ー これは耐え難いほどに微妙な区分けに関わる問題になります、とある判事が苦言を漏らしております。

Lord Goff of Chieveley(英国の男爵にして有名な判事ー1926年生まれ)は正しく次のように予測しております - “これは偽善の罪である、何故なら、もし医師が、治療を中止して、その結果として、患者を死なすことになるのならば、患者を死ぬまで苦痛のままに放置するよりも、むしろ、ためらわずに致死薬を投与することによって、より人道的な形で患者を悲惨な状態から解放することが合法であるべきではないということが何故か、と問われることになります。”

公衆衛生の分野に於いては、これはHarm-reduction 議論*と呼ばれております。(*Harm-reductionとは国際保健用語で、ある行動が原因となっている健康被害を行動変容などにより予防又は軽減されること)
そしてカナダの最高裁判所はHarm-reductionに傾倒しているということになります。

2011年以来、満場一致の判決は、個人の生命、自由そして安全の権利を謳う憲章を行使して、麻薬患者や売春宿に対する管理された投与センターの合法化を促しました、なぜなら、監視と保護をもって、薬を投与して売春することの方が、何もしないより、より安全であるという証拠がそれを明らかしております。

それと同様に、医師の介助死に於いても、裁判所は、伝統的な自殺の方法は、患者の“個人に対する安全の権利“を侵害しており、それは医師の見守るなかで実施される臨床的方法よりも、より侵害度が高いと論じております。

判事たちは更に前進しました。刑法が、自分自身の死という個人的なものについて決断する能力を妨害するとき、個人の自主、自立をはく奪することになる、それは心理的な害と苦痛を引き起こす、従って、それは憲章の自由に対する権利を侵害することになる………
“辛くて、且つ回復不能な症状に対する個人の反応”は個人の尊厳と自主、自立を脅かす重大な事態であります。この法律はこのような状況にある人々に緩和ケアを要請し、人工的な栄養、水分の摂取を拒否し、延命措置の除去を要請することを許容するものでありますが、医師に死の介助を要請する権利を否定しております。これは個人の身体的全体性 そして医療ケアに関する決断能力を阻害するものであり、その結果、憲章の定める自由を侵犯することになります。“

判事たちは不作為の罪と積極的作為の罪の違いを明確にすることを避けました。結論したことは、辛くて,且つ回復不能な窮境 にある患者がInformed consent(治療の同意)を与えることが出来る限り、医師が積極的に介入しようが消極的に介入しようが、どちらでも構わないことになります、なぜなら、いずれの場合でも、患者の尊厳と自主、自立は本人自身のコントロールを要求するものであるからです。

裁判所は“患者中心のケア”という概念を引用しなかったけれども、それは患者に、緩和ケアであろうが医師の介助死であろうが、患者に選択権を与える現代医学とは同じ波長にあることは明白であります。
裁判所の判決は急進的というより、むしろ穏当と言えます。

カナダ政府は、患者に選択権を与えることは弱者を危険に陥れるであろうという、いわゆる滑り坂論法を持ち出しましたが - 弱者とは認知障害にある患者、あるいは
精神的障害者等 - もし医師の介助死が犯罪でないとなれば、彼らは最終的には死に至らしめられる、という議論になかにありました。
裁判所は、そのような論法に説得させられるようなことはありませんでした。

そのような終末期にある患者はすでに我々の医療制度のなかに織り込み済みである、と裁判所は記述しております。そしてそのようなリスクを賢明に評価する医師には正当な信任を与えてきました。
判事たちはこのように言っております:Informed consentを判断する従来の知られた方法は - たとえば、事前の医療指示書 あるいは 代理人の任命書を順守する -それで十分であります。

誰も医師の介助死をどう臨床的に扱っていけばよいのか、まだ分かっておりません;そのために猶予期間を設けたわけです。
カナダの法務大臣は、憲章の“Not withstanding clause”*を使って裁判所の判決を覆すようなOptionは無いと否定的です ー 
(* Not withstanding clauseとは憲章の33項に認めるもので、覆して優先することのできる権限)
これは議会が一度も使ったことのない議論の余地あるトランプカードであります ー そして選挙の年には、連邦政府は、医師の介助死を規制するよりは、もっと高い優先順位を持つことになります。つまり医師の介助死に規制を設けないで放置することも考えられます。
妊娠中絶に関しては、そうでした。裁判所が妊娠中絶には刑法は当てはまらないと判決して以来、何十年間再規制されることはありませんでした。

これから起きることは、カナダの10州の州政府が、ケベック州が実施したように、法的指針を発令するか、あるいは 州政府としては何もしないで医学・医療界にその実施の要領を任せるか、いずれかになることでしょう。
ここに二つのまだ回答されていない質問があります:

一つは、“Grievous and irremediable medical condition(辛くて,且つ回復不能な症状)というものをどう定義付けするか? この症状に対して、裁判所は医師の介助死が提供されるべきと主張しておりますが、この症状は分類上終末期でない患者、身体的な病気でない患者、例えば治療に抵抗するうつ病患者、にも該当する問題です。

そして二つ目は、宗教または良心に基づいて、患者の権利を阻害することなしに、医師の介助死には反対する、という医師たちの権利に応えるべく、医学・医療界として、どのような組織の構築をするのか ?
緩和ケア専門医のカナダ学会は,過半数の会員は介助死には加わりたくないと発表しております;彼らがこれらの質問の対応に率先して行動する意思はないようです。

それでは誰が先頭に立つのか? あるいは 介助死の専門医というものを新たに設けることになるのか ? やがて時が来れば明らかになることでしょう。

多くの不確実要因に直面しながらもカナダ社会は、不安に恐れるというよりは、むしろ信頼しているという風に見えることは明らかです。そしてこの裁判所の判決がCulture戦争の引き金になるということはまず考えられません。

この判決は恐らくカナダ以外の国々にも変化をもたらす前兆であろうと思います。
真似ることは慣習法制度を持つ世界の特徴でもあります。そして もし介助死が英国やインド あるいは南アフリカで起訴されるようなことがあれば、裁判所はカナダの判例を引き出すであろう確率は高いといえます。

どこの社会も変化しております、そして何十年先には社会の高齢化がますます進み、豊潤による慢性病の発生が増加します。その時、終末期に於ける医学的、法的な従来の正統派とされた考えにますます疑問が投げかけられることでしょう。法的概念の流れ、人口動勢の変化を考えますと、医療ケアの基準として医師の介助死に収れんされていくことは避けられないように思われます。

この様な進展は、医師の介助死に本能的な嫌悪感をもち“反発”する人たちには問題でしょう。しかし、それにも増して(現代人は)尊厳と安寧をもって死ぬ権利を患者から奪うことに、もっと“反発”を感じるということを、社会は認めることになると思われます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 
医師の介助死に関する法律の時系列表(1994年 - 2015年)
 
1994年11月 Oregon州に(尊厳ある死)の法律発議が可決(1997年10月      
         に施行)
2002年4月 オランダに安楽死と医師の介助死を合法化(それ以前は指針の下で      
        容認されてきた)そして施行。
2002年9月 ベルギーで自主的安楽死が合法化そして施行。
2008年11月 Washington州に(尊厳ある死)の法律発議が可決(2009年
         3月に施行)
2009年3月 ルクセンブルグに安楽死と医師の介助死を合法化そして施行。
2009年12月 Montana州最高裁判所が医師の介助死は刑法で禁じていないと         
         判決(その後法案が出され審理中)
2013年5月 Vermont州知事が医師の介助死を合法とする法律に署名する。
2014年1月 New Mexico州裁判所が終末期の患者には介助死を受ける権利がある
        と判決(目下 控訴中)
2014年2月 ベルギーは安楽死法を終末期にある子供にも適用化。
2015年2月 カナダ最高裁判所が満場一致で医師の介助死を合法と判決。
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この記事へのコメント

介護保険や、国民健康保険でも、貧困ビジネスみたいに悪用する頭の良い人がいるのですから、「安楽死法」が成立したら、さぞかし悪用する人も出るでしょうね。
不治の病に苦しんでいる人には、朗報かもしれませんけど。
私自身も「この人は死にたがっています」等と診断されて、安楽死させられるかもしれません。
まあそれでもよいですけどね。
高杉晋作ではありませんけど「面白くもない世を、面白く」でしたっけ?

Posted by 匿名 at 2015年05月31日 02:16 | 返信

自らの「種」が増えすぎることを避けるために集団自殺する虫だかネズミだったか、
そういう本能があると教わった記憶がありますが、
基本的に生物は、ひとたび生を受けた瞬間から生きようとするのが自然であって、
生きるために他種を殺して食するわけで。

昔から猫は、死にざまを見せない、と言われています。
猫は、自分の死期を悟ったら、廃屋の床下など簡単には見つからない場所に隠れてひっそり死ぬと。
(ウチの猫達は外へ行こうとするのを出さないでウチで死んでもらったので、「猫道」に反した死に方をさせてしまって飼い主のエゴとは思うけど死ぬのがわかってて外には出せない。)
猫は自殺しないけれど自分の死期を知っている。

「死ぬ権利」は、肯定されるべきと思います。
「死ぬ権利」はあると思うのですが、なぜ死に急ぐのかが問題なわけで。
少なくとも肉体的苦痛から逃れるために死のうとするのであれば、
それは医者の対応次第で耐え難い肉体の痛みから解放されるのではないかと。

yomiDr.の大津秀一医師の「専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話 」を読んでいましたが
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=114967
病を治療するための医療よりも、患者が最期まで生を楽しめるための医療が、今、必要なのです。

長尾先生や大津医師のような方々が、お仲間を増やしてくださることを祈ります。

Posted by komachi at 2015年05月31日 03:40 | 返信

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