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ぼくの命は言葉とともにある

2015年09月01日(火)

言葉ってなんだろう。
コミュニケーションって、なんのためにあるんだろう。
もし自分が盲ろうの世界に生まれたら、どうやって生きていくのだろう。

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「世界盲ろう者連盟」という組織があることを以下のニュースで知った。
いま、見えていることが当たり前だけど、見えない世界ってどんな世界?

空気のように当たり前のものに、感謝しなくなった自分がいる。
それを堕落という。

あるいは、傲慢ともいう。
ああ、自己嫌悪。

それでもなんとか生きて行く。
その日暮らしで目の前のことで精一杯でも死なないし、死ねない。

自分は本当に、障害者の気持ちが分っているのか。
24時間テレビの山田倫太郎君(中学生)は、「障害は個性」と言っていた。

ならば、自分も障害者?
いずれにせよ、言葉は大切なものだと、福島先生は教えてくれている。

今日から9月。
「気」を新たに。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


『ぼくの命は言葉とともにある』(福島智・著)より
   http://www.chichi.co.jp/special/bokunoinochi/

*福島智(ふくしま さとし)
福島 智は、日本のバリアフリー研究者。東京大学教授。専門は、バリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティ。 社会福祉法人全国盲ろう者協会理事。世界盲ろう者連盟アジア地域代表。世界で初めて常勤の大学教員となった盲ろう者。

===

盲ろう者となり自由に言葉を交わすことができなくなって、
コミュニケーションが水や空気や食べ物のように、
生きるうえで絶対に必要なものだなと私は痛感しました。

「コミュニケーションは心の酸素」と私は言っているのですが、
コミュニケーションがないと人は窒息してしまうのです。

私は実際にコミュニケーションが十分に取れずに
窒息しそうな状況も経験しました。

イメージとしては、宇宙空間の中にたった一人だけおかれて、
酸素ボンベから少し酸素が送られてきたかと思ったら、
すぐに止まってしまうという非常に不安な状況でしょう。

あるいは、水の中に顔を突っ込まれて息ができなくなって、
しばらくして顔を引き上げられ、一瞬息ができたと思ったら
また沈められて……という拷問を受けているようなものです。

そんな私に最初に空気を供給してくれたのが、
「プロローグ」で触れたように母でした。

母が最初に指点字で呼びかけた

「さ と し わ か る か」

という言葉や、友達の

「よ う や く も ど っ て き た か」

というひと言が私の力になっていきました。
今から思えば真っ暗の宇宙にたった一人漂う私に
再び光を当ててくれた瞬間だったと言ってもいいでしょう。
 

二〇〇一年十月、歴史上初めての国際的な盲ろう者団体
「世界盲ろう者連盟」が発足した時、
指点字によって真っ暗の真空状態から救われたときの感動を
私は詩にしました。

ここでそれを紹介します。

 
  指先の宇宙

 
ぼくが光と音を失ったとき、

そこには言葉がなかった。

そして世界がなかった。

ぼくは闇と静寂の中でただ一人、

言葉をなくして座っていた。

ぼくの指にきみの指がふれたとき、

そこに言葉が生まれた。

言葉は光を放ちメロディを呼び戻した。 

ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき、

そこに新たな宇宙が生まれ、

ぼくは再び世界を発見した。

コミュニケーションはぼくの命。

ぼくの命はいつも言葉とともにある。

指先の宇宙で紡ぎ出された言葉とともに。

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この記事へのコメント

普段当たり前にあるものには感謝しなくなる。
失って気づく大切さ。
もっと大切にしていればよかったという後悔。
そこから、どのように行動するかでその後が変わる。
この素晴らしい本を読んで勉強したいと思います。
ご紹介ありがとうございました。

Posted by さぬきんぐ at 2015年09月01日 06:04 | 返信

ぼくの命は言葉とともにある ・・・・・・ を読んで


コミュニケーションはぼくの命。
ぼくの命はいつも言葉とともにある。
指先の宇宙で紡ぎ出された言葉とともに。


という3行の言葉の意味は、


盲ろう者となり自由に言葉を交わすことができ
なくなって、コミュニケーションが水や空気や
食べ物のように、生きるうえで絶対に必要なも
のだなと私は痛感しました。

「コミュニケーションは心の酸素」と私は言っ
ているのですが、コミュニケーションがないと
人は窒息してしまうのです。


という背景がないと十分な理解が出来ないもの
でした。


このフレーズを読んで、朝起きること、物が見
えること、音を聞くことが出来ること、話をす
ることが出来ること、口から物を食べることが
出来ること、更には生きていることのどれを取
っても、決して当たり前のことではなく、凄い
こと!なんだということを、私に思い出させて
くれました。


昨夜長尾先生のブログを読んで、大きな気づき
を得た! ・・・・・・ と思いましたが、今朝起きて
改めて同ブログを読み返して見て、昨夜私が感
じた程の感動を感じられない自分が居て、びっ
くりしています。


喉元過ぎれば ・・・・・ の言葉通り、感動や気づき
さえも長続きしない自分に危機感を感じています。


コミュニケーションはぼくの命。 ・・・・・ という
高尚なレベルには程遠いものですが、これからは
『朝起きて、口から物を食べることが出来ること、
家族や他の人と話が出来ること、ひいては、“私は
今生きている!”』ということが当たり前のことで
はなく、とてもとても凄いこと! ということを
意識しながら、今日と言う日を精一杯生きて行こ
うと思っています。


生きている ・・・・・・ て、凄い! ことなんですね。

Posted by 小林 文夫 at 2015年09月01日 09:34 | 返信

長尾先生、始めまして。

こちらにコメントさせて頂くのは
初めてで、少し緊張しています。

胃ろうについて多くの情報を
知りたかった時期に
アピタルで連載されていた
先生の記事に当り
今毎日、アピタルとブログを
読ませて頂いています。

少しだけ
個人的(家族)な
前置きをさせて下さい。

私の妹(37歳)は、
10年前の脳腫瘍による後遺症で
言語障害があり
(その他の後遺症も多々)
ほとんどを文字板で会話しています。

私は、遠方に住んでおり、
頻繁に家族と連絡を取って
近況を知るようにしています。

妹は、入退院を繰り返しながら、
今は在宅介護・リハビリを受け
両親が サポートをしています。

言葉は、誰かに何かを伝えたい!
という意欲からくるものだと
思っています。
そして会話は、
相手の言葉を聞きたい!
という強い想いから
成り立つものとも思っています。

なので、ある意味 それさえあれば、
会話の方法は言葉だけではなく、
無数にあるような気がしています。

その意欲が妹には
薄いような気がしていて、
私が悩んでいることの
1つなのですが...。

盲ろう者として
大変な思いをされている方々とは、
少し違う話なのですが、
視覚障害で大変な思いを
されている方々の気持ちを
少しでも知りたくて、
数年前に知った
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
(東京 渋谷)
というものに参加したことが
ありました。

お忙しい先生なのは
重々存じておりますが、
もし、お時間があるときに
ご興味が おありであればと思い
URLを貼らせて頂きます。

いつも、先生の文章に考えさせられ、
勇気をもらい、
無知な私が、
医療を知ることの
楽しみとなっています。

失礼します。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
http://www.dialoginthedark.com

Posted by ゆこ at 2015年09月01日 01:00 | 返信

聴覚障がい分野についても、このタイミングで宜しくお願いします。
第三の言語、手話の魅力に惹かれ習得に通った時期があります。会話の領域までに到達するには
並大抵なことではなく、通う時間も困難になっために中断しました。
耳の障がいは、まさに「見えない障がい」です。一見では何ひとつ不自由ない健常者に見えるが
ために偏見を浴びたり、また医療・福祉分野では「致し方ない、未解の分野」とされているために
現代でも昭和初期の頃と、さして変わりない処遇にあります。
先天的な聾者の世界と中途失聴者とでは、社会的な認知度では歴然とした差があります。
興味を覚えて傾倒していた時期、「NHKワンポイント手話」に出演なさっていた「佐々木あやみ」さん
に興味、彼女は人気者でした。私も番組を録画してあります。当時、彼女のブログも拝見していましたが、佐村河内事件の折にブログ内で、投稿した読者との意見の相違(バトル)以降、いつの間にか
彼女はブログを閉鎖してしまいました。私生活ではOLとしての職業もあり、彼女が立ち上げたNPO
法人も健在です。「NPOしゅわっと つばさ」イベントを検索いたりしていました。

Posted by もも at 2015年09月01日 08:59 | 返信

長尾先生こんばんは。鈴虫の声が響く秋になりました。夏が終わりを告げると、月日が過ぎる
早さをいつも思い、感じます。上にある自分のコメントを探して見つけ、日が進む早さを尚感じて
しまいました。ブログ更新(フォロアーコメントUP)が、なされていない、この間(ま)が気になり、
最近の自分は辛辣だったような、諸刃の剣、だったでしょうか。直球勝負、豪速球な自分でしたね。
(けれど、謝ることはできません。コメント内容に二言はありません。)
長尾先生をノックアウトさせてしまったかと、心配になりました。大丈夫ですか?

Posted by もも at 2015年09月13日 08:39 | 返信

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