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「在宅」看とりの理想と現実
2015年09月16日(水)
日本医事新報9月3日号 『在宅』看取りの理想と現実 長尾和宏
「自宅での看取りをあまり啓発しないで欲しい」
先日あるメデイアに勤務医が書かれた「自宅での看取りをあまり啓発しないで欲しい」という文章がふと目に止まった。「患者のためには、やっぱり家でしょう?」とか「家が一番」というキャンペーンは、「大切な家族を家でケアしない人間は冷たい人間だ」というメッセージを与えてしまうのではないか、という指摘である。ふと、80代後半になる自分自身の母親の顔が目に浮かんだ。現在要支援2でなんとかおひとりさまの在宅療養が継続できているが、さらにADLが低下した時にどうしようか?仕事があるので、やっぱり施設だろうか。こうした漠然とした親の介護の不安を抱えて働いているのが、多くの50代、60代の医師であろう。
「あれだけ在宅はいいよと言っていたのに、なんだ自分の親は施設かよ」と言われるのではという想いと、「言動一致で無理してでも在宅介護に挑戦しようか」という想いが交錯している。これまで「在宅での平穏死」を説いてきたものの、自分自身の親のことになると自信が無い。父親を自宅で看取られた医師で作家の久下部洋先生の真似はとてもできそうもない。
もし在宅医療や在宅看取りという言葉自体が、病院や施設を選んだ子供や家族を不快な思いにしていたのなら、大きな思い上がりだったかもしれない、と反省している。医師の仕事は総じてハードで不規則なので、家族が重大な病気になった時に在宅療養ができるとは限らない。させたくてもしてあげられない、という場合が多いだろう。これまで医師の親御さんを在宅で何人か看取らせて頂いたが、どの先生もそれぞれに仕事と在宅介護の両立に相当苦労しておられた。もちろん現在進行形で、仕事と介護の2役をこなしておられる先生もたくさんおられる。
在宅での平穏な看取りがどこか「理想論」のように語られている。一方、その実現のために必要な様々な社会資源(家族の介護力、地域の医療資源、訪問看護ステーションの人員、地域による医師不足、などなど)の不足・偏在という大切な課題が解消されていない現実が置き去りにされている。
理想と現実のギャップ
介護保険制度ができて15年が経過したが、真に国民のニーズに合っているのだろうか。ケアマネ制度も同様に、本当にこのままでいいのだろうか。在宅、在宅というスローガンは耳障りはいいが、現実には家族がいても遠くに暮らしていて普段は「おひとりさま」が少なくない。そんな「おひとりさま」の在宅療養は、ほんとうにどこでも、最期まで可能なのだろうか。まあ可能といえば可能なのだろうが、病院や施設よりケアの「質」はどれくらい劣るのだろうか。多少、ケアの質に難があってもそれを上回る喜びや希望があるのであれば、それでいいのだろうが、もしそうでないなら、地域の施設や療養病床を考えておくべきだろう。
理想と現実のギャップに悩むのは、医師だけではない。在宅医療は国が思うようには伸びていない。その理由は、医師の夜間対応の煩わしさ、家族の介護力不足、そしてコミュニテイ―の崩壊と言われるようにご近所の力も低下しているからである。特に在宅医療の主役である訪問看護に従事する看護師が全体の2.8%と、とても少ないことが大きな課題である。本気で地域包括ケアを目指すのであれば、一桁多い30%を目指すべきだろう。そのためには、医療保険と介護保険の両方にまたがる訪問看護制度を医療保険に一元化することを数年前から何度も提案しているが、再度ここで提案しておきたい。
様々な理由で在宅医療の推進にあまり期待が持てないのであれば、地域の療養病床や施設の充実に期待したほうがいいかもしれない。医療経済的にも優れている。ホテルの朝食を考えてみよう。バイキングとルームサービスのどちらの効率がいいのかという話と同じ。
福岡のある慢性期病院は、オール個室で癒しがいっぱいの高級老人ホームのような雰囲気が漂っている。そこでは在宅と同じように平穏死ができる。病院から自宅への在宅医療の提供も行われている。つまり、自宅でも病院でも同じスタッフが同じような医療を提供しているので、地域住民にとっては理想型である。
開業医でありながらも日本慢性期医療協会の理事として勉強させて頂くようになり、はや数年が経過した。それまでまったく知らなかった療養病床の実像を肌で感じることができるのが最大の収穫だ。もちろん全てではないが、先進的な療養病床は生活感一杯の療養環境の創出に凄い努力されていることを多くの医療者に知って欲しい。
地域包括ケア病棟活用で在宅療養が可能になる、というケースも増えてくるだろう。ちょっとしたレスパイト機能もあるべきだ。以下は私見だが、地域包括ケア病棟が地域の在宅の夜間対応も担ってくれたら開業医はどれだけ気楽に在宅に取り組めるか。もしも夜間対応が無いなら、在宅医療に取り組む開業医や訪問看護師は爆発的に増えるのではないか。というのも、昨年の夏、台湾で講演する機会があった。台中の嘉儀の開業医の在宅医療を見学すると、そこでは、地域の中堅病院の医師と看護師が、在宅患者さんの夜間対応、すなわち往診をしていた。病院スタッフが地域も診ることができ、一石二鳥だと思った。日本では地域包括ケア病棟の診療報酬を手厚くすることで在宅患者さんの夜間対応をお願いできないものか。夜は、地域の病院スタッフが担うことを、試験的にでもやってみてはどうだろうか。
選択肢が豊富な地域包括ケアを
先日、知人が経営するある有料老人ホームの開設記念講演に行った。入居金ゼロで食事代と24時間見守り代を含めて家賃が月に15万円だという。綺麗な部屋とゆったりした食堂だったので、私が入りたいと言ったら「要介護者が条件」と断れた。介護サービスが内付けの施設を特定施設というらしい。サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)と似ているが、サ高住はすべて外付けである。従ってサ高住から有料へ流れて来る人が少なくないという。サ高住は比較的元気な人で、有料は軽度の要介護者向けだと勝手に想像した。
尼崎では特養は10年待ちである。待ちきれない人は四国に流れるか、老健狙いだ。本当は小規模多機能がお勧め、と言いたいところだがあまりに数が少なく狭き門だ。そうなると、私の母親は、イザとなれば月15万の有料だろうか、それとも月20万円のグループホームだろうか、なんて考えている。在宅のことは良く知っているが、施設についてはほとんど知識が無い。
よく施設か在宅か、と言われる。しかし、両方という場合があり得る。つまり1ケ月の半分を自宅で過ごし、半分を施設でのショートステイで過すという方法がある。あるいは、施設に入所していても、月の3分の1を自宅に帰る“自宅への逆ショート”を活用している人もいる。行ったり来たりを上手に利用している人の様子を見ていると、決して2者択一ではないことに気がつく。「住み慣れた地域で最期まで」というスローガンは、自宅だけとは限らず、このように相当な幅がある言葉だと理解したい。自宅が限界と感じた時は、躊躇なく施設や療養病床を活用できるように、普段から調べておくことが必要だ。
某週刊誌に「平穏死できる在宅医」の実績が厚労省への届け出のまま公開されている。算出方法には問題があるが、勝手に計算した「在宅看とり率」まで公表されている。ついに在宅医療も情報公開の時代となり、質を問われる時代に入った。悪徳在宅医には大きなプレシャーがかかった。一方、介護施設はいまだ看とりの実態がよく見えない。当然、営利優先の悪徳施設もたくさんある。平穏死寸前を救急車で病院送りする悪徳施設だ。しかし施設こそ、在宅と同様、看とり数を公表してはどうだろうか。平穏死できる施設なのか、そうでないのかが選ぶ目安になる。
要は地域包括ケア、そして看とりの場には、選択肢がなければいけない。選択肢が多いほど、そして行ったり来たりできるほどいい。そうした自由こそが人間の尊厳であろう。
「自宅での看取りをあまり啓発しないで欲しい」
先日あるメデイアに勤務医が書かれた「自宅での看取りをあまり啓発しないで欲しい」という文章がふと目に止まった。「患者のためには、やっぱり家でしょう?」とか「家が一番」というキャンペーンは、「大切な家族を家でケアしない人間は冷たい人間だ」というメッセージを与えてしまうのではないか、という指摘である。ふと、80代後半になる自分自身の母親の顔が目に浮かんだ。現在要支援2でなんとかおひとりさまの在宅療養が継続できているが、さらにADLが低下した時にどうしようか?仕事があるので、やっぱり施設だろうか。こうした漠然とした親の介護の不安を抱えて働いているのが、多くの50代、60代の医師であろう。
「あれだけ在宅はいいよと言っていたのに、なんだ自分の親は施設かよ」と言われるのではという想いと、「言動一致で無理してでも在宅介護に挑戦しようか」という想いが交錯している。これまで「在宅での平穏死」を説いてきたものの、自分自身の親のことになると自信が無い。父親を自宅で看取られた医師で作家の久下部洋先生の真似はとてもできそうもない。
もし在宅医療や在宅看取りという言葉自体が、病院や施設を選んだ子供や家族を不快な思いにしていたのなら、大きな思い上がりだったかもしれない、と反省している。医師の仕事は総じてハードで不規則なので、家族が重大な病気になった時に在宅療養ができるとは限らない。させたくてもしてあげられない、という場合が多いだろう。これまで医師の親御さんを在宅で何人か看取らせて頂いたが、どの先生もそれぞれに仕事と在宅介護の両立に相当苦労しておられた。もちろん現在進行形で、仕事と介護の2役をこなしておられる先生もたくさんおられる。
在宅での平穏な看取りがどこか「理想論」のように語られている。一方、その実現のために必要な様々な社会資源(家族の介護力、地域の医療資源、訪問看護ステーションの人員、地域による医師不足、などなど)の不足・偏在という大切な課題が解消されていない現実が置き去りにされている。
理想と現実のギャップ
介護保険制度ができて15年が経過したが、真に国民のニーズに合っているのだろうか。ケアマネ制度も同様に、本当にこのままでいいのだろうか。在宅、在宅というスローガンは耳障りはいいが、現実には家族がいても遠くに暮らしていて普段は「おひとりさま」が少なくない。そんな「おひとりさま」の在宅療養は、ほんとうにどこでも、最期まで可能なのだろうか。まあ可能といえば可能なのだろうが、病院や施設よりケアの「質」はどれくらい劣るのだろうか。多少、ケアの質に難があってもそれを上回る喜びや希望があるのであれば、それでいいのだろうが、もしそうでないなら、地域の施設や療養病床を考えておくべきだろう。
理想と現実のギャップに悩むのは、医師だけではない。在宅医療は国が思うようには伸びていない。その理由は、医師の夜間対応の煩わしさ、家族の介護力不足、そしてコミュニテイ―の崩壊と言われるようにご近所の力も低下しているからである。特に在宅医療の主役である訪問看護に従事する看護師が全体の2.8%と、とても少ないことが大きな課題である。本気で地域包括ケアを目指すのであれば、一桁多い30%を目指すべきだろう。そのためには、医療保険と介護保険の両方にまたがる訪問看護制度を医療保険に一元化することを数年前から何度も提案しているが、再度ここで提案しておきたい。
様々な理由で在宅医療の推進にあまり期待が持てないのであれば、地域の療養病床や施設の充実に期待したほうがいいかもしれない。医療経済的にも優れている。ホテルの朝食を考えてみよう。バイキングとルームサービスのどちらの効率がいいのかという話と同じ。
福岡のある慢性期病院は、オール個室で癒しがいっぱいの高級老人ホームのような雰囲気が漂っている。そこでは在宅と同じように平穏死ができる。病院から自宅への在宅医療の提供も行われている。つまり、自宅でも病院でも同じスタッフが同じような医療を提供しているので、地域住民にとっては理想型である。
開業医でありながらも日本慢性期医療協会の理事として勉強させて頂くようになり、はや数年が経過した。それまでまったく知らなかった療養病床の実像を肌で感じることができるのが最大の収穫だ。もちろん全てではないが、先進的な療養病床は生活感一杯の療養環境の創出に凄い努力されていることを多くの医療者に知って欲しい。
地域包括ケア病棟活用で在宅療養が可能になる、というケースも増えてくるだろう。ちょっとしたレスパイト機能もあるべきだ。以下は私見だが、地域包括ケア病棟が地域の在宅の夜間対応も担ってくれたら開業医はどれだけ気楽に在宅に取り組めるか。もしも夜間対応が無いなら、在宅医療に取り組む開業医や訪問看護師は爆発的に増えるのではないか。というのも、昨年の夏、台湾で講演する機会があった。台中の嘉儀の開業医の在宅医療を見学すると、そこでは、地域の中堅病院の医師と看護師が、在宅患者さんの夜間対応、すなわち往診をしていた。病院スタッフが地域も診ることができ、一石二鳥だと思った。日本では地域包括ケア病棟の診療報酬を手厚くすることで在宅患者さんの夜間対応をお願いできないものか。夜は、地域の病院スタッフが担うことを、試験的にでもやってみてはどうだろうか。
選択肢が豊富な地域包括ケアを
先日、知人が経営するある有料老人ホームの開設記念講演に行った。入居金ゼロで食事代と24時間見守り代を含めて家賃が月に15万円だという。綺麗な部屋とゆったりした食堂だったので、私が入りたいと言ったら「要介護者が条件」と断れた。介護サービスが内付けの施設を特定施設というらしい。サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)と似ているが、サ高住はすべて外付けである。従ってサ高住から有料へ流れて来る人が少なくないという。サ高住は比較的元気な人で、有料は軽度の要介護者向けだと勝手に想像した。
尼崎では特養は10年待ちである。待ちきれない人は四国に流れるか、老健狙いだ。本当は小規模多機能がお勧め、と言いたいところだがあまりに数が少なく狭き門だ。そうなると、私の母親は、イザとなれば月15万の有料だろうか、それとも月20万円のグループホームだろうか、なんて考えている。在宅のことは良く知っているが、施設についてはほとんど知識が無い。
よく施設か在宅か、と言われる。しかし、両方という場合があり得る。つまり1ケ月の半分を自宅で過ごし、半分を施設でのショートステイで過すという方法がある。あるいは、施設に入所していても、月の3分の1を自宅に帰る“自宅への逆ショート”を活用している人もいる。行ったり来たりを上手に利用している人の様子を見ていると、決して2者択一ではないことに気がつく。「住み慣れた地域で最期まで」というスローガンは、自宅だけとは限らず、このように相当な幅がある言葉だと理解したい。自宅が限界と感じた時は、躊躇なく施設や療養病床を活用できるように、普段から調べておくことが必要だ。
某週刊誌に「平穏死できる在宅医」の実績が厚労省への届け出のまま公開されている。算出方法には問題があるが、勝手に計算した「在宅看とり率」まで公表されている。ついに在宅医療も情報公開の時代となり、質を問われる時代に入った。悪徳在宅医には大きなプレシャーがかかった。一方、介護施設はいまだ看とりの実態がよく見えない。当然、営利優先の悪徳施設もたくさんある。平穏死寸前を救急車で病院送りする悪徳施設だ。しかし施設こそ、在宅と同様、看とり数を公表してはどうだろうか。平穏死できる施設なのか、そうでないのかが選ぶ目安になる。
要は地域包括ケア、そして看とりの場には、選択肢がなければいけない。選択肢が多いほど、そして行ったり来たりできるほどいい。そうした自由こそが人間の尊厳であろう。
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この記事へのコメント
ただ今帰宅。今日もお疲れ様です。
情感溢れる文面、長尾先生のお人柄が染み入る内容を拝読致しまして、労働時の緊張感から
解放されました。
2025年の超超高齢化社会 = 介護のピークを迎えるのは、つまり団塊の世代が後期高齢者となり
介護を受ける必要性が生じた時期であると認識しています。結局のところ、団塊の世代の方々は
高度成長期の日本、経済大国を成すために(その時は、そのような大志を抱いていた訳ではなく
勤勉な日本人が一生懸命に働いて下さった時代と理解しています)企業戦士であったり、技を追及
する職人さんであったりと、労働が第一であり、家庭を顧みずという状況であった時代と、
印象を持っています。そして女性は家庭を守り、夫を支えることに終始し、自由な時間は無かった
時代であったと思います。
なんとなくの印象なので、漠然とした表現かも知れませんが、"将来を見据えて"とかを考える
余裕など無かった、企業戦士、経済戦士が牽引する勢いを享受したまま、誰も『次』の時代を
考えなかった、と、その結果を今現在になって突きつけられている、と感じました。
お医者さんも同じでしょう。長く沢山勉強に時間を費やし、研修医とかの待遇の悪い時代を経て
実務になると他者の命の責任を背負っておられるので、家族は二の次になってしまうのでしょう。
かつて夫と共に出掛けた、お酒の店で、何故か、ホントに何故か、団塊世代のおじ様方から
身の上話を聞くはめになっていた、社会勉強した記憶から、このような文章になりました。
Posted by もも at 2015年09月16日 06:39 | 返信
「在宅」看とりの理想と現実 ・・・・・・ を読んで
在宅での平穏な看取りが『理想的?』との記述が
ありますが、諸々の事情で『在宅での平穏な看取
りを実現出来ない人』が数多くいるように感じて
います。
長尾先生は本ブログの中で、『在宅での平穏な看
取り』が実現出来ない要因として、① 家族の介
護力 ② 地域の医療資源 ③ 訪問看護ステー
ションの人員 ④ 地域による医師の不足等など
を挙げて居られ ・・・・・・・・、
更に、地域包括ケアを本気で実現させて行くならば、
訪問看護師の数を現在の10倍に増員する必要性を
指摘されています。
日本は超高齢化社会に突入しており、孤立した独居
高齢者が増えてきています。
日本は既に“多死の時代”に入って来ていて、今後
益々年間の死者数が増えて行く社会になっています。
そんな社会で、① 介護を必要とする人の数は益々
増大し ② 家族の介護力は益々弱まる方向にあり
③ 訪問看護ステーションの人員や在宅医療を担う
医師や看護師の人数が大幅に増える状況にはない。
と思います。
であるならば、「在宅」看とりが多くの人にとって
願望ではあると思いますが、その実現は“理想”で
はなく“空想”の領域のことと私には思えます。
実現することが出来ないことを“空想”するのでは
なく、現実〔家族の介護力の低下、地域コミュニティ
力の希薄化、在宅ケアを担う人的資源の実情〕を
踏まえて、実現可能な未来〔実現可能なグランド
デザイン〕を描き、そこに向けて前進して行くこ
とが重要ではないか? と思っています。
現実性の薄い? 『在宅看取り』を目標に掲げるの
ではなく、本当に実現可能な将来の日本を真剣に
考える時期に来ていると感じています ・・・・・・・。
Posted by 小林 文夫 at 2015年09月16日 09:56 | 返信
施設か在宅かは皆さん悩まれるところですね。
最近報道されているような虐待事件があると特に「施設に預けるなんて酷い。私だったら絶対にしない」と言う言葉を良く耳にします。
2年前、担当した当初はそう言っていた方も、今年の4月に母親を老人保健施設に入れました。
家にいたときは夜中なのに「早く起きて、いつまで寝てるの」と階段をたたきながら大声で叫んで2階にいる娘夫婦を起こしたり、娘に対する被害妄想が酷く、「私の服をとったやろ?」と毎日のように責め、同居している娘婿に対しても暴言を吐くようになったことから、施設に入居させる決意をされました。コウノメソッドで調整をしていてこの状態でした。 この母親自身も絶対老人ホームなんか行きたくない。と言っていましたが。。。
さて、老人保健施設に入って、この方、とても元気になりました。面会に行っても入居者同士でお友達になり、おしゃべりしてたり笑っていたり。
「家に帰りたくないの?」と聞くと「今度一泊してくるけど、ここに帰ってくる」とニコニコお話していました。
娘さんも施設に預けてよかった。と丸く収まったのですが。。。
そこは老人保健施設、「とても状態が良くなってリハビリしなくても良くなったので退所してください。」と言われたそうで、もう少しで在宅に帰ってきます。また娘さん夫婦の眠れない日が続くのかもしれません。
施設は一般の人が思っているより、良いところだと思います。「聞いて地獄、行って極楽」ですね。
お一人様の在宅ですが、決められた時間だけで対応できるうちは在宅介護はできると思いますが、いつ介護が必要な状態になるかわからない場合は一人の在宅は難しいです。
例え寝たきりであっても、定時のオムツ交換、食事介助、訪問入浴、訪問看護や、訪問診療、自動体位変換マットレス等を組み合わせて、一人でいる時間が長くても問題ないのであれば大丈夫だと思います。
一方、認知症でいつ徘徊してしまうか分からない、食べられないものを食べてしまうか分からない人は24時間いつ介護が必要になるか分からないので、決められた時間だけの介護では対応できませんね。
状態によると思います。
施設もお知り合いの方の施設は介護付き有料老人ホームですね。サービスの量がどれだけであっても介護度によって一定の介護保険点数になる老人ホームです。話題のファミーユもこれに当たります。
介護付きであれば時間で介護サービスを設定していないので、必要なときにいつでもサービスを受けることができるので、認知症の方のようにいつサービスが必要になるか分からない方や、一人でトイレに行けないけど、トイレで排泄したい方には良いと思います。
一方、サ高住等の住宅型有料老人ホームは在宅扱いなので、時間でサービスに入ります。○曜日の○時から1時間ヘルパー等決めてサービスに入り、基本的にはその他の時間帯はサービスを受けることができません。あくまで在宅なんです。 それでも、ホームによっては施設のサービスとしてその他の時間もトイレ介助などしてくれていると思いますが。。。
あくまで在宅と言う事は、ケアマネもヘルパー事業所もその他の色んなサービス事業者も本人や家族が決めることができます。
いや、「うちはうちのサービスを使ってもらうことになっている」といわれることもあるでしょうが、それはあくまで施設内での取り決めで、介護保険法では住宅型であれば在宅扱いなので、自由にケアマネも選べます。
そして、国が進める在宅ケアとは、サ高住での在宅ケアなのではないかと思います。 国がお金を出して建てられる特養などを建てるのは、国としてはなるべくしたくない。だから民間にサ高住を建ててもらって、それを活用しようとしているのだと思います。特養を建てない理由を在宅推進としておき、でも、実はサ高住という有料老人ホームに年寄りを入れてサ高住は在宅だと言って在宅推進と言う。
だから、今、住宅型の有料老人ホームには監査がほとんど入っていません。どんどん建てさせようとしているんですね。でも、充分建ったところで監査に入って過去にわたっての不正分をがっぽり国はとるのでしょうね。建物だけは残るようにして。
住宅型有料老人ホームに入るなら、外部ケアマネを使うのがお勧め。ケアマネは月1回訪問して様子を見るので、外部ケアマネが付いている人には介護職員も下手な事はできません。
思うところいっぱいあって書ききれませんが、いろんな介護サービスを使って在宅にいるのも良いし、思い切って老人ホームに移るのも良いと思います。
Posted by みるく at 2015年09月16日 11:07 | 返信
ふふふ...。長尾先生らしい文章で、おもしろいです。
がんばれ!池府の少年N!
Posted by 匿名 at 2015年09月18日 12:00 | 返信
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