近藤先生が、『文藝春秋』に「がん検診、百害あって一利なし」という文章を掲載したのは、1992年。
私は、腹が立って、これはちゃんと反論しなければと思い、かなり長文の反論を書いて、『文藝春秋』に送ったのです。そうしたら、編集長からファクスが入りまして、「先生の論文は生硬いので……」という返事。「生硬い」ので本誌には向かない、という意味の内容が書かれていました。要するに、掲載できないということ。「そうか。文藝春秋は、要するに面白おかしく書いて、売れればいいと考えているんだな」と、また腹が立った。
簡単に言えば、早期がんと言っているようなものは、「がんもどき」だから、進行がんにはならない。最初から進行がんで見付かれば、もう手遅れなので手術する必要はない、何もするな、というのが彼の理論。確かに「がんもどき」と言っていいものもありますが、本物のがんか「がんもどき」かどうかは見付けた時点では分からない。また進行がんでも、今は治療法が発達しています。治療に否定的なのに、ご自身は放射線科医だった。矛盾していると思います。
でも、彼の信者はいるようです。「近藤先生の理論を信じ込んでもらっては困る。せめて保健婦さんたちに分かってもらう必要がある」と考えて、文芸春秋に掲載を断られた後、『厚生』という雑誌に投稿したら載せてくれました。けれども保健婦さんは見るけれども、一般の人は誰も『厚生』は読まないので、目的はあまり達していません。
その後、日本乳癌検診学会の企画で、私と近藤先生の二人で、学会のステージで討論したことがあります。私は専門家の立場で、彼と一応やり合いましたが、のれんに腕押しというか、さっぱりかみ合わない。要するにあの方には自身の世界があるので、入り込めないのです。入り込めたとしてもダメ。
それでも我々が正しいと考えている知識を一般の人に知らせる必要はあると考えていたので、『朝日新聞』で近藤先生と対談し、1999年に1ページ全面に掲載されたこともあります。2人で2、3時間話したと思います。原稿に起こした時は、2人の文字数は全く同じ。両者の意見を平等に扱うことが必要と考えたのでしょう。
しかし、それ以降、私はこの問題については発言していません。もう今は反論する気力もなく、放置。『文藝春秋』はそれで儲ければよく、彼も印税が入ればいいわけだからね。
幸い、今やっている私のがん支援相談には、近藤先生の考えに共鳴する人は来たことがありません。仮に近藤理論を信じて、治療を拒否したりする患者さんが来たら、突き放そうと思っています。「生きるも死ぬもあなたの考え次第だからね」「何で死ぬか。それは自分で選ぶべき」と。ある理論に、凝り固まった考えでいる人は、説得すれば説得するほど、かえって衣をかぶってしまう傾向があるからです。
突き放した方が、患者さんはかえって不安になるもの。「あれ、この先生は私のことすっかり諦めて、放ったらかすようだな」という印象を持たせた方が、「自分の考えが本当にいいのか」と気づくきっかけになるでしょう。
サプリメント、漢方などもそう。今はインターネットで、がんの情報があふれている。あるクリニックのホームページをクリックしていくと、いつの間にか、何かあやしい情報に辿り着いたり……。だから相談に来た人には、どんな情報を持っているかを探るために聞くのです。「あなた、インターネットで、がんのこと調べたことがありますか」と。やはり「はい」という答えがほとんどです。
この記事へのコメント
そうか、放っておけばいいのか ・・・・・・ を読んで
医学的に見た時、本当のところは良く分りませんが ・・・・・・、
久道茂氏の主張はストンと腑に落ちる気がいたします。
久道氏が指摘されている、『文藝春秋』が儲け主義に走って
いる! 『生硬い!』文章は大衆受けしない! というコメ
ントが本当だとしたら、寂しい話しだと思います。
久道氏が不毛な論争に見切りをつけて、患者を突き放せば
もっと自分の頭で考えるだろう! との考えに至ったことは
ある意味仕方がないことのようにも思えますが、だからとい
って、長尾先生までもが “そうか! 放っておけばいいのか!”
と思われては困ります!!
町医者のトップランナーとして、長尾先生には “生硬い!”
ことを “何度も!何度も!”繰り返し正しい情報を発信
し続けて欲しいと希望しています。
この活動(啓発)はどこか宗教にも似ているように感じます。
“長尾教”が広まって〔市民にきちんと理解されて〕、迷える
多くの市民が救われるようになるまで、100回言って理解
されなくても、101回目で相手に気持ちが届くことがあると
思います。 そして、何よりも今までの発言で、何人もの人が
救われている事実は重いと考えています。
同じことを言い続けてきて、 “疲れた! 徒労感を感じる!
・・・・・・ そろそろ啓発活動の止め時か?!”という発言も出だし、
少々危機感を持っていたところ、今回のブログで“そうか、
放っておけばいいのか!!”という達観に到達されたようで、
危機感が昂じています。
“放って”・・・・・・しまったら、世直しは達成出来ません。
多くの事例を診て、多くの事例から学んだ長尾先生だから
こその使命であると考えています。
大変なこととは思いますが、迷える大衆が救われる日
を目指して、“生硬い”・“賽ノ河原で石を積むに等し
い情報発信”を、引き続き行っていって欲しいと心から
祈念しています。
よろしくお願いいたします。
Posted by 小林 文夫 at 2015年12月04日 09:27 | 返信
見出しにあります「放っておけばいい」が、何についてなのかを合点するために、やはり
東北大名誉教授が書かれたm3 に掲載された文章を読みました。
「癌放置」を意味するのではなくて、VS 的な位置にある信者の類であるとか、クレイマー的存在や
冷やかしを指すことが理解できました。
そう思います。
Posted by もも at 2015年12月04日 05:39 | 返信
尼崎の長尾クリニックに来る患者さんは、ちょっと気軽に来て気軽に質問しているのかもしれませんね。
それでいいんじゃないかと私は思います。
お年寄りでガンに罹患した場合は、もう手術や抗癌剤で、抵抗しないで癌を共に生きる方が安静な生活を送れるでしょうし、若い人は、意志があれば手術や抗癌剤や放射線療法を試してみるべきです。
こういう癌に対する対処が多様なのは、いずれ科学的に正しいというか妥当であると言う判断が定着するでしょう。
東北大学名誉教授でいらっしゃる久道先生の患者さんと尼崎の患者さんとは違うのかも知れませんけど、でも一生懸命説明して頂いたら患者さんも納得した治療方法を選ぶことができて幸福感が多いと思います。
自然発生的に放っておくと言うのは、如何なものでしょうか。
Posted by 匿名 at 2015年12月04日 09:39 | 返信
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