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極論か中庸か、お薬か歩行か
2015年12月11日(金)
日本医事新報12月号 極論か中庸か、お薬か歩行か 長尾和宏
極論ばかりの中で叫ぶ中庸
今年もあっという間に年末になった。相変わらず日常診療に忙殺されじっくり考える余裕の無い1年だった。今回は年の瀬ということで、1年を総括すべく思いつくまま日頃気になっていることを書かせて頂く。
仕事の合間を縫って本誌を含めて10以上の連載記事全て休まずに続けることができた。また今年は10数冊の書籍にも関わることができたが、たぶん一生でこんなに恵まれた一年は無いだろう。なぜ書くのか?いつ書くのか?とよく質問されるが、現場の人間として言いたいことをわすかな時間を利用して書いているだけで、それほど大きな理由があるわけでは無い。
気になるのは書店に並ぶ医学関連の一般書である。相変わらず極論本がズラリと並ぶ。店頭に並ぶ医学関連の一般書は極論ばかり。「○○するな!」「○○せよ!」という命令口調が昨今の流行りだ。肉を食うな、いや食え。米を食べるな、いや食べろ。抗がん剤はするな、いやせよ。真面目な読者は「いったいどっちを信じたらいいのか」と大いに迷うだろう。しかし真実はそれらの中庸にあるのではないか。そんな想いで、自分なりの中庸論を説いてきたつもりである。しかし中庸論は地味で平凡で面白みが無いのであまり売れない。だからやはり極論本だけがメデイアに受け、悪循環に陥っている気がする。
「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」という近著は5刷りとなった。“がんもどき”と“本物のがん”の2つしか無い、という近藤誠理論に異を唱えたが反近藤本というカテゴライズは間違っている。むしろ、死ぬまで抗がん剤を打っているがん医療界に警鐘を鳴らすつもりで書いたのだが、メデイアに真意を理解して頂くには難しく、極論の洗脳を解くのは大変だと感じている。
製薬会社主催の講演会が多すぎないか?
歳をとると物事の見方が変わる。一昔前は、製薬会社が主催する講演会に誘われるまま通っていた。しかし現在、毎日のように製薬会社主催の講演会が開催されているが多すぎやしないか。時には、同じ日に3つ4つが重なることもある。特に生活習慣病関連の薬は、同じような演者が同じような内容で話すものが多く、年々足が遠のいてきた。講演会を少し離れて見てみると、自社の薬がらみの会ばかりで真に学術的と言える会は多くない。それにしても、毎度毎度、これでもかという製薬会社のプロモーションに踊らされ続けている医療界が滑稽に見えるようになってきた。製薬会社の規則も厳しくなり、自社製品に関する演者でないと講演会が開催できないという話も耳にした。
今年取り組んできた抗認知症薬の増量規定問題も同根である。医療界が年々、製薬業界に支配されてきたような気がする。ドネペジルをはじめとする4種類の抗認知症薬を増量した結果、易怒性や歩行障害が出現する割合は一体どれくらいあるのだろう。本誌を読まれている先生で認知症診療に関わられている方にお願いがある。先月設立総会を開催した「一般社団法人・抗認知症薬の適量処方を実現する会」のHPを開き、是非、副作用の実態について書きこんで頂きたい。がん性疼痛緩和に使われるオピオイドの至適容量設定(タイトレーション)が医師の裁量に委ねられているように、同じく脳に作用する抗認知症薬の適量処方も是非とも医師の裁量権を与えて欲しいと願い実態調査を行い公表する。
さて多剤投与という難問の解決について考えた時、どうしても医学会のガイドラインが関わってくる。毎年のように変わるのでついていくのが大変であるが、これも製薬会社のご都合に振り回されているように感じるのは私だけだろうか。1人の高齢者を3~4科の専門医がガイドラインに従って処方すれば必然的に多剤投与に至る。一方、総合医やかかりつけ医の議論は牛歩の歩みに見える。多剤投与の根は実に深い。筆者は「ジェネリック誘導より多剤投与の解決のほうが優先する」と主張してきたが、現状を考えると解決の糸口はなかなか見出せない。少なくとも過度な専門分化や勉強会が製薬会社主導に偏りすぎている現実を医療界全体で考え直さないといけない時期に来ているのではないか。
食事や運動療法はどこへ行った?
言うまでもなく、生活習慣病はまず食事と運動が基本である。薬はそれでもダメな時の最終手段のはずであった。しかしそれは建前になり下がり、なにかあればハイお薬、と安易に投薬してしまいがちだ。いつからここまで製薬企業に洗脳されたのだろうか。自分の記憶を辿ってもはっきりしないが、現状はどう考えても異常に映る。
私の診療所では、10年前からいつでも管理栄養士による栄養指導が受けられる体制を整えている。しかし栄養指導を嫌がる患者さんが多い。栄養士のコミュニケーション力が足りないこともあるのだろうが、患者さん側のお薬信仰も根強いと感じる。まして歩行に代表される運動療法にいたっては、なかなか上手く指導できていないことを強く反省している。そんな想いで、「病気の9割は歩くだけで治る」(山と渓谷社)という本をかかりつけの患者さんに読んでもらうつもりで書いた。むろん、患者さんに偉そうに説教する前に自分のメタボ腹をなんとかしなければいけないのだが。まあ自分にプレッシャーをかける魂胆もあり普段の説教を世に問うた。9割は大袈裟だろうが、毎日上手に歩くことで人生が大きく変わると信じている。
がんでも認知症でも最期の日まで食べることを目標に在宅医療に日々従事している。これからは食支援やオーラルマネジメントの時代である。もうひとつ意識していることは、「移動という尊厳」である。要介護5の寝たきりの認知症の人たちと一緒に昨年は2泊3日の沖縄旅行に行ったが、今年はなんと35人で台湾まで飛んだ。要介護5だからこそ外出すべきである。病院が外泊ならば、在宅は外国泊だ!という意気込みで移動の効用も説いている。歩行が無理なら車椅子での外出でもいい。徘徊でいいので歩行、外出することが認知症ケアでは重要だと説いている。
在宅医療が進まない理由
最後に在宅医療が思うように推進していない理由はなにか。在宅推進政策もそろそろ円熟期を迎えたと判断されたのか診療報酬も下向きになっている。しかし報酬よりも大切な阻害要因にもっと目を向けないといけない。在宅医療推進の最大の阻害因子は、24時間対応であろう。なぜ医師だけが365日24時間対応を強いられるのか。開業医がもし労働者であれば完全に労働基準法違反である。そんな無茶な制度に加担しない医師のほうが正常ではないか、とさえ思う時がある。
一方、台湾の在宅医療を見学した時、9時5時であると聞かされ驚いた。在宅医療の対象疾患が厳しく制限され最初に台湾厚労省に届け出て許可を得るなど敷居は高い。しかし夜間対応は地域の中核病院の医師や看護師が往診をしていた。それは、同時に若い勤務医や看護師にとって「生活を診る医療。支える医療」の生きた教科書になると聞き、なるほどと思った。日本の在宅医療の主治医も病院の勤務医同様、日勤帯のみにできないものか。
果たして日本には13:1の地域包括ケア病棟が誕生し発展している。しかし在宅医療のバックベッド機能だけでは少し勿体ない気がする。もし可能ならば地域包括ケア病棟に地域の在宅患者さんの夜間対応機能を持たせてはどうか。その地域の在宅患者さんからの電話を転送して、夜中でも往診できるよう若い医師や看護師を配置できるよう手厚い診療報酬体系にしてはどうか。当然、開業医の24時間対応の義務も報酬は無くなる。しかしおそらく在宅医療の裾野は確実に広がるのではないかと思う。地域包括ケアシステムの推進にはこうした思い切った施策が必要だと思う。開業して20年が過ぎ、在宅看取り数も1000人に近づいたのでこんな弱音を吐いているのかもしれないが。
極論ばかりの中で叫ぶ中庸
今年もあっという間に年末になった。相変わらず日常診療に忙殺されじっくり考える余裕の無い1年だった。今回は年の瀬ということで、1年を総括すべく思いつくまま日頃気になっていることを書かせて頂く。
仕事の合間を縫って本誌を含めて10以上の連載記事全て休まずに続けることができた。また今年は10数冊の書籍にも関わることができたが、たぶん一生でこんなに恵まれた一年は無いだろう。なぜ書くのか?いつ書くのか?とよく質問されるが、現場の人間として言いたいことをわすかな時間を利用して書いているだけで、それほど大きな理由があるわけでは無い。
気になるのは書店に並ぶ医学関連の一般書である。相変わらず極論本がズラリと並ぶ。店頭に並ぶ医学関連の一般書は極論ばかり。「○○するな!」「○○せよ!」という命令口調が昨今の流行りだ。肉を食うな、いや食え。米を食べるな、いや食べろ。抗がん剤はするな、いやせよ。真面目な読者は「いったいどっちを信じたらいいのか」と大いに迷うだろう。しかし真実はそれらの中庸にあるのではないか。そんな想いで、自分なりの中庸論を説いてきたつもりである。しかし中庸論は地味で平凡で面白みが無いのであまり売れない。だからやはり極論本だけがメデイアに受け、悪循環に陥っている気がする。
「長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか?」という近著は5刷りとなった。“がんもどき”と“本物のがん”の2つしか無い、という近藤誠理論に異を唱えたが反近藤本というカテゴライズは間違っている。むしろ、死ぬまで抗がん剤を打っているがん医療界に警鐘を鳴らすつもりで書いたのだが、メデイアに真意を理解して頂くには難しく、極論の洗脳を解くのは大変だと感じている。
製薬会社主催の講演会が多すぎないか?
歳をとると物事の見方が変わる。一昔前は、製薬会社が主催する講演会に誘われるまま通っていた。しかし現在、毎日のように製薬会社主催の講演会が開催されているが多すぎやしないか。時には、同じ日に3つ4つが重なることもある。特に生活習慣病関連の薬は、同じような演者が同じような内容で話すものが多く、年々足が遠のいてきた。講演会を少し離れて見てみると、自社の薬がらみの会ばかりで真に学術的と言える会は多くない。それにしても、毎度毎度、これでもかという製薬会社のプロモーションに踊らされ続けている医療界が滑稽に見えるようになってきた。製薬会社の規則も厳しくなり、自社製品に関する演者でないと講演会が開催できないという話も耳にした。
今年取り組んできた抗認知症薬の増量規定問題も同根である。医療界が年々、製薬業界に支配されてきたような気がする。ドネペジルをはじめとする4種類の抗認知症薬を増量した結果、易怒性や歩行障害が出現する割合は一体どれくらいあるのだろう。本誌を読まれている先生で認知症診療に関わられている方にお願いがある。先月設立総会を開催した「一般社団法人・抗認知症薬の適量処方を実現する会」のHPを開き、是非、副作用の実態について書きこんで頂きたい。がん性疼痛緩和に使われるオピオイドの至適容量設定(タイトレーション)が医師の裁量に委ねられているように、同じく脳に作用する抗認知症薬の適量処方も是非とも医師の裁量権を与えて欲しいと願い実態調査を行い公表する。
さて多剤投与という難問の解決について考えた時、どうしても医学会のガイドラインが関わってくる。毎年のように変わるのでついていくのが大変であるが、これも製薬会社のご都合に振り回されているように感じるのは私だけだろうか。1人の高齢者を3~4科の専門医がガイドラインに従って処方すれば必然的に多剤投与に至る。一方、総合医やかかりつけ医の議論は牛歩の歩みに見える。多剤投与の根は実に深い。筆者は「ジェネリック誘導より多剤投与の解決のほうが優先する」と主張してきたが、現状を考えると解決の糸口はなかなか見出せない。少なくとも過度な専門分化や勉強会が製薬会社主導に偏りすぎている現実を医療界全体で考え直さないといけない時期に来ているのではないか。
食事や運動療法はどこへ行った?
言うまでもなく、生活習慣病はまず食事と運動が基本である。薬はそれでもダメな時の最終手段のはずであった。しかしそれは建前になり下がり、なにかあればハイお薬、と安易に投薬してしまいがちだ。いつからここまで製薬企業に洗脳されたのだろうか。自分の記憶を辿ってもはっきりしないが、現状はどう考えても異常に映る。
私の診療所では、10年前からいつでも管理栄養士による栄養指導が受けられる体制を整えている。しかし栄養指導を嫌がる患者さんが多い。栄養士のコミュニケーション力が足りないこともあるのだろうが、患者さん側のお薬信仰も根強いと感じる。まして歩行に代表される運動療法にいたっては、なかなか上手く指導できていないことを強く反省している。そんな想いで、「病気の9割は歩くだけで治る」(山と渓谷社)という本をかかりつけの患者さんに読んでもらうつもりで書いた。むろん、患者さんに偉そうに説教する前に自分のメタボ腹をなんとかしなければいけないのだが。まあ自分にプレッシャーをかける魂胆もあり普段の説教を世に問うた。9割は大袈裟だろうが、毎日上手に歩くことで人生が大きく変わると信じている。
がんでも認知症でも最期の日まで食べることを目標に在宅医療に日々従事している。これからは食支援やオーラルマネジメントの時代である。もうひとつ意識していることは、「移動という尊厳」である。要介護5の寝たきりの認知症の人たちと一緒に昨年は2泊3日の沖縄旅行に行ったが、今年はなんと35人で台湾まで飛んだ。要介護5だからこそ外出すべきである。病院が外泊ならば、在宅は外国泊だ!という意気込みで移動の効用も説いている。歩行が無理なら車椅子での外出でもいい。徘徊でいいので歩行、外出することが認知症ケアでは重要だと説いている。
在宅医療が進まない理由
最後に在宅医療が思うように推進していない理由はなにか。在宅推進政策もそろそろ円熟期を迎えたと判断されたのか診療報酬も下向きになっている。しかし報酬よりも大切な阻害要因にもっと目を向けないといけない。在宅医療推進の最大の阻害因子は、24時間対応であろう。なぜ医師だけが365日24時間対応を強いられるのか。開業医がもし労働者であれば完全に労働基準法違反である。そんな無茶な制度に加担しない医師のほうが正常ではないか、とさえ思う時がある。
一方、台湾の在宅医療を見学した時、9時5時であると聞かされ驚いた。在宅医療の対象疾患が厳しく制限され最初に台湾厚労省に届け出て許可を得るなど敷居は高い。しかし夜間対応は地域の中核病院の医師や看護師が往診をしていた。それは、同時に若い勤務医や看護師にとって「生活を診る医療。支える医療」の生きた教科書になると聞き、なるほどと思った。日本の在宅医療の主治医も病院の勤務医同様、日勤帯のみにできないものか。
果たして日本には13:1の地域包括ケア病棟が誕生し発展している。しかし在宅医療のバックベッド機能だけでは少し勿体ない気がする。もし可能ならば地域包括ケア病棟に地域の在宅患者さんの夜間対応機能を持たせてはどうか。その地域の在宅患者さんからの電話を転送して、夜中でも往診できるよう若い医師や看護師を配置できるよう手厚い診療報酬体系にしてはどうか。当然、開業医の24時間対応の義務も報酬は無くなる。しかしおそらく在宅医療の裾野は確実に広がるのではないかと思う。地域包括ケアシステムの推進にはこうした思い切った施策が必要だと思う。開業して20年が過ぎ、在宅看取り数も1000人に近づいたのでこんな弱音を吐いているのかもしれないが。
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この記事へのコメント
極論か中庸か、お薬か歩行か ・・・・・・ を読んで
12月4日付けのブログ “そうか、放っておけばいいのか!”
に書かれていた、文藝春秋から“生硬い”内容の記事は読者
に受けない! という話し、そして今回の“極論か中庸か?”
の議論・・・・・・、根は同じことを言っているような気がして
います。
世の中に何かを問う時、最初に提言〔提案〕する時は、長尾
先生の言う “極論” は必要なことと思います。
“極論” でなくては、誰の目にも止まりません。 そして何
よりも、一つのシナリオ(仮定)を示して、その効果を検証
しなくては? 物事が先に進まないと考えています。
ですから、最初は “極論” から始まることは或意味仕方が
ないことと思っています。
それを議論して行く中で、制度の問題、リソースの問題などが
次第に明らかとなって行き、最終的な落とし所に落ち着くのが
世の中と思っています。
それが往々にして“中庸”論であるとが多いのだと思います。
最初から“中庸論”を提示しても、問題点が明らかになること
もないし、議論が深まることもないように思っています。
世の中を変えて行こうとするならば・・・・・・、“極論”大歓迎
というのは言い過ぎでしょうか?!
そんな観点から今の医療を考えて見ると ・・・・・・、
医療界そのものが、“急性期医療”に偏重しているように感じ
ています。
“死”を医療側の敗北と考える思想、そして“病”はどうしても
治さなければいけない!という強迫観念にも似た思い込みは、
高齢化社会を迎えた今、本当に正しいことなのでしょうか?
人間は齢を重ねて、身体のあちこちに不調を来たしますが、
その多くは老化であり、病ではないと考えています。
急性期対応の医療であれば、目の前の患者に医療を施して
回復させることが全てですが・・・・・・、高齢期の患者を前に
した時は、どのようにその不調と折り合って生きて行くか?
ということに重点が移って行くと思っています。
その意味において、現在の医療者にはブログにあるように
“生活を診る医療”・“生活を支える医療”、更につけ加える
ならば“看取る医療!?”の視点が必要ではないか?
と常々思っています。
高齢期の慢性期対応の医療は、その人の生活・人生観もある
程度知らなければ、良い医療は行えないと思っています。
そう考えて行くと、長尾先生が仰られている、町の往診を
若い医師や看護師に委ねる診療報酬体系へのシフトは理に
叶っているように感じます。
これは、長尾先生の弱音なんかではなく ・・・・・・、必然性
に基づいた結論のように思います。
それよりも、何故こんなに良い指摘、考えるヒントを発信
し続けているブログや講演を、長尾先生が絞り込みを開始
されようとしているのか? しつこいようですが、困惑し
ています。
長尾先生がこのブログで吐露されているように、ブログを
始めとした情報発信に“それほど大きな理由がある訳では
ないが・・・・・、現場の人間として言いたいこと〔理解して
欲しいこと〕がある!”・・・・・ という部分が一番重要である
と思っています。
現場の人間:在宅医療・在宅看取り医師は、どの地域にも
いらっしゃるとは思いますが、現場の声・現場の実態を
情報発信を続けてくれている医療関係者は多くはないと
思います。
長尾先生の使命は、まだまだ道半ばと思っています。
気を取り直して 〔機嫌を直して〕 ・・・・・・、来年以降
も情報の発信・啓蒙活動の継続をして戴きますよう、重
ねてお願いいたします。
Posted by 小林 文夫 at 2015年12月11日 10:19 | 返信
"在宅医療が進まないわけ”のテーマで、「阻害要因は24時間対応であろう。何故医師だけが365日24時間対応が求められるからであろう」と仰っていて、それはごもっともと思います。
介護保険の中で在宅医療を受ける場合は、9時~5時に限られる方が良いと思います。
あらかじめ「高熱が出た場合は、とりあえずボルタレンなどの座薬で解熱を試みて、朝になって医師の訪問を待つとか取り決めておくのがいいと思います。
「大学医学部あるいは大学院を出られて、豊富は臨床体験を持っていらっしゃる熟年のお医者さんが在宅医になって頂くのは、数少ないでしょうし、若手の大学出てすぐとか大学院出てすぐとかの臨床経験の少ない女医さんが果敢に在宅医療の取り組んで居て下さるのは感謝に堪えません。
でも、高齢になって最後を迎える病人は多数の病気を持っています。もうすぐ死ぬ老人を診て下さるお医者さんは、昔から見て貰っているお医者さんとか、日野原先生のような老獪な人生感や人間観を持っていらっしゃる方が、昼からでいいから診て下さったら、いつ死んでも、いいのいなあなんて、家族は勝手な事を夢見ております。臨床経験が少なくても、絶えず若い在宅医師を指導してくださる老練な教師とか指導医がいらっしゃる体制があればなあと思います。勝手な事を申し上げて済みません。
Posted by 匿名 at 2015年12月11日 10:44 | 返信
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