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たった1日のザイタク
2015年12月12日(土)
今日は岩手県盛岡市で「認知症と在宅医療」で講演をした。
250人位の市民の皆さまに熱心に聞いて頂き幸せだった。
一方、たった1日のザイタク,、の看取りもあった。
250人位の市民の皆さまに熱心に聞いて頂き幸せだった。
一方、たった1日のザイタク,、の看取りもあった。
昨夕、花巻空港行きの飛行機に乗り遅れるかと思った。
診察と定期訪問、往診、新規訪問を経てギリギリで空港に到着。
「危機一髪だった」と思いながら、搭乗口に進んだ。
しかし「悪天候のため伊丹に引き返すかも」とのアナウンスが・・・
新潟行きは実際に、運航中止になってるので、ヤバそうな雰囲気。
しかしなんとか花巻空港に到着してホッとした。
チームもりおかの忘年会に参加した後、お目当ての天がえるでの二次会に数人で行く。
大好きなマスターの歌と演奏とトークを満喫していたら、1時半になっていた。
人影の無い盛岡公園の堀と北上川の横道を散歩した。
結構、ダイナミックな川の水音と心地よい寒さが実に快い。
石川啄木、宮沢賢治、新渡戸稲造の息使いが聞こえてきそうな夢みたいな夜。
朝起きたら、快晴で雪をかぶった岩手山が本当に美しい。
講演会は楽しかったので、最初と最後に2曲歌い、沢山の人が本を買ってくれた。
そして最終の飛行機で帰阪。
実家に寄り、珍しく母親と話をして命日前日の父親の仏壇に手を合わせた。
家に帰ろうと車を走らせて15分後に、携帯電話が鳴った。
1日前にやっとの思いで家に帰って来られた方が、今、息を引き取ったという電話だった。
たった10分で到着して、1日前に知り会ったばかりのご家族たちと昔話に花が咲いた・・・
病院には、3ケ月も入院していた。
入院が廃用症候群を作っていることを、病院スタッフたちは誰も知らない。
退院調整に1ケ月半もかかった。
家族たちがいくら在宅復帰を望んでも、なんだかんだで家に帰さない。
MSWは、要介護5が取れるまでとか、身体障害者が取れるまでとか、
障害年金が取れるまでとか何だかんだ言い、制度は見るが人間は見ない。
医者も看護師も吸引器や点滴などに拘るだけで、とにかく家に帰さない。
昨日、初回訪問した時、「あと1日かな」と思ったが、上手に言えなかった。
空港への移動が心配だったし、なにより家族は、家に帰って元気になると
信じているような雰囲気だったので、会って早々に悪い話はしにくかった。
本人とはかろうじて、楽しい話が出来たし、トロミ水を飲ますこともできた。
果たして、やっとの想いのザイタクは、たった1日で敢え無く終わった。
たった24時間で看護師は、延べ9回。
医師の訪問は3回。
しかし家に帰るのがあまりにも遅すぎた。
あと2週間でも早く帰って来られたら、運命は変えられたかもしれないが、遅すぎた。
家族からは、病院の悪口ばかり聞かされた。
家に帰りたいといくら訴えても、絶対に帰してくれなかった恨み節。
最後にはMSWに「お金が無いから家に帰るのね」と言われて、悔しくて泣いたとのこと
病院に入ったばっかりに、希望しても家に帰れず、捨て台詞を浴びせられながらの帰宅だった。
診断書を書いたあと、いろんな話をして、ほとんど話もできなかった故人の人生を振り返った。
80を過ぎた人の子供時代の写真やその人のお母さんに事、夫婦の出会いから今日までの物語。
家族たちに「こんな看護があるなんて知らなかった」と、
畳に額を何度もつけて御礼を言われて恐縮した。
1000回、在宅医療の講演をしようが、何十冊本を書こうが、何千本の原稿を書こうが、
世の中の病院医療の酷さ(ほとんど犯罪だと思う)を変えることができないことが情けない。
そんな病院が、「地域住民のため」と、地域を戸別訪問して布教活動をしている。
世の中なんてそんなもん、と言われたらそのとうりだし綺麗ごとを言う年でもない。
不思議なのは、私が盛岡に行く1時間前に病院から帰って来て
盛岡から帰ってきた1時間後にあの世に旅立たれた、いつものこと。
今年も90人ぐらいの看取りになるが、これだけ忙しくしていても
不思議と私がそこに居る時に旅立たれることが多い。
昨日も朝の訪問診療をしている途中に、そこで旅立たれた人がいた。
こうした偶然がもう20年も続いているので、もはや偶然ではないのは明らかだ。
病院には、退院支援や退院調整や意思決定支援が専門家だと胸を張る
看護師やケースワーカーばかりが沢山増えて、本当に大変なことになっている。
しかしその人たちが全員いなくなれば、患者さんは幸せになる。
いつも泣いている訪問看護師を代弁して、はっきり書いておこう。
しかしそんなケースワーカーさんや退院調整看護師さんに綺麗ごとを教えなければならない。
こんな本音を話せば、大変なことになるからだ。
なんのための退院調整?
なんのための退院支援?
なんのための入院引きのばし?
なんのためのソーシャルワーク?
すべて自分達のための自己満足にすぎず
患者さんも家族も、病院に恨み千万である。
こんな本当のことを書けば、必ず、しっぺ返しにあう。
しかし少なくとも今日関わった患者さんにおいては、以上のことは真実である。
たった1日のザイタク患者さんの主治医として
死亡診断書を書かせて頂いた医師として、
今日は、正直な気持ちをここに記憶しておこう。
診察と定期訪問、往診、新規訪問を経てギリギリで空港に到着。
「危機一髪だった」と思いながら、搭乗口に進んだ。
しかし「悪天候のため伊丹に引き返すかも」とのアナウンスが・・・
新潟行きは実際に、運航中止になってるので、ヤバそうな雰囲気。
しかしなんとか花巻空港に到着してホッとした。
チームもりおかの忘年会に参加した後、お目当ての天がえるでの二次会に数人で行く。
大好きなマスターの歌と演奏とトークを満喫していたら、1時半になっていた。
人影の無い盛岡公園の堀と北上川の横道を散歩した。
結構、ダイナミックな川の水音と心地よい寒さが実に快い。
石川啄木、宮沢賢治、新渡戸稲造の息使いが聞こえてきそうな夢みたいな夜。
朝起きたら、快晴で雪をかぶった岩手山が本当に美しい。
講演会は楽しかったので、最初と最後に2曲歌い、沢山の人が本を買ってくれた。
そして最終の飛行機で帰阪。
実家に寄り、珍しく母親と話をして命日前日の父親の仏壇に手を合わせた。
家に帰ろうと車を走らせて15分後に、携帯電話が鳴った。
1日前にやっとの思いで家に帰って来られた方が、今、息を引き取ったという電話だった。
たった10分で到着して、1日前に知り会ったばかりのご家族たちと昔話に花が咲いた・・・
病院には、3ケ月も入院していた。
入院が廃用症候群を作っていることを、病院スタッフたちは誰も知らない。
退院調整に1ケ月半もかかった。
家族たちがいくら在宅復帰を望んでも、なんだかんだで家に帰さない。
MSWは、要介護5が取れるまでとか、身体障害者が取れるまでとか、
障害年金が取れるまでとか何だかんだ言い、制度は見るが人間は見ない。
医者も看護師も吸引器や点滴などに拘るだけで、とにかく家に帰さない。
昨日、初回訪問した時、「あと1日かな」と思ったが、上手に言えなかった。
空港への移動が心配だったし、なにより家族は、家に帰って元気になると
信じているような雰囲気だったので、会って早々に悪い話はしにくかった。
本人とはかろうじて、楽しい話が出来たし、トロミ水を飲ますこともできた。
果たして、やっとの想いのザイタクは、たった1日で敢え無く終わった。
たった24時間で看護師は、延べ9回。
医師の訪問は3回。
しかし家に帰るのがあまりにも遅すぎた。
あと2週間でも早く帰って来られたら、運命は変えられたかもしれないが、遅すぎた。
家族からは、病院の悪口ばかり聞かされた。
家に帰りたいといくら訴えても、絶対に帰してくれなかった恨み節。
最後にはMSWに「お金が無いから家に帰るのね」と言われて、悔しくて泣いたとのこと
病院に入ったばっかりに、希望しても家に帰れず、捨て台詞を浴びせられながらの帰宅だった。
診断書を書いたあと、いろんな話をして、ほとんど話もできなかった故人の人生を振り返った。
80を過ぎた人の子供時代の写真やその人のお母さんに事、夫婦の出会いから今日までの物語。
家族たちに「こんな看護があるなんて知らなかった」と、
畳に額を何度もつけて御礼を言われて恐縮した。
1000回、在宅医療の講演をしようが、何十冊本を書こうが、何千本の原稿を書こうが、
世の中の病院医療の酷さ(ほとんど犯罪だと思う)を変えることができないことが情けない。
そんな病院が、「地域住民のため」と、地域を戸別訪問して布教活動をしている。
世の中なんてそんなもん、と言われたらそのとうりだし綺麗ごとを言う年でもない。
不思議なのは、私が盛岡に行く1時間前に病院から帰って来て
盛岡から帰ってきた1時間後にあの世に旅立たれた、いつものこと。
今年も90人ぐらいの看取りになるが、これだけ忙しくしていても
不思議と私がそこに居る時に旅立たれることが多い。
昨日も朝の訪問診療をしている途中に、そこで旅立たれた人がいた。
こうした偶然がもう20年も続いているので、もはや偶然ではないのは明らかだ。
病院には、退院支援や退院調整や意思決定支援が専門家だと胸を張る
看護師やケースワーカーばかりが沢山増えて、本当に大変なことになっている。
しかしその人たちが全員いなくなれば、患者さんは幸せになる。
いつも泣いている訪問看護師を代弁して、はっきり書いておこう。
しかしそんなケースワーカーさんや退院調整看護師さんに綺麗ごとを教えなければならない。
こんな本音を話せば、大変なことになるからだ。
なんのための退院調整?
なんのための退院支援?
なんのための入院引きのばし?
なんのためのソーシャルワーク?
すべて自分達のための自己満足にすぎず
患者さんも家族も、病院に恨み千万である。
こんな本当のことを書けば、必ず、しっぺ返しにあう。
しかし少なくとも今日関わった患者さんにおいては、以上のことは真実である。
たった1日のザイタク患者さんの主治医として
死亡診断書を書かせて頂いた医師として、
今日は、正直な気持ちをここに記憶しておこう。
このたびURLを下記に変更しました。
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この記事へのコメント
たった1日のザイタク ・・・・・・ を読んで
岩手県盛岡市での『認知症と在宅医療』のご講演、
お疲れさまでした。
長尾先生は本ブログで、
何度実態を訴えても、誰にも届かない!
世の中の病院医療の酷さ(ほとんど犯罪だと思う)
を変えることができないことが情けない。
・・・・・・ と書かれています。
同じく本ブログの中で、“病院には、3ケ月も入院して
いた。入院が廃用症候群を作っていることを、病院スタ
ッフたちは誰も知らない。”・“退院調整に1ケ月半もかか
った。 家族たちがいくら在宅復帰を望んでも、なんだか
んだで家に帰さない。”・・・・・・ とも記述されています。
医療で痛い目に合いたくなかったら、酷いことをされたく
なかったら、患者と家族が賢くならなければいけない ・・・・
と最近あちこちの講演会で耳にしますが、本当に患者や家族
が勉強して賢くなれば、問題は解決(回避)出来るのでしょうか?
入院して、ほとんどの時間をベッドで過ごし、人との会話
などの刺激がなくなったら、1ヶ月もしない内に呆け始め、
身体機能も著しく低下する 〔 ← 正に、廃用症候群 〕こと
は、門外漢の私でも知っていること。
それを、病院のスタッフたちの誰も知らない! なんてこと
があるのでしょうか?
病院のスタッフたちにとって“不都合な真実!”だから、
知らないふりをしているだけではないのでしょうか?
私は本日〔12/12【土】〕、地域で開催された『現代の死生観
を考える講演会』で、神戸市東灘区で“訪問看護ステーション
メリー”を運営されている、中村育子所長さんから、医療の
現場からの報告を聞いて来ました。
その講演を聞きながらとったメモを今読み返してみて・・・・・、
“私たち訪問看護師の業務の一つは、無駄な医療を(医師
と話して)止めさせること!〔例えば、過剰な点滴など〕”
とか、(医師自身が)自分の親だったらやらないという医療
行為〔例えば、終末期の心臓マッサージなど〕を、患者に
施すことを止めること。 などとの説明を聞いて、
医療界の闇の深さ、不条理がまかり通っている現実を垣間見
る思いでした。
医療界の現状がそんな状況だとしたら ・・・・・、長尾先生の言う
1000回、在宅医療の講演をしようが、何十冊本を書こうが、
何千本の雑誌原稿を書こうが、市民に声が届かない ・・・・・ こと
は仕方がないことなのかも知れません。
でも、医療が在るべき姿に立ち帰るまで、1001回でも1002
回でも、言い続けるしかないと思います。
不条理を指摘するのを止めたら ・・・・・・、いつまでたっても現状
が変わることはありません。
不条理なことがなくなり、在るべき姿が“標準治療”となるまで
長尾先生の奮闘は必要とされています。
よろしくお願いいたします。
Posted by 小林 文夫 at 2015年12月13日 01:21 | 返信
こんばんは。長尾先生。貴重なお話ありがとうございました。
今日のブログを読ませて頂いてなごみの里(http://nagominosato.org/)の
柴田久美子さんのお話を思い出しました。
柴田久美子さんも関わっている多くの方が講演などで遠方に行っていてもちゃんと柴田さんが帰るのを
待って旅立たれると講演の時におっしゃっていました。
どんなに医学が進んでも看取りの場においては医学の及ばない神の領域があるのかなと思いました。
Posted by 匿名 at 2015年12月13日 10:00 | 返信
今は亡き父が、圧迫骨折をした時、自分から急性期病院に、入院しました。でも南側の窓を開け放しにする患者さんが居て、父は寒く感じると相談すると、ただちに、部屋全体が北向きの部屋に替えられてしまいました。
ケアマネジャーの相談すると「病院と相談して退院して在宅介護に切り替えましょう」とアドバイスを受けました。病院と相談しても退院できそうにないので、私の一存で「一時帰宅します」と言って脱北しました。
後で「退院する」と言う旨を伝えて、治療費の清算に行くと、若い理学療法士に「早く病院に戻って下さい。入院中は、理学療法を充実させて治療したでしょう!」と長時間叱られました。単なる椎間板ヘルニアの後遺症で通院した時は、丁寧に理学療法治療を受けました。でも入院してからは一度も理学療法は受けられずに唯々寝たっきりでした。
脱北して良かったと思いました。
私にはその時の雰囲気では急性期病院も、儲けようとして病人を留め置いているのではなく、何か上(国や厚生省から)税金を搾り取られて、やむなく病人を留め置いているのではないかと感じられました。
Posted by 匿名 at 2015年12月14日 01:48 | 返信
主役は常に患者さん!
私たちは常に脇役!
それだけで間違わなければ患者さんも家族も幸せになれると思っています
Posted by yori at 2015年12月14日 09:53 | 返信
ほんとにそうですね。
主役は患者さん、私たちは脇役。
「介護施設は、利用者さんのためにある。」
分かってるんだけど、周りのスタッフに気を使い、顔色をうかがう自分もいる。
なんでだろうか?どういう目的があるか?
一つは、孤立を恐れているんでしょうね。
Posted by 首藤 剛 at 2015年12月18日 09:24 | 返信
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