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母の49日
2016年03月04日(金)
母が、1月某日に亡くなった。
車にひかれてほぼ即死だった。
昨日、無事49日の法要と納骨を済ませた。
車にひかれてほぼ即死だった。
昨日、無事49日の法要と納骨を済ませた。
気丈な母だった。
母子家庭になったので必死で働き、2人の息子を大学を出した。
86歳になっても毎日、バスに乗り街に出て外食を続けた。
散歩が大好きで、朝と夜と2回、結構な距離を歩いていた。
雨の日も平気で傘をさして歩いた。
歩かないと調子が悪い、という。
明るくて弱音は吐かない性格。
カラオケと踊りが趣味だった。
そんな母が、街でいつもの食事をして帰ってきたバスを降りて
そのまま道を渡ろうとした所を、後ろから来た車にはねられた。
もう少しで渡りきれたのに、車の端っこに当たり、
体が宙を舞い、サイドミラーに頭がぶつかったと。
運転手は、ひいても気がつかなかったというので
脇見運転だったのか。
頭がい骨陥没と脳挫傷のCTを見た時、すべてを悟った。
即死、のような状態。
新年会が始まったばかりの途中、携帯が鳴り駆けつけると、
集中治療室で人工呼吸器をつけて変わり果てた母がいた。
その夜のうちに死ぬかも、との説明。
待っていたが、血圧40のまま経過。
回復率ゼロのなか、人工呼吸器と点滴だけが動いている。
ICUの中での母の位置は日々だんだん奥に移動し、死を待つだけに。
結局、5日間生きた。
よく生きた、と思う。
心臓が止まった時、主治医はこう言った。
「長びかせてしまい、申し訳ありませんでした」。
そう言われても・・・
返す言葉は見つからなかった。
主治医は、息子の私が医者であることを知らない。
ただ、延命は要らないという旨は最初に伝えていた。
死亡後、ICUから遺品を引き上げる時に、ビニール袋を開けた。
中からいつも着ている服が事故でズタズタになったまま出て来た。
ダウンの羽毛が飛び出て、待合室を蝶のようにフワフワ舞った。
そして血がついた衣服が出て来た。。
5日間の間に、血の匂いは、やや生臭く変化していた。
その臭いを嗅いだ瞬間、涙が溢れ出た。
親不幸な息子だった。
何歳になっても世界一、親不孝者だった。
身内だけの家族葬。
とっても親切な小さな会館に出会った。
2週間後、22年間参加したカラオケ同好会の会長さんに
老人大会の中を探しに探して、死亡の報告に行った。
泣いてくれる母親の友達をはじめて見て、涙が出た。
やがてその人もこのこの世から居なくなるのだろが、悲しんでくれた。
そんな中でも、仕事はいつもより忙しかった。
毎日、臨時の往診やトラブル処理や時には、子供に罵倒されることも・・・
みんな自分の親のことで必死。
こちらはプロなので自分の親がもっと大変、なんて言えないし。
いや、言っても何の意味も無い。
耐えて、偲んで、今日の49日を迎えた。
飛行機が50mくらい横を飛び立つ場所に、母と3人で墓を建てたのが27年前。
27年ぶりに墓を開けて、母の骨を納めて祈った。
見事に晴れて、暖かく、いつものなにげない日差し。
でも母はもうこの世に居ない。
父親が、40年前に突然死して、
母親が、今年、突然死、した。
我が家には、終末期なんて無い。
それなのに、終末期の講演をして、終末期の相談にアホみないにのっている。
今日は、ひとつの区切り。
少しだけ、心が軽くなった。
帰りの車の中のビデオから「ヨイトマケの歌」が流れてきた。
さすがに、歌詞が心に沁みた。
夜中に何度も電話で起こされても何食わぬ顔で、いつものように働き、
夜はiPS細胞を用いた肝臓の再生医療の勉強会に参加した。
日常が一番気がまぎれる。
というわけで、
こんな私にも、愛していた母親がいた、ということで。
そして唯一の存在は、もうこの世に居ないわけで。
寂しいが、いつものように、働くだけ。
生んでくれて、ありがとう。
今日も生かせてくれて、ありがとう。
母子家庭になったので必死で働き、2人の息子を大学を出した。
86歳になっても毎日、バスに乗り街に出て外食を続けた。
散歩が大好きで、朝と夜と2回、結構な距離を歩いていた。
雨の日も平気で傘をさして歩いた。
歩かないと調子が悪い、という。
明るくて弱音は吐かない性格。
カラオケと踊りが趣味だった。
そんな母が、街でいつもの食事をして帰ってきたバスを降りて
そのまま道を渡ろうとした所を、後ろから来た車にはねられた。
もう少しで渡りきれたのに、車の端っこに当たり、
体が宙を舞い、サイドミラーに頭がぶつかったと。
運転手は、ひいても気がつかなかったというので
脇見運転だったのか。
頭がい骨陥没と脳挫傷のCTを見た時、すべてを悟った。
即死、のような状態。
新年会が始まったばかりの途中、携帯が鳴り駆けつけると、
集中治療室で人工呼吸器をつけて変わり果てた母がいた。
その夜のうちに死ぬかも、との説明。
待っていたが、血圧40のまま経過。
回復率ゼロのなか、人工呼吸器と点滴だけが動いている。
ICUの中での母の位置は日々だんだん奥に移動し、死を待つだけに。
結局、5日間生きた。
よく生きた、と思う。
心臓が止まった時、主治医はこう言った。
「長びかせてしまい、申し訳ありませんでした」。
そう言われても・・・
返す言葉は見つからなかった。
主治医は、息子の私が医者であることを知らない。
ただ、延命は要らないという旨は最初に伝えていた。
死亡後、ICUから遺品を引き上げる時に、ビニール袋を開けた。
中からいつも着ている服が事故でズタズタになったまま出て来た。
ダウンの羽毛が飛び出て、待合室を蝶のようにフワフワ舞った。
そして血がついた衣服が出て来た。。
5日間の間に、血の匂いは、やや生臭く変化していた。
その臭いを嗅いだ瞬間、涙が溢れ出た。
親不幸な息子だった。
何歳になっても世界一、親不孝者だった。
身内だけの家族葬。
とっても親切な小さな会館に出会った。
2週間後、22年間参加したカラオケ同好会の会長さんに
老人大会の中を探しに探して、死亡の報告に行った。
泣いてくれる母親の友達をはじめて見て、涙が出た。
やがてその人もこのこの世から居なくなるのだろが、悲しんでくれた。
そんな中でも、仕事はいつもより忙しかった。
毎日、臨時の往診やトラブル処理や時には、子供に罵倒されることも・・・
みんな自分の親のことで必死。
こちらはプロなので自分の親がもっと大変、なんて言えないし。
いや、言っても何の意味も無い。
耐えて、偲んで、今日の49日を迎えた。
飛行機が50mくらい横を飛び立つ場所に、母と3人で墓を建てたのが27年前。
27年ぶりに墓を開けて、母の骨を納めて祈った。
見事に晴れて、暖かく、いつものなにげない日差し。
でも母はもうこの世に居ない。
父親が、40年前に突然死して、
母親が、今年、突然死、した。
我が家には、終末期なんて無い。
それなのに、終末期の講演をして、終末期の相談にアホみないにのっている。
今日は、ひとつの区切り。
少しだけ、心が軽くなった。
帰りの車の中のビデオから「ヨイトマケの歌」が流れてきた。
さすがに、歌詞が心に沁みた。
夜中に何度も電話で起こされても何食わぬ顔で、いつものように働き、
夜はiPS細胞を用いた肝臓の再生医療の勉強会に参加した。
日常が一番気がまぎれる。
というわけで、
こんな私にも、愛していた母親がいた、ということで。
そして唯一の存在は、もうこの世に居ないわけで。
寂しいが、いつものように、働くだけ。
生んでくれて、ありがとう。
今日も生かせてくれて、ありがとう。
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この記事へのコメント
身内を亡くす事がどんなにしんどいかわかるので かける言葉がみつかりません。
お母さまの事 お祈りしています。先生、大丈夫ですか?くれぐれも無理しないで下さいね。
Posted by 匿名 at 2016年03月04日 01:23 | 返信
なにもしらなかったです。
合掌。
Posted by 尾崎 友宏 at 2016年03月04日 02:07 | 返信
先生が先日タイで、お母様のためにお祈りされたというお話を書かれていて
「なんでだろう」と思っていました。
先生のことだから、異変があってもタイムリーに公表はされないとは
思いましたが、大変お辛い思いをされていたのですね。
誰でもいつか死を迎えるとわかっていても、それがもう長寿を全うする
年代であっても、やはり親はつらいものです。
本人しかわからない心の痛みです。
私も突然死(心臓)で50代の親を失いました。
お母様、若いころのご苦労を覆す良い人生を晩年に過ごされたのでは
ないでしょうか。何より、長尾先生を世に送り出してくれたのですから(^_^)。
Posted by 匿名 at 2016年03月04日 07:01 | 返信
お母様のご召天、心よりお悔やみ申し上げます。
ご冥福をお祈りいたしております。
何てお書きしたら良いのか分かりませんが、
今までお元気だったことを考えると、このようなことがあるのかと
信じられない思いです。先生もご心労でしょうけれど、どうぞお体を大切にしてください。
Posted by 井上 at 2016年03月04日 02:55 | 返信
長尾先生
言葉が見つかりません。
ただ、たくさんの人の心と身体を救ってこられた先生を育てられたということは、
親孝行だと思います。
ご冥福と先生のご健康をお祈り申し上げます。
Posted by 匿名 at 2016年03月04日 06:53 | 返信
関原さんとの対談の席で、冒頭にサラッと訃報を口にしていらしたのを気に掛けていました。
対談に臨む舞台の袖で天井を見上げ、深く息をついていらした長尾先生のお姿が見えました。
俳優を営む方々や歌舞伎役者さんらが仰る " さが "のようでもあるな..と思いながら拝聴して
いました。長尾先生がお見送りなさった多くの患者さんらが天国で、お母さまを迎えていらっしゃる
ような気がします。
御母堂様の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
御冥福をお祈り致します。
..合掌..
Posted by もも at 2016年03月04日 08:24 | 返信
夜中に 先生のブログを拝読し
なんと お声をかけていいのかわからずに ここまできました
いろんな出逢いがあります
その中で 親子の縁は とても深いものだと思います
本当に おつらかったですね
それでも…
お仕事され 日本 世界の医療のために発信され
先生に課せられた使命でしょうか…
お身体を大切にしてください
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年03月04日 10:15 | 返信
長尾先生のお母様のお話を、拝読致しまして、お悔やみの言葉もありません。
私ごときが申すまでもございませんけれど、お母様はお一人で暮らして、それぞれのご子息の家族がいつ遊びに来ても良い様に、お一人で暮らしていらっしゃったのではないかと思いました。
ひとりでお暮しになって、幸せだったのではないかと思います。
長尾先生が、私の母の死に方について、神戸での「在宅医の会」のお芝居のブログを再度観るようにと仰って皆が「消防署に電話したり救急車を読んではいけない」と言ったので、ついつい腹を立てましたが、私も長尾先生の個人的なお話では無く「在宅医会」の方針に実際の患者の声や患者の家族の声を、汲み上げて欲しいと思いました。どの宗教でも、どの政治団体でも、どのような運動でも実際の市民や大衆や患者の意見を汲み取らなければ、前進も無いし、大きく広がらないと思います。
偉そうに申し上げましたけど、長尾先生の個人攻撃をして済みませんでした。
夫々、自分の親を、どう看取ったかを話するべきだと思います。
Posted by 大谷佳子 at 2016年03月04日 10:19 | 返信
先生のブログを読んでお母さんの事を知りました。
心から御冥福をお祈りします。
先日、先生の公演で「僕の母は、交通事故で亡くなりました」と聞き、あれっ?
お母さんは、一人暮らしされていたのではないか?と疑問に思いましたがあまりにもさらっと話をされたので、何年も前の話かと思ってました。
ブログを読んで1月の話しであったと知ってびっくりでした。
先生はいつも通り診察を普通に毎日されていたのを知ってるからです
です。しかも休みも無しで。
自分の最愛のお母さんを亡くされても辛い顔を周りに見せず
いつも通り往診や診察をされていたかと思うと
胸が痛くなります。
先生ほどの方であれば盛大な葬儀をされても不思議ではないのに
職員にも一言も話されずおられたと思うと、言葉がありません。
なんて偉大な先生な元仕事をさせてもらってると改めて思いました。
最愛のお母さんを無くした悲しみはそう簡単に癒えはしないと思います
どうか先生、時には自分の事も大切に自分のためにも時間を使ってくださいね
私には何もできないのでせめてここに投稿させて頂きました。
心からお悔やみ申し上げます。お母さんの御冥福をお祈りします。
Posted by とんとんゆり at 2016年03月05日 08:07 | 返信
本日(3月5日)梅田での丸ちゃんさんとの講演に参加させていただいた者です(田中先生をご紹介いただいた)。神戸での終末期の講演でたまたまお母様のことを知り、自分の父も今年1月5日に旅立ったので先生のご様子が気になっておりました。先生が「親が老いるということ」の詩を作られた時、きっとお母様のお顔を思い浮かべながら愛しみながら書いたんだろうなあと勝手に解釈してます。こんなに愛に満ち溢れた詩がかける先生は、決して親不孝ではないはずです。おかけする言葉はないに等しいのですが、先生、お母様のことを思い出しながら、たくさん泣いてくださいね。
Posted by あんりつ at 2016年03月05日 10:23 | 返信
私は、頭が悪いので、よくわからないのですけど、長尾先生のお母様は、大変な事故に会われて、誰かが消防署に電話して、救急車で救急病院に運ばれたのでしょう?
それなのに、どうして2月3日のブログのタイトルには「救急車を呼ばないでツール」と題して、長々と「救急車を読んではいけない」とお話になっていらっしゃるのでしょうか?
お母様が、救急車で救急病院に運び込まれたことが、けしからんことだと思っていらっしゃるのでしょうか?
消防署に電話して救急車を呼んだ方は、要らぬおせっかいをしたのでしょうか?
私は、長尾先生のお母様が亡くなられたとは、まったく存じませんでした。
もし存じていましたら、私の母の身罷りましたことは、絶対にコメントしませんでした。
私は父を10年間介護して、在宅医がスキーに行ってしまったので、病院に入院させて、院内感染で死なせてしまった事を悔やんでいました。それで、母を10年間介護して、入院させまいと思っていました。
せめて死にましたのが自宅だったのが幸いでしたけれど、誰も居ない時に死にましたので「孤独死」と判断されて、救急病院の医師によって「心肺停止」とされ、CTスキャンで「心タンポナーデによる死亡」と死亡診断書をやっとの思いで書いて貰えました。
まさに父の敵を、母で取った思いでした。
長尾先生もお母様は救急病院で亡くなられたのに、未だに「理想」を「教条的」に仰っているのかと不思議に思います。失礼にあたるとは存じますが、一度お伺いしたいです。
Posted by 大谷佳子 at 2016年03月06日 11:01 | 返信
両親とも突然に亡くされた長尾医師は、親を長年にわたって介護「しなければならない」子供の気持ちは、永遠に理解できないと思います。
親と縁薄い子供ほど、親の介護で人生をがんじがらめにされている子供に対して、「親が生きているだけ有り難い」とか「いいわね、介護ができるなんて幸せよ」などと言うのです。
また、地鶏介護、放牧系介護を主唱なさるのであれば、かつ、延命処置を拒否するのであれば、徘徊老人は、みなさん日本尊厳死協会に加入し、常に首から「特大の」尊厳死カードをぶら下げて歩かないといけませんね。それならば、転んで気を失っても、誰かが救急車を呼んでも、「でっかい尊厳死の意思表示カード」を見て、----救命士さんは-----どうするのでしょうか?
Posted by 永遠に理解できない心情 at 2016年03月07日 05:17 | 返信
合掌 南無阿弥陀佛
Posted by 匿名 at 2016年03月07日 08:45 | 返信
長尾先生は、過去のブログのなかで、なんどか、お母さまについて、さらりと触れられていましたので、なにかご事情があられたのかなと、かすかに感じておりました。いまだに、おかけすることばが浮かばず、まことに申し訳ありません。
大谷さん。
小生の養母・養父のときには、「救急車」があったかなかったかの時代ですので、まったく論外ですが、素人が「救急救命」要請の判否をする場合には、緊急性に迫られますので、あれかこれか問い詰めず、また原則にこだわることなく臨機応変に。議論は、一呼吸おきましょう。ただし、「予断」は忘れません。
永遠に・・・・さん。
実体験があるか、ないかで、気持ちが永遠に分かる、分からないとは、かぎらないと思います。どちらもあり、どちらもない、もありです。「壁」は造らず、「架け橋」は造りましょう。
小生はカードを持っていますが、救命士なら、しかるべき救急救命処置を講じたうえ、しかるべく尊厳生をつないでいただけるものと、超楽観しております。
先般の「大阪梅田事故」については、駄文をつらねてしまいまいした。
アメリカでは、公道実験中のグーグル自動運転車が、後続バスの追突をかわせませんでした。
アメリカでは、自動運転中の車を簡単にハッカーする実験も行われ、成功したそうです。
なにせ、ある組織がイランの核施設の制御盤に侵入し、使用不能にしたと言われます。同じ方法で全米中、九つの発電所制御盤に侵入すると、3カ月間、全米は大停電大陸になるとか。
日本の原発は、ネズミの侵入、ナットの締め忘れどころか、制御盤ハッカーに完全無防備だそうです。
日本の内外の「弱点」を見つけた、海外のセキュリィー会社が、大挙して売り込みにやってきてるそうですね。
鳴り物入りだった住基ネットは巨大な廃墟と化し、マイナンバーは今や一部機能不全に陥りつつある、いや、もうハッカーされてしまったか?
無人爆撃機は今日も地球上を飛んでいますが、ドローンや無人自爆車なら、日本のこどもでも造れるとか。
Posted by 鍵山いさお at 2016年03月07日 02:19 | 返信
うーん。しばらく書き込むか迷っていたんですが。
たとえ何人もの方を看取った医療従事者の方でも身内が亡くなった
時点で私達と同じ遺族になります。
あの日野原先生も奥様が亡くなられて死を受け入れられず
1年半以上公表出来なかったそうです。
みなさん。様々なお考えがあると思いますが、
急死だろうと長い間看病して亡くなられても大切な方を亡くした
事に変わりないと思います。
むしろ、私の周りを見ていても医療従事者の方が大切な方が亡くなられた後、
自分を責めている様です。
同じ大切な方を亡くした立場として静かにご冥福を祈りましょう。
Posted by 匿名 at 2016年03月07日 06:34 | 返信
鍵山さんと匿名さんのコメントを読んで、論点がずれているようですので、非礼無礼・人でなしとの批判を承知で敢えて投稿します。
私は大谷さんの気持ちがわかるような気がするのです。
大谷さんは長年必死の毎日で親御様をお世話し続け、しかしお母上の最期は救急車を呼ぶことになってしまいました。が、特に延命処置もなく大往生なさったと、以前のコメントから読み取れます。にもかかわらず、大谷さんは「自分は間違った判断をしたのだろうか」と迷いを持っておられるのです。それは、大谷さんが、長尾医師を尊敬し傾倒し信頼しておられるからです。長尾医師のかねてからのご主張(救急車を呼ぶな!)とは異なる結果になったことが、ずっと心にひっかかっておられるのではないかと推察します。
私は長尾医師のお母上の身罷りを汚すつもりは全くありません。むしろ、ご立派なご最期と思います。車にはねられたといっても、その時までご自身で歩いておられたのですから。
しかしながら、これだけ、「介護はこうあるべき」「平穏死はこうあるべき」「在宅(家族)介護ありき」等々の書物を刊行し、この分野でのリーダー的存在である長尾医師は、(救急車を呼ぶな!を含めて)ご自分の主張が、その通りにできない、あるいはできなかった多くの介護家族の心を傷つけ冒とくしていることを、少しは認識すべきではありませんか?
私は、長尾医師のご主張から、かけ離れている一人です。私は親を自宅介護していませんし今後もしません。同じ人間ですから親の人権は尊重します。けれども親の介護をしたいと思ったことは一度もないし親の介護を子供がするのが当然だとも思いません。
と、感じているのは私だけではありません。けれども、長尾医師に代表される「子が親を世話するのは当然」という社会的圧力にあらがえずに自らの意に反した「介護人生」を送っている人はたくさんいます。長尾医師が作っているとも言える社会的圧力に”NO”を言えない人たちの「愚痴聴き場」が「つどい場さくらちゃん」ですか?
筆が走ったついでに書きます。必要なのは、親が意識を変えることです。最期の準備をする以前に、自立して生活できる術を身につけることです。特に、高齢男性が意識を変えることです、家事を覚えて自立した日常生活を営むことです、妻の人権を尊重することです、たったこれだけで、夫の世話で心身ともに疲弊して認知症状を呈する女性が減ります。万一、妻に先立たれても、男一人で生きていけます。家事援助のヘルパーは不要になります。
男性である長尾医師は、こういった視点に欠けていると思います。欠けているというか、それこそ「永遠に理解できない心情」です。妻や娘に対する高齢男性の横暴さは、半端ではありません。クタクタになってわがままな夫の世話をしてきた妻が、認知症予備軍になるのです。妻が倒れれば娘が代わりにやればいい、ですか?
Posted by 永遠に理解できない心情 at 2016年03月08日 03:33 | 返信
昨年亡くなった母の今日は誕生日。
私にとっても母は唯一の存在でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
Posted by のあのあ at 2016年03月08日 07:47 | 返信
長尾先生への反論としての "永遠に理解できない心情"様が仰る(8日付け)御主張が理解できます。
日頃、長尾先生びいきなコメントをしているので矛盾に感じられるかも知れませんが、
反長尾論として、ここまでピタッと的を得たコメントは、これまで無かったように思います。
現実を物語っている部分が多い記述であると思いました。
Posted by もも at 2016年03月08日 11:57 | 返信
永遠・・さん。
読み返しますと、たしかに「論点」がずれていますね。すんっまへん。
ことほど左様に、永遠・・さんの長尾批判も、永遠さん・・流の「長尾理解」(曲解?)に基づく、
極端から極端への批判のようにも見えます。
「触法行為への反論がなかったので、触法行為を認めたものと断定した」(広島県のある学校長)。
論点のずれ、いや、論点のすり替え、いやいや捏造。
「事実誤認」もさることながら、「万引」き経験があると、広島では高校に行けないのですか。
道に落ちているものを口に入れ、生き延びてきた者としては、オドロキ!
それにしても、「原因不明」で緊急停止中の高浜原発4号。
再稼動中の3号もふくめ、運転停止せよと、大津地裁が仮処分決定。
「まことに遺憾。世界最高水準の新基準に合格したんだよ」
原告住民のみなさまには、感謝、感謝です。
Posted by 鍵山いさお at 2016年03月09日 05:30 | 返信
四十九日は過ぎたとはいえ、最愛のお母様を急な事故で亡くされ、身をちぎられるような想いを吐露されている人に向って、独りよがりな持論を滔々とコメントする人が悲しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「介護はこうあるべき」「平穏死はこうあるべき」「在宅(家族)介護ありき」等々の書物を刊行し、この分野でのリーダー的存在である長尾医師は、(救急車を呼ぶな!を含めて)ご自分の主張が、その通りにできない、あるいはできなかった多くの介護家族の心を傷つけ冒とくしていることを、少しは認識すべきではありませんか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
と仰る貴方は、本当に長尾さんの本を読まれているのでしょうか? 長尾氏は、「こうあるべき」という押しつけの論理をされているわけではなく、(たとえば)あなたが家族、もしくはご自身の平穏死を望んでいるのなら、(ある一定の条件のもとで)こういう選択肢を取ったほうが、望みを叶える可能性が高くなりますよ、と「選択肢」を提案されているだけでしょう? 介護にしても同じく、(一定の条件のもとで)在宅介護を希望している人達への選択肢を提示しているでけであり、そうでない人を非難した文章がどこかにあったでしょうか?
不慮の事故に遭い、当然ながら救急車をどなたかが呼んで、病院で救急処置をしたものの残念ながら助からなかったお母さん。まだその悲しみが癒えぬ息子の言葉尻を捕まえて、言っていることとやっていることが違うと非難するなんて、それこそが私には、永遠に理解できない心情。
プライベートな事柄であっても、医者にならば何を言っても許されるのでしょうか。
このブログを読まれている人達は、リテラシーの高い人が多いと思っていたのに(鍵山さんとか小林さんとかね)、誤読の上に、被害者感情をふりかざしてマスターベーションしている人が何人かいて、ちょっとがっかり! 他人さまのブログではなく、自分のベッドの中でやってください。
Posted by いくみ at 2016年03月10日 01:45 | 返信
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