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タイの地方から見た日本の医療
2016年05月30日(月)
日本医事新報5月号 タイの地方から見た日本の医療 長尾和宏
日本とタイの医療・仏教交流
日本とタイはともに長い歴史を持つ仏教国である。今回、トヨタ財団のプロジェクトとして始まった両国の医療者と仏教者の交流についてご紹介したい。日本とタイの高齢者医療、特に認知症ケアへの取り組みを学びあうことが目的である。第一陣は2月11~14日、僧侶の釈徹宗さんや兵庫県西宮市のNPO法人つどい場さくらちゃんの丸尾多重子さんらと共にタイを訪問。日本から数時間でバンコクに、そこから1時間ほど飛びタイ東北部にあるコンケン県に到着した。コンケン国際空港から車でさらに1時間ほど北上しラオス国境に近い人口200人ほどの小さな村に到着した。村の中心にあるお寺にお邪魔して住人たちの生活に密着させて頂いた。村人の日常生活はまさにお寺と一体であった。タイの僧侶は日本と違い妻帯や飲酒の禁止をはじめ200もの大変厳しい戒律に縛られている。住民たちはみなそんな僧侶たちを心から尊敬していた。僧侶は托鉢後の朝食に続き昼食は正午までに終了しなければならず、その後は翌朝まで水以外を口にすることができない。つまり17時間くらいの断食を一生し続けている。長い空腹の時間帯が毎日あり、ケトン体を脳の主なエネルギー源にしていた。
村人たちの家々を訪問したが寝たきりの高齢者を家族が介護していた。そこには在宅医療も介護保険も無ければ、介護という言葉さえも無かった。日本と同様、糖尿病と高血圧の人が多かった。おそらく主食である白飯やもち米の食べ過ぎや漬けものの塩分の過剰摂取であろう。肉や魚は高価である。糖尿病性壊死のため足を切断した人や脳卒中で半身不随の人が何人かおられたが、みなさんインスリンを打っていた。実は「タイには認知症という言葉が無い」と聞いていた。それを確かめるのも今回の訪問の目的のひとつだったが、村には認知症らしき高齢者が何人かいた。たしかに認知症という言葉は村人の中には無かった。歳をとれば当たり前のこと、老いとして脳の機能低下を受け止めていた。ただコンケン大学病院の医師に聞くと「脳が壊れる」という意味のタイ語はあるが市民は使わないとのことであった。そういえば日本においても10年前までは「ボケ」であった。
村の小学校のハーブ園
その村の小学校も見学し歓迎昼食会までやってもらった。全校生徒わずか数十人の小さな学校であったが充実した教師陣の士気はとても高かった。子供たちに「将来何になりたいか」と質問してみた。多くの男の子は「軍人」と、女の子は「教師」、「看護師さん」と答えた。小学校内にはアセアンセンターがあり、アセアンに関する教育も熱心に行われていた。また校舎の裏には、ハーブ園があり子供たちが様々なハーブを植えて薬効に関する教育も行われていた。小学校世代からハーブを用いたがんのセルフメデイケ―ションの教育が行われていることに感心した。医療資源が豊かでない分、健康や予防や自助、統合医療の教育に力を入れていた。
学校や村にはたくさんの犬や猫や鶏がいたが、一匹として繋がれている動物はいなかった。そして衰弱した高齢者も玄関先で犬や子供たちと一緒に寝ている姿が印象的であった。日本では認知症や虚弱高齢者になると動物や罪人と同じように狭い場所に閉じ込められがちだが、タイの放し飼い状態は対照的であった。そして老いた親は自宅の軒先のボンボンベッドで僧侶に手を握られながら旅立つとのこと。
30バーツ医療と富裕層医療
タイには「30バーツ医療」という大衆医療がある。指定された病院で1回30バーツ(日本円で約100円)でインスリンなど必要な医療が受けられる。そういえば日本の生活保護者の医療費はゼロである。たしか4年前の参議院予算委員会で「生活保護者も1回100円でもいいから窓口で払い、コスト意識を持って欲しい」という趣旨の議論がされていたことを懐かしく思い出した。安い医療はいいが、無料の医療はいけないことを再認識した。ただ30バーツ医療が受けられる病院の建物も医療機器も古かった。しかし村人たちは30バーツ医療をとても有難いものだと受け止めていて、そこで働く医師達も高い誇りを持っていた。
帰国前日に大都会バンコクに立ち寄り、7000人もの会員がいるという日本人会の会員に認知症に関する講演をした。バンコクに住む日本人などの裕福層は30バーツ医療を受けたことがある人は皆無であった。日本人は民間保険が指定した超豪華な病院で最高の医療を受けるという。バンコク市内には「医療ツーリズム」として有名な超豪華な病院群がある。どこも一流ホテル以上の豪華な設備を誇り日本人専用カウンターがあり日本人医師もいた。しかしそこで見かけたのはアラブ人や中国人が多く日本人は意外に少なかった。タイの医療は庶民と裕福層でまったく異なり、いわば両極端の医療が混在していた。映画「シッコ」で見たアメリカの医療を思い出した。同時に日本の国民皆保険制度が崩壊したら、こうなるのか。日本にはタイのような豪華ホテル仕様病院は無いが、それはそれでいいではないか。やはり現在の国民皆保険制度を死守した方が日本国民は幸せだと思い至った。そのためには高齢者の多剤投与や残薬問題に象徴される無駄な医療費の節約は不可避であろう。
タイの医師と僧侶が尼崎の在宅とお寺に
4月初旬、今度はタイの医師と僧侶が来日し数日間、尼崎と西宮に滞在した。ちょうど桜が満開だったので花見をしながら私のクリニックや尼崎の近代的な病院や介護施設、寺町の古刹や神社を見学、そして在宅医療にも同行して頂いた。彼らが一番反応したのは意外なことに訪問入浴であった。寝たきりの人が自宅で手際良く入浴できるあのシステムは日本ではもはや見慣れた光景だが、タイ人には最も衝撃的だった。尼崎の医療・介護現場だけでなく、釈徹宗さんが住職を務められる大阪府池田市の如来寺とお寺が経営する古民家を改造したグループホームも見学した。尼崎の近代的な介護施設と古民家改修型の介護施設の両方を見比べて頂いた。
今回の国際交流でタイの田舎に日本が忘れた大切なものがたくさん残っていることに気がついた。それは決して豊かとはいえなくても自由で手づくりのケアの温かさである。また仏教の可能性である。日本では臨床宗教師の活動が報じられるが、死に際だけでなく、日常生活の中にもっと溶け込むべきであろう。またコンビニの2倍もあると言われる寺院という社会資源の再活用である。日本の寺院はメンバーシップで敷居が高いがタイの寺院は公共の場そのものである。日本の寺院がデイサービスやショートステイやつどい場として利用できたらどんなに助かるか。一方、タイの医師や僧侶の目には日本の高齢者医療や介護はどのように映ったのだろうか。同じ仏教国であるタイと日本の死生観はどこがどう違うのか。つどい場さくらちゃんではこのテーマについて1日かけてデイスカッションした。
この夏、第二陣の交流が始まる。タイの田舎と日本の尼崎が認知症と仏教をキーワードにして“まじくる”というちょっと変わったプロジェクトは始まったばかり。しかし確かな手ごたえをいくつか感じることができた。
日本とタイの医療・仏教交流
日本とタイはともに長い歴史を持つ仏教国である。今回、トヨタ財団のプロジェクトとして始まった両国の医療者と仏教者の交流についてご紹介したい。日本とタイの高齢者医療、特に認知症ケアへの取り組みを学びあうことが目的である。第一陣は2月11~14日、僧侶の釈徹宗さんや兵庫県西宮市のNPO法人つどい場さくらちゃんの丸尾多重子さんらと共にタイを訪問。日本から数時間でバンコクに、そこから1時間ほど飛びタイ東北部にあるコンケン県に到着した。コンケン国際空港から車でさらに1時間ほど北上しラオス国境に近い人口200人ほどの小さな村に到着した。村の中心にあるお寺にお邪魔して住人たちの生活に密着させて頂いた。村人の日常生活はまさにお寺と一体であった。タイの僧侶は日本と違い妻帯や飲酒の禁止をはじめ200もの大変厳しい戒律に縛られている。住民たちはみなそんな僧侶たちを心から尊敬していた。僧侶は托鉢後の朝食に続き昼食は正午までに終了しなければならず、その後は翌朝まで水以外を口にすることができない。つまり17時間くらいの断食を一生し続けている。長い空腹の時間帯が毎日あり、ケトン体を脳の主なエネルギー源にしていた。
村人たちの家々を訪問したが寝たきりの高齢者を家族が介護していた。そこには在宅医療も介護保険も無ければ、介護という言葉さえも無かった。日本と同様、糖尿病と高血圧の人が多かった。おそらく主食である白飯やもち米の食べ過ぎや漬けものの塩分の過剰摂取であろう。肉や魚は高価である。糖尿病性壊死のため足を切断した人や脳卒中で半身不随の人が何人かおられたが、みなさんインスリンを打っていた。実は「タイには認知症という言葉が無い」と聞いていた。それを確かめるのも今回の訪問の目的のひとつだったが、村には認知症らしき高齢者が何人かいた。たしかに認知症という言葉は村人の中には無かった。歳をとれば当たり前のこと、老いとして脳の機能低下を受け止めていた。ただコンケン大学病院の医師に聞くと「脳が壊れる」という意味のタイ語はあるが市民は使わないとのことであった。そういえば日本においても10年前までは「ボケ」であった。
村の小学校のハーブ園
その村の小学校も見学し歓迎昼食会までやってもらった。全校生徒わずか数十人の小さな学校であったが充実した教師陣の士気はとても高かった。子供たちに「将来何になりたいか」と質問してみた。多くの男の子は「軍人」と、女の子は「教師」、「看護師さん」と答えた。小学校内にはアセアンセンターがあり、アセアンに関する教育も熱心に行われていた。また校舎の裏には、ハーブ園があり子供たちが様々なハーブを植えて薬効に関する教育も行われていた。小学校世代からハーブを用いたがんのセルフメデイケ―ションの教育が行われていることに感心した。医療資源が豊かでない分、健康や予防や自助、統合医療の教育に力を入れていた。
学校や村にはたくさんの犬や猫や鶏がいたが、一匹として繋がれている動物はいなかった。そして衰弱した高齢者も玄関先で犬や子供たちと一緒に寝ている姿が印象的であった。日本では認知症や虚弱高齢者になると動物や罪人と同じように狭い場所に閉じ込められがちだが、タイの放し飼い状態は対照的であった。そして老いた親は自宅の軒先のボンボンベッドで僧侶に手を握られながら旅立つとのこと。
30バーツ医療と富裕層医療
タイには「30バーツ医療」という大衆医療がある。指定された病院で1回30バーツ(日本円で約100円)でインスリンなど必要な医療が受けられる。そういえば日本の生活保護者の医療費はゼロである。たしか4年前の参議院予算委員会で「生活保護者も1回100円でもいいから窓口で払い、コスト意識を持って欲しい」という趣旨の議論がされていたことを懐かしく思い出した。安い医療はいいが、無料の医療はいけないことを再認識した。ただ30バーツ医療が受けられる病院の建物も医療機器も古かった。しかし村人たちは30バーツ医療をとても有難いものだと受け止めていて、そこで働く医師達も高い誇りを持っていた。
帰国前日に大都会バンコクに立ち寄り、7000人もの会員がいるという日本人会の会員に認知症に関する講演をした。バンコクに住む日本人などの裕福層は30バーツ医療を受けたことがある人は皆無であった。日本人は民間保険が指定した超豪華な病院で最高の医療を受けるという。バンコク市内には「医療ツーリズム」として有名な超豪華な病院群がある。どこも一流ホテル以上の豪華な設備を誇り日本人専用カウンターがあり日本人医師もいた。しかしそこで見かけたのはアラブ人や中国人が多く日本人は意外に少なかった。タイの医療は庶民と裕福層でまったく異なり、いわば両極端の医療が混在していた。映画「シッコ」で見たアメリカの医療を思い出した。同時に日本の国民皆保険制度が崩壊したら、こうなるのか。日本にはタイのような豪華ホテル仕様病院は無いが、それはそれでいいではないか。やはり現在の国民皆保険制度を死守した方が日本国民は幸せだと思い至った。そのためには高齢者の多剤投与や残薬問題に象徴される無駄な医療費の節約は不可避であろう。
タイの医師と僧侶が尼崎の在宅とお寺に
4月初旬、今度はタイの医師と僧侶が来日し数日間、尼崎と西宮に滞在した。ちょうど桜が満開だったので花見をしながら私のクリニックや尼崎の近代的な病院や介護施設、寺町の古刹や神社を見学、そして在宅医療にも同行して頂いた。彼らが一番反応したのは意外なことに訪問入浴であった。寝たきりの人が自宅で手際良く入浴できるあのシステムは日本ではもはや見慣れた光景だが、タイ人には最も衝撃的だった。尼崎の医療・介護現場だけでなく、釈徹宗さんが住職を務められる大阪府池田市の如来寺とお寺が経営する古民家を改造したグループホームも見学した。尼崎の近代的な介護施設と古民家改修型の介護施設の両方を見比べて頂いた。
今回の国際交流でタイの田舎に日本が忘れた大切なものがたくさん残っていることに気がついた。それは決して豊かとはいえなくても自由で手づくりのケアの温かさである。また仏教の可能性である。日本では臨床宗教師の活動が報じられるが、死に際だけでなく、日常生活の中にもっと溶け込むべきであろう。またコンビニの2倍もあると言われる寺院という社会資源の再活用である。日本の寺院はメンバーシップで敷居が高いがタイの寺院は公共の場そのものである。日本の寺院がデイサービスやショートステイやつどい場として利用できたらどんなに助かるか。一方、タイの医師や僧侶の目には日本の高齢者医療や介護はどのように映ったのだろうか。同じ仏教国であるタイと日本の死生観はどこがどう違うのか。つどい場さくらちゃんではこのテーマについて1日かけてデイスカッションした。
この夏、第二陣の交流が始まる。タイの田舎と日本の尼崎が認知症と仏教をキーワードにして“まじくる”というちょっと変わったプロジェクトは始まったばかり。しかし確かな手ごたえをいくつか感じることができた。
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この記事へのコメント
タイ国訪問は半ば長尾先生の趣味かと思っていましたら(失礼)、
トヨタ財団プロジェクトとあり、民間企業が行う取り組みなのか、と納得しました。
一部上場の大企業は人知れず(?)国際貢献の活動を行っていますね。
年齢を重ね、そういった取り組みに従事する立場となったのか、友人もベトナムに井戸を
堀りに行ったと聞いた事があります。
トヨタ財団プロジェクトを検索しましたら、長尾先生の記事が出現しました。
下記添付:
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トヨタ財団のプロジェクトとして始まった両国の医療者と仏教者の交流についてご紹介したい。日本とタ
イの高齢者医療、特に認知症ケアへの取り組みを学びあうことが目的である。第一陣は2月11~14日
https://www.toyotafound.or.jp/joint/katsudochi/no14.html
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>この夏、第二陣の交流が始まる。タイの田舎と日本の尼崎が認知症と仏教をキーワードにして
“まじくる”というちょっと変わったプロジェクトは始まったばかり。しかし確かな手ごたえを
いくつか感じることができた。
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なんだか楽しみです。わくわくしますね。
Posted by もも at 2016年05月30日 10:54 | 返信
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