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大阪府豊能郡豊能町でのリビングウイル研究会
2016年06月12日(日)
今日は、大阪府豊能郡豊能町で第二回リビングウイル研究会を開催した。
テーマは「認知症と終末期医療」。
人口2万人の小さな町だが、500人近い人が3時間以上、熱心に議論した。
テーマは「認知症と終末期医療」。
人口2万人の小さな町だが、500人近い人が3時間以上、熱心に議論した。
豊能町は大阪から50分だから、ベッドタウンだ。
四方を山に囲まれている自然にあふれた街。
さすがに在宅医療に従事する医師は多くない。
しかし熱心な在宅医や看護師、そして介護家族の会の方も議論に参加。
会場からの質問が良かったので、とてもいい研究会になった。
その質疑応答子だけでも、テレビで放映して欲しいような内容だった。
こうした大きな研究会は、通常、都市部で行う。
しかし今回は、完全な田舎町で開催。
はじめての試みは試みは大成功だった。
尊厳死協会と介護家族の会と社協がコラボすれば、いい会ができることが分かった。
さっそく本部に報告して、全国各地の田舎町で今日のような研究会が開催されるといい。
町民にとっても、いろんな情報を得ることができて、良かったのではないかと思う。
四方を山に囲まれている自然にあふれた街。
さすがに在宅医療に従事する医師は多くない。
しかし熱心な在宅医や看護師、そして介護家族の会の方も議論に参加。
会場からの質問が良かったので、とてもいい研究会になった。
その質疑応答子だけでも、テレビで放映して欲しいような内容だった。
こうした大きな研究会は、通常、都市部で行う。
しかし今回は、完全な田舎町で開催。
はじめての試みは試みは大成功だった。
尊厳死協会と介護家族の会と社協がコラボすれば、いい会ができることが分かった。
さっそく本部に報告して、全国各地の田舎町で今日のような研究会が開催されるといい。
町民にとっても、いろんな情報を得ることができて、良かったのではないかと思う。
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この記事へのコメント
田舎町こそ、情報がほしいのです。
無医村の岩手県安比高原で四回 尊厳死協会の 新春懇話会を開催しました。今年は 花巻市の健康増進課から「介護家族の会」の方を含め、三十名の参加があり、安比の会員十名(人口二百人)を含め総勢四十名でした。
参加はあっても、新入会者が一割程度だということで、「本部から今年で開催は打ち切りになったと 通告された」と東北支部からの話しでした。
年々 参加者が増えているので 協会が主催しなくても、活動は続けます。
会員数をふやすことより 尊厳死や在宅医療の理解者が増えることが 大事と思っています。
幸いにも 在宅に熱心な医師との出会いで、豪雪地帯の無医村なのでドクターヘリを導入できました。
長尾先生の活動を支援しいます。
このブログが励みになります。
Posted by kayabuki110 at 2016年06月12日 07:48 | 返信
大阪府豊能郡豊能町でのリビングウイル研究会 ・・・・・・・ に参加して
今回のリビングウィル研究会:『認知症と終末期医療』を
お聴きして、いろいろなことを考えさせられました。
長尾先生の基調講演と4名の当事者さんから、具体例
を交えながらの現状説明・問題提起・提言(下記)
高齢期に入り、認知症やがんを発症した時 ・・・・・・
精神病院への入院〔閉じ込め〕・身体拘束・(患者本人が
望んでいない)延命治療・医療の過剰介入? ・・・・・・
患者を取り巻く家族や介護者の、いつ終わるとも分から
ない介護の中で、“気持ちを発散する〔グチが言える〕”
場がなく、家族・介護者が疲弊し追い詰められて行く様子・
食事を大切に出来ない状況が発生し、問題をより深刻な
ものにしている。
等などの情報提供・提言がなされた後、会場の参加者さ
んからの質問コーナーで、正に講演者・パネラーさんが
問題視し、警鐘を鳴らした内容がお二人のご婦人から質問
がなされました。
私は幸いにして(鈍感で気がついていないだけ?)身近に
深刻な実例を知らないこともあり、前半の講演者・パネラー
さんの発言は、“そんなこともあるんだろうな!”程度の
第三者的な立場で聴いていましたが、参加者さんからの
質問で、これらのことは現実に身近に日々起こっている
こと。 そして、それらの望ましくない状態/状況を作
り出しているのは“あなた!(問題意識を持っていない私
?!)” というコメントを聴いて、俄然これらの問題が
“ 自分にも関係する事柄:一人称(私)の問題” と実感
するに到りました。
とてもとても気づきの多い、素晴らしい講演会だったと
思います。 参加して良かったです。
ありがとうございます。
余談となり、恐縮ですが ・・・・・・・、
素晴らしい講演会のあと、聴いたことを整理して理解を
深めたいと思い、内容を反芻しながら、せっかく初めて
訪れた場所なので、辺りを徘徊してみることにしました。
しばらく歩いていると、“桜谷軽便鉄道”との標識があり、
丘に登って行くと、15インチゲージの模型列車施設(大人
でも乗車体験可能)があり、その全てを手作りしたという
“主” もそこに居て、楽しい話しをいろいろと聞くことが
出来ました。
さらに徘徊を続けて行くと、地域イベント:“夕涼みねこ
トラ市”が行われていて(妙見口駅前広場)、ほんの少し
だけですが、地元の人と話をする機会も持てて、とても
良い一日となりました。
企画・準備・運営 ・・・・・・、大変なことと思いますが、また
近々自然豊かな田舎まちで、このような気づきの多い、実り
豊かな勉強会・講演会の開催を心待ちにしたいと思います。
昨日は、本当にお疲れさまでした。
ありがとうございます。
Posted by 小林 文夫 at 2016年06月12日 10:00 | 返信
>尊厳死協会と介護家族の会と社協がコラボすれば、いい会ができることが分かった。
介護家族、即ち一般市民が、社協や尊厳死協会との接点を持つ機会に賛成です。
市民が実際に介護申請を開始し、システムに乗り、事が運ぶ間に接触を持つのは "担当者"で
あるために、事の本質が見えないまま、社会的な介護サービスを受けているケースも多いのでは
ないでしょうか。「なんだか、思っていたのとは違うのだけれど...」と迷う気持ちの被介護者も
多いのではないでしょうか。
意思疎通を図ることができるチャンスに賛成です。
Posted by もも at 2016年06月12日 10:26 | 返信
30分ほど遅刻して参加しました。能勢電が悠然と運行して、左右の風景が、深山幽谷と言った風情かと思うと、近代的なおうちが、いっぱい建っていたり、土日農園を楽しんでいるグループもいたり、良いところでした。私も引っ越ししてきて住みたいなと思いました。
全体を紹介してまとめて下さった小澤和夫氏の司会もユーモアがあって、笑いが絶えませんでした。
「認知症の終末期ケア」という広大なテーマでしたけれど、フロアからの実際に介護していらっしゃるご家族からの切実な問題、ご家族を入院させたら、何故か鬱病と言われて、鼻腔からカテーテル栄養を取る方法を強いられて、かわいそうだとの質問に、皆さん「フンフンよくあるケース」とうなずいている方が多かったようです。
長尾先生が「僕がさっきから言ってるよくあるケースですよ」と我が意を得たりとばかりに仰ってるので、長尾先生、若返ってお元気な声だなあと思いました。
ほんとに会場は満席で、老若男女様々な方達が集っていらっしゃった観がありました。歴史の古い妙見さんの一つ手前の駅なのにと不思議な思いでした。
しかし、私の父が、病院で院内感染で、苦しんで死ぬとは、思いも依らなかったし、母が、大動脈解離で死ぬとは、思いも寄らなかったです。ですから私自身の死ぬ時同様に死ぬのか、検討もつきません。細木数子氏も「いつどのように死ぬかは誰にも分かりません」と言っています。
世界の情勢のどうなるのか、介護保険状況も老人にとって油断がなりません。
人間の顔が違うように、病気も、物忘れの状態も様々です。
できる事は、こう生きようとして、そう生きられたのか、家族をこう介護しようとして理想通りになったのか、違ったものになったのか、話し合いたいです。ひとさまの失敗例は本当に勉強になります。何故思うようにならなかったのか、そこにはみんな、共通の問題があるのかもしれません。
ひと様の失敗例や成功例を、謙虚に耳を傾けて、励まし合って解決してゆきたいと思います。
帰り道も皆さん三々五々と帰路につきました。電車でもどこのどなたか分かりませんけれど、お互いの家族の介護の話を聞いて貰ったり、聞かされたりして実のある会合でした。
Posted by 匿名 at 2016年06月12日 11:52 | 返信
「そこにはみんな、共通の問題があるのかもしれません」
その、共通の問題は、「死」をもたらした原因を、誰かに(特に「家族」に)責任転嫁する「文化」(慣習あるいは世論、ひいては国家政策というべきかも)にあると思います。
死にゆく人を救おうと、家族が自分の全人生をささげて必死に看病してはじめて、「タイヘンでしたね、よくお世話なさいましたね、お疲れさまでした」と「高い評価」を受ける。
それを、国家ぐるみで推奨している。
だが、国民もしたたかなので、死にゆく家族(特に老人)のために自分の命を削るよりも、「お医者さま」にすべてをゆだねることを選ぶ。
「お医者様にすべてお任せしています」は、世間の野次馬から逃れる効果的なせりふだ。
ゆえにいつまでたっても「病院死」は減らない。経管栄養も延命治療もこれからも続くだろう。
なぜかって、それらは、死にゆく人に少しでも長生きしてもらいたいと願っている「愛情あふれる家族」としての証明となるからだ。
「家族の死」に、「残された家族」は責任があるのだろうか?
Posted by 匿名 at 2016年06月13日 03:56 | 返信
「在宅介護」は、欺瞞的な国策。
「病院死」は、したたかな国民が、お医者様に全てをゆだねて世間の野次馬から逃れる効果的な方法。
「匿名でごめん」は、自分だけが正しいんですね。
匿名でごめんのブログを、作れといってるでしょう。
金持ちも貧乏も、みんな施設に入れるほど、日本は金持ちじゃないのです。
ドイツは、施設が充実してるから、在宅介護を選ぶ人が、殆どいないんだそうです。ドイツは王様が逃げちゃったから、首相が全部采配して、やり易いのでしょう。日本は戦争に負けても、宮内庁の金食い虫に財政を食われて、施設ができない。それで、お金持ちは、高級老人ホームに行け、中産階級は、在宅介護で頑張って、生活保護者や、低所得者を、特養に入れたいと言う厚生労働省の方針だったのですけれど、ビッグデーターが無いので、厚労省の方針通りになってるのかどうかわかりません。
老人介護保険が一段落したら、児童養育保険制度なんてのも作って、男にあぶれたオールドミスや、女にあぶれたチョンガーから、税金を高く取るんじゃないの?
ガミガミ言われなくても、難民救済高等弁務官事務所USNRとかに寄付するように、遺言作って死にます。死ぬ前に少しでも、お金が残ってたらの話ですけど。
Posted by 匿名 at 2016年06月14日 06:29 | 返信
2016年06月14日 06:29 の匿名さんへ
あのー、ですね、
2016年06月13日 03:56 の匿名はワタシですが、「匿名でごめん」さんではありません。
なんかすごい気に障ったみたいですけど、ワタシは、年老いた親がいて、その親の「生き死に」について、なんか全部ワタシに責任が降りかかってくる日常なので、つい、長尾先生のブログに、書き込みました。
あなた様のコメントは痛快だな、と思いましたが、「男にあぶれたオールドミスや、女にあぶれたチョンガー」ってのは、ちょっとどうかな、と感じます。「あぶれた」のではなく、独身を自ら選んでいる人がたくさんいるし、今後も増えていくと思います。
「お一人様」への風当たりが強いのはどこの国も同じようで、その昔、英会話を学習していたとき、アメリカ人の男性講師(既婚者)に聞いたことがあります。
なぜみんな、独身者に結婚を勧めるのかしら?と。
彼の答えは、People want to share a misery of marriage.
結婚(生活)のみじめさを共有したいからだと。
みじめじゃない結婚生活、家族に負担をかけずに人生の最終章を生きる、など、家族がらみの重たい現実を改善するために必要なのは、ありふれた言葉だけど、一人の人間として自立すること、なんじゃないかと、強く感じる今日この頃です。助け合い、は、依存、とは違うと思うのです。
Posted by 匿名 at 2016年06月15日 02:56 | 返信
匿名でごめんではない、匿名さん、失礼しました。
最近、ヘルパーさんのしっかりした自己主張を拝聴していますと、「アモーレ.アモーレ アモレミヨ」と言う音楽が聞こえてきて「刑事」と言う映画の絶世の美女クラウディア.カルディナーレを思い出しますし、日本列島の少子高齢化と結婚しない人攻撃を聞いていますと、カーク.ダグラスとジーン.シモンズ主演の「スパルタカスの反乱」と言う映画を思い出します。
要するに、日本民族はアメリカの奴隷になっちゃったんで、奴隷は奴隷の子供を産まなければ奴隷じゃないのですよ。奴隷が生んだ子供は主人の所有物なんで、数が多い方が良いにきまってるんです。家畜みたいなもんです。
でも戦後すぐは「産児制限」の声が大きかったのは、人工が増えて革命が起きるのが怖かったんですね。勝手なもんですね。
匿名氏は、親ごさんの介護をしなければいけないのかなあと考えている立場ですか?
もしあなたが女性ならば、同じ介護保険料を払っていても、「女の家族が、居てはんねんから」と言われて、身体介護(入浴、お持つ替えの介助)は来てくれます。
男性であれば「男の家族さんなんやから」と言う理由で、生活介助(料理、洗濯、掃除)も身体介護も来てくれます。
老人ホームでも同居でも、どちらでもお好きすきです。
Posted by 匿名 at 2016年06月15日 12:02 | 返信
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