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治療の"やめどき"

2016年06月23日(木)

治療には”やめどき”があると私は考える。
ある週刊誌の取材でそう答えたが、ちゃんと伝えてくれるかなあ。
超高齢化社会においては、”やめどき”を真剣に検討すべきだろう。

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日本医事新報6月号の連載記事  → こちら

日本医事新報6月号  治療の引き際、やめどき  長尾和宏

 
死ぬまで降圧剤を飲むのか

 患者さんによく聞かれる質問がある。「先生、この降圧剤は死ぬまで飲むのですか?」。昔は「一生、飲むことになるでしょう」とあいまいに答えていたが、10年位前からは「必ずやめる時が来ますよ。あくまで期間限定」と答えるようになった。降圧剤のメーカーが主催する勉強会で高血圧の著名な専門家に開業医が同じ質問をしていた。ある専門家は「一生飲みます」と明言された。別の専門家は「私は一生飲むものだとずっと思っていたが、最近もしかしたらやめどきがあるのではないかと考えるようになった」と答えた。私は内心「そんなの当たり前だろう」と思ったが、降圧剤に“やめどき”という概念自体がまだ無いことが確認できた。

降圧剤を例にとったが「このインスリン、死ぬまで打つの?」とか「この認知症の薬は胃ろうになっても入れるの?」という質問を患者さんのみならずコメデイカルや介護スタッフからも問われることが増えた。私は「やめどきがあります」と答えている。しかし医療界には“治療の引き際ややめどき”という概念がまだほとんど無い。可能であれば「こうなればやめてもいい、さらにそうなれば必ずやめるべきだ」という具体的な指針があれば医師も国民も助かるのではないか。今春の診療報酬改定では2剤減薬すると点数がついたが、どんな基準でそうしたほうがいいのかの根拠もしっかり示さないと、先づ減薬ありきでは患者さんは納得されない。反対に医療不信を招くかもしれない。そもそも始めるのは簡単だがやめることは困難だ。医療もしかり、趣味もしかり、人によっては結婚や恋愛もしかりである。

 
治療には引き際、やめどきがある

 基本的にすべての医療には引き際ないし“やめどき”があるのではと考える。昨年、「抗がん剤治療をどこまで続けるのか?」というテーマの勉強会に参加した。演者の一人の抗がん剤治療の第一人者は冒頭にこう言った。「今まで、どうやって最期まで抗がん剤治療を続けようかばかり考えていたので、やめるということは正直一度も考えたことも無かった」と。この言葉を聞いて愕然とするとともに「そりゃ、近藤誠医師の本が飛ぶように売れるわけだ」とあらためて納得した。別の専門家は「余命3ケ月だと思ったらやめるが、実際に亡くなってから逆算すると1週間前になることもある」と発言した。たしかに後からではなんとでも言える。それよりも多少間違っていていても実際の流れの中で納得のうえでやめることが大切でそれが満足医療につながる。アドラー流に言うならばまさに「やめる勇気」である。

 そういえば私も30年前、患者さんが死ぬまで抗がん剤を打っていた。その時は医療とはそんなもんだと無邪気に思っていた。今思い起こすと無知とは怖いもので、本当に申し訳ないことをたくさんした。しかしその25年後に「平穏死」を提唱する立場になり、最期までフルコースという医療は人間の尊厳という観点からも明らかに間違っていることを確信するに至った。「抗がん剤治療はいい悪いではない、やめどきの問題だ」という想いから「抗がん剤・10のやめどき」(ブックマン社)という小説を書いた。具体的なストーリーの中に10ケ所のやめどきを具体的に提示して「あなたはどこでやめますか?」と患者さんに問うてみた。当然、「最期までやる」という選択肢も用意した。大きな批判を覚悟していいたが患者さんのみなならず医師からもたくさんの支持を頂き少し安心した。
 

ニボルマムが露呈した医療経済学問題

  ニボルマム(商品名オプジーボ)という免疫チェックポント阻害薬の薬剤費が年間3500万円もかかることがあちこちで話題になっている。著効は2割程度であるとされるが現時点ではその事前予測ができないという。いったん著効したとしてもいつかは必ず効かなくなる。ニボルマムの登場は年々高額化するがん治療薬が抱える医療経済学的な諸問題をあぶり出している。分子標的治療薬の効果を事前に予測するために遺伝子診断とマッチングが行われるのと同様に、ニボルマムにおいてもその効果を事前予測する方策の開発と普及が急がれている。しかしたとえそれが実現したとしてもニボルマムのように人によっては著効する薬剤ほど、いつか効果が徐々に低下した時の薬剤の“やめどき”を判断することが課題になはずだ。一方、もはや意思疎通ができなくなった認知症終末期の患者さんの胃ろう栄養や認知症を合併した高齢の透析患者さんでは「撤退」に関する具体的指針が出てきた。医療界は治療のやめどきという命題から決して目を背けてはならない。製薬メーカーに洗脳されっぱなしではあまりにも情けない。欧米の各医学会は積極的に「治療の引き際、やめどき」に関する指針を出している。

そもそも誰が治療のやめどきを決めるのか、という命題がある。医師か、患者か。医師会や医学会は医師が決めるべきであるという。しかし私の考えは異なる。もし患者中心の医療を本気で謳うのであれば、やめどきの模索は医師と患者の対話を通じた協働作業であると考える。だからがん医療においても「患者自身が入らないキャンサーボードはおかしい」と主張してきた。医師が一方的に決めることは上から目線でパターナリズムそのもの。開始もインフォームドコンセント(IC)であるならば、“やめどき”もICであるはずだ。さまざまな医療行為は一人称と三人称と視点が違えば見解が180度異なることが稀ではない。やめどきを間違えると必ず後悔が残る。いくら良い医療を提供しても最期に後悔が残れば台無しである。まさに「終わり良ければすべて良し」ではないが、さまざまな治療のやめどきについて具体的議論を深めるべきである。
 
 

医療だけではない、“やめどき学”

 個々の症例における治療のやめどきに関する検討も、アドバンスケアプランニグ(ACP)の重要な構成要素である。ACPの核を成すものは当然、リビングウイル(生前の意思、LW)である。しかし日本は先進国のなかで唯一、LWを国家として認めていない国である。しかもそのことを多くの医師が知らないことは大変残念である。そんな下地のなかでも患者さんからの申し出を契機に、やめどきを自己決定できるのではないかと考え、日本リビングウイル研究会を設立し議論を重ねてきた。6月18日に第6回大会を都内で開催し認知症とLWに関して予定であるが定員を2倍以上回る申し込みがあり反響に驚いている。多くの市民は治療のやめどきの議論を待っている。特に認知症とLWに関する関心は極めて高い。今後、各医学会がこうした命題に対してさらに力を入れるべきである。せっかくいいガイドラインが出ても臨床現場に周知され実際に活用されるまでには、多くの工夫とエネルギーが必要である。

 やめどきを万人に押し付けるつもりはない。「死ぬまでやって欲しい」という死生観も尊重されるべきだ。しかし現実にはやめどきを真剣に考えないといけない局面が今後間違いなく増加する。高齢化と医療の進歩に伴う宿命、必然である。そこでアドバンスケアプランイング(ACP)の啓発が広島県や長野県などで積極的に展開されている。こころ残りから「こころづもり」への運動であるが、人生の最終章の医療において常に念頭におくべき概念である。退院前カンファレンスやケア会議の際にはACPを必ず意識すべきである。

私は、やめどきという概念は医療だけに限らず、さまざまな人生の営みに深く関係するのではないかと考える。仕事のやめどき、役職のやめどき、専門資格のやめどき、趣味のやめどき、デイサービスのやめどき、などなど。考えてみれば長く生きるということは、晩年は一つ一つ荷物を降ろす作業でもある。そんな想いで現在「やめどき学」という書籍を執筆していて夏に世に出る予定である。前例の無い概念なので批判を浴びるだろうが、重要な課題として医療界や一般社会にも問いかけてみたい。
 
 
 

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この記事へのコメント

最近の長尾和弘は人生の集大成に向かっているような。
貴重な存在ゆえ、生き急ぐことなく、ずっと集大成し続けてくださることを。

日本には「老醜をさらすな」という表現があります。
安倍さんが言う一億総活躍社会って、老醜をさらす混乱社会になるのではないかと。
きれいな引き際ってのは、やはりあると思います。

ウチの父も、きれいに仕事から身を引いて妻をねぎらい、上手に年を重ねることができていたなら、老夫婦そろってまだ元気だったと思います。
「俺が、おれ我」の「我を通した生き方」を支えた妻を使い殺して、初めてその存在がかけがえのないことに気づいています。

「やめどき学」、その一つに、「亭主関白のやめどき」も、必要ではありませんか?

Posted by 匿名 at 2016年06月23日 02:26 | 返信

私は、高血圧剤を飲んでいるのですけれど、将来いつかは、飲まなくても良い時が来ると聞くと、うれしいです。
でも体重が75kgから71kgに、減ったのですけれど、コレステロール値も233ですし、対人関係で上手く行かない時は、血圧が170/90くらいに上がっています。新興宗教に入っている人とか、政治政党に入っている人とか、自己啓発セミナーでも受けたような押しつけがましいセールスマンとかを、相手にすると、自分でも血圧が上がって来るのが分かります。最近は漢方薬の釣藤散を飲んで少し下がって来ました。
まあ80歳か90歳くらいになって、あんまりプリプリ怒らなくなったら、高血圧剤は飲まなくてもよくなるかもしれません。スタチン系の薬は、飲んだり飲まなかったりしています。
車に乗ってばかりの生活がいけないのかなあと思っています。

Posted by 匿名 at 2016年06月23日 04:49 | 返信

長年スタチンをマジメに飲んでいた方が、80歳前に劇症横紋筋融解で急性腎不全になった症例をみたことあります。スタチンで低コレステロールになり免疫力が低下する方や、緩徐に横紋筋融解してフレイルになっていく方もいますね。スタチンなど飲んでる患者が不健康になり、製薬が儲かるだけです。

Posted by マッドネス at 2016年06月23日 09:52 | 返信

長尾先生…同感です

いろんなことを 自分で決めていくことって たいへんなことです
ならば
自分の人生を他人まかせにしていいのか…という話になる

時々考える…
ほんのちょっと前に 生まれてきたら
もしかしたら 戦争に巻き込まれていたのかもしれない

違う国に生まれてきてたら
もしかしたら 裸でヤリを持って 獲物を捕りに走り回っていたかもしれない

今 この時代 ここにいることが
本当は 素晴らしいことなのだと…
あまりにも あたりまえ過ぎて 見えなくなってきてるんですよね

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年06月24日 12:09 | 返信

マッドネス様
スタチン系は怖いんですね。長尾先生も、どこか北陸の方の医学会で親しくなったお医者さんが「スタチン系を飲んでワケの分からない難病になって手術しなければとか物凄い状態になったけれど、飲むのを止めたらいっぺんに元気になった」と仰っていたと言うお話を伺いました。
でも血圧が高くなることや、夏になると目の周りに、ニキビみたいな脂肪の塊なのか分からないできものができるので、つい2~3日に1錠くらいのペースで飲んでいます。
血圧の心配さえなければ、血液検査の結果をみて、なるべく飲まないようにしようと思いました。
アドバイスをありがとうございました。
マッドネスってmadnessと言うスペルですか?
訪問看護師宮ちゃんが、裸になって槍を投げてるなんて想像したら笑っちゃいました。

Posted by 匿名 at 2016年06月24日 11:34 | 返信

人生も必ずやめどきが来るし、覚悟もなく意思に反して来ることもある。
長生きや延命ではなくどれだけ悔いなく高いQOLを保った人生であったかが重要なのだと思います。

Posted by 匿名 at 2016年06月25日 11:13 | 返信

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