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障害者に教えられてきた32年間

2016年08月03日(水)

私はたくさんの障害者を医師として診てきたし、今も診ている。
彼らは決して加害者が抱いたような存在ではなく、真逆である。
どれほど多くのことを障害者に教えられてきたことか計り知れない。
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32年前、新大阪の聖徒病院というところで医者になって一番に受け持った患者さんは、
”律ちゃん”という20代の女性だった。

先天性の重度障害児であるが、私が診察に行くといつも笑って迎えてくれた。
手足はかなり硬縮して、言葉もたほとんど発さないが、意思疎通はできる。

時々てんかん発作を起こすので、てんかんの治療を学んだ。
また肺炎も起こすので、肺炎の治療も学んだ。

なによりも、お父さんが素晴らしい方で朝から晩まで付き添っておられた。
時々、外泊されたり旅行されたが、律ちゃんは機嫌よく帰ってきた。

2年間、白血病や末期がんなど重症患者さんの治療に昼夜を問わず働き、
くたくたになった体で、週に2~3回、律ちゃんのベッドサイドは唯一の癒しの時間だった。

お父さんは、私が律ちゃんにとってなんの利益をもたらす能力も無いことを知っていた。
しかしそんな研修医1年生にも敬意を持って親切に接してくれた御恩は今も忘れない。

律ちゃんが、研修医の2年間、まさに私の先生で癒しびとだった。

その後、大学に戻っても、バイトで行く当直の夜は律ちゃんの病室に寄った。
その時はすでに主治医ではないが、お父さんは相変わらず優しく接してくれた。

その何年後だったか、律ちゃんの訃報を耳にした時、驚きと悲しみが襲った。
研修医時代とまったく違う場所で働いていたが、青春のページが走馬灯のように廻った。


律ちゃん以来32年間、今日まで多くの障害者の主治医として、
一部は最期まで診てきた。診させていただいた。

20年以上、人口呼吸器生活を余儀なくされたシロウ君は、私を認識していた。
涙を流すことで合図を送ってくれた。

シロウ君も、実に実にたくさんのことを教えてくれた。
お母さんがまた素晴らしい人で、家に行くたびに重度障害者の世界のことを教えてくれた。

「看取りの時に救急車を呼んだらダメ」と、本に書いたら、ダメ医師と呼ばれた。
「重度障害児の世界では、虐待死と間違えられないように救急隊に証人になってもらう」と。

シロウ君が、20数年の生涯を終えた数年後、今度は親切にしてくれたお母さんが
末期がんになり、数年ぶりにその家に伺うことになった。

シロウ君に続き、まさかのお母さんを看取った帰り、車を運転していると涙が流れてきた。
シロウ君とお母さんに、なんとも貴重な時間を共有できたことに深く感謝した。

・・・・・

今回の事件で、障害者は怯えているという。
これは当事者でないと分からないだろうが、多くの障害者のメンタルに負の影響をもたらしている。

障害者が半世紀かけて闘ってきた差別や偏見が一気に逆戻りする不安があることだろう。
その意味で26歳の犯人には、「なんてことをしたんだ。バカ野郎!」と叱りたい気持ちで一杯。

「君の考えは間違っている!」と言ってあげる人が居なかったことにも絶望している。
警察も行政も医療も、この事件をしっかり検証しないと、19人の失われた魂に申し訳ない。


障害者と「害」とい字がどうだとか細かいことには無知な自分であるが、多くの障害者の
おかげで現在の自分がいることは、紛れもない事実である。


障害を持った医師というと、熊谷晉一郎医師が浮かぶ。
彼の本を読んだときの感動は忘れない。

彼は、素晴らしい言葉を紡いでいる。

「自立とは依存先を増やすこと。
 希望とは絶望を分かち合うこと」



この言葉の意味は深いし、私自身理解しているかと問われたら自信が無い。
しかし、真理をついた凄い言葉ではないのか。

熊谷医師が、早々に8月6日に本郷三丁目の東大で、犠牲者の慰霊の会を開催するという。
このような行動力や感性にはただだだ感服するばかりだ。(まだ詳細は不明)

怪我をされたが、助かった人たちもいる。
傷が快方に向かっている人もいるという。

「障害者の子供は宝だ!」と堂々とTVカメラの前で言える親御さんも出てきた。
私もそんな親御さんたち、多くの名も無い優しい人に育ててもらったのでよく理解できる。

今回の事件で、考えるべきことは3つ。

1)障害者がより生きやすい世界にする動きを止めないこと
2)このような事件を予防する社会の仕組みを構築すること
3)26歳の犯人がなぜこうなったのか、そしてどんな更生があるのかを模索する

世界のメデイアは、今回の事件を大きく報道した。
欧米だけでなく、中国も韓国もすごく驚いたようだ。

それは、「日本は平和で安全な国」という日本の付加価値を壊した事件だったからだ。
日本は世界中から羨ましがられている国であることが今回の海外報道で確認できた。

ならば、今後のメデイアも含めた私たち市民の行動も世界中に影響を与えるはず。
あまりにも不幸な事件ではあるが、日本人ならではの解決法を示す機会でもある。

しっかり前を向いた議論をしていくことが、19名の犠牲者への最大の鎮魂になるのでは。










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この記事へのコメント

日本でのノーマライゼーションは、まだまだ遠いですね。

Posted by 社会福祉士河本健二 at 2016年08月03日 05:57 | 返信

この 暑さ の 中
今日 も お出かけ 暑さに 強い?!
ころされ そうな きびしい 猛暑 酷暑
おぎようこは、冷房病 なのに、クーラーに
たより 火照りを 抑え アイスノン など を
利用して なんとか 凌いで います、

あゆみさん の 行動 ちから
バクバク 通信 の 原稿集め 催促チカラ
素晴らしい!

おぎようこ

おこらんど

墨あそび詩あそび土あそび

Posted by おこ at 2016年08月03日 12:53 | 返信

NHKの教育テレビで、パリバラと言う番組があります。よく障害者で、ごく軽い障害の方達は、努力してご家族と一緒に生活している方もいるし、できる方は一人でアパートを借りて自立している方もいて「偉いなあ」と感心します。重度の障害であって、ご家族も介護できる状況でなければ、施設で生活しなければいけない方達もいらっしゃるのは現状だと思います。でもやっぱり大変だろうなと思います。
最近はパソコンや機械も発達して、考えていらっしゃることを、文字化して文章にしたり、音声で読み上げる事もできるので、考えていらっしゃる内容があまりにも深い内容だったり、よく勉強していらっしゃるし他人に対するやさしさを、お持ちで驚くとともに、考えてしまいます。こちらが、勉強させてもらっていることが多いです。

Posted by 匿名 at 2016年08月03日 08:53 | 返信

文章にして説明する時には、障碍のある方、という意味を含まなければ説明が付かないので
表現しますが、障碍者という区別が念頭にある人は、"自分を知らない" のだと思います。
このブログページでの表現は、主治医が患者さんを診るという(ある種の)上下関係があったとしても
「長尾先生は教えられてきた」という表現をなさっているのであって、単に医師と患者の関係性
だけではなく、心の交流=気持ちの疎通があり、その時に学ぶことがあったという意味であると
解説・補足します。一般人が脈絡なく「障碍者に教えられた」という表現をするのは、その表現自体が
上から目線になると思うので、それは要注意です。
他者を認められる人、受け入れるキャパシティ(受け皿)を持ち合わせている人であれば、
自分とは異なる世界観を持ち合わせた人との出会いに刺激を受けることができる、そういう接点と
捉える方が賢明だと思います。

Posted by もも at 2016年08月03日 09:04 | 返信

NHKのEテレのバリバラでは「障害者」とかいてあります。
私はNHK教育テレビを観ていましたので、貴方の様に施設でボランティアをしているわけではありません。
「友達に教えて貰った」はいけない言葉ですか?
障害者の方と対等ではいけないのですね。
「長尾先生に、お教え頂いた」と同じ様に、「お教え頂いた」と言わなければいけないのですね。
上下関係があって、障害者の方が、「テレビを観ているもの」より上なのですね。
施設でボランティアをしているあなたの様な方ばかりいらっしゃる怖いところなんですね。
相模原の殺人事件の背景が、貴方の言動から何となく分かりました。

Posted by 匿名 at 2016年08月06日 05:29 | 返信

ドイツのミヒャエル.エンデの小説は「果たし亡き物語」や「モモ」があります。
モモは小さな女の子で、小さな都市の遺跡に住んでいます。
色々な大人達が、モモに自分の悩んでいる話を聞いて貰いに来て、モモに聞いて貰うとすっかり治ってしまいます。
鍼灸で、弟子入りした先生がオーストラリアから来たスコットさんから教えて貰って、私に教えてくれたのです。傾聴と言うことが病気を治すという事を教えてくれる童話です。
世界的に有名なお話です。
日本の「ももさん」は、怖いおばさんで、お話を聞いていると、病気になってしまいそうです。

Posted by 匿名 at 2016年08月06日 07:11 | 返信

ミヒャエルエンデの ”モモ" は幼い頃に読みました。読書入門の頃だったので、どんな本だったのか
は忘れていました。御紹介頂きありがとうございます。「傾聴」のお話であったとは奇遇です。
未熟ながらも、傾聴には縁がある仕事ですから、ハンドルネームもシンクロニシティーでした。
また、お言葉ですが、8月3日 8時53分の匿名さんが、文末にある「勉強させてもらっている」という
文言を私に指摘されたと思っての返信でしょうか。でしたら、それは偶然の出来事、それもシンクロ
です。何故なら9時04分の投稿を打ち込んでいる時には、ブログは白紙の状態であり、貴方様の文を
読んでの指摘では御座いません。あしからず。
あくまでも、長尾先生のブログ文を読み、補足・解説したものです。(文中にも書きました。)
それでも、読んで気にして頂いたようなので、書いた甲斐があったと思います。
また、怖いおばさんとは、非常に心外。 人様のブログ内で辺り構わず、長尾先生宛に書き込まれた
文章にケチ付ける行為を繰り返す、しかも匿名で、とは、その方が非常識な怖いおばさん、でしょう。

Posted by もも at 2016年08月06日 02:02 | 返信

人の気持ちを考える、人の心を知る、ということを苦にしない、むしろ好むタイプも存在するし
それが出来ない、人の気持ちを理解するということは範疇にないタイプが存在する、という事を
最近になって意識するようになりました。子どもが育つ中で、どこで差が出てくるのかは難しい
問題ですし、全くキャパシティーを持ち合わせないという状態の人も存在します。
今の時代では後者の中には、病名がつく発達障害という診断がなされることも分かってきました。
人との関わりが希薄な時代にあっては、また少子化な時代でもありますし、他者の気持ちを考える
ということを学ぶのは、至難の技なのかも知れません。
けれど、発達障害の病名を持つ青年が、アットホームな作業所の中で過ごすうちに、人に愛され、
仲間意識を持つことに喜びを感じる、という日を迎えるということもあるのです。
頑な表情だった若者が、可愛い笑顔で表現してくれる瞬間が嬉しい、とふと思う時に、子育てと
同じと実感する日々を送っています。

Posted by もも at 2016年08月06日 03:00 | 返信

かつて読んだ本、養老丈孟司著「馬鹿の壁」を引用するつもりで検索しましたら、偶然にも
Hitした動画:深層News160111 1時間17分に及ぶ、スタジオでのLive映像が興味深く、養老先生の
穏やかな語りも聞き易く、色々な面でためになると思い URLを添付します。
・・・・・・
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%AD%9F%E5%8F%B8&tid=b9fdb3865086e04c12b6066bffc1dda2&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
「馬鹿の壁」著者 養老孟司が語る「老後の壁」克服法

31分58秒に 馬鹿の壁とは:解説あります。
馬鹿の壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。
馬鹿にとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。
向こう側が存在しているということすら、わかっていなかったりする。
・・・・・・
これは著者の言葉を引用しているものであり、誰かを馬鹿と念頭に於いて説明するものでは
ありません。世の中、壁だらけだと実感する日々です。
また、健常者と障碍者の壁は、確かに存在しています。軽い障害であっても、世間を学びたくても
壁に隔てられて、なかなか外に学びに出ることが、ままならない日本の社会です。

Posted by もも at 2016年08月06日 03:18 | 返信

もも様、少しお時間を頂いて、考えました。
もも様のコメントは「長尾先生宛」のコメントであったこと。
もも様がコメントを、お書きになった時は、私めのコメントは無かった。だから「匿名宛」のコメントでは無かったとのこと。
もしそうであれば、私からもも様に、深くお詫び致します。
でも何となく、納得できないこともあります。何より私のコメントの方が先にあること。
内容が、本当に長尾先生宛なのかと言う疑問です。本当に長尾先生宛なら「長尾先生へ」とお書き下されば、私も勘違いせずに済んだかもしれません。そして、内容がいつもの「長尾先生、素敵!素晴らしい!長尾先生は素晴らしい!」では無い事です。
「障碍者」という区別が年頭にある人は、”自分を知らない”のだと思いますと言う文章が、長尾先生のことだとしたら、大変失礼だと思います。
(「長尾先生は教えられてきた」という表現をなさっているのであって、単に医師と患者の関係性だけではなく、心の交流=気持ちも疎通があり、その時に学ぶことがあったという意味であると解説.補足します。)と、長尾先生を引き合いに出されていらっしゃいます。
でもそのあと「一般人が脈絡なく『障碍者に教えられた』と言う表現をするのは、その表現自体が、上から目線になると思うので、それは要注意です」と、一番仰りたい事を主張なさっていらっしゃいます。
ですから「一般人」を批判なさっているのです。決して長尾先生宛のコメントではありません。
このような主張が「長尾先生宛」のコメントだとしたら、長尾先生に対して、大変失礼だと思います。
マスコミの方達が、施設の中や、障害者の方のお家に中に入り込んで、「勉強になるわあ」等と言えばそれは大変考え違いでしょうけど、あんまり言葉狩りをすると、施設で働いたり、ボランティアに参加する人もいなくなるでしょう。
おそらく「これから施設でボランティアをしたい」とか「働きたい」と言う方にはこのような注意があるのかと思います。
私はももさんに、これまでも数回ご批判頂いていますので、「又言ってるわ」と思ってしまいました。
以前にも他の主婦で、とても優秀で賢い方から何回も批判されました。それから匿名にしました。
私はももさんの批判をするつもりは全くありません。
ただ自分のコメントの弁解をしようと思いました。
お気を悪くされたら謝ります。ごめんなさい。

Posted by 匿名 at 2016年08月07日 08:33 | 返信

何度もすみません。
「一般人が脈絡なく『障碍者に教えられた』と言う表現をするのは、その表現自体が上から目線になると思うので、それは要注意です。」とだけ仰って、ではどういう表現であれば(誰かに)お許し頂けるのかお教え頂いて無いのは、スフインクスか何かの「お前は死ぬ」と言うお告げのように呪縛的な呪いみたいです。
結婚式やセレモニーの「忌み言葉」みたいにいろいろ、仕掛けてあって、私達は皆、引っ掛かる罠みたいに思えます。
ところで、今日8月7日の夜7時にバリバラで「相模原事件の特集」を放映するそうです。
皆さん見て下さい。

Posted by 匿名 at 2016年08月07日 05:03 | 返信

今日のバリバラは良かったです。
ずっと、手を叩いていました。
障害者こそ生きていて欲しい人達でエリート(東大の養老猛)こそ学ばなけらば行けない人達です。
拍手、拍手!
勉強になった!「勉強になったと言う人は行かん」と言う人は死ね!
バカはお前だ!

Posted by 匿名 at 2016年08月07日 07:49 | 返信

どうもすみませんでした。
これからは、上品に表現して、上品に虐められます。

Posted by 匿名 at 2016年08月08日 01:15 | 返信

とても
ほっと
しますね 福島さん
大学の 先生
目 と 耳
御不自由
ーー
も てっかく な コメント、

スタッフたち
ひとり ひとり
個性溢れる
こめんと
いい感じ
〜(^o^)
おぎようこ
おぎようこ
おこらんど

Posted by おこ at 2016年08月08日 07:07 | 返信

8月7日 8時33分の匿名さんへ
正直いって、お詫びの気持ちは伝わりません。本当にお詫びの気持ちがあるのであれば、話を
大きく膨らますのは論外でしょう。私が、それを指摘する以前に今後の提案ですが、投稿者個人
との接点を求めるのであれば、Facebookへの参加が向いていると思います。一番上の青い箇所に
” いいね " と " シェア "があります。まず手始めにFaceBook Japan に参加する必要が
ありますが、ルールや身元保証が根本にある上で、考え方が似たタイプの人と友達になれるので
OTさんには向いていると思います。参加後に、ブログ記事上にあるシェアボタンをクリックして
貴方の意見なり思いを書き加えれば、それはあなたのページになります。心ある人はコメントを
寄せてくれることでしょう。

貴方の8時33分投稿は、憶測が先走っているので、各々に返答するのは無意味であり、無駄な労力。
ここまで巻き込まれるとは辟易です。中身は屁理屈のようであり、『違います。』としか返答の
しようがありません。ただし、文中に「長尾先生に失礼」という文字は目に留まりましたので、それを
主張するのでしたら、貴方の一連の言動が長尾先生は基より、社会の関係先に対して「迷惑」を
繰り広げていることに、思いを寄せてみた方が賢明だと思います。今回では私の8月9時04分の投稿は
「分かる人には分かるが、分からない人には分からない。」という領域かも知れません。
それが「知らない」という指摘です。知らない事は恥じることではないし、興味があるのであれば、
どこかを訪れてみればいいと思います。
保健所にある、心の相談室的なところに、是非お出かけ下さい。この一連に関する回答が欲しい、と
尋ねれば答えて下さるカウンセラーがいらっしゃるでしょう。
この一連をの状態を分かり易く解説するならば、ドラマや映画によくある設定ですが、酔っ払いが
自分から人にぶつかっておきながら、「なんだよ」と、相手に喧嘩を売るシーンがあったりしますが
私にとっては、絡まれたそれに似ているような気がしています。(たとえ話です)

そして二つ目の指摘・訂正が必要な箇所:
>これまでも数回ご批判頂いていますので
これは絶対に言いがかりでしょう。以前にもOTさんに絡まれて「個人的なやりとりは出来ません。」
と申し上げた一度のみ。しかも、その時の真意詳細は長尾先生宛に送りました。もし、周囲の誰か
から、それとなく諭すようにOTさんに伝わっていないのでしたら、それは貴方が、諭されているのも
耳に入らないのか、それとも伝えようにも困難があるのでしょうか。

3つ目の指摘と提案:敢えて「匿名」にしている、とのことですが "頭隠して尻隠さず"のようでは
ありませんか?ハンドルネームはお持ち下さい。以前のOTさんの主張は「匿名」での絡みを批判
なさっていたようですが、心変わりされたのですね。

結論ですが、この一連のページは 福祉における "心のバリアフリーとは何か" とか
"真のノーマライゼーションとは?"などの 教育に使用できる位、問題発言が多く登場する
ページでした。私個人だけでなく、社会的な冒涜を感じる一面が多く含まれているということです。
くどいようですが、この文章の真意は保健所にお尋ね下さい。保健所主催のセミナー参加でも
理解に繋がる発見があるかも知れません。
OTさんへ
お返事無用です。返信しないで下さい。「投稿文章」の一人歩きは困ります。
何か言いたい、と思うのでしたら、冒頭に案内したとおりを実行して下さい。
よろしくお願いします。

Posted by もも at 2016年08月08日 08:36 | 返信

長尾先生も、お医者さんだから「障碍者に教えられる」と仰っているわけでは無いと思います。
長尾先生の主催される勉強会に、昔から参加していたり、昔のブログを知ってる方は長尾先生がお医者さんであるだけに、ご自分のことも、よく検査したり調べたりなさって、いろいろな心配をなさっています。それは杞憂であると思いますけれど、決して、障害者をご自分とは違う世界とはお考えになっていません。
私も半年前まで、膝を痛めて、杖を突いて歩いておりました。すると、スーパーのレジの女性に「あ!ビッコ引いてる!」と言われたほどです。レジの女性は「私も足が悪くてビっこ引いてるので、お客さんがビっこ引いていたら、気になるんよ」と言っていました。
跛行していると言うのは障害があるという事です。今は、おかげ様でだいぶ良くなりました。
ですから、このブログを見ている方達は皆「障害者を、自分と違う世界」と思っている人はいません。
「障碍者」を自分とちがうと思っていらっしゃるのはもも様だけです。
始めは、もも様が、何を仰っているのか、意味が分かりませんでした。
歳を取れば誰もが加齢による障害が出ると知っているからこそ、医療関係の資格を取って、看護して差し上げたり、やがては自分もお世話になるのだと思います。だから長尾先生は在宅医療のお医者さんですし、ある方は看護師さんですし、私は昭和55年から鍼灸師でした。皆、障害者になると知っているから医学や、介護を勉強しているのです。
もも様が何をなさっていらっしゃるのかは存じませんが、お分かりにになりませんか?
もも様の仰る事は驚きの連続です。
もも様が、ずっとお嬢様で、現在は奥様だったからでしょう。

Posted by 匿名 at 2016年08月08日 08:41 | 返信

補足
自分のコメントですが、誤解無きように
>『誰かを馬鹿と念頭に於いて説明するものでは、ありません。』の部分を強調したいと思います。
ここで引用しました、かつての大ベストセラー:養老孟司著 ○○の壁 は タイトルが強烈なので
このページでの引用は誤解を招くかも知れませんが、けして、人を馬鹿呼ばわれしている本では
ありません。哲学的で難しいですが、分かってきます。これを承知しているので誤解を受ける可能性
を意識していませんでした。むしろ壁そのものを、そのように表現しているのです。
今回のビデオ引用については、37分前後:タイトル「今の政治の○○の壁」に『言葉のシャワー』
について述べておられます。インタビュアーも時に、すぐには呑み込めないような場面も出てきます。
話を戻して、
>文章にして説明する時には、障碍のある方、という意味を含まなければ説明が付かないので
と先のMyコメント冒頭に書きましたが、文字で表現するには難しく、養老先生の世界感が入っていた
かも知れません。これも御著書を理解して頂ければ「分かる人には分かる」引用と御理解頂きたく
よろしくお願い致します。
養老先生の名誉のために補足しました。
ビデオ「老後の壁」はためになる話です。老後に限らず、社会を語っておられるように聞こえます。

ももからももへの返信 at 2016年08月08日 11:08 | 返信

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