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精神医療の歴史

2016年09月01日(木)

ある精神科医がMRICで相模原事件について語かれている。
日本の精神医療の歴史がよく分かる。
また精神科医の葛藤も理解できる。

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相模原の事件について思う
 
この記事はハフィントンポスト日本版より転載です。
http://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/sagamihara-incident_b_11291296.html
 
精神科医 堀有伸
 
2016年9月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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この事件そのものについては、報道されている以上のことを知りませんし、当事者たちについて直接に何も知りませんので、踏み込んだことを書くことはいたしません。
ただ、やはり今回の事件と関連して精神医療や福祉・介護の分野、そして社会のことについて思うところがあり、それをお伝えすることでこの問題について真剣に考えようとされている方々と意見を交わしてみたいという思いがから、この文章を書かせていただきました。
 
日本においては、精神医療が大切に扱われてきたとは言い難い状況が続いています。
そして、そのことは、この分野の重要な問題に対応する社会の能力の育成に好ましくない影響を与えてきました。
 
1964(昭和39)年に、当時19歳だった統合失調症の青年が、駐日アメリカ大使のライシャワーを妄想に基づいて刺傷するという事件が起きました。(ちなみに、ライシャワーはこの時に受けた輸血が原因で肝炎に罹患してしまい、これがまた問題となって日本において売血が行われなくなり、献血によって輸血用の血液が調達される制度が確立されるきっかけとなったそうです)この後、社会的には「危険な障害者を隔離しろ」と主張する風潮が強まったと聞いています。
1965(昭和40)年には、「精神衛生法」の一部改正が行われ、通院医療公費負担制度(精神科の外来患者の自己負担を少なくする)や精神衛生センターの設立と並んで、緊急措置入院の制度が新設される措置入院制度の強化が行われました。
 
1955(昭和30)年から1970(昭和45)年までの間に、日本では私立の精神病院の病床数が、4万4千床から25万床に飛躍的に増大しました。いわゆる、日本における精神病患者の入院による「隔離収容政策」が進行した時期です。
もう一つ、1958(昭和33)年に、厚生事務次官通達としてはじまった精神科特例という制度についても言及しておきたいと思います。これによって精神病院は特殊病院と規定され、一般病院と比べて患者数あたりの医師の数は3分の1、看護婦の数は3分の2でよいとされました。つまり、一般病院では入院患者16名に対して医師が1名配置されていなければならないのに対して、精神病院では入院患者48名に対して医師が1名配置されればよいという制度になりました。
 
ところでこの精神科特例ですが、現在、名目上は廃止されて看護師の設置基準については一般病院に近づいてはいるものの、精神科病院での医師の配置基準は、大学病院等の公的病院ではないので48対1でよいという、そのままです。そして、現在でも措置入院は、このような制度下での精神科病院がその実質を担っています。
(ところで、今回の論旨においては本質的ではありませんが、この間に「看護婦」を「看護師」と呼ぶ、「精神病院」を「精神科病院」と呼ぶようにするという変更が行われました。「精神分裂病」も「統合失調症」になりました)
 
率直に言って、昭和30年代から40年代にかけて行われた精神科の病床増大は、精神障害者が社会で生活することを許さずに施設内で隔離する、それもコストをかけずにその実施を民間に丸投げする。その代わりに細かい管理や指導を行わずに利益を上げることを容認するという方法で行われたと思います。当然このような安易な対処は、その後にさまざまな弊害を生じました。
 
日本における入院中心の精神科医療が、著しい人権侵害の側面を孕んでいるのではないかという批判が内外から高まりました。例えば、1983(昭和58)年には、精神科病院に入院中の患者が食事内容に不満を言ったことに対して、その病院の看護職員によって殴り殺されるという宇都宮病院事件が発生しました。
このような流れに問題意識を持ったさまざまな関係者の長年にわたる努力の上に、精神障害者のノーマライゼーション、社会への参画のあり方が模索され、少しずつですが進展してきました。
 
現在、精神科への長期入院が批判され、精神障害者の社会参画が取り上げられていることはすばらしいことだと思う反面、その美しいスローガンの陰で「医療費を抑制する」という意図の方が着実に進んでいるのではないだろうか、という危惧も感じています。つまり、低コストで精神障害者を「管理する」役割を、精神科病院関係者だけではなく、福祉や介護の関係者にも広げて負担させようとしている面があるかもしれないと感じています。私は、適切な教育・指導を含めたきちんとした待遇が整備されないと、意欲や能力のある関係者が燃え尽きて現場から立ち去ることが続くのではないか、という不安を往々にして感じます。精神的に本当に苦しんでいる人の味方になりながら、社会の不条理との間に立って、粘り強く解決の道を探り続けることは、私には簡単な仕事とも楽な仕事とも思われないからです。入院治療が必要な場面もあります。そして、やる部分はきっちりとやることが必要です。
 
実際に精神科医として働いていると、時として自分が二通りの意図に引き裂かれてしまうように感じます。本人の回復と成長を助けて見守らねばならない立場と、周囲との社会的な葛藤を避けねばならないという、極端に言えば社会保安上の立場の板挟みになるのです。例えば、本人のことだけを考えれば、そこまでの鎮静的な向精神薬の服用は必要がないことは分かっていても、本人の高揚している状態がこれ以上続いた場合に、周囲の関係者がもう持ちこたえられなくなっていることも十分に分かっている。そのような場合に、本人に、それまで以上に鎮静的な向精神薬の処方を行ったという経験のない精神科医は、ほとんどいないだろうと思います。
 
司法と精神医療の分野の連携も、本当に難しいのです。たとえば、精神科病院に入院している患者同士で、窃盗や軽微な暴行等の事件が生じたとして、そこに警察や司法の介入を求めるのが簡単ではない状況もあります。そうすると、何らかの社会的な刑罰を下すことを、精神科病院の関係者が代行してしまうことが起こりえる訳です。本来は治療を目的として行われるべき行動制限や、鎮静的な向精神薬の使用が、この目的のために採用される可能性があります。しかし、ここにはさまざまな問題が含まれていることは、明らかでしょう。「精神科特例」で少ない人員配置でよいとされている精神科病院で、このようなことが行われているのが、日本の精神科医療の実態です。
 
2003(平成15)年には、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(簡単に「医療観察法」と呼ばれることもあります)が公布され、心神喪失または心神耗弱のために重大な他害行為を行ったが不起訴処分もしくは無罪になったものに対して、適切な鑑定の施行や専門家や関係者が関与した処遇の決定・指定医療機関における入院などを含む適切な医療の提供・地域ケアの確保・被害者等への配慮を含んだ制度が実施されています。しかし、全体として提供されているサービスの「量」が少ない印象があり、一般の精神科医療のなかで、この制度が存在感を発揮するようになるのは、これからの課題であると感じています。
 
精神障害をめぐる社会的な事件は、単純な因果関係に還元できないものが多く、大変に難しい問題が複数関係していることが普通です。これにかかわることのできる人材の育成や関係諸機関の連携、また、社会の側の意見や議論の成熟は、長い時間がかかるものだと思います。
今回の相模原の事件についても、簡単にスケープゴートをつくった上で、小手先の制度の改革だけでお茶を濁してその後に忘却されるような対応ではなく、粘り強い社会の成熟につながるような議論が継続されることを期待しています。
 
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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp


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認知症の精神科医療については、同じく精神科医の高木俊介医師が
9月25日(日)の神戸フォーラム2016で過激に講演される。

チラシは → こちら

精神科医のなかにはこのような医師もいることを知って欲しい。
精神科医療は市民との語らいの中で育まれる時代だと思う。

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この記事へのコメント

うちのステーションも…
精神疾患の方への訪問にも行っています

看護師…という職業柄
ついなんとかしたいと思ってしまうスタッフが 案外います

何もできないんだ…というところからスタートしないと 自分が苦しくなります

おうちで…
地域で暮らすことができていることがすごいことなんです

だから
助けて欲しい時に SOSを出してくれる存在でありたい
本当の意味の見守りです

それぞれ 人は違います
個性なんです

生きるってことが素晴らしいと…みんなで感じることが大事です

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2016年09月01日 07:28 | 返信

私の父は来年早々に90歳になる。
4月まで2年余生活していた老健(追加費用払って個室)で、
施設職員に妄想を語るようになり、看護師長の判断で精神科受診を勧められた。

その老健管轄の病院には精神科は無いが、精神科医師が隔週で来診している。
探りを入れると、老健の理事長と精神科病院の院長が昔からのお友達であるとのこと。
まったく知らなかった。患者転がしってヤツ。

ここで精神科受診させると泥沼に引きずり込まれるので、
他の施設をあせって探しまくった。
運よく、我が家の条件に合致したサ高住が見つかった。

そのサ高住に引っ越して4ヶ月が過ぎ、父は元気である。
往診に来てくれる医師は内科医。
精神科受診が必要などとはもちろん言わない。
認知症関連の薬を勧められることもない。

娘の私が、父が7年余り飲み続けていたプロテカジンを中止する提案をしたら、
あっさり、「じゃ、やめてみましょう。」・・・
プロテカジンは逆流性食道炎の薬だが、H2ブロッカーなので、
副作用として妄想が出る、とのこと。
ちなみにタケプロンなどのプロトポンプ阻害薬は認知症状を悪化させる。

老健ではそのような話はできなかった。
なにしろ、医者が施設長で100人からの入所者(入居者ではないのだ。「入所者」なのだ)の責任者なので、雲の上のお方である。

現在、父が服用しているのは、ラシックスとアローゼンを朝だけ、それと、
本人が「けだるい」とか、「おっくうだ」というので、
私がお願いしてビタミン剤を処方してもらっている。

父が元気になったのは、環境が良くなったこと、プロテカジンをやめたこと、ビタミン剤を定期服用し始めたこと、が理由なのかな?

ついこの間、今の施設の職員と話した。
父をあのまま、あの老健に置いておけば、精神科受診を拒むことはできなかっただろう、
精神科を受診して、医師が何らかの精神薬や認知症薬の服用を勧めてきたら、
拒むことはできなかっただろう。
そしてどんどん悪化して数年後には廃人にされたであろう。

・・・あのまま、あの老健に置いておけば、お金の心配はせずに済んだ。
だって、毒薬の底なし沼で、とても5年後は生きてないだろうから。

・・・でも今は、10年後の100歳まで生きるかもしれないから、お金が心配だ。
国民年金なので、今の施設費を払うには毎月10万以上の預金が減っていく。
最終的には家を売り払ってでも払い続ける。

父は、時々わけのわからないことを言うけれど、時々勘違いして怒ってタラタラ文句を並べるけれど、時々夢みたいなそれこそ妄想みたいなことも言うけれど、自分で食べて自分でトイレへ行って住所氏名も書ける。

なんで精神科受診が必要なの?

クスリでヘロヘロにされた家族を、絶対に見たくない。

Posted by 匿名 at 2016年09月02日 12:21 | 返信

おつかれさまです。
きょうも勉強になりました、ありがとうございました。

Posted by 尾崎 友宏 at 2016年09月02日 02:18 | 返信

精神科医療が、
市民との 語らいでなりたつ
時代

との 提案に
なぜか
ぞくって きました。
^o^(^o^)
ひとり ひとり
が、問はれていますか?
医療機関

しっかりして欲しい
って
おもっていた、から
なんか、随分
厳しく
こたえました。

おぎようこ
おこらんど
墨あそび詩あそび土あそび

Posted by おこ at 2016年09月02日 04:19 | 返信

文末「市民との語らいの中で育まれる時代だと思う。」について...。
これは断じて違うでしょう。違うと思います。

Posted by もも at 2016年09月02日 07:36 | 返信

相模原の介護施設の事件で、植松聖被告を措置入院させた精神内科医は、マリアンナ医科大で、資格を不正取得していたことが分かったそうです。
事件と関係あるのか分かりませんけれど。

Posted by 匿名 at 2016年09月02日 08:03 | 返信

本質を知っていると、事の重大さが分かっていると、「言葉にはできない」ということがある。
相模原事件に関しては、報道管制が敷かれているのではないかと思った程、報道されていない。
それは事の重大さ故の、冷静さの沈黙であり、真摯な態度=誠意 だと思います。
"地名プラス事件" と呼称し、それを口に出す、文字にする、ことすら憚られる気持ちが、
少なからずの良心だと思います。
(注: MRIC というサイトの役割をよく知りませんけれど、個人の投稿というよりは、業務の一環
だと思います。なので、この投稿記事と投稿者を非難する意図は全くありません。)
障害に関してもです。市民が語らうための土壤・土俵すら、全くもって無いのが世の中の現状で
しょう。「語らう」なんてこと..感覚としてですが、それは躾と称して山に置き去り、又は
泳ぎの練習と称して海に放り投げる、みたいな印象の如くです。
世の中には、「言われなき偏見」が確かにあるのです。
それは、「お話になりません」という世界だと思います。

Posted by もも at 2016年09月03日 12:11 | 返信

ブログを読んでまず思い出したのは「カッコーの巣の上で」という映画でした。
ロボトミーって本当にあったと知った時は、びっくりしました。
9月25日の高木先生のお話も楽しみです。

Posted by 匿名 at 2016年09月08日 11:44 | 返信

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