このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com

警察はASKAより病んでいる

2016年12月22日(木)

結局、ASKAの再逮捕劇は何だったのか?
現在までの情報であれば、誤認逮捕だったことになるのでは。
あるいは・・・・
2つの応援
クリックお願いします!
   →   人気ブログランキングへ    →   にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ
 
 

科捜研は、間違うことは無いらしい。

では、「誰かがお茶に覚せい剤を入れた」 ことになる。

誰が?

ASKA?

警察?

もし警察であるならば、それは「デッチあげ」と呼ぶ。

もしかしたら、ASKAが闘っているのは村木事件と同じ、「デッチあげ」???

ならば市民は黙っていていいのか。


最近、毎日のように、警察の犯罪が全国各地で繰り広げられている。

1) デッチあげ、つまり冤罪
2) もみ消し

両者は同罪だそうだ。
具体例を挙げてみたい。


1) 村木事件が代表例→こちら
  福島県大野病院事件 →こちら  この文章の最後にMRICも添付する。
  今回のASKA事件もそうなのか

2) 尼崎でも警察と検察が連携して、身内の重大事件を見事にもみ消している。
  最近、千葉大学の暴行した学生の親も警察のエライさんでもみ消そうとした。
  大阪府警は、警察官たちによる女性への集団暴行をもみ消していたし、
  奈良の病院では医療事故を起こした可能性がある医師を警察がリンチ殺人。

  このように、警察と検察の犯罪は、年々枚挙にいとまがなくなっている。

  すべての根源は、
  「警察は最強権力だから、身内の事件は、黙秘してモミ消しても構わない」
  という奢りにあるし、それを取り調べる権力が無いことは国家的欠陥である。


  常に警察と検察がグルになっているのだが、これって完全に
  三権分立を憲法にも違反しているのではないだろうか。


いずれにせよ、警察と検察を取り締まる法律を早期に作らないと
この国は、無茶苦茶なことになる。(もう完全になっているのだが)

国会議員さん、頑張って欲しい。
誰かこれをやって欲しい。

「私は関係無い」と思っている人も自分自身が何らかの犯罪に巻き込まれることがある。
その時にはじめて「ああ、長尾先生が言っていたとおりだ」と悩み苦しむことになるはず。

警察と警察の身うちは、どんな重大犯罪を犯しても必ず免責される国、ニッポン。

人を殺そうが、身内であれば完全黙秘だけで、無罪放免される国に住んでいるのだ。


そうした視点で、ASKAの記事をググって欲しい。
恐ろしい現実に気がつくはずだ。

今こそ、警察は、デッチあげなら「デッチあげました。スミマセン」と謝罪すべきではないか。

今回、冤罪報道に加担したテレビ局やタクシー会社や芸能レポーターも深く反省すべきだ。

少し前に、「ASKAは病気なんだよ」というブログを書いたばかりだが、
今日は、「警察やマスコミ界はもっと深刻な病気なんだよ」と書いておこう。

こうした「真実」に市民が目覚めないと、明日、第2のASKAにされるかも。

ああ、さむー ・・・・


********************************************************************************
書評『なぜ、無実の医師が逮捕されたのか』大野病院事件緊迫の法廷記録
 
FACTA2016年12月号より転載 https://facta.co.jp/article/201612020.html
 
元亀田総合病院副院長 小松秀樹
 
2016年12月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
緊迫の法廷ドキュメンタリーである。扱われているのは、医療界のみならず、司法も揺るがせた歴史的大事件だ。著者の安福謙二弁護士が熱い。
 
2004年12月、福島県立大野病院で赤ちゃんが誕生し、母親がその直後に亡くなった。福島県は遺族に補償するため、調査委員会に過失の「捏造」を求めた。過失なしに、保険から賠償金を支払うことができないからだ。過失を認めた調査委員会報告書がきっかけになって警察が動き始めた。1年2か月後、加藤医師は逮捕された。長期間の勾留と尋問で「落とす」ためだ。カルテも手術記録も警察が押収していた。コピーもない中で弁護団の活動が始まった。著者は弁護団の一人で、後に加藤医師の無罪を立証した。
 
加藤医師はひとりで、年間224件のお産を、365日のオンコールで扱ってきた。癒着胎盤はまれな合併症であり、対応は難しい。大病院でも救命できるとは限らない。「次に逮捕されるのは自分かもしれない」と、全国の医療者が震撼、各地でそれぞれ動き始め、大きなうねりになった。
 
著者が述べているように、法と医療では言語論理体系が異なる。法は違背にあって、自ら学習することなく、過去の規範に基づいて相手に変われと命ずる。医療は違背にあって、自ら学習し、知識・技術を増やして克服しようとする。法は対立を扱えるが、医療は正しさが未来に向かって変化するため、対立を扱えない。法と医療、二つのシステムがまじりあうことはない。
 
当初、クーパーというはさみの使い方が問題になった。法は、準則を設定し、行動がそれに則っているかどうかで正しさを判断する。権威の証言や教科書の記載が、準則の根拠となる。医学では、相当数の症例を、無作為に分けて二つの方法の結果を比較する。正しさが見出されたとしても、条件の限られた狭い正しさでしかない。医学的証明のないものについては、権威ではなく、論理の合理性が正しさの根拠になる。いずれも、他に押し付けられるような猛々しい正しさではない。そもそも、医学の正しさは仮説的であり、暫定的である。正しさは多様であり変化する。ゆえに研究が継続し、進歩がある。
 
生命は有限であり、医療は不確実であり、人間は間違える。理性で感情を制御することが困難である限り、医療をめぐる軋轢は永遠に続く。対立は裁判でしか決着できない。裁判に問題があるとして、医療内部で対立を扱おうとすれば、正しさが過去に固定され、医療は進歩を止める。多様性が奪われ、医療が機能しなくなる。
 
法システムと医療システムの正しさは異なる。この認識が共有されると、歴史が一歩前に進む。
 

2つのランキングに参加しています。両方クリックお願い致します。皆様の応援が日々ブログを書く原動力になっています。

お一人、一日一票有効です。

人気ブログランキングへ ← 応援クリックお願い致します!

(ブログランキング)

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ ← こちらもぜひ応援クリックお願い致します!

(日本ブログ村)

※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

お疲れ様です。
同級生なんですね、是非面会でお会いできたら迷惑でなければ
声をお掛けしても大丈夫でしょうか、色々お話ししたいものです
楽しみしてます。

Posted by ASKA面会にて at 2022年02月07日 03:11 | 返信

コメントする

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com


過去の日記一覧

ひとりも、死なせへん

安楽死特区

糖尿病と膵臓がん

病気の9割は歩くだけで治るPART2

男の孤独死

痛い在宅医

歩き方で人生が変わる

薬のやめどき

痛くない死に方

医者通いせずに90歳まで元気で生きる人の7つの習慣

認知症は歩くだけで良くなる

がんは人生を二度生きられる

親の老いを受け入れる

認知症の薬をやめると認知症がよくなる人がいるって本当ですか?

病気の9割は歩くだけで治る!

その医者のかかり方は損です

長尾先生、近藤誠理論のどこが間違っているのですか

家族よ、ボケと闘うな!

ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!

抗がん剤 10の「やめどき」

「平穏死」10の条件

胃ろうという選択、しない選択

  • にほんブログ村 病気ブログ 医療・医者へ