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エンドオオブライフ・ケアとは

2017年01月20日(金)

そもそも、エンドオブライフケアとはなに?
学生に説明する時に、意外に難しいことに気がつく。
エンドオブライフ・ケア協会として、どう定義するのか。
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小澤竹俊先生とは、大学時代からのご縁である。

私は東京医大の無医地区研究会(社会医学研究会)
小澤先生は、慈恵医大の無医地区研究会に所属していた。

長尾は長野県下伊那郡浪合村を
小澤先生は福島県飯館村をフィールドに無医地区活動をしていた。

私が大学5年生の時、東京医大のキャプテンをしていたが、
小澤先生は大学1年生で、同じく無医地区活動をしていた。

都内の6つの大学の無医地区活動をやっている医学生たちが集まり、
「地域公衆衛生活動連絡協議会」(略称、地公連)を年2回やっていた。

その時から小澤先生は私のことを知っていたという。(目立っていたのかな?)
私は、学生時代のことは忘れてしまった。

あれから、35年・・・

今、一緒に活動している。
ご縁とは不思議なものだ。

小澤先生と小野沢先生と私で、「エンドオブライフ・ケア協会」をやっている。
小澤先生は、「人生の意味が見るかるノート」という新刊を本日、出版する。

私は、「薬のやめどき」と「痛くない死に方」を2冊同時出版して
世間をお騒がせしている。

私自身、今、エンドオブライフかどうかは分からないがその手前あたりか。
何となく、自分のスピリチュアルペインの解決法を探し求めて生きている。

誰かに「あなたはこれでいい」と言ってもらいたくて、右往左往している。
ちなみに明日は山口県下関市で緩和ケアの講演をする。 →こちら

以下は、小澤竹俊先生が書かれた解説の一部。

エンドオブライフ・ケアとはなんだ???

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

1 エンドオブライフ・ケアの言葉の定義について

以下の文章は、緩和医療学会が編集している緩和医療学という教科書に緩和ケアの歴史と展望
という項目より、エンドオブライフ・ケアの項目から引用します。
 
現在、国際的には定まった定義はなく、歴史的、社会的、政策的な文脈の下で様々に使い分けられている。


1)カナダでの定義

2000年にカナダで公表された「高齢者のためのエンドオブライフ・ケアに関するガイド」(以下ガイド)が、その定義と内容を最初に体系的に示した。ガイドで示す定義は以下の通りである。

「エンドオブライフ・ケアは、人生の晩年を生きる高齢者に対する積極的で共感的なアプローチである。エンドオブライフ・ケアは、進行性あるいは慢性の生命を脅かされる病気とともに生きる高齢者に治療や慰め、支援を提供する。また、エンドオブライフ・ケアは、個人的、文化的、そしてスピリチュアルな信念や習慣に配慮する。さらに、死別後の期間を含めて、家族や友人に対する支援も包含する」

 ガイドでは、エンドオブライフ・ケア、緩和ケア、高齢者ケアには共通する土台があるとしている。それは、この3種類のケアはいずれも高齢者に対する最善のケアを提供することを目指している。高齢者ケアは、老化しつつある全ての年齢層を対象としているが、特に人生の終わりに焦点をしぼっているわけではない。一方、緩和ケアは、カナダでは、対象疾患としては悪性腫瘍が大部分を占めており、アルツハイマー病などの認知症や慢性呼吸不全慢性呼吸不全、慢性心不全といった生命を脅かす慢性疾患を持つ高齢者を完全にカバーしているわけではない。したがってエンドオブライフ・ケアは、様々な慢性疾患を持つ高齢者に対して、緩和ケアと高齢者ケアが連携をとって高齢者のニーズにあった幅広いケアを受けるられることを可能にする。

 
2)英国での定義
 
 一方、英国ではこのようなカナダで用いられている定義とは別に、次のような定義をしている。
「エンドオブライフ・ケアは人々の『人生の終わり』に関する支えや助けのあらゆる要素を指す。さらに、緩和ケアの専門家によって熟練し集中したケア支援が提供され、人生のこの時期に適応するために様々な関心事や見通しがもたらすニーズに応じてあらゆる重要な支えや助けも提供される。それらは痛みをはじめとしたあらゆる症状の緩和、全人的(サイコ・ソーシャル・スピリチュアル)な苦痛に対する実際的な支援も包含する」

 この定義は2004年からはじまった英国保険省による「全国エンドオブライフ・ケア戦略およびプログラム」で用いられ、その後概念が統一されて2008年に公表された。ここでいう「人生の終わり」とは、死亡までおよそ「日から時間の単位」(1週間程度)と理解されている。この違いは歴史的な文脈の違いというよりも、社会的あるいは政策的な文脈の違いと捉えた方がよい。なぜならば、英国におけるエンドオブライフ・ケアの定義はリバプールケア・パスウェイの適用時期を意識して作られたとされている。

3)アジア・オンコロジーサミット
 
 アジア・オンコロジーサミットで作成された合意文章によれば、「エンドオブライフ・ケアという用語は、一般に患者の人生の終わりの週単位、日から時間単位の時期のケアを表しており、いくつかの国では緩和ケアの同義の言葉ともされている」と用語を定義している。

 
4)日本で精力的に取り組んできた千葉大学看護のエンド・オブ・ライフケア看護学の定義

 「診断名、健康状態、年齢に関わらず、差し迫った死、あるいはいつかは来る死について考える人が、生が終わる時まで最善の生を生きることができるように支援すること」

地域社会でエンド・オブ・ラフケアを推進していくためには、病気としてではなく、自分の生の一部としてエンド・オブ・ライフについて考え、周囲の人、大切な人と語り合う文化を創り出すことが重要である。ゆえにエンド・オブ・ライフは単に終末期ケアや緩和ケアの代替え語ではない。老いや病いを抱えながら地域社会で生活し続ける人々の暮らし方、家族との関係性や生や死に関する価値観、社会規範や文化とも関連した、新たな生き方の探求であり、新たな医療提供の在り方の創造ともいえる
http://www.n.chiba-u.jp/eolc/opinion/index.html


2.エンドオブライフ・ケア協会としての定義
 
エンドオブライフ・ケア=人生の最期だけのケアではないので、千葉大の定義や解説が参考になる。
 
「エンドオブライフ・ケアは、人生の最終段階を迎えた人への援助を行うための全人的なケア。エンドオブライフ・ケアは、症状緩和や意思決定支援だけではなく、苦しくて自分を好きになれない人、迷惑をかけるならば早く逝きたいと思う人が、自分ののことを“これでよい”と認めるための援助を含む。」(小澤先生)
 


 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@

エンドオブライフ・ケア協会の今年の講座は →こちら
小澤先生が全国行脚を続けられる。

エンドオブライフ・ケア協会設立2周年記念イベントが、
4月22日(土)の午後、都内で開催される(予定)。

詳細は追ってお知らせしますが、
その日は是非とも空けておいてほしい。


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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

> 2.エンドオブライフ・ケア協会としての定義
>自分ののことを“これでよい”と認めるための援助を含む。
人は生涯、このような「これでよい」を人に認めて欲しくて、何かに依存したり
人を好きになったり、迷ったりして彷徨うのでしょう、と我を振り返りました。
エンドオブライフは、日々生きること(日常の連続)の延長線上に。

Posted by もも at 2017年01月20日 11:17 | 返信

私はエンドオブライフケアの講演会を拝見したことが一度だけあります。
その時、小澤先生が近くまで来てくださいました。
私は、小澤先生のメガネの奥のパッチリとした純粋な瞳がとても印象的で、
「お医者様というより、牧師さんか神父さんをほうふつとさせる方だな」
と思いました。
素の講演会で、小澤先生の「趣味」をお聞きし、
「この世とあの世の橋渡しをしっかりとした信念を持って行っていらっしゃる」
ということを強く感じました。

翻って、長尾先生は、
「この世の酸いも甘いもかみ分けた修行僧、
俗っぽいことから宗教までを包括した人物
=弘法大師空海」
と、常に思っています。
私もそろそろエンドオブライフケア協会に入ろうかな。。。

Posted by 匿名希望 at 2017年01月21日 01:07 | 返信

長尾先生、いつもいつもありがとうございます。東京医大社医研での長尾先生の存在は目立っていました。ちなみに、慈恵医大は疫学研究会という名前で福島県飯舘村に入っていました。今でも疫学研究会は、慈恵医大に残っており、活動を続けております。私たちは、学生時代から、問題意識を持って活動していたのですね。そして、こうしてつながって活動できることを心から光栄に思っております。エンドオブライフ・ケア協会2周年記念のシンポジウムでは、大いに夢を語りたいと思います。よろしくお願いします。

Posted by 小澤竹俊 at 2017年01月21日 02:07 | 返信

こんばんは。
私も一度だけ小澤先生の講演会を聞かせて
頂いた事がありますが大変わかりやすくて
上の方も書かれていますが医療従事者と言うよりも
聖職者の様な雰囲気をお持ちだなぁと言う印象を
持った記憶があります。(お知り合いの神父様に
雰囲気がそっくりです。)
小澤クリニックのゆるキャラのうさぎちゃん、
かわいいですね。
長尾クリニックは長尾先生がゆるキャラなので
ゆるキャラ必要ないですね。

Posted by 匿名 at 2017年01月21日 07:38 | 返信


すみません。小澤先生の病院、めぐみ在宅クリニックでした

Posted by 匿名 at 2017年01月21日 08:13 | 返信

わたし…思うんです

いろんなご縁が 人生を変えると…
長尾先生の「平穏死」の本からこのブログを知り、まるちゃんに逢いに行き、つどい場さくらちゃんに
長尾先生がやってきて…ビックリ仰天、何が起きてるのかわからなくて、舞い上がっていました
そして
ここで エンドオブライフケア協会のことを知って
小澤先生に出逢い 「解決しなくていいんだよ…苦しみをキャッチすること…関わり続けること…」と学びました
エンドオブライフケアで学びは 私の人生を大きく変えたと言っても過言ではありません

4月22日…ビックイベントを目指して
がんばっていきます

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2017年01月22日 12:46 | 返信


夜分遅くにすみません。
上のゆるキャラコメントした者です。
先生の事、冗談とは言えゆるキャラと書いて
ごめんなさい。
ゆるキャラみたいに患者さんや家族、スタッフさんみんなに
愛されているという意味です。
傷ついていたらごめんなさい。
このコメントはアップしなくていいです。
本当にごめんなさい。
ガラスの50代の長尾先生へ。

Posted by 匿名 at 2017年01月22日 01:54 | 返信

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