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救急車を呼ぶということ

2017年04月24日(月)

月刊「公論」5月号の連載は「救急車を呼ぶということ」で書いた。→こちら
その意味をよく知ってから119番すべきだ。
「在宅医療と救急医療と警察の連携を考える会(仮称)」が発足する。
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公論5月号   在宅・救急・警察の連携
        救急車を呼ぶということ   長尾和宏

 
大往生のはずが警察沙汰に
 
 先日、ちょっとした“事件”があった。在宅で診ていた90歳台の老衰の患者さんの呼吸状態がおかしいとの電話をご家族から受けたのは21時。ちょうど医師会の会議が終わるところだった。いつものように「じゃあ今から行くから30分ほど待っていてね」と返答し、車で向かう途中に再び電話が鳴った。「近くの親戚が来て心配して救急車を呼び、今は病院へ向かう車内にいる」とのことだった。「ええ?救急車?」と嫌な予感がした。果たして救急車の中で呼吸が停止したため救命救急士による蘇生処置が行われ、病院の救急医に引き継がれたという。しかし残念ながら蘇生処置に反応せず死亡が確認された。いわゆる「死亡到着」ケースであり、結果的に「看取り搬送」となってしまったのだ。さて“事件”はそこからである。

 病院の医師と救急隊は看取り搬送になったので次に警察に連絡をした、という。すぐに警察官が病院に数人やってきて家族への事情聴取にひき続き自宅での“現場検証”が終わったのは深夜3時前であった。夫の死亡と警察沙汰になったダブルショックで、夫と同じ90歳代の奥さんは気絶したという。私にも午前3時に病院の医師から電話連絡が入った。なんと「私はこの患者さんを24時間以内に診ていないので死亡診断書を書けない。かかりつけ医の長尾先生には病院の霊安室に往診して死体検案書を書いて欲しい」とのことだった。「霊安室に往診?貴方が書くものですよ」。そう何度も確認したは「書けない」の一点ばりだった。

 病院の救急医の判断はいくつかの点で間違っている。そもそもその病院にはその患者さんのカルテがあり臨床経過もちゃんと記録されている。たとえ到着時に息絶えていても死亡診断書を書くことができる。いや、医師法上その医師は書かないといけないのだ。霊安室往診を言い張る救急医に「では長尾の言っていることが正しいかどうか上司に聞いて」と言った。すると「上司も同意見である」と返ってきた。そしてその上司も同意見であった。実は最近同様のことが何度か起きて、その度に困っている。

 
医者も知らない看取りの法律

 医師法20条によりると医師が自然な死であることを確認すれば死亡診断書を書ける。在宅看取りの現場では看取りに立ち会うことは稀で大半は呼吸停止後に診て書いている。家に行って診れば死亡診断書を書けるのが医師法20条だ。何を診るのか。ひとつは死亡確認で、もうひとつは体表異状の有無の観察である。体表面に刺し傷や縛り傷等があり自然死ではなく殺人などの事件が疑われる異状死体の場合には医師は24時間以内に警察に連絡しなければならない。医師法21条にはそう謳われている。その病院の若い医師は、「24時間以内に診ていないので死亡診断書を書けない」と私に霊安室往診を依頼してきたが、その理屈なら私とて書けないはずである。実は医師であれば看取りの法律くらい知っているだろう、と誰でも思うだろう。しかし多くの医師が正しく理解していない。本例のように医師法20条と21条の混同に起因した警察通報と事情聴取や現場検証が日本中で行われている。救急医も警察もそして救急隊も、看取りの法律である医師法20条を正しく理解していない。医学教育や救命士教育や警察教育の中でも看取りの法律を詳しくは教えていない。「死」をタブー視してきた結果、本人や家族にとって一番大切な最期の時間が一瞬にして「事件」へと変わる。実際、在宅医、救急、警察の横の連携はほとんど無い。救急隊は病院の方しか見ていない。三者の連携が無いまま在宅医療や地域包括ケアが推進されている。

 多くの在宅医療は私のような開業医が担っていてほとんどが民間人である。一方、救急や警察は公務員である。官と民が自由に意見交換することは意外にハードルが高い。しかし2040年をピークとする多死社会に向けてもはやそんなことは言っていられず医師会が主導すべきだ。本来、救急車は救命すべき人を乗せて運ぶ大切な公共財である。しかし一部の地域では看取りの遺体を乗せて走っている。あるいは急変時に連絡をしても往診を拒否し救急車と病院に丸投げするという在宅医もいる。さらにタクシー代わりに救急車を使う人もいるのが現実である。救急車の使い方をみんなで考え直す時である。

 
救急車を呼ぶということ
 
 拙書「平穏死・10の条件」のひとつに「救急車を呼ぶ意味をよく考えよう」を挙げた。看取り寸前の在宅患者さんが遠くの長男が救急車を呼び、よくこう言う。「心臓マッサージや人工呼吸はお断りだ。しかしできることはすべてやって欲しい」。気持ちは分からないでもないが意味不明だ。救急車を呼ぶという行為はもし息絶えそうであれば、心臓マッサージや気管内挿管に引き続いた人工呼吸管理などフルコースの蘇生処置をやってくれ、という意思表示にほかならない。本来、看取りと決めたら連絡すべきは救急車ではなく“かかりつけ医”である。しかし医者も人間なのですぐに電話に出られない時もある。その時は「待つ」という言葉を思い出して欲しい、と啓発している。
「救急車を呼ぶな」と申し上げているのではない。「呼ぶ意味を考えてから呼ぶ。そして最悪「警察沙汰」になることも承知した上で呼んで欲しい。在宅看取りと決めたらイザという時には「待った」方がよい場合が圧倒的に多い。

 しかし最近は看取り訴訟を恐れる介護施設が、株式会社の本部からの指令で看取り搬送を指示されるケースが増えている。看取りトラブルを恐れているのだ。看取りを邪魔もの扱いし病院という場に余命いくばくもない人を管理者の判断で移すという行為は、国が謳う「地域での看取り」に完全に逆行している。以上のような経緯があり7月22日に「在宅・救急・警察の連携研究会(仮称)」を都内で発足する予定である。
 

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

救急車を呼ぶということ ・・・・・ を読んで

救急車を呼ぶことが、あらゆる延命措置を
して蘇生処置をやって欲しいという意思表
示に他ならない! という説明は理屈とし
ては分かるのですが ・・・・・・、眼の前で起
こっている現象が死へのプロセスの開始な
のか? それとも、一山越えればその後ま
だまだ人生が続いて行くのか? 素人に即
時に判断しなさい! と言われても ・・・・・・

専門家である医師が、死亡診断書を書ける
のに逡巡すること。 福祉施設が看取りを
怖がること。・・・・・・ これが実態であるのに、
そのような経験が少ない一般市民に、自分
の言葉に責任を持ちなさい! すべて真剣、
常に “ファイナルアンサー” ですよ! と言
うのはちょっと酷ではないでしょうか?

専門家〔プロ〕の世界では、“待った!:
前言の取り消し” は、許されない〔即反則
負け〕なのかも知れませんが、私たち素人
〔アマチュア〕には、 “待った!:前言の
取り消し” を許容して欲しいと思います。

長尾先生、「在宅医療と救急医療と警察の
連携を考える会(仮称)」の中で、「素人
〔アマチュア〕の人たちには、“待った!”
を許容しても 」・・・・・ についても議論
して戴ければありがたいと思っています。

素人の “待った!:前言の取り消し!” は
絶対に許されないことなのでしょうか ???

Posted by 小林 文夫 at 2017年04月25日 06:25 | 返信

長尾先生、初めてコメントさせていただきます。
北の大地より、何年も前から長尾先生のブログにてお勉強させていただき
最期には手を繋いでお看取りをさせていただき
最期は枯れるように穏やかに、、、と
先生の発信する全て(、、、とまでは言えないかもしれませんが)
を、平穏死〜の本を従業員の教科書に
実践、体験しております
小規模多機能のケアマネをしています。

去年だったでしょうか。
施設内での急変にて死亡が確認された場合
警察が来るというのは今までの事ではありますが
それを【事故報告】として
市に報告しなさい
という事になりました。

急変といえど、亡くなる数時間前まで
おやつのケーキを食べ
最終的に【あっぱれ】な人生だったね
と、家族も含め誰もが思ったのに
穏やかな人の死がなぜ【事故】なのですか?
と市に聞いてみたところ
事故報告をあまりネガティブにとらえずに
報告してくれればそれでいい
というような趣旨の答えでした。

嘱託医もいないので
救急搬送する際は
『痛い思いさせてごめんね』という思いです。
救急車を呼ぶということはそう言いう事。
重々承知しております。
どうやったら痛い思いをさせず
穏やかな最期を迎えられるか
現場と法の間で日々葛藤です。

色々なご意見があると思います。
そして、先生も施設に対し色々な思いを抱いている事も
ブログを長年拝読しておりますので
それも知っています(笑)
ですが遠い北の大地にも、先生の教えを念頭に
実践している事業所がある事
そんな職員がいる事も
知っていただきたいと思います。
ありがとうございます。

Posted by sakura at 2017年04月26日 06:21 | 返信

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