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アルツハイマー国際会議・参加記
2017年05月26日(金)
日本医事新報6月号の連載は先日京都で開催された国際アルツハイマー
協会の世界会議に参加して、感じたことをそのまま書かせて頂いた。→こちら
今は、認知症当事者の言葉に耳を傾けることを啓発する段階である。
協会の世界会議に参加して、感じたことをそのまま書かせて頂いた。→こちら
今は、認知症当事者の言葉に耳を傾けることを啓発する段階である。
日本医事新報5月号 アルツハイマー国際会議・参加記 長尾和宏
13年ぶりの日本開催
認知症の人と家族、そして研究者らが集う第32回国際アルツハイマー病協会国際会議が4月26~29日京都国際会議場で開催された。日本での開催は実に13年ぶり2度目とのこと。「認知症にやさしい地域社会」や「認知症と災害」などがスローガンとして掲げられ、6の全体会と25の分科会と5つのワークショップなど充実したプログラムであった。世界各国の認知症施策や認知症ケアに関する研究成果が講演やポスター展示され当事者や家族や介護者、そして医療介護福祉関係者が一同に会した。各会場には同時通訳機が用意されていたので言葉の壁は全く感じないよう十分配慮されていた。春の京都での国際会議らしく着物を着た当事者たちが印象的だった。各会場は笑顔に溢れどこか同窓会のような穏やかな雰囲気であった。私もついつい調子にのっていろんな人と話しこんだ。
この10年ほどで認知症の人を取り巻く環境は劇的に変化し世界各地でたくさんの先進的な取り組みが同時進行している。たとえばイギリスやベルギーでは公共交通機関の乗り場や公衆トイレなどが色分けされて認知症の人にも使いやすくするなどの工夫がなされている。一方、日本でも徘徊模擬訓練など認知症の人を閉じ込めないための活動が各自治体主導で広がっている。しかし、いまだに認知症は隠すべき病気であるという偏見が根強い。世界と比較すると日本の認知症の啓発はかなり遅れていると感じた。
災害への備えは大丈夫か
「認知症と災害」のセッションでは東日本大震災や熊本地震の時に認知症の人がどんな状況におかれたのか報告された。避難所での大声や徘徊や種々のトラブルのため家族と車中泊を余儀なくされたケースが目立った。認知症の人は環境の変化に敏感なので避難所生活では状態が悪化しやすい。認知症介護研究・研修仙台センター(仙台市)の調査では認知症の人が避難所で生活できるのは「3日が限界」だという。そのため一部の自治体では「個室や間仕切りによるスペースの確保」や「福祉避難所」の整備が検討されている。東日本大震災後は避難訓練時に施設入居者らの避難も含めて行われるようになったという。平時から施設間の協力関係の構築も大切な備えである。
筆者は震災後のGWに気仙沼市の大島を訪れた。大島にも在宅療養している認知症の人が数人おられた。島にたった一人の訪問看護師に同行させて頂き家々を訪問したが、やはり「認知症の人の避難所生活は困難」という声を聞いた。車中泊も目の当たりにした。そうした様子は記録映画「無情粗描」や拙書「共震ドクター 阪神そして東北」などにより早々に発信したが、その後のことが気になっていた。果たして熊本地震後に認知症の人が置かれた状況を知り、平時から災害に備えることの難しさを感じた。しかしまた災害はやってくるだろう。今後の防災訓練や防災計画に必ず認知症の人の視点を織り込んでおく必要性を強く感じた。
日本認知症ワーキンググループ
一番のお目当てである日本認知症ワーキンググループによるワークショップに向かった。しかし早々に満席で立ち見でごった返す中を必死で潜りこんで聴くことができた。5人の登壇者と司会者の全員が認知症の当事者という私にとっては前代未聞のシンポジウムだった。司会を務めた丹野智文氏(43歳)は39歳で若年性認知症と診断された。当初は不安と恐怖で泣いてばかりいたという。しかし前向きになれたのは診断を受けても前向きに生きている仲間たちと出会えたからだと述べた。認知症になると何もできなくなるという思い込みがあった。実際丹野氏はバスや地下鉄で振り返って通勤しているが、途中で自分がどこにいるかわからなくなることがある。定期券に「若年性認知症、本人です」と書いたカードを入れて見せるとみんな優しく降りる駅を教えてくれるという。中学・高校時代の部活の OB 会に参加した時に認知症をカミングアウトすると、先輩たちは「大丈夫、お前が忘れても俺たちが覚えているから」と言ってくれたという。丹野氏は自分が認知症であることを伝え「もし僕が困っていたら助けてね」と言える社会こそが認知症にやさしい社会であると述べた。2015年には地元仙台で認知症の当事者が当事者の話を聞く場であるオレンジドアを開設した。その経験から本人が十分に伝えられないときは家族や介護者が手伝うこともあるが、その人たちがいなくても本人と2人きりになると時間がかかるが充分伝えることができるという。「だから失敗しても怒らないで」という言葉が胸に響いた。
日本では介護保険があるので本人ができることまで介護者がやってしまう場合がある。しかし「何でもやってあげる」ではなく、本人ができないことだけを手伝ってあげればいいのだ。丹野氏は介護者や支援者のことを「サポーター」ではなく「パートナー」と呼んでいた。時には認知症当事者がパートナーを助けることもあると言い会場の笑いを誘った。要はお互い様の関係性が大切なのだ。こうした当事者に声を直接聴いて、懇親会で話すことができたことは大きな収穫であった。
新オレンジプランへの疑問
政府は2015年1月に公表した新オレンジプランの柱の一つに、認知症の人をサポートする人材の養成を掲げている。認知症サポーターは600万人から800万人に、サポート医を4000人から5000人に増員し認知症になっても住み慣れた地域で暮らせる社会の実現を目指している。すなわち脱病院、脱精神病院であるが、現実はどうだろうか。目標の増員は目立つものの一方、社会全体の認知症への偏見はまだ大きいと感じる。医療・介護者の間にも相当な誤解や偏見が根強く残っている。疾患概念の同定や早期診断まではいいとしても、早期投薬により抗認知症薬の副作用に悩まされている人は今でも多い。「抗認知症薬の増量規定撤廃」の周知は不十分なままだ。抗認知症薬がその人にあう適量を処方されなければ、抗精神病薬が安易に処方されることになる。皮肉なことに新オレンジプランが住み慣れた家で生活できなくなる人を生み出しているという現実を直視しないといけない。
欧米では一足早く脱・精神病院を実現し入院している認知症高齢者は1%以下である。入院者が7万人以上いる日本とは大きな差がある。英国では保健省の中に「認知症局」を設けて認知症とともに良い人生を送れることを政府が保障している。一方、日本の認知症施策は縦割りで医療と介護の連携が思うように進んでいない。世界一の長寿国である日本は当然認知症の割合も高いので「認知症局」のような独立した部署を新設し、認知症施策に本腰を入れないと国がもたないのではないかと感じた。
そのためには当事者の生の声を聴くことがまずなにより大切だ。それが社会を充分変えうると感じた。46歳で認知症と診断され認知症とともに22年間生きておられるオーストラリアのクリステーン・ブライデンさん(68歳)もワークショップに参加した。彼女が発した「私たち抜きで決めないで」、「認知症は数ある病気のひとつにすぎない」、「個性に応じた支援を」などの言葉をしっかり噛みしめて認知症の在宅療養支援に励みたい。そして認知症ワーキンググループの今後の活躍に大いに期待したい。この国際会議は世界各国を回るので次回は2030年になる予定だという。しかし日本はとても13年も待っておられない。できれば今回のような認知症の当事者と関係者が同じテーブルで意見交換できる次の機会にはより多くの医師が参加するだろう。日本医師会は「かかりつけ医」の推進のためにも今回のような催しを強力にバックアップして欲しい。
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この記事へのコメント
「欧米では一足早く脱・精神病院を実現し入院している認知症高齢者は1%以下である。入院者が7万人以上いる日本とは大きな差がある。」
精神医療の改善と認知症問題は密接に関連している。
日本の精神医療の改善は遅々として進まない。
最近になって、精神病院に長期入院させることはできなくなった。だから、今まで、薬漬け長期入院で稼いできた精神病院はどうやって経営を維持していくか悩んでいる。
そのターゲットが認知症患者なのだ。精神病患者の代わりに認知症患者で入院ベッドを満杯にしたいのが精神病院の思惑。ちょうどクスリも似たようなモノを使えるし。
ずっと不思議なのですが、日本の精神医療の黒幕って、何なの? 誰なの? どういう組織なの? 日本の精神医療って、かなり相当めちゃくちゃなやり方で一般市民を人間破壊してきているのに、なおかつ存続し続けている。不思議でしょうがない。
長尾まぐまぐの有料読者になれば、長尾先生、教えてもらえますか? 黒幕について。
Posted by 匿名 at 2017年05月26日 02:00 | 返信
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