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72年後の今だからこそ、あの戦争を何度も振り返ろう
2017年08月13日(日)
みなさまは、お盆をどこでどのように過ごされていますか?
私はできるだけ72年前の戦争を振り返るテレビを観ています。
72年後の今だからこそ、あの戦争を何度も振り返りたい。
私はできるだけ72年前の戦争を振り返るテレビを観ています。
72年後の今だからこそ、あの戦争を何度も振り返りたい。
お盆と敗戦記念日が重なっているのは偶然なのか。
昨日は、熊本の地下基地を星さんが報道していた。
そこを爆撃された時に、子供たちが犠牲になった。
今日は、池上さんが知覧を訪れてレポートしている。
その近くの万世飛行場の映像には、心がとても痛む。
フィリピン特攻
台湾特攻
神風特攻・・・
知っているつもりで知らないことばかりの特攻隊のこと。
17歳の少年の突撃2時間前の笑顔は何度観ても涙が出る。
4年前に鹿屋基地に行った時も、涙が止まらなかった。
あの時の衝撃が、昨日も今日も蘇る。
72年も経ってから、やっと想いを語りだした高齢者も多い。
この辛い記憶だけは、後世に伝えないといけないと思うのだ。
今、大切な時だ。
折しも、欧州の各国から北朝鮮とアメリカに「冷静になれ」というメッセージ
が鳴り響いているが当然のことだが、さすがヨーロッパ、なんて感心していた。
日本は、誤った法改正をして、完全に間違った方向に向いている。
それは72年前の重みより自分の勝手なイメージを優先させるリーダーの責任。
それを思いとどませることができるのは、国民だけだ。
国民の声は選挙以外でも世論調査という形で必ず届く。
どんなことがあっても、何十、何百万人の人殺しは止めないといけない。
最大の予防医療は戦争をしないように粘り強く、教訓を噛みしめること。
だから72年前のことを、この時期に繰り返すことは大きな意味がある。
なぜなら戦争の記憶が無い世代が大半になってくるから。
72年前に戦争に負けたことを知らない若者のためにも、
長く生きている人は若い世代に辛い記憶を語り継ぎたい。
PS)
僅か72年前の出来事。
長い歴史の中では、ついこの間のこと。
今宵、家族を守るために散った勇敢な英雄たちを何度でも放映してほしい。
72年前の彼らの勇気を、今こそ活かす時だ。
鎮魂とともに、活かす。
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この記事へのコメント
私の父は72年前の1945年、原爆を落とされた広島に18歳で衛生兵として入っている。
1927年昭和2年生まれなので徴兵ではなく志願兵だった。
祖母は、どんどん悪化していく戦局をにらんで、未成年にも赤紙がくるだろう、徴兵されてただひたすら死ぬるために南方に送られるよりは、赤チン兵として志願したほうが生きて帰れるのではないか、と考えたそうだ。
そのとおり、一人息子の父は五体満足で生きて帰った。
父は、多感な年ごろの16歳から大人の中で傷病兵の看護をした。
兵隊さんの深く傷ついた手足は切り取るしかなく、それらを処分場へ運んだそうだ。身体から切り離された手や足はとても重いのだ、と。
そういった人生を歩いてきた90歳は、戦後生まれの私達とは、はっきり、異なる人種だと思う。良くも悪くも、異なる。それでよいではないか。価値観が異なるのだ。
そういう世代の老人が、理解力が無いとか物忘れが激しいとか妄想を信じて妄言を吐く、と。
それは認知症だからクスリを飲ませて「認知症という病気」の進行を遅らせる???
それが正しい医療なのだろうか?
自傷他害が無い限りクスリは不要であり、自傷他害に至ることが無いように生活環境を整えれば良いのだ。
戦中派はしぶとい。
食べ物が無く苦労したから、食べ物があって食べることができる、ことの「有難さ」を、よく知っている。
「食べれるうちは生きる」
抗認知症薬や向精神薬は、嚥下機能を確実に衰えさせる有害無益なクスリです。
戦争を知っている超高齢者をクスリで殺してまた戦争したいのですか?
Posted by 匿名 at 2017年08月13日 11:48 | 返信
の月といえば、敗戦後の炎天下、母親が乗ったリヤカーを兄弟で押しながら、
山の焼き場まで登って行ったことを想い出す。
元スチュワーデス・青山透子が書いた、『日航123便墜落の新事実』という本が、
すぐ重版されたという。「事故」ではなく、「事件」だという。
そうだとしたら、日本の隠ぺい体質は,明治以来150年、まったく変わらない。
池上彰番組『特攻とは何だったのか』のなかでの、八千草薫の発言。
「女だったから死ななくてよかったと思っていたが、
今なら、命がけで戦争を止めなくては。」
若き特攻隊員たちは、「勇敢な英雄」として、
戦後も賞賛されることを望んでいただろうか。
かれらは、「国体」護持のための、無辜の犠牲者たちだった。
爆弾をくくりつけられ、自爆攻撃の道具とされた近年の少女たちのように。
番組では、特攻や沖縄戦が、昭和天皇容認のもとでなされたことも、明らかにされた。
元宮司(禰宜?)が『靖国がなくなる日』という本を出したという。
「靖国には行かない」と妹に告げて、飛び立った特攻学徒。
今、どこで、どうしているか。
トランプに全権委任している、われらが首領様。
その首領様に全権委任している、われら。
どこかの国、どこかの民と、どうちがうのか。
Posted by 鍵山いさお at 2017年08月14日 03:55 | 返信
戦争への道は、一致団結。
みんな一緒。
みんなそうしている。
みんな同じよ。あなただけ文句言っているのよ。みんな同じように感じていて同じように苦しいのよ、でも、文句言わずに一生懸命、言われたとおりにやっているのよ。わがまま言わないであなたもみんなと一緒にやりなさい、言われたとおりにやってればいいのよ、余計なこと、言わない、見ない、考えない・・・
戦争への道は思想統制・言論統制から始まる。すでに、もう。
Posted by 匿名 at 2017年08月15日 01:17 | 返信
「sync」を説かれるきみ、匿名さま
このところの、連夜、
加賀美幸子、伊東敏恵、山根基世らのナレーションを聴きながら、
第一級資料に基づく「戦慄の記録」に観入る。
今夜は、兵站なき(現地調達)「インパール作戦」。
3万人が飢えと赤痢で死んでいった白骨街道。
ビルマ辺境民族の村人は、今も日本兵の幽霊が現われるという。
なにせ、日本兵同士があいたたかい、肉を食らう壮絶な地獄となった。
「皇軍」かく戦えり。
「#シロチニ アカク、・・・♫」と、村の古老が、うたう。
「余計なこと、言わない、聞かない、考えない」きみ、
匿名さまの 言やよし。
Posted by 鍵山いさお at 2017年08月15日 08:49 | 返信
インパール作戦の首謀者牟田口少佐は、「昭和天皇陛下の誕生日に合わせて総攻撃を仕掛け、我が日本兵を、全滅に導いた」と、数年前のNHKで放映していました。
その牟田口少佐は戦後もノウノウと生きていたのです。
特攻隊の生みの親である源田実氏も戦後は政治家になって、ノウノウと生きていました。
NHKの「海軍反省会」に詳しく載っています。民主党政権下でしたのでNHKもおもしろかったです。
左翼活動家の中にもいます。現場の労働者に「機関紙拡大せよ。」と命令しておいて、自分はどこかの会社の会計事務をして平凡に生きている。
気が付いたらいつの間にか他の都市に逃げて、何の責任も取らない。
借りてた賃貸アパートだけが、取り残された洗濯物みたいに空き家になっている。
Posted by にゃんにゃん at 2017年08月16日 08:43 | 返信
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