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「認知症患者への胃ろうは百害あって一利なし」
2017年09月01日(金)
「認知症患者への胃ろうは百害あって一利なし -米国ではほとんど認められない治療が
なぜ日本では推奨されるのか」という文章が、MRICから流れてきた。
拙書「胃ろうという選択、しない選択」とあわせて、悩んでいる人は参考にして欲しい。
なぜ日本では推奨されるのか」という文章が、MRICから流れてきた。
拙書「胃ろうという選択、しない選択」とあわせて、悩んでいる人は参考にして欲しい。
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認知症患者への胃ろうは百害あって一利なし -米国ではほとんど認められない治療がなぜ日本では推奨されるのか-
この原稿はJBPRESS(8月23日配信)からの転載です。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50848
看護師・保健師
坂本 諒
2017年8月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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看護師として、私は認知症の患者さんに胃ろうを造設するたびに、その意義について考えさせられる。
ある日、独居の80代の認知症患者さんが、誤嚥性肺炎を併発して入院してきた。加齢によって嚥下機能(食べ物や唾液を飲み込む機能)が落ちると、誤嚥(食べ物や唾液が誤って肺に入ること)が多くなる。時に、細菌が肺に入り込み、誤嚥性肺炎を発症する。
この患者さんは、認知機能と嚥下機能の低下によって、口から食べることが困難だった。入院中、再び食べられるようにと介入したが、効果は不十分だった。
ある時、この患者さんの内縁の妻という方が見舞いに来られた。「何としても治療して生きていたほしい」と言う。この患者さんに、血縁のある家族はいなかったが、どのような結末になるのだろう。
実際に、摂食が困難な患者さんの対応は3通りある。
1つ目は、経口摂取を継続したまま退院すること。多くはそのまま亡くなるが、訪問看護サービスによって適量の点滴を受けることもある。患者さんにとっては好ましい方法だが、家族の協力を要するため、独居の場合は難しい。
2つ目は、病院で亡くなるまで待つ。比較的長い経過となるため、急性期の病院では対応が難しい。
3つ目は、胃ろうを造設し、介護施設や慢性期の病院に移るケース。これは病院にとって都合が良い。胃ろう造設に関連した診療報酬を得られるうえ、早い退院でベッドの回転も高くなる。
内縁の妻の方は3つ目のケースを希望し、スタッフの間では「食べられないのは可哀そう」という意見が多く、胃ろうが造設された。
ところが、患者さんは「胃ろうとは何か」分からず、引いて抜こうとした。胃ろうを抜かないようにと拘束され、つなぎ服(自分で着脱できない服)を着せられた。
拘束をすると褥瘡ができやすくなる。拘束帯(拘束するバンド)から抜け出そうとする体動により、皮膚が擦れて褥瘡ができた。時折、患者さんが離床できるよう介入するが、それ以外の時間はベッドに拘束されるため、寝たきりとなる。
拘束をせずに、薬剤による鎮静(眠るような状態にさせること)をしたらよいとの意見があるが、効きすぎると誤嚥性肺炎のリスクが高まる。
●胃ろうの限界
そこまでして造設する胃ろうとは何だろうか。本当に有効なのだろうか。
確かに、胃ろうから栄養剤を投与すれば、経口摂取による誤嚥は防ぐことができる。しかしながら、万能ではない。嚥下機能が低下すると、唾液を誤嚥して、口腔内細菌による誤嚥性肺炎を発症するからだ。
加えて、胃ろうから栄養剤を投与しても、嘔吐は防げない。嘔吐をしないように、栄養剤の量や投与方法を調整しても、嘔吐を繰り返す人がいる。胃ろうを造っても、吐物の誤嚥による誤嚥性肺炎は避けられない。
この患者さんもそうだった。誤嚥性肺炎を繰り返した。そして、発症するたびに抗生剤を点滴した。しかし、本人は点滴の必要性を理解できずに自ら抜いてしまう行為を繰り返した。そのため、拘束が強化された。
誤嚥性肺炎を発症すると、頻繁に痰の吸引を要する。これは苦痛だ。処置の必要性を理解できず、苦痛を暴言や暴力で表現していたが、生命に関わるため無理にでも続けざるを得ない。
この患者さんは、本人の理解を超えた治療を受けながら、やがて慢性期の病院へ移って行った。
このような治療は、本人が望んでいることなのだろうか。胃ろうの必要性を理解することが難しい認知症患者さんに、胃ろうを造設することは本当に必要なのだろうか。
●胃ろうをつくらない選択、やめる選択
肺炎は日本人の死因の第3位で、その97%は65歳以上である。高齢者に起こる誤嚥性肺炎は、加齢による嚥下機能の低下が原因なので繰り返し発症してしまう。
日本呼吸器学会は、2017年4月に成人肺炎診療ガイドラインを改定し、肺炎を繰り返して衰弱した高齢者について、抗菌薬の使用などの積極的な治療を控え、苦しみを和らげるケアへ移行することを選択肢とした。
ただ、これを医療現場で実行するのは難しい。
目の前で苦しんでいる患者さんに対して治療行為を行わないことは、医療者としての精神的負担が大きい。多くの誤嚥性肺炎は、抗生剤の投与によっていったんは症状が改善するため、抗生剤を控える線引きが難しい。
胃ろう造設についても同様だ。
一時的に良い状態となる可能性があるため、線引きがやはり難しいのだ。2012年に日本老年医学会が発表した「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」には、胃ろうを含む諸選択は、本人にとって最善のものとすると記されているが、導入や中止についての判断基準はなく、訴訟のリスクを抱える難しさもある。
また、多くの医師・看護師は、「善意」で胃ろうを造設している。摂食が難しくなった患者さんに対して、「食べられないから、胃ろうを考えないと可哀そう」「餓死は可哀そうだから、胃ろうをしてあげないと」と言う医療者は多い。
「善意」の存在が、この問題をややこしくしている。
●胃ろうをめぐる“大人の都合”
胃ろう造設には、時に“大人の都合”も絡んでくる。例えば、家族が患者の年金収入で生活している場合、患者が亡くなってしまうと生活が立ち行かなくなる。そのため、延命を望まざるを得ない。
日本ではリビングウィルに法的な拘束力がなく、本人が緩和ケアを希望していても、家族が治療を希望すれば延命治療をせざるを得ない。
病院側の都合もある。実は、胃ろう造設は病院の収益になる。胃ろう造設術の診療報酬は、1998年の6400点(6万4000円)から徐々に増え続け、2012年には1万70点(10万700円)となった*1)。
2014年の改定では、胃ろうの是非が見直され、胃ろう造設術の診療報酬が6070点(6万700円)に引き下げられたが、胃ろう造設時嚥下機能評価加算2500点(2万5000円)が新設された*2)。
胃ろう造設時、胃ろう造設時嚥下機能評価加算2500点(2万5000円)、嚥下機能検査の点数600点(6000円)の加算を加味すると、総点数は9170点(9万1700円)であり、実質的な収益は変わらない*2)。
加えて、胃ろうチューブの定期的な交換費用も病院に入る。胃ろうチューブは、4~6か月ごとの交換を要し*3)、1回の交換で200点(2万円)の診療報酬が得られる*4)。
対して、経鼻栄養(鼻からチューブを入れて胃まで通し、栄養剤を注入する)の診療報酬は、1日60点(600円)と少ない*4)。胃ろうからの投与でも同様の点数を算定できるため、急性期の病院では、胃ろうを造設して、胃ろうからから投与をした方が利益を得られる。
胃ろう造設術と胃ろうカテーテル交換の施行件数は、毎年6月に調査されている。胃ろう造設術は、2011年の約7000件から2014年には約4500件と大幅に減少した。しかし、その間の胃ろうカテーテル交換件数には大きな変化がなく、約3万件で経過している*5)。
●認知症患者への“無理な”胃ろうはやめよう
胃ろうには、様々な関係者の思惑が関与するため、難しい問題となっている。私は、今こそ、患者さんを中心に考えるべきだと思う。
誤解を怖れずに書くが、私は、進行した認知症患者さんへの“無理な”胃ろう造設に反対である。
それは、前述したように、胃ろう造設が、進行した認知症患者さんのQOLを改善していると思えないからだ。QOLを改善しなくても、寿命が伸びればいいと考える人もいる。
ところが、進行した認知症患者さんに対する胃ろう造設には、延命効果がないことが明らかになっている*5)。つまり進行した認知症患者さんへの胃ろう造設はメリットが見い出せないのである。
では、どうすればいいのだろうか。私は、尊厳を持って残された時間を生きることができるように、サポートするべきだと思う。
誤嚥性肺炎を繰り返すと、誤嚥による苦しさから徐々に食事を拒否するようになる。実際に、私が関わった方の中には、誤嚥による苦しさから徐々に食事量や飲水量が減り、尿量も少しずつ減り、眠るように穏やかに亡くなった方がいる。
その時家族は、本人の寿命を受け入れ、DNAR(心肺蘇生をしないこと)に同意していた。そして、スタッフの意向も家族と同じであり、本人と家族がゆっくり過ごせる環境をつくった。
日本では尊厳死を認める法律はないが、「食事を拒否する」「医療的介入に拒否を示す」などの行動は、たとえ認知症を発症している状態であっても、十分な意思表示と取れる。それならば、自然の経過を受け入れる権利はあるだろう。
しかし、現在の日本では、認知症によって治療の内容や必要性を理解できず、自らの意思表示をできない状態であっても、積極的な治療が適用される。なぜなら、患者さんに対して「全力」で治療を行うというのが、これまでの医療者への教育だったからだ。
患者さんに対して最善の治療を行おうと努力するのが、旧来の日本人医療者の姿勢であり、その結果、積極的な治療が選択されやすい。
一方、米国で勤務した経験のある医師は「センシティブな問題ですが、米国では、今回のように患者の意志が確認できない場合、医療の必要性は社会的な常識に従いは医師が判断するのが普通です」と言う。
医師の自律が認められており、不必要な治療は“Futile medical care(役に立たない治療)”とされる。
ウィキペディアの”Futile medical care”をご覧いただければ、米国では、どのような議論が積み重ねてきたかが分かる。私は、高度の認知症患者に対する胃ろう造設は”Futile medical care”だと考える。
成熟した個人主義とはかけ離れた日本人の特性から、“Futile medical care”が浸透しにくく、また、医療者の「善意」、経営や訴訟回避のために、終末期における延命がなされやすい。
進行した認知症患者さんの誤嚥性肺炎に対する胃ろう造設は、介護を担当する者として、そのあり方を考え直す時期が来ていると思う。
1)認知症の終末期医療とケア~胃ろうで生きるということを考える~
http://www.wakayama-med.ac.jp/med/dementia/workshop/pdf/20130831.pdf
2)胃ろうをめぐる問題と診療報酬改定
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03078_02
3)PEG(胃ろう)造設と交換について
http://www.jouto.com/dept/peg.html
4)平成28年度診療報酬改定について
http://www.mhlw.go.jp/file.jsp?id=335765&name=file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000114821.pdf
5)レセプト情報からみた高齢者医療
https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/pdf/review_53_1_4.pdf
6)Sampson EL, Candy B, Jones L. Enteral tube feeding for older people with advanced dementia. Cochrane Database Syst Rev. 2009 Apr 15.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed?term=19370678
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