このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
多剤投与とかかりつけ医
2017年09月11日(月)
医療タイムス9月号 多剤投与とかかりつけ医
後期高齢者になっても患者さんの専門医指向は強い。多くの家族もそれを後押しする。あちこち具合が悪くなり数ケ所の医療機関にかかった結果、20種類もの多剤投薬になっている人が家族に付き添われて減薬の相談に来られる。「どれを飲めばいいのか分からない」、「先生が自動的に出して困る」、「副作用が心配だ」など異口同音に言われる。あたかも被害者のように「薬漬けにされた」と医者が悪者になる。そもそも、それぞれの医療機関を選らんだのは自分たちであるのに。
外来通院が可能で認知症が無い人なら、減薬の希望に寄り添うことができる。しかし独居の認知症であれば誰がどうやって服薬管理をするのか考え込んでしまう。家族が同伴していれば説明できるが認知症本人だけであれば、一生懸命に説明してもその場で忘れてしまう。あるいは在宅対応になりそうな人であれば部屋中に散乱している薬やインスリンを眺めては途方に暮れることもある。このように国民皆保険制度の柱であるフリーアクセスの陰の部分が大きくなっていることを年々肌で感じている。
かつては独居高齢者や認知症は珍しいものであった。しかし今や「独居の認知症」が標準になろうとしている。地域包括ケアの掛け声に介護界の方が積極的だ。しかし医療あっての介護である。そして医療の中で大きな割合を占めるのが薬剤であるのが現状だ。薬剤管理抜きに地域包括ケアを論じることに違和感を覚える。薬が無いのが一番だろうが、認知症の本質は「不安」であるので、どうしても多重受診や多剤投与になりがちだ。
そんななか、日本老年学会が最近、多剤投与のリスクや高齢者に相応しくない薬剤を発信し続けていることは医学会という団体が社会的使命を果たしている点で評価できる。一方、厚労省も7剤以上への多剤投与へのペナルテイを課すと同時に逆に二剤以上の減薬に対してインセンテイブを与えている。当然ながら待ったなしの医療費抑制が主目的である。しかしこうした政策誘導だけでは患者や医師の行動変容は期待できない。私はどうせやるのであれば、国民運動のレベルにまで高めないと多剤投与は解消しないと感じる。要は中途半端な政策なのである。国は医療費抑制よりも高齢者の尊厳を守るという強い姿勢を示すべきだと考える。
さてこのような時代における診療所経営を考えてみたい。多剤投与の解消には医療機関の一元化ないし二元化がファーストステップだ。特にフレイルやロコモが進行した時がそのきっかけになるだろう。厚労省や日本医師会は「かかりつけ医」を推進しているが、特に高齢者にはさまざまな点で利益がある。減薬の第一歩は一処方の元化である。であれば「かかりつけ医」というものを高齢者に理解してもらうために多剤投与の現状を逆に利用するという発想を持ってはどうか。たとえば「減薬を希望する人は近くでかかりつけ医を見つけよう」という政府広報をした方が医療費削減にもなるだろう。世の中には「減薬外来」なる看板を掲げている診療所があるという。以前、このコラムに「かかりつけ医科の新設を」と書いたが決して冗談ではない。できるならば「減薬外来」も診療科に加えてはどうだろうか。決して厚労省の提灯持ちではないが、それくらいの発想の転換を期待している。
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
「独居の認知症」が標準になってきているというのは厳しい状況ですね。高齢者にとって薬を正しく飲むということが大変難しいことだと痛感していますから。父の薬も完全に私が管理して飲ませています。
父が1人で通院できる時は多方面の診療科にかかっていて通院するのも一仕事でしたが、高齢になり、訪問診療医に頼んでからは大変シンプルになり、薬も減りました。家族も本人も助かっています。
Posted by CASIO at 2017年09月11日 11:09 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: