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「独居高齢者の看取りができる街づくり」まとめの会
2018年03月18日(日)
咋秋から続いている「独居高齢者の在宅看取りができる街づくりプロジェクト」
のまとめの会が昨日、東京で開催され多職種・市民と活発な意見交換が行われた。
咋秋の神戸での大会、尼崎での演劇に続き、いろんな課題が浮き彫りになった。
のまとめの会が昨日、東京で開催され多職種・市民と活発な意見交換が行われた。
咋秋の神戸での大会、尼崎での演劇に続き、いろんな課題が浮き彫りになった。
「独居高齢者の在宅看取りができる地域づくり」プロジェクト まとめの会
2018年3月17日(土)
テーマ 「課題と展望、具体的行動そして政策提言まで」
基調講演 「独居でも穏やかな看取りができる街づくり」
井益雄(上田市い内科クリニック 院長)
話題提供「独居の看取りが出来る街づくりのための私の提言」
秋山正子(マギーズ東京 センター長)
浅川澄一(元日本経済新聞生活情報部編集委員 フリージャーナリスト)
北村浩子(尼崎市ケアマネージャー協会 会長)
18:05~18:45 全体討議
司会:長尾和宏、蘆野吉和
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井先生は、佐久総合病院の在宅医療を創設した偉大な先輩だ。
独居高齢者の看取りができる街づくりを既に実践されている。→こちら
認定NPO法人「新田の風」として挑戦をし続けている。
上田市における住民運動として実績をあげられている。
井先生は
・事前指示書:「命の選択」
・エンデイングノート:「人生のしまい方」
・認知症になったと時:「思いをつなぐて手帳」、が3点セットであると講演。
事前指示書は、お薬手帳に挟んでいる。
小規模多機能では美味しいご飯がウリ。
浅川氏の講演は強烈であった。
地域の老衰の看取りを支える「拠点型サ高住」を提案した。
秋山氏は、暮らしの保健室を強調。
全国に50ケ所できているという。
北村氏は、ケアマネの決意などを述べた。
やはりケアマネがもっと勉強して欲しい。
議論の中で、「社協」の是非が話題になったが、
「社協不要論」の声が多かった。
暮らしを支えるための仲間づくり、拠点づくりが課題となる。
あっという間に3時間が3時間が経過した。
私は本プロジェクトのリーダーとして、最後に以下の2点を提言した。
1)終末期医療GLに、「独居高齢者の
在宅看取り」に関する文言を明記
2)地域包括ケア概念の中にも「独居
高齢者の在宅看取り」の文言を明記
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
いずれの演者にも共通したキーワードとは
1)自己決定の尊重(LW)
2)老衰死・平穏死の理解
3)救急車→心肺蘇生と警察沙汰の問題
であった。
この3つが揃えば、本プロジェクトは推進する、が結論だ。
しかし・・・・
奇しくも、この3つは日本救急医学会が大反対している事案ばかり。
つまり日本救急医学会が考え方を変えない限り現実問題として
独居高齢者のざい在宅看取りは難しい、という結論になるのだ。
咋秋の東京・虎ノ門での研究会でも先々週の神戸での研究会でも
救急医の先生がたは、上の3つの条件に異を唱えている・・・
結局、ここか。
また、これか。
また矢面に立たないといけないのか。
いやもう総攻撃に会っている身だが。
同業者なら分かるがろう、という考え方など
救急医学会には通用しないことを知っている。
ここは真摯な議論をすべきではないのか。
私個人的には、「独居の看取り」の何が問題なの?という感じ。
何も考えずに普通にやってきたからだ。
しかし日本社会では普通ではないようだ。
よく考えてみると、独居の看取りには沢山の抵抗勢力がある
・大病院の地域連携部や医療スタッフ
・ケアマネ
・そして救急医や救急隊・・・・
でも・・・・
私はこれらの人にこれ以上、何かを伝えることはもう諦めている。
いくら努力しても彼らには何も伝わらないことが分かったからだ。
2週間前の特別講演の後の一般講演の中に「医師の死生観」
という演題の梶葉子氏の講演を聞いてから、私は変わった。
彼女は「医者の死生観」という本を書かれている。→こちら
彼女の講演の中で驚いたことは有名医師たちの中には
自分が死ぬことをほとんど考えない医師が結構いる事。
つまり
「延命至上主義」や「蘇生至上主義」を唱える医師の根幹には
「自分の死と患者の死は別物」という感じの死生観があるのだ。
患者の想い平穏死なんてどうでもいい。
終末期医療は救急医が全て決める、と。
かねてから、「どうしてこんな単純なことが医師や看護師達が
理解できないのだろう?」という疑問があったが、腑に落ちた。
理解できない医者に向けて本を書いても無駄な作業である。
それより、市民の理解者に発信したほうがずっと実がある。
そう確信したら、気が楽になった。
もう無駄なエネルギーは使わない。
一連の活動は、いずれ冊子や映像にまとめられる。
このブログで市民の皆さまに公開させて頂く予定。
PS)
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この記事へのコメント
お医者さんの中には、自らを恃むところが大きすぎて、自分の死生観が、患者にも当てはまると勘違いされておいでなのではと、
思える方もおられます。患者は、何にも考えてないとでも思っているのかなという本もあります。そうでなければ、
仕事で見て来た「死」について、売り物にしているのかと思えるような文を、くり返し、くり返し、書けるはずがないと皮肉な気になることもあります。
百人いたら、百人の死があり、百人の死生観があると思います。時に、傲慢なまでに患者の死を語る語り口には、いい加減にすればいいのにと思う方もいます。
お医者さんは、自分が、どう死にたいかを語ればいい。患者にどう死んでほしいかを語る事の不遜さに気付くべきだと思う時もあります。
Posted by 樫の木 at 2018年03月19日 06:03 | 返信
「なぜ、医者は自分では受けない治療を施すか」
http://president.jp/articles/-/15153
医者は自分では絶対に避けるような多大な困難をともなう治療を患者に施術することがある。私たちは病気になって焦る前に考えておかなければならないことがあった。
お医者さんは、自分がどう死にたいかを語れないのです。なぜなら、お医者さんは、自分が死にたいような死にかたを患者に語る≒(医者が言うと)勧奨する印象を与えることになる。
お医者さんは自分が死にたい死にかたを患者がやると、お商売になりません。お医者さんはあれこれ患者の肉体をいじくりまわして収入を得るのが仕事だからです。
Posted by 匿名 at 2018年03月20日 02:43 | 返信
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