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医学論文も改ざん三昧
2018年04月18日(水)
「改ざん」は、国会や官僚だけの問題ではない。
一部の警察や検察、そして医学論文でも常態化。
市民やマスコミは「エビデンス」と持ち上げる。
一部の警察や検察、そして医学論文でも常態化。
市民やマスコミは「エビデンス」と持ち上げる。
エビデンスとは、「真理」ではないのに
「真理」であると信じている人が実に多い。
インテリを自称するマスコミ人は二言めには「エビデンスは?」と聞く。
私はそれを聞いただけで、「ああ、この人は何も知らない人だ」と思う。
一流でも四流でも、医学雑誌に掲載されたものを「エビデンス」と呼ぶ。
一流はともかく、四流はお金あればいくらでも「エビデンス」を造れる。
「改ざん」は、政府や官庁だけでなく医学界にも蔓延している。
日本全体がまさに「改ざん病」に集団感染していることを憂う。
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科学論争の社会学 ~日本における研究不正~
著者:パブロ アリエル ペレグリニ( ppellegrijni@unq.edu.ar)
所属:CONICET, 国立キルメス大学(アルゼンチン ブエノスアイレス)
翻訳:原田夏與、松本直子、廣原萌
この論文は、MRIC Globalから転載されたました。
https://goo.gl/J8rvZy
2018年4月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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バイオメディカルの分野では、研究における事実改ざんなどを含め、研究活動における数多くの不正行為が見られる。これは特定の科学領域に限った問題ではないようで、物理学、数学、情報科学、工学、社会科学など様々な領域において不正が取り沙汰されている。これは、学問全体に及ぶ深刻な問題であるが、その深刻さの割には、あまり議論がなされていない。その大きな理由として、この類の話題は大抵厄介なものになってしまうことが挙げられる。また、不正を行った一部の研究者のせいで、その学問分野全体に対しての信頼が失墜するような社会的混乱につながる可能性もある。
さらに、研究の改ざんそのものも問題だが、不正が長い間気付かれずに放置されていたという事態についても嫌疑がかけられる恐れがある。結果として、「研究不正が起こった分野の他の研究者たちも、明るみになっていないだけで、実は、同じように不正を犯しているのではないか?そのような人たちは信じられない。」という世間の不信感を招きかねない。
このような不信感は、広く裏付けられている事実を否定してばかりいるような、否定したがりの論客にしばしば悪用されてしまう。たとえば、考古学において研究改ざんが起これば、彼らは、この不正が考古学の全範囲に及びうると主張し、そこから、天地創造説を擁護することに利用する。彼らは、考古学の全存在を疑うことで、進化論の裏付けとなるすべての証拠を否定しようとするのである。
もちろん、一つの出来事が必ずしもすべてに影響を及ぼすわけではない。不正をした者が数人見つかったとして、同分野のその他の研究がすべて不正に手を染めているわけではない。しかし、上に述べたようなことを理由として、研究不正の事実は、あまり話題にのぼらないのである。
それでもなお、研究不正の事例を分析することは、あらゆる意味で、非常に有益と言える。具体的に、人々が不正に手を染める動機となっているような社会的要因を見つけることや、私たちが物事を疑いなく信じてしまう理由をより深く理解すること、そして、今後不正が起こらないように制御する仕組みを構築することにつながる可能性がある。私は、科学における様々な論争の研究に携わってきた。科学的な発見の「真実」がその安定性を失う状況として、科学論争を取り上げてきた。私がこういった研究をする動機となっている究極の問いは、なぜ、そしてどのようにして、科学的事実に関わる論争が生まれ、大きくなっていくのかということだ。
このような論争の原因と影響を理解するために、論争自体を使って各事例を取り巻く社会的背景を分析することができる。Science and Engineeringに掲載された最近の論文(https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs11948-017-9937-8)において、私は幾つかの日本の研究不正を分析している。その目的は、日本の科学者たちが、研究不正の告発にどのように対応するのかを分析することだった。この記事は、不正事例が起きた状況の再現と、日本社会のあらゆる文化的要素の分析を通して、日本の科学者たちの不正への対応方法を条件づける日本社会の性質・基盤は何かを問う質的研究の論文である。
研究不正の分野において、いくつかの有名な事例が東アジアで起きたために、この地域は関心を向けられるようになってきている。これらの事例は、東アジアでの研究不正が、他の地域での研究不正よりもずっと深刻な問題だということを示しているのだろうか。東アジアの学者社会に特有の「有害な」文化を指摘して、そういう風に言う論者もいる。彼らは、剽窃や科学的結果への細工は、東アジアの研究者達においては文化的習慣かのようにありふれているものだと見ている。反対に、東南アジア諸国には、概して衝突を避ける民族性があり、それ故に科学不正の事例は珍しいようだと言う論者もいる。これらの見方は、実に矛盾している。実際は、数例の研究不正は最近注目を浴びているにも関わらず、東アジアにおいて研究不正の傾向が強いということを示唆する証拠はない。
研究不正を定量化する試みは、いくつかの事情により満足な結果を得られていない。まず、発表された論文の総数と、ここ10年で益々増えている研究不正のために撤回された論文の数を比べる必要がある。驚いたことに、発表された全学術論文のうち、不正が認められたのは、わずか0.02~0.2%に過ぎない。一方で、研究不正の指標は、一般に、倫理違反等により撤回された論文の数を基にしている。しかし、すべての科学雑誌が、論文撤回に関して同じ方針を持っているわけではないし、そもそも、そのような方針が存在しているかもわからない。実際、撤回された論文の多くは、高い影響力を持つ雑誌に掲載されているようである。他の雑誌で発表された不正論文は、発見されていないか、撤回されていないかのどちらかに過ぎない。したがって、撤回の増加は、確固たる方針により、研究論文の仕組みがより健全に、より制度化されてきたことを示すものであり、良い兆候であるのだ。
結局のところ、東アジアにおいて、科学におけるスキャンダルや論文撤回が増加しているからと言って、この地域において、世界の他の地域よりも研究不正が多いと判断することは難しい。ただ、研究不正が、前よりも目に見えるようになってきたということは、間違い無いだろう。単純に、研究不正の絶対数が多いということをもって、東アジアにおける科学的研究の特徴として注目すると、実りが少ない。しかし、これらの行為が生じる文化的な枠組みを分析することには、間違いなく価値がある。なぜなら、すべての科学は特定の社会的背景の中にあり、これまでに述べてきたような分析は、科学と社会の複雑な関係をより深く理解するのに役立つからだ。
一連の事例の分析を通して、私は、不正告発に対する日本人科学者の対応の方法には、ユニークな特徴があると考えている。すなわち、告発を受けた科学者たちは、名誉を深く傷つけられたという感覚の元、しばしば自殺に及ぶのである。多くの日本人科学者が、研究不正や誤った研究に対する追及を苦にして、自ら命を絶ってきた。科学不正というのは至る所に存在するが、他の国では、不正に関わった科学者の対応は、せいぜい学術分野から立ち去ることくらいだ。研究不正の告発は、科学者の名声に対する大きな攻撃であるが、不正に関与した日本人科学者は、特に、自身の立場を不名誉なものだと考えるのだろう。自殺を不名誉に対処する正当なやり方だと認識している文化があるからこそ、このような事例が発生するのだ。
したがって、研究不正に対して自殺という対応をするのは、日本人科学者達が倫理違反を告発された際の、特有かつ劇的な反応の表れと言える。日本において、不名誉は、多くの場合、深刻に捉えられ、研究不正は、自殺という事態に至ってしまう。私が最近発表した論文においては、研究不正の背景にある社会的な動力を理解するための一般的な枠組みを提示している。そして、日本で起きた一連の事例を再現することで、このような状況に対する日本人科学者の反応の特異性を明らかとしている。さらに、名誉と自殺という関係が形作られてきた日本の文化と社会における独特なあり方について考察している。最後に、日本の研究不正において最も特徴的なのは、告発されたり、公に暴露された際に、科学者が、その状況を深刻な不名誉と見なすことであることを明らかにし、この記事の結論としている。
論文の全文は以下から確認できる。https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs11948-017-9937-8
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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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◆◇お知らせ◆◇◆◇◆◇
2017年12月に、MRICの英語版として、MRIC Globalを立ち上げました。
MRICと同様に、医療を超えて、世界の様々な問題を取り上げて参りたいと思います。
配信をご希望の方は、以下のリンクからメールアドレスをご登録ください。
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この記事へのコメント
よくわかりませんけれど、「風土病」など原因が正確には不明でも、確かにある地域や、ある国、ある大陸にだけ多く存在する病というのがありますね。
田中正造先生の「芦尾鉱毒事件」も戦前は、それこそ「科学的歴根拠がない」と言う理由で認められなかった病で、その為に多くの被害者を出しました。
国家的見地に立ち、国際的見地に立てば「EBMが無いから認められない」と言っていては病が広がる事を阻止できません。
俯瞰しなければ分からない状態ってありますね。
Posted by にゃんにゃん at 2018年04月19日 10:49 | 返信
その広範囲に調査する事を何と言うのだったか言葉が出てきませんでした。
確か「疫学調査」と言うのだったと思います。
この頃お酒の飲みすぎなのか、年を取ったのか、人の名前や単語が出てきません。
Posted by にゃんにゃん at 2018年04月19日 12:47 | 返信
にゃんにゃんさんへ
お酒の飲みすぎかも、と、わかっておられるなら量を減らしてください。
私は35歳頃にアルコール類は止めました。
理由は、風呂上りにビールを飲んでいたのですが、すると風呂上りに飲むためのビールを常に用意するようになったのです。毎日最低200円程度の「余計な」出費となり、私は自分があまりお金を稼ぐのが上手ではないのを知っていたので、おカネのために飲まなくなりました。それと、ビールは腹が出てくる。「ビール腹」といいますよね。代わりに牛乳と100%ジュースを混ぜて飲んでます。お試しあれ。モロモロになっておいしいですよ。
匿名からにゃんにゃんへの返信 at 2018年04月20日 02:35 | 返信
すみません。足尾鉱毒事件を明治天皇陛下に直訴して、国会で「亡国の至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀に着き質問状」を、時の総理山縣有朋に出したのは、田中正三先生でした。
「君たちはどう生きるか」の著者の吉野源三郎氏と、中央公論の「吉野作蔵賞」の吉野作蔵氏と間違えました。
ホントに歳を取ってボケてきました。
NHKで「足尾から来た女」のドラマで、たしか尾野真千子さんが、田中正三先生の奥さんの役をやってました。うまかったなあ。
Posted by にゃんにゃん at 2018年04月20日 06:18 | 返信
匿名様へ
今日は朝から自治会総会があったので、昼過ぎに朝ご飯を食べて買い物に行きました。
買い物から帰って、空腹感は無かったので猫のエサ作りです。
鰯、鯵、鯖、の魚を腹を割いて内臓を取り出し、鯖は三枚に下ろして頭を取って、魚焼き機で焼きます。
鶏肉は小さく刻んでフライパンで炒めます。
ちょっと時間があると神棚から下げたお神酒40cc×2と、母のポリフェノール入りの赤ワインをおちょこに一杯、飲んで猫にできた餌をやってから、金麦一缶で、鶏肉のから揚げとR1/Fのサラダを食べました。
私はお酒は止められません。タバコは止められたのにね。止められないけど、あんまり飲まないようにはしてます。
或る精神科のお医者さんが「家で一人で飲むのはいけない。忘年会や、同窓会で皆で明るく飲むには良いです」と仰っていましたけど、皆で飲んでいたら「お前はあとでバイクに乗るのだろう。飲酒運転だ」等と言われるのは怖いから、やっぱり家飲みになってしまいます。
中国むかしに寒山寺をいうお寺があって、寒山と拾得と言うヒッピーみたいな詩人の僧が居て、お酒ばかり飲んでいたそうです。
私もそのヒッピーに様になりたいと思っています。
月落ちて、烏啼き、霜天に満つ
江風漁火 愁眠に対す
姑蘇 城外の寒山寺
夜半の鍾声 客船に到る
そんな心境です
Posted by にゃんにゃん at 2018年04月23日 12:24 | 返信
にゃんにゃんさんがさばいて焼いた魚を食べてる猫のほうが長生きしますよ・・・
アルコール飲まなくても楽しめると思うのですが・・・
依存の一種なのでしょうね。
私が長尾ブログへ投稿するのも依存の一種かな?
匿名からにゃんにゃんへの返信 at 2018年04月23日 12:05 | 返信
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