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もっと沖縄を知りたい
2019年02月16日(土)
昨年に続き、沖縄の那覇市で講演をした。
そのあと、琉球放送のラジオに少し出演。
沖縄は超元気、というか元気すぎる街だ。
そのあと、琉球放送のラジオに少し出演。
沖縄は超元気、というか元気すぎる街だ。
「糖尿病と膵臓がん」で1時間強、話した。
冒頭、「どうもー、デニー玉城です!!」と言ったら、ウケた。
想ったよりもたくさんの人が来てくれ、いくつか質問も頂いた。
「ああ、ここで話せて僕は幸せだなあ」と、感じた。
那覇空港に着いた途端に「暑い!」と、気が緩んだ。
本にサインをしながら世間話をするとみんな優しいのだ。
独特のイントネーションと独特の空気。
国際通りもどこも凄い人、人、人。
新聞には「沖縄バルブ」とあった。
終了後、琉球放送(RBC)に入り、ラジオにも出た。
驚いたのはDJの部屋に扉が無い、開いていることだ。
なんと開放的か。
ここは、ハワイ。
ラジオが終われば、関係者とともに街へ繰り出した。
前回は「スナック那覇」だったが、今回は栄町へと。
小山アナは、とても優しいアニキ。
ここでもデニーさんに似ていると。
実は、デニー知事もここのDJだったそう。
知らなかった・・・
沖縄のラジオ(RBC)に初出演。
ラジオ_プライムエイジ・アワー →こちら
沖縄のAMラジオは2局だけ。
栄町の「べんり屋」さんの餃子はこれまでで最高の味だった。
尼崎から来たというと、熱烈歓待してくれた。
このスナックは凄い、凄すぎる。
いろんな若者たちと歌い話した。
どこに行っても異様なくらい元気で陽気。
沖縄って凄い、凄すぎる・・・・
基地を巡った。
普天間、嘉手納、そして建設中の辺野古。
自分の足で耳で確認しないと何が起きているか分からない、と思ったから。
正解だった。
テレビや新聞とは違った沖縄があった。
もの凄い数のトラックが並んでいる。
反対派と警察が、睨み合っている。
どこから来たの?と聞いたら、偶然にも
大阪や神戸から来た、とう人たちだった。
辺野古の対岸にあたる、「カヌチャリゾート」から
埋め立て中の辺野古を溜息をつきながら眺めていた。
辺野古がどこにあり、埋め立てている土砂はどこから持って来ているのか。
答えは、辺野古の反対側の山を潰して、そこの土砂で海を埋めたてている。
基地移転の是非ではなく、「そもそもなぜそんな壮大な自然破壊をしなければならないのか」
そんな疑問が、現地を視察して浮かんできた。
すなわち、辺野古以の素朴な疑問が沸き上がる。
そんな想いを書いたk記事があるが、この通り。→こちら
瀬底島まで渡った。
奇麗な瀬底ビーチで米軍兵たちが遊んでいた。
おそらく目の前に見える、「伊江島」の基地で働いているのか。→こちら
この島をネットで見るととても大きく、なんと「空港」もある。
そう、この島にも米軍基地があるのだ。
伊江島の3分の1は米軍基地。→こちら
私は沖縄について何も知らない。
辺野古についても何も知らない。
それが今回、駆け足で巡った結論だ。
だから、もっと沖縄を知りたい。
それが、日本を知ることになる。
PS)
沖縄は暑いが大阪は寒い。
気温差20度が、西日本だ。
明日(今日)も早起きで徳島へ直行・直帰。
新規の在宅患者さん数人が待っているから。
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この記事へのコメント
読者のだれひとり、コメントせず。
なぜだろう。
沖縄の公文書館に、昭和天皇ヒロヒトがマッカーサーに送ったメッセージのコピーがある。
アヘ政権成立後、閲覧禁止となっている。
「沖縄の米軍占領を50年以上継続することを希望する。」(1947年9月)
韓国国会議長発言が「一線を越えた!」。「日本人の琴線に触れた!」だって。
戦争責任は極東裁判に丸投げし、何事もなかったかのように、
「昭和」の19年と43年をつなげた、無責任体系の極み。
東京オリンピックの当初予算が6倍を超えた。だれも、声をあげない。
辺野古基地建設の当初予算が10倍を超えた。東京オリ6倍予算をはるかに上回った。
海底に76699本の杭を打ち込む追加工事。群がる自民献金業者はウハウハ。
「辺野古が唯一の選択肢。」 辺野古景気でアホノミクス底上げだ。
「アヘ4選」で、プーチン、トランプ、習近平に続け。
「18歳から22歳までの『あて名シール』を提出せよ。
さもないと地方交付金をわたさないぞ。」
「平成天皇在位30年祝典」2.24。
「沖縄県民投票」2.24。
読者のだれひとり、コメントしない。だろう。
Posted by 鍵山いさお at 2019年02月22日 07:29 | 返信
思い出しました。1972年、どういう経緯であったのか、不明ですが、「沖縄返還!」と言ってデモをしたら、1972年5月15日に沖縄が日本に返還されました。
ただし、ハンサムな佐藤栄作総理による「核持ち込みの密約付き」ではありましたが...。
その同じ1972年の何月かに「日中国交回復!」と言ってデモをしたら。1972年9月25日に田中角栄総理と周恩来首相によって署名されて日中国交回復がなされました。
何だか騙されたような官製デモってあるんですね。
佐藤栄作総理と田中角栄総理によって、ガラガラと世界が変わった年で在ったなあと思います。
でも今2019年に習近平国家主席は日本には手ごわい存在になっているし、沖縄は「辺野古埋め立て反対」の声が7割以上に高まっているし、なかなか理想の世界にはほど遠いですね。
良くなっているのか、悪くなっているのかさっぱり分かりません。
Posted by にゃんにゃん at 2019年02月26日 01:29 | 返信
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