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障碍者のきもち

2019年04月04日(木)

ムチ打ち症状は、日々、悪化している。
というか悪循環に陥った。
障碍者のきもち、がよく分かる。
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4月1日午後、「令和」の知らせを聞いた数時間後に
目のまえで大きな稲妻が走り、突然の豪雨と落雷に。



その5分後に突然の強い衝撃。

ドライブレコーダーで観ると一台の車が後方から猛スピードで
追い抜きながら激突してきたことが、今頃になって理解できる。

その時は、何が起きたのか、まったく分からない。

6時間後、首の左側が痛い。
24時間後、痛みが増強して、右側の首と頭も痛くなった。

2日後には、なぜかめまいもして、まっすぐに歩けない。
頭痛とめまいは、さすがに辛い。

それに追い打ちをかけるように、今度は左膝が痛み出した。
触ると少し腫れているようだが、人生初めての事件である。


「坂道を転がるように」、という言葉が頭に浮かぶ。
自分のバイオリズムが完全にそうなっているようだ。

今日は、びっこを引きながら、ボチボチしか歩けない。
さすがに「とうとう老人になっちまったなあ」と感じる。

ヨチヨチ歩きで浮かない顔。
気分は、いっきに90歳へ。

「歩いても、歩いても小舟のように、
 私のカラダは揺れて、揺れてどこかの夢の中ー」
は、ショーケンの前の嫁さんの石田あゆみさんか。

これが「老い」


貧すれば鈍する、ではないが、仕事もトラブル続きだ。
日々、悪いことが次々と降り重なってくるような感覚。

こうなると、諦めるしかない。
休むしかない。

生まれてからこれまで一度も病気や病欠は無かったけれど
今日ばかりは、少しばかり大人しくしていようと、決めた。


しかし・・

歩いても痛い、座っても痛い、寝ても痛い。
体も頭も、そして脳も、悲鳴を上げている。

大人しくするのも辛い。

深夜の往診や看取りはやっている。
這ってでもやらなければならない。

ボクサーがベッドに寝ていてもファイテイングポーズを取るように
自分に与えられた仕事だけは、最悪でも頑張らないといけないと。


障碍があっても、笑ってやりすごす。
人を笑わせたい。それが仕事だろう。


この数日、ずっと泣いている。
もともと、弱い泣き虫なので。

ああ、貴景勝に怒られる。
でも、どうにもならない。

病院なんかくそくらえ。
保障や保険なんで無用。

自分のカラダは自分で治す。


そんな気持ちの中、以下の東京マラソンの記事が流れてきた。
濱木先生は知人だが、美人で勉強だけかなあ、と思っていた。

しかし読んでみるとすごく天然で、気持ちが晴れた。
あらためて、クールな濱木先生のファンになったぞ。

濱木先生は尿意と闘い、
私は歩行障害と闘っている。

でも生きているだけでいい。
丸儲け。

樹林木希林さんの言葉が身に染みる。
娘さんの昨日の言葉も。身に染みる。


以下、全然関係がない、2つの小文をご紹介したい。
私を鼓舞してくれて、ありがとう。


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東京マラソン体験記~初めて走って感じたこと
 
濱木珠恵
 
2019年4月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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3月3日の東京マラソンに出走してみた。一般枠ではなく、ナビタスクリニックとしてNPO法人フローレンスのチャリティ枠を応援するために参加した。ナビタスクリニックは、以前からフローレンスの活動を応援している。
 
今回の東京マラソンは、私にとってフルマラソン初体験だった。これまで40 kmの長距離を走ったこともない。
 
結局ゴールまでに6時間かかったけれど、ほぼ安定したペースで走れていたので初回としては十分満足できた。というか“練習してない人選手権”があったら第1位だったかもしれない。今年になって走ったのは1月に5 km、2月に3 kmだった。その前も10月に6 km、12月に5 kmと3 kmくらいで、本当に走っていなかった。後日周囲からは「そんなんで42 km走るとかアホの極み」と言われた。そうかなぁ??
 
自分としては無謀とも思っていなかった。フルマラソンはなかったが、数年前から少しずつ走っていて、20 kmのトレイルランニングの大会には2回出た。最近でこそあまり走れていなかったが、それ以前はぼちぼち走っていたし、体感的には無理をしなければそれなりに走り続けられるかなと思っていた。むやみに走るよりは、からだのバランスを整えておこうと考えて、通っていたパーソナルトレーニングのジムでは「走りやすくなるよう体幹と柔軟性を整えることを重視したトレーニング」をお願いしていたし、アスリートの調整をしている整体師にメンテナンスをしてもらった。少なくとも「極端に故障することなく42.195 kmを完走できる」ようには調整していたつもりである。
 
当日は非常に肌寒い日で、小雨も降っていた。9時10分スタートだったが、ウェーブスタートだったので、私がスタートできたのは9時38分だった。待っている間に手袋をしていても手が凍えるほど冷えてしまった。しかしながら、これは既視感があった。
 
私は釧路出身。道東地方は亜寒帯気候のため、冬は氷点下が日常茶飯事。小学生の頃のスピードスケートの授業では、全く滑れなかった低学年の頃は鼻水垂らしながら凍えていた。中学の頃は徒歩30分程の徒歩通学で顔が凍るかと思った。それにくらべればまだマシ。
 
走りはじめてからは指先は冷えたが、寒さは気にならなくなった。10 kmを越えたあたりから足が疲れてきたが、20 kmくらいまでは平気だった。低体温症でリタイアする方が続出していたようだが、タイムを気にせずマイペースで走っていたからか問題にはならなかった。むしろ苦行は尿意だった。
 
寒冷な環境で尿意ががまんできなくなった経験は誰しもあると思う。寒冷刺激で尿意切迫感が誘発される原因のひとつとして、皮膚への寒冷刺激の一部が中枢神経に伝わる段階で膀胱への刺激と混同され認識されている可能性が言われている。
また、寒冷尿意は低体温の危機にさらされたときに体温を維持するための身体の反応という側面もある。身体が気温の低下に反応し始めたとき、血管を締めることによって、皮膚への血流を減らして内臓周囲の温度を維持しようとする。このとき、血管は細くなったのに血液量は同じままなので、血圧があがる。この血圧上昇の反応に対し、腎臓は過剰な水分を濾出して血液量をへらすことで血圧を下げようとする。これが尿意の原因となる。
寒冷環境でずっと尿意を感じているときは、身体が危機感を覚えている状態であり、本来はその状況から逃げ出す=暖かいところへ行くべき、なのだが…。
 
東京マラソンでは多数の簡易トイレが何カ所も設置されている。しかし、少なくとも私が利用した簡易トイレでは手を洗う設備がなかったように思う。職業柄か、手が洗いたくて仕方なかった。マラソンの場合、コース途中の補給所でパンやミカンなどをもらって食べたりする。スタッフの方は衛生面を配慮してポリ手袋をしているが、食料をもらった私の手は汚いのでは?という状態である。たとえば冬期に流行するノロウイルスの感染性胃腸炎であるが、ピークは11月から1月にかけてであるが、2月や3月にもかなり発生するし、この週には胃腸炎の患者さんが頻繁に受診していた。不特定多数が使用したトイレはそれなりに汚いはずだ。それが気になって雨で濡れたウインドブレーカーで手をぬぐったりしていた。まぁ結局もらった食べ物は迷うことなく食べたけれど。
 
 
まさか30 km地点まで、つまり4時間も尿意について考え続けることになろうとは思わなかった。出走前から6時間近く走ることは予想していたので、走りながら考え事をしようか、いやむしろ、走りながら感じたことを考えるというのをやってみよう、などと考えていたが、それどころではなかった。
 
途中から水分補給量を控えめにしたからか、32 km付近で何度目かのトイレへの寄り道を済ませてからは、尿意は感じなくなり走ることに集中できるようになった。このあたりが一番好調だった。芝公園の前で3人並んでメッセージボードを持った人たちがいて、一番手前の男性がもっているボードに「これが読めたら、あなたはもっと速く走れる」的なことが書いてあった。走りながら読んでいたら彼と目が合った。サングラスの私に「目が合ったよね」的なサインを送ってきたから、サムズアップして応じた。にっこり笑ってくれた。
 
36 km付近の信号が研究室の最寄りだが、案の定,ボスはいない。ああいつもそうだよね、と思う。どうせ私が遅かったからだとか言うのだろう。ま、いいけどね,雨だし。いたらいたで、雨なのに応援のために待っていたと恩着せがましく言われるのだから。ま、とりあえずここは無事通過したからギリは果たしたぜ、と思いながら走る。その後、さすがに37 kmを越えたあたりから足が棒のように感じたけれど、一瞬でも早く終わらせたくて走り続けてなんとかかんとかゴールできたという感じだった。翌日は仕事中には極力立ち上がらないようにするほど足が筋肉痛であったが。
 
ふり返ってみると、今回、寒さも距離も敵ではなかった。とにかく尿意が苦行だった。もう一度やりたいかと言われたら、尿意をがまんする苦行はもうしたくないなと思う。それでも今回、練習不足ながらも完走できたことは満足しているし、東京マラソンという大きなイベントがどれほど多くの人たちのサポートで成り立っているのかということを実感することができた。
 
走ることは好きだけれど、私にとってマラソンの大会に出ることは非日常のイベントだ。それでも自分の体力と運動能力を客観的に知るのによい機会だったと思う。機会があれば、試しに走ってみるのも悪くない。
 
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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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内田也哉子「2人の遺伝子は次へと流転」/謝辞全文




先月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。

喪主を務めた長女のエッセイスト内田也哉子(43)が謝辞を述べた。

 

全文は次の通り。

私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。

私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。

そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。

79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

Fuckin' Yuya Uchida,

don't rest in peace

just Rock'nRoll!!





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この記事へのコメント

長尾先生、追突事故のお見舞い申し上げます。
私も一昨年、信号待ちで追突され頸椎捻挫しました。おっしゃるように2,3日後から急激に悪くなり始め、頭痛と吐気、左肩から背中への痛み、とりわけ左腕が鉛のように重かったのが本当に辛かったです。
人にもよるのでしょうが、良くなっていく感覚は、週ごとではなかなか。ひと月ごとに「なんか先月よりずっとマシだな」という感じでした。すっかり忘れるまで3ヶ月はかかりました。
痛い所に注意が向いて不安になるのも良くないし、生活上のストレスを抱えるのも良くありません。
経験上、一番いいのは好きなことで気晴らしでもすることですが、今のお忙しい環境ではとてもご無理な様子で。次は「痛い、痛い」と言って周りの人から労りの言葉をかけてもらうことです。その際、「大丈夫やってー」と背中をバーンとやるタイプは避けましょう。
それにしても整形でレントゲンくらいは取って診てもらって下さいませ。
お大事になさって下さい。

Posted by 匿名 at 2019年04月04日 03:31 | 返信

大変ですね。むち打ち症ですか。外傷性頚部症候群というか、脳脊髄液減少症。
私は盲腸炎の手術で脊髄麻酔をしたときから、立ち眩みと同時に、物凄い頭痛が出るようになり、高校時代憂鬱でしたが、大学入学で田舎の女子寮の入ったら忘れました。
中年になって工場に勤めて、仕事から帰る途中で一旦停止なのにバス通に飛び出して、雪印に勤める人の車に当って、左の股関節と膝を打撲したらしい。何年も経ってから徐々に首や肩に異常な懲りをかんじるようになってしまいました。鍼灸院でも治療してもらったし、自分で開業してからは、暇だったので自分で治療しました。始めは日本鍼でちょこちょこ刺していたのですけど、米山義先生がやっていたなあと思いだして、中国鍼の太いの(#6くらい)で第7頸椎の左横をガンガン刺してました。その後、鍼の後遺症で首が回らないくらい痛かったのです。丁度犬を飼っていて、夜近所を散歩に連れて行ったのですけど、「あ!ネコだ!!」と鎖を引っ張って走り出すので首が痛くてたまりませんでした。でもその翌朝からすっと左首の痛みが取れて、自分でも「へー!」と驚きました。
私が長尾先生を治療しても良いですけど、森ノ宮医療大学の尾崎朋文鍼灸師に治療してもらった方が痛く無くて早く治るかもしれません。吹田の米山鍼灸院では、米山義、栄先生の甥にあたる鈴木信鍼灸師が上手です。池田では米山義先生の同志社大学時代の友達の妹さんのが鍼灸院をしています。
現代医療では、ブラッドパッチ療法と言うのがあるそうですね。
鍼灸治療も原理としては似てるんじゃないかと私は思っています。
大変な事になりましたね。後方から来た車が追い越そうとして激突したのですか。私で良ければ、治療に伺います。

Posted by 大谷佳子 at 2019年04月04日 09:57 | 返信

人は自由であれ!! 心を解き放し、奔放に生きるべし。
なんとなく、そんなことを言いたくなりました。
平成から令和という時代への節目に立ち会っているからでしょうか。
平成に亡くなった昭和人を回顧したりして、時代のうつろいを味わっていると
感傷というよりは、新しい時代への希望を想う方が勝ります。
ある意味、激動の時代を生きてきた。酸いも甘いも噛みしめて、
新時代を生きる若者を後押しできるような中高年になれるでしょうか。
元号「令和」が発表された後の街頭インタビューで、若い人がこぞって、
平和な時代でありますように! と答えていたのが印象的でした。

追伸:長尾先生、青天の霹靂のような事故に遭遇され、お身体・お気持ちの辛さは
如何ばかりかと、心中お察し申し上げます。
無理せずに、養生なさってくださいませ。お大事になさってください。

Posted by もも at 2019年04月04日 11:03 | 返信

先生、なんと申し上げていいかわかりませんが、とにかくお見舞い申し上げます。
人生いつどんなタイミングで何が起きるかわからない、一寸先は闇、、、そんな感覚を思い出しました。
私はただのブログ拝読者ですが、心から一日も早いご回復を祈っています。
どうか無理せずお大事になさってください。

Posted by 尼崎の社会福祉士 at 2019年04月05日 07:09 | 返信

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