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自宅のベッドも地域のベッド
2019年11月24日(日)
自宅のベッドも地域のベッドである。
医療タイムス11月号に、そう書いた。
相当な反論は覚悟している・・・
医療タイムス11月号に、そう書いた。
相当な反論は覚悟している・・・
医療タイムス2019年11月号 自宅のベッドも地域のベッド
先日、厚労省が公表した再編統合リストをめぐって、さっそく各地で抗議運動が起きている。地域医療構想が思うように進まない危機感があったのだろう。唐突といえば唐突、粗雑といえば粗雑な公表だったかもしれない。抗議を受けた厚労省幹部は謝罪していると報じられているが、長い目で見れば急性期病院の需要は自然に減る。たとえば国立人口問題研究所の死亡者数と年代別の死亡者数の予測を見ると一目瞭然である。ひとことで言うなら、これから20年間以上、85歳以上の死亡者数は年々増加し、総死亡者に占める割合も急激に増加するからだ。人生百年時代とは「85歳以上問題」と同義である。今後20~30年間の日本の医療は、「大量に亡くなる85歳以上の人をどこでどう受け止めるか」がメインテーマになる。従って高度医療、急性期医療の需要は急速に減じることは確実である。
以前から感じているのは、地域医療構想と言いながらベッド数の足し算引き算だけに終始して「地域包括ケア」という視点が無いことが不思議でならない。つまり在宅医療が蚊帳の外である。在宅医療のベッド数がどれくらいあるのかも同時に考慮されるべきだ。地域の病床数とはもはや病院のベッドだけではない。在宅のベッドも含むとすべきだ。たとえば地域のかかりつけ医全員がそれぞれ10人程度の老衰のような通院できなくなった患者さんの在宅医療を担当するとしよう。それだけでも地域のベッド数は飛躍的に増える。つまり病床再編と地域包括ケア推進は車の両輪であるはずなのに、一方しか見ていないので乱暴な議論にしか見えない。今からでも遅くないので、ザイタクのベッド数も可視化すべきだ。もしも足りないのであれば医師会を通じて具体的に在宅は○○床足りないけどどうすればいいのか、と言った形で公表すべきではないか。
長い目で見ると病院再編で余った人的資源は地域に流れるしかない。現在、在宅医療に従事している人的資源は足りないが、徐々にシフトするのではないか。20年後には、在宅医療関係が医療のメインロードになっていると予想する。もちろん特養や老健などの介護施設は在宅ができない人の大切な受け皿として残るだろうが、新設された介護医療院が大きなライバルになる。夜間に医師や看護師がいるほうが家族も安心ではないだろうか。いずれにせよ、ザイタクというベッド数は今後20~30年間は増加の一途であることは間違いない。国は経済的理由だけで在宅を謳っているわけではない。在宅のほうが入院医療より高くつく場合もあるので、決してお金だけではない。85歳以上の人の「尊厳」を重視していることも知っておかねばならない。
病院のなかに居ると病院を中心に医療が回っているような錯覚に陥る。自分自身もかつてそうだった。しかし地域に出ると分かるが医療の中心はもはや病院ではない。病院は医療資源のひとつに過ぎず、自宅のベッドが延びている。そうした変化を感じるためには病院幹部が地域の在宅医療機関で在宅医療の現場を見るべきだと思う。1週間もいれば、これから何が起きるのか肌で感じられると思う。今回の公表を機に、病院と在宅医療機関がさらに連携を強化すべきと考える。自宅のベッドも地域のベッドのなかである。
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日本を一周して家に帰って30分後に
看取りの電話があり、また深夜往診。
私が出張に出ればまず死なない。
しかし帰阪した途端にバタバタ亡くなる。
なんでだろう。
でも、みんな驚くほど穏やか。
今夜の家族も「笑顔」で迎えてくれた。
「死の壁」もなく眠るように逝ったと。
そう自宅で尊厳死(平穏死)できるのだ。
最期の日まで食べて話せることができるのだ。
そう自宅のベッドも地域のベッドに含んでいいはず。
でもこんな事実を一番嫌がるのが緩和医療学会と救急医学会。
緩和医療学会は、鎮静を緩和専門医としているようだ。
だから私のような町医者が自宅で平穏死されたら困る。
救急医学会は研修医への教育で死亡到着を待っている。
なのに在宅医が救急搬送せずに自宅で看取ったら困る。
医学会にとっては不都合な真実だけど、
患者さんにとってはいい話だと思うが。
私は平穏死には賛成だけど、安楽死には反対。
しかし国民の8割は安楽死を求めているらしい。
でも、本当に分かっているの???
というわけで、3年越しの小説がやっと完成した。
12月15日発売となる新刊の表紙も決まり一安心。
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この記事へのコメント
病院という「象牙の塔の下部組織」で働いている医師や看護師は、在宅なんてawayは嫌なのですよ。
病院という医療者の牙城に人間を捕獲して、ベッドに縛り付けて、患者という名の奴隷にしたいのですよ。
下部組織であっても象牙の塔の医療者達は、どんなボロ屋でも他所様のおウチに出向いて他所様のおウチで医療行為やるってことがコワイのですよ。だからいつまでも象牙の塔の住人でいたいのですよ。
Posted by 匿名 at 2019年11月24日 01:55 | 返信
政府は、在宅に舵をきった。今度は、自分が介護を受けるので、昭和の時代の「家制度」に、逆戻り感は否めない。また、「家」。昭和で、おくった人は4人。実父は、途中結核になって「結核病棟」で、酷い最期だった。医師と、過剰医療だと盛んに、抗議したけど最期は「そんなに、嫌なら連れて帰れ❗」でした。近所は、落とし寄りが多かった。諦めともつかない気持ちが、右往左往していた。父と、接触の多い家族から、保健センターにレントゲンを、とるに来るように。の最速が、あった。母親と、私は、レントゲンを受けに行かなかった。
在宅のベッドが、10床増えたとしても私は喜べない。
家族、子供、孫にしわ寄せが来る。まだまだ、現代では、介護というと、家族がどうしても考えざるをえない。介護は、綺麗ごとではない。一人のキーパーソンの上に、とれだけの家族の幸せがあるのだろうか?先の見えない、限りが無いように思えて来る介護。みんなの、パーソナルベッドが、共有できるのは、まだまだ先の話としておきます。
安楽死には、賛成の立場です。長尾先生、よく「安楽死」について、再考察をお願いします。
PS: 何故、安楽死???この国では、大局に巻かれて自分の、意思を行使してない。
リハビリと称して、老体に鞭を打つようなリハビリ。
のんびり、マッタリ日向ぼっこの方が、健康的。
Posted by ひろっち at 2019年11月24日 10:03 | 返信
OH MY GOD! 日々の激務の中、小説まで書かれていたとは・・・超人でいらっしゃるのはわかっていたけれど凄すぎます。ダヴィンチの生まれ変わり?なんでしょうか。信じられませんが、早く小説読みたいです。お身体くれぐれもお大事に。来日中のローマ教皇様に、日本にはこんな凄い方がいらっしゃるとどなたかお伝えくださるといいなあって思います。どなたかよろしく。
Posted by 遠い声 at 2019年11月24日 10:33 | 返信
小説「安楽死特区」は、センセーショナルを予感させるような雰囲気のある
素敵な表紙ですね。東京タワーの赤とグラデーション的な空色が、ヨーロッパの
宗教画を思い出させる色使いで、安楽死のテーマ・イメージに即しています。
安楽死とは?平穏死とは?生きるとは?
それを考えるために一石を投じる一冊になりますね。
書籍の内容は勿論分らないので、別な観点からですが、昨今の風潮:安楽死への期待・願望論
について、生きるとか死ぬとかを論議する一つ前の段階として、「夢の無い社会」になってしまって
久しく、その世相の渦中にある時に「生きることは楽しい」と感じる「幸福感」を味わえない社会
である、そこが大問題..! と改めて思うのでした。
バチカン・フランシスコ教皇の平和への祈り:メッセージを聞いたあとだからでしょうか、
まさに「祈り」に聞こえるお声・メッセージでした。
一向に明るい世相が訪れない社会を打破したいと..(して欲しいでは、他力本願なため)..
そう思うのでした。
Posted by もも at 2019年11月24日 09:33 | 返信
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