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空っぽになってからが勝負

2024年11月09日(土)

人生は山あり谷あり、だよね。

空っぽになってからが勝負だ。

ピーコがミッツに言った言葉。

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夕刊フジにピーコさんの訃報を書いた。


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ファッション評論家・ピーコさん 

「経験や知識も、一度すべて空っぽに...

それからが勝負なのよ」静かな衝撃、

人生そのものを表現した助言

夕刊フジ  長尾和宏 →こちら




IKKOさんやマツコ・デラックスさんなど、昨今はいわゆるオネエキャラと呼ばれるタレントさんがたくさん活躍されています。 その先駆けとなったのは間違いなく、ファッション評論家と映画評論家の双子のおかまとして名を馳せた「おすぎとピーコ」さんでしょう。


知的で、お洒落で、毒舌で...。そのピーコさんが9月3日に神奈川県内の病院で亡くなっていました。享年79。死因は、敗血症による多臓器不全との発表です。



おすぎとピーコさんは、数年前に二人とも認知症と診断され、2021年末より休業状態に。その後、一緒に暮らして老々介護をしていた時期もあったようですが、昨年より別々の介護施設に入所をされています。


この原稿を書くにあたり、いろいろな追悼記事を読ませていただきましたが、ミッツ・マングローブさんがAERA.dotに書かれたコラム〈ピーコさんとの記憶「人として、男として、オカマとして」〉がとても素敵でしたので、一部紹介させてください。



〈何かの番組でピーコさんと対談した時に、「今こうしてたくさんテレビに出始めて、とんでもなく忙しいでしょ? でもね、消費される側に回るとね、たとえどんなに暮らしが豊かになってもね、5年もすれば枯渇するのよ。それは覚悟しておきなさい。あなたが30年以上かけてインプットしてきた経験や知識も、一度すべて空っぽになるから。私もそうだった。全部の引き出しがすっからかんになった。だけど忙しいとインプットが追い付かない。それからが勝負なのよ」と言われたことを、今でも折に触れて思い出します〉  




ピーコさんがミッツさんに助言したというこの言葉に静かな衝撃を受けました。芸能界に限らず、人生そのものを表現しているように感じたのは僕だけでしょうか。  


どんなに積み上げてきた経験も知識も豊穣な人間関係も、歳をとって振り返れば、ただ春の夜の夢の如し。人生にも四季があるのです。鮮やかに眩しい夏を過ごした後、生い茂っていた葉は落ちて、枯れていく。それが「老い」ということなのでしょう。だけど、死はすぐに訪れてはくれません。  


人生の秋の終盤と冬をどう過ごすか? 色鮮やかな季節を思い出しているだけではもったいない。しかし、秋から冬に人は必ずや、何かかしらの病を得ます。


がんであったり、認知症であったり、糖尿病であったり...それも含めて人生なのだとわかっていない幼稚な人が、おすぎとピーコさんのことを「双子で認知症になって可哀想」だとか、「おかまの老々介護」なんてSNSで揶揄をする。 「放っておいて頂戴、あんたもいずれそうなるの!」というピーコさんの声が聞こえてきそうです。



ーーーーーーーーーーーーーー



ミッツさんとは、会って話したことがある。


大きな人だった。


彼(彼女)が踊っていた新宿2丁目の店も知っている。


芸能の世界では、どれだけ売れても、一度は空っぽになる。


でも、それを乗り越えてからが本当の勝負なのではないか。


吉本の松本人志さんにしても、これからが人生の勝負だろう。


もう充分にインプットしたはず。



さて、自分自身はどうだろう。


もうインプットするエネルギーもあまりない気がする。


当然、アウトプットにも終わりがある、ような気がする。




PS)

明日のライブは、残り少ないアウトプットの場。


死なないように頑張ります。


命短し、恋せよ、乙女。





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この記事へのコメント

今朝は簡素な「出棺の儀・火葬の儀」なので、早く目が覚めました。時間も短く、ご挨拶でうろたえてはいけないので、あわてて挨拶文をつくりプリントしました。さあ、「空っぽになってからが勝負」なのですね。これ、いただきます!

Posted by 匿名でごめん at 2024年11月09日 07:16 | 返信

今日のお話し、心にしみました。人間として、ごく普通の老いだと思います。私もいずれ、そうなります。だから、自分のしたい事、諦めずに、試みます。中には、御門違いと、つらくあたる方もいますが、自分に後悔の無い生き方をしたいです。長尾先生が、歌手をされている姿が、私に勇気をくれます。体調に自信がついたら、必ず、コンサートに行きますので、まだまだ、歌い続けて下さい。いつも先生の発信を楽しみにしています。

Posted by みかんです at 2024年11月09日 08:53 | 返信

長尾先生、お疲れ様です。

僭越ながら、私からの先生へのインプットの言葉としては、

「人生で、1つだけ、避けて通れないことがある。それは、『生きる』ということだ。」

ということでざいますよ。

よく、バカの1つ覚えいたいに、やたらと、「次世代がどうの」「次の世代がどうのこうの」などと、
いい気になって、のたまわっている人達を散見するたびに、「愚かな人達だな。」と、思ってしまいます。
なぜなら、たった今、生きてる私達こそが、まさに、「次の世代」なんです。生きてるわけですから。
それを、ある人は、次世代であり、ある人は次世代ではないというような、あたかも、存在していない人や動物がいるかのような言い方には、しょっちゅう、疑問を感じます。
これから生まれてくる人、という意味で言っているのかもしれませんが、そんな架空の話に酔いしれる暇があったら、たった今、必死で生きている生命体のことを考えろと言いたいですね。

こちらのブログを見ている賢者の皆さまに、ぜひ、お伝えしたいことは、地球誕生の歴史を考えてください、ということです。それは、いつのことでしたか?何千億年前とかですか?でも、誰も、正確には、それを計ることも証明することもできないんじゃないでしょうか?そして、その間、地球が誕生してから、現在に至るまでに、膨大な数の動物たちや人間が、生まれては死にました。そして、皆さんは、ここを、忘れていないでしょうか?その魂達と、私達には、決定的に異なる点があるということです。
それというのは、私達は、「 今、生きている。 」ということです。
永遠の時空に真の神が住まうならば、神の視点から見たら、有限である地上世界で、
『 この瞬間、生きている私たちこそが、地球上における、次世代の生命体 』に、他なりません。

今現在、生きている私達、そして、犬や猫などの動物たちもまた、同じ宿命を背負っているのですよ。
その宿命とは、避けて通れない宿命であり、それが、『 生きる 』ということではないでしょうか?
死ぬことだけが、避けて通れないのではありません。生きることも、避けて通れないのです。

だから、すべての生命体には、猛烈なエネルギーが与えられています。
それは、どういうことだと思いますか?大谷やイチローに限定されているようなことではありませんよ。
(両名とも、愛犬さん達から、エネルギーを補給されていたことは、微笑ましいわけですが。笑)

一見、寝たきりに見えるような人間や動物たちですらも、生きているということは、
そこに、凄まじいエネルギーが存在していることに他なりません。そういうことなんです。
生命というのは、本当に、神秘なんですね。
だから、それを無駄にして、他人に嫌がらせするだとか、貴重な人生を、くだらないことに費やしている人達は、ある意味、可哀そうな人達だなと思います。おそらく、死んでも浮かばれないでしょう。

生命の神秘についてですが、私は、そのことを、よく知っているのは、人間より、動物たちであると思います。特に、人間社会で、伴侶アニマルとして、古代から生存してきた犬や猫たちなどを見てますと、彼らは、自分達が、永久に、同じ姿で、この地上で生きられないことを知っています。つまり、寿命を全うしたら、死を迎えることを知っているのです。しかしながら、彼らは、その最後の瞬間まで、『生きる』ことを決して、やめません。そして、全力で耐え忍び、全力で『 生 』を祝福しています。
ですから、私は、そのような動物たちの中にこそ、生の輝きを見て、感動することのできる心を与えられていることだけは、自分でも、本当に、良かったなと感じています。
そんなことも、わからない人達も、大勢、いるからです。

そして、人間である私達は、より複雑化された、この社会において、常に、目に見えるかたちで、あるいは、目に見えないかたちで、常に、攻撃に、さらされています。であれば、それに対抗するためには、足を引きずってでも、対抗策のインプットを止めるわけにはいかないのです。それが、人間としての宿命でもあるのでしょう。どんなに敵が多くても、立ち上がり、立ち向かうことが求められている立場なわけですから、善人の人生とは、のほほんとした穏やかなものではなく、アグレッシブな勤勉さも求められる。当然、忙しい。外側から見たら、普通に、ただ、座っているように見えても、実は、頭の中は、ムチャ、忙しい。心の制御も必要です。なんで、そこまでやる必要があるのでしょう?
おそらく、人間のみならず、様々な生命体、犬だって、先生が生まれる前から、古代エジプトの壁画に描かれていた古代犬が先祖なわけですから、これまで、生きては死んできた、そういった古代から続く、数多くの生命体の魂達が、何かを、私たちのような人間に、託しているのではないかと考えます。
私たちは、託される側の人間です。愚か者と一緒になって、尊い生命体を攻撃する側の人間ではないのです。そんな尊い、神視点の次世代の私たちしか、本当には、敵を、やっつけられることができないのです。

この地上世界が、安全で、平和で、健全である、そういう本来の姿に、この地球を戻すために、
何も諦めていない、そんな大いなるエネルギーが、私たちの背後には、存在しており、決して、悪魔的な闇だけが存在しているのではない、ということなんでしょうね。

Posted by 釈迦に説法、ということで。 at 2024年11月09日 09:53 | 返信

シンクロ?とまではいえなく思い込みですが、今日、市営のジムとプールいったのです。では更衣室でかかっていた曲が、ゼロっていう歌で、ゼロぜロ123といって歌詞が少し響いた面があるおで、帰宅して知らない曲なので、歌詞検索したのです。TENSONG「ゼロ」という曲です。曲は更衣室では全部きいてなかったけれど、かえって歌詞見てこれが世間の美辞麗句の現実だと思いました。
スタートラインはゼロ。他と比べて駄目な自分なら、せめて無理に進まず元に戻って。すごくわかると思いました。生きづらい世の中だなと、空っぽ。空。ゴリ押しでなくゼロに戻ってからがスタートという意味では響きました。ピーコさん、楳図さん、西田さん。他、馴染みの人の訃報が続き世代交代を強く意識させられます。気持ちはいまだ高校生の頃は思い出せるのに。中身は子供のままなのに。
いつのまにか芸能人の名前がでてこない。思い出せなくなって衰え感じてます。

Posted by 心の中の応援者 at 2024年11月10日 11:30 | 返信

月世界のライブもお疲れ様でした。
勝手に大盛況だったと想像しています(笑)


愛について私自身が振り返ってみたら、子どもが生まれて少しした時を思い出します。

1歳になるかならないかの時、抱っこしながら近くのビーチに出かけ、曇り空の中テントに設置されているテーブルに子どもを下ろして、砂と海と空の誰もいない中でぼんやりしていました。
2人きりのなか、子どもだけがじっと私を見つめて幸せそうにニコニコ笑っていたのを見て、その時初めて今日まで生きてて良かったなあと思いました。
生まれてきて何の意味も感じられなかったけれど、この子に会う為に今まで意味があったのだと実感出来た。

これは自分自身の大どんでん返し体験。
でもこの子がいなければ、また父が亡くならなければ、かずくんにも出会うことも絶対になかっただろうな、とも思います。
人生って、不思議なものですね。


一度大どんでん返しを経験してしまうと、後は本当の意味であまり怖く無い。
そういう事も起こりうるのだと、割と平気で信じる事が出来るから。

おすぎとピーコさんの様な方は、覚悟と生きる前提が全く違うなあと思います。だから出て来る言葉が全く違う。

私の身の回り人達は“同性”の方ばかりで、“異性”の方が見かけないのですけど、それなりに距離感を保って話す感じ。
似た体であっても分からないし、違う性だったらもっと分からないのが普通で、相手が教えてくれる言葉をじっと聞いて考えてみるしかないのかなあ…と思います。


今日は自分も珍しく音楽中心の舞台を観に行ってました。
凄い演奏や舞台にも関わらず、主催者の挨拶が「自分の好きなことを日々続けて、自分に向き合う時間を大切にしましょう(していきたい)」という様な内容で、あっさりと締めたのが、本当に素敵だなあ〜と感じました。
後から思い出されてずっと心に残ります。


ちゅらさつきぬ かなしゃふに
なみんうたん ゆりりん

今日も、お疲れ様でした。

Posted by 白夢 at 2024年11月11日 05:36 | 返信

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