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ナベツネは老害だったのか?
2025年01月06日(月)
渡辺恒夫さんが、旅立たれた。
晩年の彼は老害とも言われた。
ジャーナリズムも臨終なのか。
渡辺恒雄さん
すべて「老害」批判は勿体ない
瀕死のわが国のジャーナリズムは臨終を迎えてしまったのでは
夕刊フジ 長尾和宏 →こちら
中曽根康弘氏が死んだのは、2019年、享年101。
石原慎太郎氏が死んだのは、2022年、享年89。
そして「昭和の怪物」と呼ぶべき最後の人が、年の瀬に旅立ちました。
読売新聞グループ本社代表取締役主筆、元プロ野球読売巨人軍取締役最高顧問として、多大な影響力を持っていた渡辺恒雄さんが12月19日、都内の病院で死去されました。享年98。死因は肺炎との発表です。
ほぼ老衰と同義の肺炎かと思われます。11月まで、定期的に会議にも出席したといいますから、最後まで頭脳明晰だったのでしょう。
2018年のこと。ネットに「ナベツネ死去」というニュースが流れたことがあります。僕はそのときすでに本連載を執筆していて、途中まで原稿を書いた記憶があります。途中でフェイクニュースと知り、慌ててデリートしながら、良かった、まだ生きていてほしいなと安堵したものです。
プロ野球ファンにおいては特に、過激な発言が多かったゆえ、好き嫌いが大きく分かれる人物だとは思いますが、もう二度とこんな人は現れないと確信をもって言える、凄い人だったことだけは間違いありません。 しかし「老害」と批判する人も 多くいました。
僕も高齢者になってしまったから、何か発言すると、「老害」とネットで揶揄されることもあり少し傷つきます。 自分にとってウザイことを高齢者が発言したならすべて「老害」としてシャットアウト? それは、あまりにも勿体ないことなのではないでしょうか。 若い世代と同じ発言をしていても、年寄りが言えば「老害」。
過去の貴重な体験を語り継ごうとしても、「昔話をするなんて老害だ」と...もちろん、やたらと話の長いお爺さんや、昔は美人だった、モテたなど自慢話ばかりのお婆さんは老害の域かもしれませんが。年上の人の貴重な経験は、今、混乱の時代を生き抜くためのヒントがたくさん詰まっているはずです。
それでもナベツネは老害だった!と思う人には是非、彼が残した著作を、改めて読んでほしいと思います。
1945年4月、東京帝国大学(現東京大学)入学直後に学徒動員で徴兵。戦争の愚かさを身をもって知り、終戦後は一時共産党に入党するも若干26歳で政治記者として永田町に足を踏み入れた渡辺さん。
その目で見たものは、日本の「戦後史」そのものです。渡辺さんの死によって、瀕死の我が国のジャーナリズムは臨終を迎えてしまったのでは。
もう15年近く前ですが、皇居お濠畔で車椅子の奥様と佇んでいる姿をお見かけしたことがあります。水鳥の行方を静かに眺めていたあの背中が忘れられません。
ーーーーーーーーーーーーー
ご存じのように、夕刊フジは、1月末で休刊になります。
従って、この連載もあと4回だけになりました。
何を書いても、必ずヤフコメでデイスられます。
でも、もう嫌な想いをすることも無くなります。
有名人の訃報は、案外、難しいものなのよ。
お悔やみながら、偲びながら、褒めすぎたら、デイスられる。
PS)
昨日の東大阪の講演会にお越しいただいた皆様、
主催者の皆様、本当にありがとうございました!
想いのたけの半分も伝えられませんでしたが、
なんとなくでもいいから察して頂ければ幸いです。
このご縁を大切にいたします。
今夜のニコ生のゲストは泉大津市の南出市長です。
彼のような市長が増えれば、日本は独立できます。
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この記事へのコメント
今晩は。
ジャーナリズムなんて、毎日新聞や読売新聞や朝日新聞等大手の新聞やNHKや日テレ等には、最初から存在していません。
テレビや新聞は、日本人の脳味噌を御花畑にしておく為に、米軍の心理戦争部門としてペンタゴンの金で作られた米軍施設です。
正力松太郎にピッタリ寄り添っていたのが、軍人で弁護士だったヘンリー・オールスウセン(共和党上議員議員のカール・ムントの部下)
ナベツネは、正力松太郎(ポダム)の手下。
中曽根康弘と正力松太郎との伝書鳩が、ナベツネ。
中曽根康弘が、亡くなった時、久々にビールを飲み、ナベツネが亡くなった時、シャンパンを開けました。
テレビや新聞は、コロナを演出し、注射型生物科学兵器を大衆が、欲する様に誘導しました。
注射型生物科学兵器は、ペンタゴンの資金で作られ、製薬会社のマークを付けて売られています。
日本は、生物科学兵器工場が、沢山有り、世界の生物科学兵器工場と言っても過言ではありません。
Posted by 三毛猫 at 2025年01月06日 01:42 | 返信
何が老害かと思います? 日本人は言葉遊びが好きですよね!
記者と言うのは私が男性だったら、なりたい職業でした。
学生時代、お遊びのような「新聞部」には入っていました。
その仲間のうち一人は数百倍の倍率を潜り抜けて、某出版社に
入社したけど、あとは専業主婦ですからね!出版社勤務の彼女も
30前には寿退社で、内部の上司と結婚して、めでたし!めでたし!
当時はそれが女性にとって、最善の道だったように思えます?
例え新聞社でストレートな記事を書いたとしても、
内容がストレートであればあるほど、ボツの山だったと思われます?
最近まで某女性記者が頑張っていたようですが、このところ鳴りを静めていますね?
但し、男性でも特別な場合を除き、署名記事があるわけでもないし、その点、
渡辺恒雄氏はカリスマ的だったとさえ思えます?
「ほめ過ぎ!」と反論がありそうなので、今日はこの辺で失礼いたします。
Posted by KNファン at 2025年01月06日 10:50 | 返信
老害どうのとなるとき、ケースバイケースですが、その人をみていったときに
変化がある、もしくは明らかに年齢によるものと感じさせるときですね。
例えば、男女関係なく、
若い時にはしなかったことをしだす、感情の起伏の変化、
認知症とも関係がないとはいえない、やはり若い時の初々しさ、純粋さは減る気がします。
リアルではあまり言うことがないと思うので、主にネット関連でみることでしょうか。
70歳を超えたら日常的に意識的に自分を振り返って気を付けないといけないのかもしれないと思ったり。
先生にはまだ先のお話ですが。
日常生活でも、公共機関などで老人が問題言動をしてもめたりするのを目の当たりにしてるので
複雑な心境です。
老齢になっても、若い時の良さを失わないでいけたらいいですが、努力も必要になります。
フェイクニュース先生そんなときあったのですね。
ネットの情報は事実ではないことも多いので、それをどう取り入れどうみていくのか、
どんな情報でもそうですが、常に注意が必要です。
Posted by 老害問題について思うこと at 2025年01月06日 11:12 | 返信
なべつねの頑固一徹と言えば、「靖国神社批判」!
生涯変わることはなかったようだ。
Posted by 匿名 at 2025年01月06日 02:11 | 返信
老害…
一言でいえば
この国を弱体化させるために
尽力した人…かな
Posted by アクア at 2025年01月06日 11:28 | 返信
かずくん、お疲れ様です。
ここはもうあまり寒くないのですが、病み上がりで大人しーく過ごしています。
そちらは寒くないでしょうか?
お花とお料理の話です。
動画も見終えた後から、安く手に入った山の様なマッシュルームと、セロリと玉葱のクリームスープを作っていました。
『素晴らしき、きのこの世界』の映画によると、きのこは菌類のお花だそうですが、材料自体が割と良いものを使っているせいで、さっきから味見が止まらなくて…(涙)なかなか文章が進みません。。
ほとんど肉類は入れていないのに、すごいコクが出るなあ…と感動します。
ところで、地元のコスモス畑も花が咲き終わると耕して田んぼの土の養分に戻します。
その耕した土に白鷺が数羽飛んできて、虫を探して突くのを見るもの風物詩なんですね。。
だからコスモス畑=稲作、です。
平地が少ない島ですが、母の地元は山の麓に綺麗な平地が広がっていて、早くから用水路が整えられていました。
一部は日本軍が◯◯工場を運営していたので、早くから整えられたと言われています。
お花がたくさんあると自然の一部がそこにあって、癒されます。
昔はよく枯らしていたけれど、今回は細かくお水も交換しているからみんなすごく生き生きとしている。
お祈りもしているけれど、部分的に行うと夢中になって時間がすぐ経ってしまう事もあります。
自然とは時には媒体でもあるのかな〜なんて思いながら。
南出市長さんは、幾つも幾つもメッセージがあって、多分全部書いていたら私が寝れなくなるので(笑)、今日は一番大きな印象に残った所だけ(笑)。またもう1回以上は聞いてみます。
毛布の歴史もとても好きなんですが、2つの鳥居がある神社について。
お米は農耕の神様で、織物は紡績の神様ですね。
実は私は子どもの頃から機織りが大好きで、もしそういう縁の場所に生まれていたら村から出ないタイプだったかも(笑)。その古いお話がとても納得でした。
南出市長さんは神様と繋がっている人だから、古い昔の人達がよく見えて伝わりますね。
こちら側から繋がれるように磨く必要があるので、立派な方なのだとお話を聞くまでもなく思います。
人口の増大・減少は、こういった事にすごく影響されるのだと実感させられました。
書きたい事は多過ぎるので、この辺で(笑)
また時々小出しに書くかも知れません。個人的に確認の為に聞いてみたい部分があるので、少しずつ聞き直してみると思います。
万が一それすら忘れてしまったら、ごめんなさい(笑)
かずくんも、たくさんのお話ありがとうございました。
どうでもいい話なのですが、絵本の「パンどろぼう」の絵と文に物凄くハマっていまして、パン好きのネズミが食パンの仮面を被ってパンを盗むお話なのですが、何とも温かく可笑しくほっこりさせられる(その理由がまだ言語化できていない)ほっこりする話です。
そのユーモア溢れる世界に少しでも近づきたくて、イラストを真似て描いたり何度も開いて音読したりしています。
暇では無いのですけれどね…。。
私の見ている子どもって、こんな感じだなあ…(みんなとは言わずとも…)
ナベ繋がりはほとんどありませんでした。スープぐらいかなあ。。
新春初ニコニコ、とても充実していたと思います。
今日も、お疲れ様でした。
Posted by 白夢 at 2025年01月07日 01:18 | 返信
渡辺恒夫氏の事は、良く存じませんけれど、とにかく東大出という感じですね。
お父さまが早く亡くなられて、お母様が教育ママで絶えず従兄と競争させられた。
苦労して東大を出たが戦争中で軍隊に入った。そこで古参兵に散々虐められた。
日本の軍隊は虐めの組織でとりわけ大学卒は、早く将校になれるというので古参兵に虐めの対象になった。
戦後は、共産党にも、近ずいたが、中にはいってみるとおかしなことばかり言うので脱退届を出したら、除名された。
その後新聞業界に、入って時の政権の自民党政治家と付き合って、意気投合したのでしょうか。
「東洋経済.2025年の1月11日号」の不動産.マンション新次元」に掲載されている田中英征氏の「石橋湛山を語る」の中で、保守本流は、吉田茂、石橋湛山、池田勇人、田中角栄、大平正芳、宮沢喜一と続き私(田中英征)もその流れで政治活動をして来た」と書かれています。
ところが「戦前の国策を肯定的に受け止める自民党本流の源流は岸信介。A級戦犯として巣鴨プリズンに収監されたが(なぜか)不起訴となって釈放。政界復帰を果たし、1955年の保守合同、自由民主党の結成を主導した。岸信介と安倍晋三が自民党綱領を作った」
「保守本流の思想的原点は石橋湛山だ。先の大戦に際しては当初から国策の間違いと批判していた。湛山をはじめ,大戦の反省を共有し、戦後日本を構想して運営した人達が保守本流だ」
自民党の党綱領は自民党本流の人達が作った。
気になるのは、なぜA級戦犯容疑者だった岸信介が復権できたのかだ。
米国の日本戦後史研究者マイケル.シャラーの「日米関係」とは何だったのかーーー占領期から冷戦終結まで」にはCIAから岸信介に金が出ていたという記述もある。
背後には冷戦の幕開けがあった。ソ連に加え中国の共産化が進み、日本でも社会党や共産党が力をつけ始めていた。一度は戦犯容疑で収監された岸が、米国にとっては必要な存在となってゆく。
渡辺恒夫氏はその岸信介や安倍晋太郎路線に、乗った。戦争中は、あんなに古参兵に虐められたのに、戦前の日本が正しいという岸信介の路線に乗って行った。
お父さまが早くに亡くなられて、お母様が、きびしかったからでしょうか。
やはり東大出は出世するのでしょう。
Posted by にゃんにゃん at 2025年01月07日 04:16 | 返信
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