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追悼、長嶋茂雄さん

2025年06月05日(木)

長嶋茂雄さんが89歳で旅立たれた。

日本人に夢と希望を最期まで与えた。

最も偉大なスーパースター、だった。

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メデイアは、長嶋茂雄一色なので、ここでは僕個人の感想を書く。



昨日、「徹子の部屋」に66歳の時の長嶋さんが出ていた。


僕と同じ年だった時のインタビューを聴いて

印象に残ったエピソードを書き留めておこう。




【印象に残った66歳の長嶋さんの言葉と僕の感想】



夜12時に寝て朝6時に起きる。6時間睡眠。(無理やな)

22時に寝ると眠れずに苦しい。(長嶋でもそんなのか)



毎日、30~40分、速足で散歩する。(いいねえ)


なんでも食べる。(俺と同じ)


現役の時は「1球目から振る、走る、そしてチームに貢献する」

(この初球から振る、という言葉は大谷翔平に乗り移っている)


諦めない。


集中する。


自分で興奮しながら、ノリながら野球をする。(そうありたいねえ)


メークドラマではなくメークドラマチックだった。


バランスを考える。(あまり考えられていないかも)


負けた試合はすぐに忘れて明日に集中する。(僕は引きずるタイプ)


小学生時代にお母様は電灯の下で内職でボールを造ってくれた。


小学校時代は一番身長が低くて、一番前なのでよく怒られたと。(意外)


ワンパクだった。ガキ大将。喧嘩は強かった。(僕はいじめられっ子)


スカートめくりのような恥ずかしい行為はしなかった。(僕はした)


初恋は中学生時。ラブレターを書いた。(同じく)

授業の休み時間にチョコっと話す程度。(分かるわあ、初恋だね)


初恋の人に同窓会で会った時は、何十年前に返り、不思議な気分になった。


金田には、4打席4三振ではなく、正確には5打席5三振だった。


屈辱だった。でも足元を見直すにはいい経験だった。(失敗をバネかあ)




野球は小学校4年生で始めた。(僕も同じころかな)


バッドは竹だった。それが野球人生のスタート。(僕はプラスチックバッド)


その頃は三角ベースだった。(やっていたねえ)

誰が考案したのかいまだに分からない。


母親に感謝している。(僕もそう)


66歳で監督も引退した。(僕と同じだ!)


老いを自覚はするが、鮮度を保つようにしている。(僕は無理)


「野球は大好き」  (素晴らしい!)


ーーーーーーーーーーーーーー




なんといっても

あの笑顔、

あのオーラ、

あの圧倒的な存在感は、

野球という枠を超えて、戦後の日本を元気にした人だった。


もちろん僕もそのひとり。


だから追悼の輪はなかなか収まらないだろう。


ありがとう、長嶋茂雄さん。


ご冥福をお祈り申し上げます。




PS)

初めて書くけど、

高校三年生の時、高校野球でピッチャーで投げたことが一度だけある。


小学校の時、父親が社会人野球のピッチャーで投げる姿を観たなあ。

今、その球場は阪神タイガース球場になっている。(尼崎市大物)


父親のバイクに乗せられて、阪急西宮球場まで

ナイターを観にいったことが何度かあった。


結構、僕も野球と縁があったなあ。


長嶋さんに会ったことはないけど、

リハビリの主治医とはお話したことがある。(その先生も他界された)



僕が、長嶋茂雄、と聞いてパッと頭に浮かぶのはこの歌だ。


「栄光の男」サザンオールスターズ(2013)  →こちら


前回のライブ(クラブ月世界と銀座ゼロ)で歌ったね。





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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

テレビで長嶋さんの「リハビリ風景」を観たことがあります。
ここ連日同じ風景が一部放映されていました。まさに「機械による特訓」ですね。
スポーツ選手にはお馴染みの「機械」でしょうね。
私が脳梗塞で、救急措置が終わって初めてリハビリ室に向かうとき、車いすに乗せてもらいました。
途中で看護師さんがブレーキをかけずに両手を離して移動されたため、車いすごと横に倒れ頭を強打しました。
椅子の上でもバランスが取れませんでした。リハビリ室に入ると、履いていた「草履」を脱がされました。
看護師さんに売店に「運動靴」を買いに行ってもらいました。平行棒に両手をかけても半歩も進めませんでした。
リハビリ室は「平行棒とミニ階段」だけで、長嶋さんがやられていたような「機械類」はありませんでした。
私は看護師さんに内緒でベッドと壁の隙間で「草履で騎馬立ち」。バランス感覚と室内歩行を回復しました。
その後は無くなったふくらはぎを回復するため、手すりのない院内階段で「昇降」繰り返しに挑みました。
棒を縦に「滑握」して体の揺れを吸収しふくらはぎを回復しました。
これは「五重塔の心柱」(東京スカイツリーの中心柱)理論を身をもって追体験しました。
長嶋さんとはやり方がまったく異なりますが、短期間に歩行回復に成功退院したことが「私の自慢」です。
いつもの我田引水ですみません。

Posted by 匿名 at 2025年06月04日 02:52 | 返信

今晩は。
野球少年だった頃の和宏少年のお話、聴きたいなあ〜〜。
スカートめくりの思い出や、初恋ラブレター書いた思い出少年時代のエピソードも(爆)。
同世代でちょっとだけ妹世代の私は、本当に興味津々です。
よかったらライブ会場で、宜しくお願いします。

Posted by あん at 2025年06月04日 09:48 | 返信

私は、ソフトボールは、バットもボールも購入して父を相手に練習しましたけれど、野球にはまったく興味がありませんでした。応援チームは阪神、とか広島カープとか西武ライオンズ、とか巨人ジャイアンツ以外は、何処でも応援しました。
長嶋さん、ごめんなさい。
ご冥福を、お祈り申し上げます。

Posted by にゃんにゃん at 2025年06月05日 08:56 | 返信

匿名さんの脳梗塞は以前も書かれていたので、

知っていましたが、いつ頃のことでしょうか?

何故なら、つい先日「体内年齢が16歳若い」と

お書きになってたので、どのくらいでそこまで

回復されたのか知りたいからです!

さて、血管年齢が予想以上に若かった私は

この歳(前期・後期高齢者の中間)まで内蔵や脳関係の

入院・手術が一切なく、最近白内障の手術をしただけです。

でも、いつ何時何が起こるか分かりませんからね!

Posted by KNファン at 2025年06月05日 10:05 | 返信

「長嶋さんのリハビリ」については、アスリートなら当然との声もありますが、
一般ではかなり多くの人が、勇気っけられは励まされたらしい。
私はインストラクターとして、くわしい情報が欲しかったが、推測しかありません。
要は、「筋肉か、勁路か」という問題です。
赤ん坊が立ち上がる時・歩き始める時、「筋トレ」は不要です。機械も要りません。
なぜ、整形外科医やインストラクターは、発言しないのでしょう。

Posted by 匿名 at 2025年06月05日 10:54 | 返信

今晩は。
野球は、御父様との良い想い出を思い起こさせるものなのでしょうね⁉︎
15歳から働き始めた頃から、お元気な頃の御父様が、先生の心の中に住んでいて、ずっと励まし続けていたのでしょうね⁉︎
先生は、御父様と御母様が、生きる筈だった年月も+して自分の好きな事して、楽しく生きて欲しいです。

Posted by 三毛猫 at 2025年06月05日 10:58 | 返信

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