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「桐島です」7/4公開!
2025年07月03日(木)
映画「桐島です」が、7/4に公開される。
7/4,5は新宿武蔵野館で舞台挨拶がある。
長尾は7/4に俳優や監督と2回登壇する。
新宿の武蔵野館の初日がやってきた。
7/4(金曜日)
1 9:45
2 12:00
3 16:45
4 19:20
そのうち、16:45の回と19:20の回に
僕は、俳優さんや監督と登壇し舞台挨拶する。
その回のチケットを買えばいいだけ。
明日です。
でもまだ残席あるそうです。→こちら
7/5も、2回、俳優さんや監督の舞台挨拶があるが、
時間は違うので、しっかり確認して行って下さい。
詳細は、新宿武蔵野館のHPをご覧ください。
確認してから、申込みください。
7/5は、僕は函館市のシネマアイリスで舞台挨拶する。
10:45からの上映後にトークショーを行う予定。
その後、函館市医師会が主催する「痛くない死に方」上映会
で、終了後に岡田先生と対談をする予定になっている。→こちら
7/6は、健康講演会を同じく函館市内で行う。→こちら
無料なので何人でもお越しください。
7/7は、岐阜県の郡上八幡から長尾チャンネルを生中継する。
この日だけは特別に、令和7年7月7日午後7時7分からです。
その後もいろいろあるけど、また紹介します。
PS)
「桐島です」の全国の上映館は、公式HPからご確認ください。→こちら
嬉しいことに上映館が日々増えています。
Xの「桐島です」公式ページでも最新情報が毎日載っています。

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この記事へのコメント
七芸で見ます。
でも先生の登壇日には日にちが合致しなさそうです。
先生のライブにも参戦していなくて、不義理ばかりですが・・
Posted by 近藤奈央子 at 2025年07月03日 09:01 | 返信
社会派作家高村薫が書いている。
「私たちは【いま】だけを見、見たくないものは見ない。」
「何もかもが古くなってガタがきている感じ。」
「誠実にものを作り、田を耕し、身体が動く限り働いて生きるだけである。
ただし、穴に落ちないよう足下に注意して。」
Posted by 匿名 at 2025年07月03日 12:15 | 返信
ビルボードで頂いた、チラシに依りますと、「桐島です」は、
①:7/4(金)なんばパークシネマ、MOVIX堺(大阪)、MOVIX尼崎(兵庫)京都シネマ、イオンシネマ和歌山、ユナイテッドシネマ樫原(奈良)。
②:7/5(土)第7芸術劇場(大阪十三)、元町映画館(兵庫)
③※7/11(土)尼崎、7/12(日)元町映画館、第七芸術劇場、京都シネマにて毎熊克哉、挨拶。って載っています。
今夜のNHKBS1の「フロンティア選」(身体障害の克服に挑む)は、膝から下が交通事故で亡くされた方や、首の障害で手も、足も動かない方が脳に電極を埋め込んで、パソコンのゲームの画面を見るだけで、ゲームができるし楽しめる。とか目が見えないけれど、ぼんやり見えるようになるとか、日野原病院勤務の女医さんは、小さい時から、耳の内耳に病気があって、聞こえなかったのに、はっきり聞こえるようになって、医学部で医師免許を取って、患者さんの立場でも考えることができる、素晴らしいお医者さんになりました。現代医学の悪口ばかり言っていた私でも、素晴らしいと叫んで泣いてしまいました。
従弟がNECに勤めているからと、贔屓してNECのパソコンにしたら、勝手に漢字変換してくれて困っています。
Posted by にゃん にゃん at 2025年07月03日 07:39 | 返信
かずくん、おはようございます。
『桐島です』いよいよ今日公開ですね。
金曜日なので、ちょっとだけ緩やかなスタートになりそうですが、土日を迎えて盛り上がります様にお祈りします。
考えてみたら、この映画は「過激派」を描いたはずでもあるのだけど、過激派と多分一番相性が悪いのが「生活」。
その、過激派だったはずの桐島聡の日常生活を描いた、「元過激派の日々」の裏物語でもありますね(笑)
そう書いてみると、何だかとっても長尾ワールドらしくも見えてきます。
活動家さん達は、極めたら右も左も一緒だなあ…って思う事が以前からよくあって、頑固で融通がきかなくて逸脱する反面、筋が通っているので、筋を通し続けると一つの問題の裏表を表しているに過ぎないと考えたりします。
一部無茶苦茶はみ出てしまう事もあるけれど、その中で絶対この人にしか言えない主張もあります。
そういったことは、見逃さずにきちんとモニタリングして、「正しい事は正しい」と認めて後援しないといけないなと感じています。
不器用なのは、多分誰よりも本人たちが一番よくわかっているはず。
だから、出来る時に私が変われば良いだけの話。
一般世間ではまだまだ、「全許容」か「全否定」かの極論の視点にこだわる方々も多いなあ…とは正直な感想なのですが、そんなに自分を捧げなくてもいいし、逆に自分の意見無いのかな〜、自分が無いのかな、と思う方なので、政治も相対的に見つめて必要な際は行動に移せるように準備しています。
政治って、本当は日常なんですよね(笑)
「過激派」を日常から追い出す手段として、「豊かさ」という経済が利用されたと思うのですけれど、その「代償」として日常で政治を語るのはタブーになった。
でも今お金を持っている側が特定の人間に決まっている以上、もうその集団のいいなりになるしか無い。
どれほど「豊か」であっても、貨幣経済を握る側の奴隷(家畜)にしか過ぎないのだろうな…というのが、はっきりと自覚しつつあるのが、桐島聡没後のこの50年ではないでしょうか。
「生活の中に政治を」
でも、そんなことって出来ますか?(笑) 親子・子ども・友達どうし、ご近所どうしで自然と話題に出来たらいいのだけど。
桐島が本当は身近な友だちのあの人だった、というのが何だか象徴的です。
かずくんと知り合う前から、極右も極左も、若い活動家はちょっとだけ応援してます。なんだかんだあっても、手を離さない事が大事かな…。なんて思いもあります。
では『桐島です』本日より映画公開、おめでとうございます。
今日も、応援しています。
Posted by 白夢 at 2025年07月04日 08:30 | 返信
観てきました。さすが若松組の伴明監督、よかった。音楽の内田勘太郎、「パリ・テキサス」のライ・クーダーのようだった。
Posted by 淀川短治 at 2025年07月04日 09:31 | 返信
今夜、十三の第七芸術劇場に行こうとおもいましたけれど、以前第七劇場でワクチンの話を聞きに行ったとき、夜の7時か8時で、物凄く待ちました。がんこ寿司でウナギを食べて(いつもスーパーで200円~500円の安いお寿司を食べているので)その後、パン屋さんの3階でパンとコーヒーを飲んで、ビールも飲んで時間を潰したので、今回も夜だとばかり思っていました。
いざ、行こうと思って、第七劇場を検索したら、昼の14:00でした。
最近の映画館って、むつかしいですね。一回しか見られないし。日曜日は、関電が来るし、火曜日は大ガスが来るし、最近、ユーキャンで社会福祉士の通信添削もしているので、なんだか成果が無いのに、貧乏暇なしです。
ケアマネジャーをして実務についていたら、ケアマネジャー協会で4000円くらいの安い添削講座が受けられるのに、私は実務についていないので、ユーキャンで添削してもらうしかありません。ずっと以前から、社会福祉士の勉強をしなければいけないと思っていたのですけど、でも資格を取るのと、社会学を漠然と興味本位で探索するのでは、面白みが、全くありません。
20年前のケアマネジャーのテストは易しかったです。
Posted by にゃん にゃん at 2025年07月05日 04:11 | 返信
「今」思うだけですが、映画の桐島さんは人がよかったから。「今」の三菱なら、ターミネーター2のサラコナーのようなイメージわかなかったりします。でも、映画は、もっと素朴で普通の現実なその辺の本当に日常、あるあるを描いてて、かえって新鮮。映画は特別な人でなく、普通の搾取の酷さを見せつけられながら、皆、見て見ぬふりに憤ってただけの、どこにでもいる一青年って感じでした。ただ、私は「今」本当に思うのですが、PC立ち上げても皆言わないけど、ドローンで撮影の広報でてきて、嫌がらせなのか例えば先生のブログ応援押すでしょう。そしたらダニのリアルなAI絵。バーンとトラウマなるくらい鮮明なハッキリくっきりAiダニ画像とダニ駆除のCMで、これ嫌がらせ?と思いました。その時だけですけど、たまに心の向きようや、何か思ってたことに沿うように「書いたことではない」思いに沿うように広告動画でるから「気持ち悪い」と思うことも多いです。先生が神奈川、昔はサーファーとかがいたところ?あたりの横須賀とか近いのか、あの辺の凄いラボとかの話スペースでしてくださったから。
みな、陰謀論とSFの固定観念から離れられないけど、以前友達とターミネーターのジェネシスか見に行ったのですけど、私が若い時友達とみた2とかのスカイネットとかドローンは「特撮」だったのですが、今、ドローンも「本物使ってるでしょう」しかし議論ならず「完全肯定」で経済の為にそれは仕方ないになってますよね。まるで進化とかキャッチにして加速させることがいいように。というか神様の流れでなく単にレイカーツワイルさんが権威もってて、お金持ちが投資して権威の力で人為的ではないのかなと思うときあるのです。温暖化は開発しすぎと周期的なものかもしれないですが。絶対テクノロジーの議論はスルー。やってもポーズ的にだけ。でもそんなに急ぐ必要が、産業革命で蒸気がでててくるまで太古から何世紀もそこまで激しい進歩も変化もなかったでしょう。色んな病気には苦しめられたでしょうが、自然破壊もそれほどなく、ゆったりと大きな変化なく進んできて、産業革命から猛スピード。今はもっと早く、早く、お年寄りと公園で話たりするときに、周囲の変化と長引く不況の話しながら、若い子の遊びがゲームが主流になった時代に、もう少しゆっくり進めばよかったのになと話したことあります。
何故、そんなに進化進化、どこの宣伝キャッチも進化使って。何故そんなに紙やアナログ嫌い、神様みたいに、でも大昔から最近まで、もっとゆったり進んできてそんなに激しい機械化なかったのにと思いませんか。何故か肯定させられてる印象です。そしてコロナ中、万博の広報と共に宇宙旅行の広報やISSの広報、IPS細胞つかってISSで生命の研究するなんて何の研究かはわかりませんが、テレビで散々広報してましたら。近畿大学もマンモスの復活で大昔の凍った細胞を復活させても当時の菌やウイルスまで復活させるから生命倫理には十分に気を付けてほしいとMBSでもキャスター伝えたのだけれど。
なぜか、このへん無批判で猛スピード。進化、ビヨンド、おもてなし、思いやりあたり凄く聞いてた単語でした。あと火星。
だから、なんだか万博のあのキャラのイメージがずっとこちらの細胞の敵みたいにみえて。目玉と赤いからだと思います。
GRADIUS V OP MOVIE
https://www.youtube.com/watch?v=q7MZKh1GibY&list=PLhJpaoVJGzYwe3SMmd4UIl-uTidTKkcWr
万博関連で本来は関係のない住まい関連も都市開発に巻き込まれて、税金あがるわ、保険料高くなるわで、大概迷惑と思ってたから。ポートピアとかそんなことなかったですし、昔の万博跡地の遊園地も好きでした。事故から閉鎖も覚えてます。花博も好意的で愛知万博も知らないだけで不祥事あったのかもしれませんが、行きたいが時間やお金の都合がはあっても、嫌いとか、どんな酷い面あっても何したってキラキラ広報したら何でも通るの?みたいな思いがあり、こちらが万博キャラのイメージと割とあうから苛立った時はガス抜きしてました。
サントリー ローヤル ガウディ編
https://www.youtube.com/watch?v=aWo1aNdn6fQ
あとはこちらですね。チラリと赤い目玉の精霊みたいなのがうつりますでしょう。
子供の時に魅かれたCMです。ガウディのサクラダファミリアも若い時から魅かれる建築物ではありました。今、完成まぢかで話題でよくその話題もでましたから。インテリア関連の授業の先生が、サクラダファミリアを建設する話をきかせてくれて、凄い貧乏な建築家さんが、神の啓示ではないけれど、いろんな人の協力を得てと、結構不思議な縁の話とともに、すごく清貧な、経済的に苦しかったとガウディがこの教会を建てるインスピレーションえたときの小話きいたことはあります。
時空を超えて、時代をこえて、という感じでは今のビヨンド、~を超えてという言葉がよく使われ、投資含めてビヨンドやイノベにお金が集まる時代には、今のよくわからない世間のイメージとしてはあうCMと思います。今日、テレビつけたら、政治の議論のテレビやってまして、竹○さんがゲストで、もう見てないのですが、いくら尤もらしい議論しても「何をやっても」竹○さんとか橋○さんが出演できる時点で信頼なく、出演ほされたり、逮捕とかきけば今の政治も世の中も信用できるかもと思ってしまったりします。
Posted by 心の中の応援者 at 2025年07月27日 04:38 | 返信
『安楽死制度擁護の論理構造:反対論への批判的再検討』先生のXからこちら読ませてもらいました。
こちらは納得。あとは本人が苦痛を感じてるか分らない状態。その時にどうするか。昏睡だけでなく、生きたいのか、生きたくないのか、はっきりわからない場合。「生物」は基本的には「生きたい」方向に向くと思うのです。ただ痛いのが余計耐えられなくて、うちの甥姪とかそういったときにまず、「死の概念」が解ってるのかもわかれない。痛いはわかって苦痛な表情は浮かべるでしょうが、もし癌とかなら、家族もこれ以上はと思うけれど「あくまで本人の気持ちは分からないままになりますから」苦痛な表情しても生きたい人は生きたいでしょうし、回復の見込みないなら、やはり家族的にも楽ししてあげたいという気持ちはあるし。そのへんの線引きが、「優生学」に都合よくつかわれなければいいのですけど。あくまで苦痛の視点からみて、救済視点なら今回の話は真面目でよかったと思いました。
私が気になるのはヒトラーは優生学というか「社会の構成員」それを自覚できるものしかいらない。
国の一部で国に貢献するという意識もたないやつは社会保障の無駄だと考える、そういった意識からかなと。実際は人種はユダヤ人の子供を可愛がってたりもしたりしたときあったらしいから、人種そのものより、社会の構成員として国や社会に貢献しないものは資源の無駄だと考えてそうで、そこが引っかかってます。
Posted by 心の中の応援者 at 2025年08月03日 03:19 | 返信
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