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村上龍さんの言葉
2026年10月27日(火)
村上龍さんが残した言葉に魅かれる。
一度もお会いしたことがないけども。
親近感というか共感に震える日々だ。
以下、Xでみつけた「はな」さんのポスト。→こちら
僕が気に入ったコメントだ。
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村上龍が亡くなった。今でも村上龍の言葉をスマホに入れて、悔しいことや迷ったときに読み返してる
・衣服が汚れたり、不潔になったりしてくると、人間はプライドが無くなって、不注意になって、敵からやられる。
・美しいものと一緒にいると、自分は間違っていないと思える。
・美人は三日で飽きるというのは、ブスの自殺を救うための嘘である
・目標は達成するもの。達成できないのは100%自分のせい ・唯一の復讐の方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う
・人間は誇りを持たなくてはいけない。 食べ物と水だけでは本当は人間は生きていけない。 誇りを持つことが大事だが、それよりもっと大事なことがあって、それは誇りを持っていることを誰にも言ってはいけない。
・何かを知るということは、何を知らないかをはっきりさせることでもある
・やりたいことや欲しいものは、そう思ったその時に始めたり手に入れようと努力しないと必ずいつの間にか自分から消えてなくなる。
・自分の欲しいものが何か分かっていない奴はその欲しいものを手に入れることができない ・『俺は必ずやれる』という意思と喜び、それを才能という。決め付けちゃいけない。才能が無いと決め付ける方が楽だ。
・無力と思っても、無能と思ってはいけない。
・いつもキラキラしていろ、他人をわかろうとしたり、何かをしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたり何かをしてもらおうとしたりするな、 自分がキラキラと輝いているときが何よりも大切なのだ。それさえわかっていれば美しい女とおいしいビールは向こうからやってくる。
・SEXより気持ちいい瞬間をどこかで持つ事が出来るかどうかで男の価値が決まる ・要するに、輝くということは、 ただちょっと偶然に立ち話をしたような他人にも 元気を与えるということだ。 だから人間は輝いてないといけないのだが、 それは簡単ではない。 清潔にするという行為が、集中力を生んだり、自己嫌悪を無くしたりする。
・移動にこそ、価値があるのだと思う。人と出会うことが人生の目的なのかもしれない。
村上龍は、私の人生見てる?って思えるくらい、10代からそばにあった。成人してから「これが村上龍の小説に書いてあった世界か」って思う出来事会うと面白かったし、1型糖尿病患者の小説が出た時も、読んだ直後に自分が発病し驚いたけど、おかげで予備知識があったことで助かった。 龍さんがもういないなんてつらい。。。。
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同感だ。
次に「秘密結社+M」さんのポストに目がとまった。→こちら
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村上龍を、マッチョでスノッブな「成熟した大人」の作家として読む。 じつに、安い読解である。
セックス、暴力、金、ワイン、料理、ホテル、車、海外経験。 世界の仕組みを知り、自分を律し、欲望を選別し、一流と二流を見分ける。そこに完成された男性像を見る。
何も読めていない。 村上龍が書いているのは、むしろ、「一流を知る成熟した大人」という自己像の、容赦ない解体である。
世界を知っている。女を知っている。金の使い方を知っている。うまいものを知っている。いいホテルを知っている。素人と玄人を見分けられる。
その「知っている」の堆積が、村上龍のテクストでは次第に滑稽なものへ変わっていく。 なぜなら、その鎧の内側にいる人間は、少しも完成していないからだ。 『限りなく透明に近いブルー』を異様な小説にしているのは、セックスやドラッグではない。
皮膚、血、光、虫、食べ物、匂い、音。世界の細部が、皮膚を直接こするような解像度で迫ってくる。 そこにいるのは世界を支配する強者ではない。
刺激を遮断できない、無防備な身体だ。 強さが書かれているのではない。強さを必要とするほどの脆さが書かれている。 『コインロッカー・ベイビーズ』の中心にあるのも、巨大な暴力ではない。捨てられた子供だ。
巨大な音、巨大な都市、巨大な破壊。 小さなものが、小さいままでは生き延びられない。だから巨大になる。 料理、ワイン、車、ホテル、音楽、服。村上龍が執拗に書き込む固有名詞も同じである。
それを「一流を知る男」の審美眼としてありがたがるのは、小説のアイロニーを、そのまま人生訓として受け取る間抜けだけだろう。 ここに村上龍をめぐる最も倒錯した誤読がある。 彼が戯画化している「大人」に憧れ、その身振りを模倣し、それを村上龍の思想だと思い込む。
アイロニーの標的になっている人間が、アイロニーを自分への賛辞だと思っている。 村上龍が書いているのは、成熟ではない。 傷つきやすい身体。捨てられる子供。消えてしまう美しいもの。世界から切断されることへの恐怖。それでも世界に触れていたいという欲望。
だからセックスがあり、暴力があり、爆音があり、美食がある。 まだ感じられるか。 その問いが、ずっと身体に突きつけられている。 マッチョイズムもスノビズムも、その問いを覆う鎧にすぎない。 その鎧を「成熟した男の美学」として鑑賞するのは、村上龍を読むことではない。
村上龍が笑っているものを、真顔でありがたがっているだけである。
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ドキッとする考察だらけだ。
こうなったら村上龍さんの小説をしっかり読まないとね。
PS)
まだ喪失感から逃げられない。
龍さん、ありがとうございます。

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