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またまた、1週間の在宅医療
2010年03月16日(火)
医学生と一緒に訪問してちょうど1時間後に、静かに息を引き取られました。まるで私の午後の診察に支障を来たさないかのように・・・。わずか1週間の在宅医療でしたが、看取られた数人のご家族はとても満足されていました。死後の処置をしてくれた訪問看護師さんも清々しい顔で戻ってきました。しかし、どこかに引っかかるものがあります。
わずか、1週間という時間です。退院調整に1~2週間。退院して数日。地域連携室を通した在宅医療は、このパターンが実に多いのです。家に帰れただけ、まだよかったのかもしれません。ご家族に「家で看取れてよかったね」と声をかけると「ホント、よかったです」と大きな声が奥さんから返ってきたので、救われました。
末期がんの平均在宅期間は1ケ月半です。それなのに退院調整と称して、意味もなく病院に縛りつけておける神経が理解できません。人権蹂躙だと声を出しそうになる時もあります。この方も、意味もなく退院を延期されていました。医療者は言い訳をします。「ご家族の不安があるので」と。不安なのは医療者自身の死生観ではないのか?
1週間たてば不安は軽減するのでしょうか?反対でしょう。
医療者が一番分かっていません。人生の一番大切な数日を、どこで、誰と、どう過ごすのか。
私ごときが、何度叫べど、何度書こうと、世界は何も変わりません。医療者自身が間違っています。病院は死ぬところではありません。少なくともこの方のように、本人や家族が在宅での最期を希望されている限りは。
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この記事へのコメント
「あんなに帰りたがっていた自分の家に
智恵子は死んで帰ってきた。」
という智恵子抄の一節が頭に浮かびます。
人生の最期が自宅で過ごせない、こんな重大な事がナントナクそう運ばれてしまう。でもまだ世の多くの方はそこに選択肢のあることを知らずにいます。
主人の父も数年前に奈良のホスピスで亡くなりましたが、最期に自宅に連れ帰るという発想は当事の私にはありませんでした。またそれができる立場でもありませんでした。
義父はきっと帰りたかったのではないかとと思います。というか、人生の最期に自宅に帰りたくない人っているんでしょうか?そう思うと義父に申し訳ない気持ちで一杯になります。あさっては娘の小学校の卒業式です。それがすんだら、連休のどこかで義父のお墓参りに行って参ります。
先生、連投失礼いたします。
心に響くのでついコメントしてますが、私のはスルーで結構ですよ~♪
先生の文章は私のようなド素人にもわかり易く、本当に勉強になっております。
Posted by チズ at 2010年03月17日 01:48 | 返信
チズさま
>「あんなに帰りたがっていた自分の家に智恵子は死んで帰ってきた。」
>という智恵子抄の一節
まさに、この一節に日々の思いが、集約されます。
スタッフたちも同じでしょう。
そうか、病院での講演は、この一節から始めればいいんだ!!
ありがとうございます。
Posted by 和 at 2010年03月18日 02:33 | 返信
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