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石黒大圓さんからの、「いのちの風」

2010年12月12日(日)

石黒大圓さんから、「いのちの風」のメルマガが届きました。
彼は、梅田のホームレス支援など数々ののボランテイア活動をされています。
11月23日の「いのちと出会う会」での、私の講演についても書いて頂きました。
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ホームレスの方の世話をしながら、
「彼らから何かを教えてもらっている気がする」という
石黒さんの何気ない言葉が印象的でした。

時間が許せば、また應典院さんに
遊びに行こうと思います。

また、石黒さんの活動から目が離せません。
以下、石黒さん発行のメルマガから引用させて頂きます。

いのちの風 614 
平成22年12月9日(木)発信 石黒大圓(だいえん)
 

 

【今回のテーマ】 
「いのちと出会う会」&100回記念例会開催趣旨/長尾先生記念講演趣旨
 

 

いつもありがとうございます。 もう今年もあと一ヶ月。 先月11月23日・火・祝に「いのちと出会う会」100回記念例会をとり行なわさせていただきました。 今までの話題提供者様にも参加いただき無事終了いたしました。 
 
ここまで至るには多く話題提供者や参加者の皆様、應典院事務局の皆様のご協力があったためと感謝しております。 話題提供者の皆様はたくさんの方々にご紹介していただき感謝しております。 またいい時期に倫理法人会へ入会させていただき素晴らしい多くの講師をここからお呼びすることもできました。 本当に「ついて」いました。
 
以下は100回記念例会の配布書類のなかに入れたものと会場で読み上げさせていただいたものです。
 

 

【「いのちと出会う会」開催趣旨】     
 

 

「いのちと出会う」は私の個人的な体験から誕生しました。 平成元年から9年までの間に妻子を相次いで病いで失ないました。 妻子の死に直面し、「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」などの問いがかけめぐりました。 
 
第1回の「いのちと出会う会」に講師として来ていただいた南吉一先生と、幸いにも平成11年にご縁ができました。 南先生は枚方で「在宅ホスピスあおぞら」を主宰され、会場の「あおぞら」を基地として「終末期患者の在宅ケア」の支援を開業医としてされていました。 
 
そしてこの「あおぞら」の事務所で「終末期医療」などの勉強会もされておられました。 またこの「あおぞら」で「大阪生と死を考える会」の会長の谷荘吉先生にもお会いしました。 そこへ私が参加したのがすべての始まりでした。 
 

 

ある時に南先生から「石黒君、大阪でもこのような勉強会をしてはどうか」と問いかけがあり、既にご縁があった應典院の秋田光彦住職さんに相談しました。 このような生と死や終末期の問題について、市民が考える会を、應典院の会場を自前ででも借りてやりたいと訴えました。 
 
幸いなことに秋田さんもそのような会を作りたいと思っておられて意気投合しました。 「いのちと出会う会」の命名は秋田住職でした。 そして「いのちと出会う会」を應典院寺町倶楽部の年間行事として位置づけ、私も寺町倶楽部実行委員として司会を拝命しました。 
 

 

昔は死を語ることはタブーでした。 しかしE・キューブラ・ロスの著書「死の瞬間」が出版され、「生と死を考える会」のアルフォンス・デーケン教授の「死の準備教育」などによって、死を語ることが市民権を得ました。 
 
もう死について考えない、縁起が悪いという時代ではありません。 人は死に向き合った時に真に自分の人生の意味や生きがいについて振り返り見るのではないでしょうか。    
              
              
現在では死は病院死が圧倒的になってしまい、日常生活で大事な死を見る機会が隠されています。 先のJR事故を見ても、人生いつ何が起こるかわかりません。 まさかの時の人生での危機管理の心構えとして死を考えることは、自分の人生観や死生観を築く上で大事だと考えます。 愛しい人の死と向き合うことで自分自身と向き合うことになります。 
 
そして多くの話題提供者の皆様の人生体験を聞かせていただくことで「生老病死」について多くの気づきをいただき、これからの人生の糧とさせていただきたいと思っております。
 

 

「10分間 自己紹介スピーチ 石黒大圓」 
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro553/inotinokaze580-2.html
應典院HP
http://www.outenin.com/about/index.html
應典院HPのなかの「いのちと出会う会」開催予定と趣旨、過去の開催記録(第1回~)
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html
    
 
 
 
【「いのちと出会う会」100回記念例会開催趣旨】

 

 

このたび皆様のおかげをもちまして「いのちと出会う会」は100回を迎えることができました。 これはひとえに多くの話題提供者の皆様、参加者の皆様、應典院スタッフの皆様の賜物と心から御礼申し上げます。 
 
平成12年に「いのちと出会う会」は始まりました。 当初はこの会は「生と死を考える会・天王寺支部」のような内容として、医療や生と死の問題について考え、参加者相互が分かち合うことが多かったのです。 
 
しかしこの会を通して私が釜ヶ崎や野宿者支援に関わりだしてから、話題提供者の幅が広くなってきました。 そして国内外で社会活動をされている方々も話題提供者としてお招きすることが多くなりました。
 

 

そして「死」を見つめることは「生」を見つめること。 いかにこの人生を意義あるように輝いて生きるかを考えるのが「生と死を考える」意味だと思うようになりました。 そのために次第に「死」よりも「生」に軸足を置くようになってきました。
 

 

この会で皆と本来の「生老病死に関わるいのち」について考えました。 しかし今このように日本国民として恵まれた生活をさせてもらっているのは、過去の日本のご祖先のおかげと思い「日本のいのち」にも関心がわきました。 またこの恵まれた生活は自然の恵みの中で生かさせていただいていることから「自然のいのち」にも感謝する姿勢となりました。 
 
日本は世界の中で孤立して生きることはできません。 世界の運命は日本の運命でもあります。 恵まれている日本と恵まれることの薄い国々やそこに住む子供たちの「いのち」。 その「世界のいのち」にも深い一体感を感じます。
 
私たちが生かされている陰には多くの「いのち」があります。私たち一人の「いのち」を超える「大いなるいのち」への目覚めが大事ではないかと考え始めました。 
 

 

今まで「いのちと出会う会」で話された99名の話題提供者の方々の「いのち」。 その話の中で語られた多くの「いのち」の姿。 そしてそれらを聴かせていただいた参加者という多くの「いのち」。 様々な「いのち」の交響曲が「いのちと出会う会」の中で奏でられてきました。 これからもこの響きを日本中の人々に伝えていきたいと思っています。
 

 

またここで死の準備教育や死生観といったものを学ぶうちに、私はますます自分の存在の意味を考えるようになりました。 「妻子を失ったことの意味するものとは?」「私は誰?」「私はどこから来てどこへ行くのか?」「なぜ今ここに生きているのか?」「今この時代、この国に生きている意味は何?」・・。  
 
そのような問題意識を日本国民の多くが心に持ち行動すれば、この国をすばらしい国に再建できると思い始めました。 
    
 
妻が亡くなる5日前の日記に震える手で「元気になったら、お世話になった方々に恩返しをしていくんだ!」とあります。 私の「いのちと出会う会」の活動は妻の代わりに世間に恩返しするものです。 そして亡き2人が後ろから押してくれていたおかげで、ここに到れたと感じ、心から妻子に感謝する次第です。
 
今後も應典院というすばらしい精神的価値を発信している宗教施設で、末永く「大いなるいのち」についても、皆様とともに考えていける場を提供していきたいと思っております。 
 
 
 
【長尾和宏先生記念講演「地域でつなぐ、いのちの絆」 開催趣旨】
 

 

「いのちと出会う会」の話題提供者の方々のお話の多くは、最後の結論として「お陰様」や「恩返し」に行き着いています。 生老病死の苦難を乗り越えられた時に、多くの人々の支えによって生かされたという発見から、「お陰様」の気持ちやお世話になった人々に「恩返し」をしたいという行動に結びついています。 
 
その結果、その人の人格がひとまわりも大きく変容しています。
 

 

さらにそこから広がって世間の多くの人々にも支えられて、ここまで生きて来られたことへの発見があり、昔から言われる「報恩感謝」の思いから、見ず知らずの人々へも、そのご恩を返ししていきたいとの思いにつらなってきておられます。
 
今、地域の絆がうすくなって無縁社会と言われ、多くの「いのち」が孤独死やイジメ、無差別殺人、虐待、家庭内殺人などによって理不尽な最期をとげています。 それだけではない。 「いのち」そのものの存在理由が問われる時代になってきています。
 

 

また「いただきます。ごちそうさま」さえ言えない教育のなかで、人間以外の「いのち」にさえ目を向けない風潮に疑問を持ちます。
 

 

戦前の女性詩人、金子みすゞ の詩のなかに「大漁」というものがあります。
 
「朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰯(おおばいわし)の 大漁だ。 浜は祭りのようだけど。 海のなかでは 何万の鰯(いわし)のとむらい(葬式)するだろう。」
 

 

この世の繁栄の一方で、その裏では悲しんでいる多くの人や生き物がいる。 しかしその悲しみがわからない人もいます。 コンビの一つひとつの食品のなかに、どれだけ多くの人々の「おかげ」と「ご恩」、そして生き物の「いのち」によって我々は生かされているか、がわからない人々が増えています。
 
「ありがとう」や「感謝」の反対語は「当たり前」と言われます。 自分の幸せは自分の努力の結果として獲得したものであり、今得ている幸せは「当たり前」だ、「感謝」など必要ないという人々。 
 
さらにマザーテレサが言われたように「愛」の反対語は「無関心」です。 「愛なき世界」が身近な人にさえ関心を示さない無関心世界「無縁社会」を生んでいると思います。
 

 

私は家族の死を経験して終末期医療の学習会へ参加し、「人生の最期の時期が幸せなら、過去の自分の人生すべてが幸せと感じられる」と語る患者が多いことを知りました。 また私の個人的なことですが、ホームレス支援に関わることで同じように「人生の最期を冷たい路上で死ぬのではなく、畳の上で死なせてあげたい」との思いに至りました。
 

 

このような考え方に無理解を示す人が多くなっています。 これは「人のことはどうでもいい、私だけ、私の家族だけが幸せであったらそれで良い」という戦後教育や戦後の繁栄が生んだ自己チューの成れの果てと思います。
 

 

せめて病人や老人を、その人生最期の瞬間において、長尾先生などが献身的に支えておられる在宅医療によって救ってあげてほしい。 末期患者が白い病室のなかで白いカテーテルの管だらけになって一人寂しく亡くなっていくのではなく、家族が患者の手を握って、ひとときのこの世での別れを告げられる温かい医療となってほしいと思います。
 

 

末期患者が最期を過ごすホスピス施設の多さが、その国の心の豊かさを示しているといわれます。同じように献身的に患者の介護をする家族や在宅医療を志す医者の多さが、この日本という国の心の豊かさを世界に示すバロメーターです。
 

 

今、言われている日本のなかの無縁社会において、いかに人々の縁をつなぎ合わせるか。 私たちの心の中に「感謝」「ご恩」「愛」の気持ちを再生させることが緊急の課題と思います。 その温かい思いやりを失った日本は没落していくのみです。 
 

 

人はいったん断ち切られた心の絆を再び結び合わせられた時、その人の魂は復活するのではないかと思います。 その意味で医療現場の立場から、地域での温かいネットワーク作りや介護に奔走されている長尾先生の活動は注目に値します。
 

 

これからの時間、長尾先生がいかに地域の中で温かい絆を作り上げておられるか。 病人や老人に日々関わって来られた経緯や成果をお聞きしたいと思います。
 
 

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