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政治に参加しないものは獣か神
2011年01月03日(月)
サンデル教授の講義は今夜も延々と続く。正直眠くなる。
アリストテレスの「政治学」では、「政治に参加しないものは獣か神」と書かれている。
政治とは善と美徳。これは、紀元前の哲学者が残した言葉。
アリストテレスの「政治学」では、「政治に参加しないものは獣か神」と書かれている。
政治とは善と美徳。これは、紀元前の哲学者が残した言葉。
難しくて半分程度しか理解できない。
しかしじっくり聞いているだけで、
キーワードだけは、覚えることが出来る。
善とは何か?
難しいので、権利、正義と分けて、議論されている。
今夜は、まず奴隷制度について論じられた。
続いて、ギリシャ時代の哲学者アリストテレスの
「政治論」、「正義論」、「目的論」の整合性が議論された。
・人間は政治的動物。
・善と美徳が重視される。
アリストテレスが言う政治の目的とは
・市民が良き生を生きること
・市民の美徳を高めること
政治に参加するひとのみ、ポリスで生活することができる。
だから政治に参加しない人とは、
・ポリスに住まないもの
・獣か神
幸福とは美徳に基ずいた魂の活動である。
政治とは魂の活動である。
以上のことが実行するのが政治家。
だから政治とは名誉でもある。
政治とは、美徳を持つものを選び名誉を与えること。
続いて、「目的論」から、ゴルフの意味が論じられた。
ゴルフは歩くべきか?という議論。
足に障害を持つプロゴルファーが、カートの利用を認めないという
PGAを訴えたという事例を示す。
最高裁は、訴えを認めよ、との判決をさした。
アリストテレスの目的論からの判決であったのか。
しかし、これは間違いである。
歩くことが、ゴルフの本質か?
歩くことはゴルフの本質でなない、と。
ゴルフは、スポーツか娯楽か。
ゴルフに目的は無い。
単なる娯楽だ、と。
だから、裁判所での議論ではない、と判断された。
そもそも、ゴルフは本当にスポーツなのか?
ゴルファーはスポーツと認められているのか?
何故カートの使用を認めないのか?
認めるとスポーツ競技ではなくなる?
ならば、パラリンピックに参加すればいい。
ジャックニクラウスは、法廷でカートの使用に反対した。
ゴルフはスポーツである。
スポーツとは、卓越性と名誉の配分という要素である。
ここで、アリストテレスの、「名誉の配分」が出てきた。
正義とは、このような「卓越性」の問題でもある。
正義とは、適合させること?
歩くことがゴルフの本質か?と
いう単純な議論についていくら議論しても
永遠に結論は出ない、ということが分かった。
正義とは、そのような善の概念を認める代わりに
「自由」を与えて、多数決に任せる。
そもそも、アリストテレスは、本当に正しかったのか?
アリストテレスは、実は、奴隷制度を擁護していた。
奴隷制度は、正義にかなった存在とされた。
・必要性(家事から解放されなければいけない=雑用ロボット)
・奴隷は、適合性がある。
アリストテレスは、こんないかがわしい言葉も残している。
「生まれつき奴隷に適した人間が存在する」
「彼らの存在は、奴隷でいることで活きてくる」
このように、古典的議論(目的論など)は、自由を軽視していた。
では、
権利は善に優先するのか?
自由とは、何か?
愛国心と正義、どちらが大切か?
これらは次回。
しかしじっくり聞いているだけで、
キーワードだけは、覚えることが出来る。
善とは何か?
難しいので、権利、正義と分けて、議論されている。
今夜は、まず奴隷制度について論じられた。
続いて、ギリシャ時代の哲学者アリストテレスの
「政治論」、「正義論」、「目的論」の整合性が議論された。
・人間は政治的動物。
・善と美徳が重視される。
アリストテレスが言う政治の目的とは
・市民が良き生を生きること
・市民の美徳を高めること
政治に参加するひとのみ、ポリスで生活することができる。
だから政治に参加しない人とは、
・ポリスに住まないもの
・獣か神
幸福とは美徳に基ずいた魂の活動である。
政治とは魂の活動である。
以上のことが実行するのが政治家。
だから政治とは名誉でもある。
政治とは、美徳を持つものを選び名誉を与えること。
続いて、「目的論」から、ゴルフの意味が論じられた。
ゴルフは歩くべきか?という議論。
足に障害を持つプロゴルファーが、カートの利用を認めないという
PGAを訴えたという事例を示す。
最高裁は、訴えを認めよ、との判決をさした。
アリストテレスの目的論からの判決であったのか。
しかし、これは間違いである。
歩くことが、ゴルフの本質か?
歩くことはゴルフの本質でなない、と。
ゴルフは、スポーツか娯楽か。
ゴルフに目的は無い。
単なる娯楽だ、と。
だから、裁判所での議論ではない、と判断された。
そもそも、ゴルフは本当にスポーツなのか?
ゴルファーはスポーツと認められているのか?
何故カートの使用を認めないのか?
認めるとスポーツ競技ではなくなる?
ならば、パラリンピックに参加すればいい。
ジャックニクラウスは、法廷でカートの使用に反対した。
ゴルフはスポーツである。
スポーツとは、卓越性と名誉の配分という要素である。
ここで、アリストテレスの、「名誉の配分」が出てきた。
正義とは、このような「卓越性」の問題でもある。
正義とは、適合させること?
歩くことがゴルフの本質か?と
いう単純な議論についていくら議論しても
永遠に結論は出ない、ということが分かった。
正義とは、そのような善の概念を認める代わりに
「自由」を与えて、多数決に任せる。
そもそも、アリストテレスは、本当に正しかったのか?
アリストテレスは、実は、奴隷制度を擁護していた。
奴隷制度は、正義にかなった存在とされた。
・必要性(家事から解放されなければいけない=雑用ロボット)
・奴隷は、適合性がある。
アリストテレスは、こんないかがわしい言葉も残している。
「生まれつき奴隷に適した人間が存在する」
「彼らの存在は、奴隷でいることで活きてくる」
このように、古典的議論(目的論など)は、自由を軽視していた。
では、
権利は善に優先するのか?
自由とは、何か?
愛国心と正義、どちらが大切か?
これらは次回。

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