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それぞれの津波と防災意識
産経新聞5月7日掲載、震災シリーズ第2話
2011年05月29日(日)
これは気仙沼で、震えながら書いた文章です。寒かった・・・
イーモバイルがかろうじて飛ばせて、なんとか寄稿できました。
同じ5月に書いた文章なのに、なんだか、遠い昔のような気がする。
それぞれの津波と防災意識
ボランテイアは自己完結で 震災シリーズNO2
私は4月28日から7泊8日の予定で被災地入りしています。岩手県、宮城県と南下しながら傾聴ボランテイアを行っている途中です。遠野市、大槌町、釜石、陸前高田市、大船渡市、気仙沼市(大島を含む)、南三陸町、女川町、石巻市、東松山市、仙台市、名取市とゆっくりとかなり危険な場所も含めてクネクネと回ってきました。4日間の移動距離は560km程度です。毎朝7時に出発し様々な場所での傾聴、支援物資の手渡し、夜は現地での情報交換、深夜は震えながら原稿書きをしています。今後、相馬市、南相馬市、いわき市と南下する予定ですが、丁度半分の行程を終え時点での文章です。新聞やテレビではあまり報道されていない被害地を巡っている4人組の変なオッサンです。避難所、病院、巡回診療のみならず被災地に茫然と立たずむ被災者の生の声を聞き、記録もしています。1日1日があまりにも重く、切なく、100年分(まだ生きていませんが)にも感じます。いくら阪神・淡路大震災を経験したとはいえ、今回は全く異質の災害です。阪神淡路大震災は「地震」でしたが、東日本大震災は「大津波」です。
沿岸部はまさに壊滅的としか言いようのない被害です。現地に足を踏み入れると津波の威力は人間の想像を遥かに超えています。言葉では上手く表現できません。東北地方は近年、過去何度も大津波に襲われていますが、今回は人間の想像を絶するスケール。医療の無力さを感じるばかりです。被害の様相はそれぞれの地区にそれぞれの形がありました。たとえば山が迫った町と平野部が広い町では、津波被害の質も量も大きく異なります。今は、「それぞれの町にそれぞれの津波災害がある。全部が違う」としか言えません。今回の災害に学んだことはただ一つ。「過去の経験を活かして町の地形に応じた防災意識を高める以外にない」です。あまりにも甚大な自然災害なので、メデイアからは状況が断片的にしか伝わりません。震災からすでに50日以上経過しました。しかし被災地にはまだほとんど人の手の入っていない場所が沢山あります。
そんな中、全国から数えきれない数のボランテイアが来てくれています。北海道から、沖縄から、香港から来たひとも。70歳代のボランテイアもいれば、被災者でもある高校生ボランテイアもいます。涙が出ます。各自治体は分担を決めて、例えば尼崎市は気仙沼市を支援しています。4月19日から宮城県石巻市でのボランテイア参加された知人から聞いた話です。なんと2泊3日(うち車中1泊)というハードスケジュール。2日間、津波を被った民間のヘドロかき作業に汗だくになって従事。怪我と隣り合わせのかなりの危険作業も。しかし途方に暮れていた老人には涙を流して感謝されたそうです。まるで蟻のような作業。各地での膨大な仕事が待っています。作業服、作業靴、防塵マスク、ゴーグル、カッパなど自らの完全装備は必須です。テントでのカップラーメン生活程度は覚悟してください。必ずボランテイア登録をしてください。ボランテイアはどこまでも自己完結が求められます。まだ水道・電気が無い場所が沢山あります。体力・精神力に自信がない方は無理されない方がいいかと思います。(5月2日記)
キーワード:気仙沼市
宮城県北東端、太平洋沿岸の三陸海岸に位置する人口約73000人の市。東日本大震災で大きな被害を受けた。死者690人、行方不明者1531人、約1万が疎開中(4月11日現在)
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