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ブータンと立谷・相馬市長
2011年11月23日(水)
妙に似合って!いた。
生・立谷さんをご覧になった皆様、市長のメルマガをお読みください。
◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/11/21号 No.261 ━━━◆
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みなさんこんにちは、相馬市長の立谷秀清です。
今回は、私の書き下ろしエッセー「ブータン国王陛下」をお届けします。
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●ブータン国王陛下
11月18日。ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク第5代ブータン国王陛
下ご夫妻が、ご結婚後初の日本訪問の公式行事の合間をぬって、被災地激励の
ために相馬市をご訪問されました。前日からメディアでも大きく取り上げてら
れていたため、相馬市民のみならず各地から、ひと目でいいからお会いしたい
との電話を数多くいただきました。相馬市滞在のご予定の90分のうち前半の40
分が桜丘小学校での子どもたちとの交流、後半の40分が私の担当で被災地を視
察されたいとのご希望でした。お若くておきれいな王妃を伴ってのご旅行は、
日本にも、相馬市にも大きな希望を与えましたが、特に、桜丘小学校の生徒た
ちには貴重な経験になったと、有難く存じております。こころを込めて練習し
た小学生たちの歌声を聴いていただいた上に、国王が信条とされている「あな
たの心の中にいる竜を鍛え育てよ」という力強い教えを受けた子どもたちの今
後が楽しみです。
ブータン国の歴史は決して平穏なものではありませんでした。19世紀までは
国内の宗教対立を伴う部族間の抗争が続き、また隣の大国チベットからの圧力
にさらされ、小国ゆえの苦労が絶えなかったようです。1907年、それまで地方
の有力豪族だったワンチュク家が支配権を確立し、世襲王朝制をとってからの
一世紀は統一王国としての統治がなされてきましたが、人口70万人の小国が激
変の20世紀のアジアを生き抜くには、先代までの国王のご苦労は大変ものだっ
たろうと推察されます。現に、かつてブータン国に幾度と攻撃を仕掛けてきた
チベットは、国家としては既に存在していません。
5年前、国王に即位されたジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下は
まだ31歳。しかしこの間、立憲君主制への移行という大仕事をすでに成し遂げ
られています。いたずらに西洋化を進めず、民族衣装を纏いながら、伝統と信
仰に生きようとする国家理念は、現代文明に振りまわされてきた我われ日本人
にとっては新鮮でもあります。
さて小学校から被災地に向かった国王陛下ご夫妻を、私は松川浦漁港の被災
現場でお迎えしました。相馬市長と紹介していただくと、陛下は手を差し伸べ
られ、私は市民を代表して訪問の御礼を申し上げながら握手に応じましたが、
失礼を畏れずに申し上げれば、陛下は実にさわやかな好青年でした。お妃とは
仲の良いご兄妹といった感じでした。
はじめ、松川浦漁港の高台から撮影した震災記録動画をiPADで見ていただき
ました。組合の市場がコンクリートの柱だけを残して破壊される映像が、いま
立っているこの場所で現実に起きたこと、そしてガレキを撤去して一部仮復旧
しながらも、獲れる魚に少量ながら放射能が検出されることから、残念ながら
漁に出られないこと、あちらで陛下に向かって手を振っている漁師の奥さんた
ちは、それでも希望を捨てないで仮設住宅で頑張っていることを説明申し上げ、
「陛下、畏れ多いお願いですが、彼女らに勇気を与えていただけないでしょう
か?」
すると道路の向こうにお進みになり、およそ1メートルの距離まで近づいて
陛下がスピーチされました。「私たちは今まで日本から大きな援助と勇気をい
ただいてきました。この度の震災で被災された皆さんの礼儀正しく統率された
姿に感銘し、尊敬の気持ちを持っております。ブータン国と日本は強い友情で
結ばれています。私は助け合い励まし合うつもりでここにきました。皆さん希
望を持ってください」
1964年に海外青年協力隊としてブータンにわたり、農業の改善に尽くして彼
の地に没した西岡京治さんのことをお話になっておられると思いました。Goog
le earth で見るブータンの国土は、山の斜面に幾層にも重なる棚田が美しい。
きっと人々の気持ちも美しい国なのでしょう。市民に対して、陛下にこのよう
に言っていただけるご功績を残された西岡先生にも敬意を表したいと思います。
次に尾浜海水浴場の駐車場に移動しました。今ではガレキもすっかり片付い
てコンクリートの基礎だけが無機質に続く尾浜地区の被災状況を、A4判のパネ
ル7枚を使って説明させていただきました。印象的だったのはパネルを覗き込
むお妃の悲しげな表情です。国王陛下から常に一歩下がって、ともすれば私よ
り後ろに位置取りをされる控えめな方でしたが、あの方は豊かな方だと思いま
す。この平地になっている住居跡には2000人を超える人々が平穏に暮らしてい
たこと、そのうちこの地で146人が命を失ったこと、相馬市全体で言えば6000
人を超す人々が家を流されましたが、9割の方々は避難をして尊い命を失わず
に済んだこと、避難誘導に当たった消防団員の勇気によって多くの命が助かっ
たものの、10人の団員が職務に殉じたことをご説明したとき、陛下は大きくた
め息をつかれました。「ですから我われ相馬市民は、相馬市が続く限り彼らの
ことを忘れてはならないのです。5月には、私たちが立っているこの場所で、
日本国天皇皇后陛下に被災者のための祈りを奉げていただきました。まことに
恐縮ですがブータン国両陛下にも黙とうを賜れないでしょうか?」
陛下がお着きになる前に3人の僧侶の方が、すでにお祈りを済ませた小さな
祭壇とカーペットが敷いてありましたが、頷いた陛下はカーペットにお進みに
なり、私に隣に来るように手招きをされました。そうすると私はお二人の間に
割って入るようになるので、さすがに遠慮申し上げたいと思いましたが、お妃
も当然のように離れて私の場所を空けるので、已む無く私が中央の位置取りに
なる形での黙とうが始まりました。
僧侶の方がお経を唱えながらの数分間でした。私はいつものように、亡くな
った親戚や知人の顔を思い出しながら合掌しましたが、もう一つはお若い国王
ご夫妻のこれからの人生に、幸多からんことを祈らずにはいられませんでした。
やがてお別れの時間となったので、私は絶版となった「そうま駒焼」の一対
の湯飲みと、相馬市災害対策本部発行の「中間報告書」を記念に差し上げ、
「お幸せな人生を」とお二人に申し上げてお送りしました。
私はお二人のひた向きさに、大きな勇気をいただいたような気持ちでした。
子どもたちも市民も同じような感慨をもってくれたのではないかと思っていま
す。将来にむけての相馬市の復興は私たちの仕事ですが、ブータン国の今後に
おいて、陛下にはどうか勇気をもって立憲君主国家のリーダーとして困難を乗
り越えていただきたいと願って已みません。
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■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
TEL 0244-37-2115
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この記事へのコメント
本当に、久しぶりに爽やかな1週間。こんなに素敵な、多くの人を魅了する国王陛下ご夫妻がいらっしゃる。人口70万なのにか、それとも、だからか、吹田市の2倍の国民。日本の首長で、或いは政治家で、こんな魅力的な人がいるか。何故、こんな素敵な人が育ったのか。色んな感慨が湧いてくる。
TVなどの報道で、相馬市での国王陛下ご夫妻の様子は、何度も拝見したが、その裏には、こんな事があったのですね。先日神戸で、お話を伺った魅力ある政治家、立谷市長だからこそ、こうした背景が生き生きと伝わってくる。更に、感動が深まりました。
Posted by 小澤 和夫 at 2011年11月23日 08:48 | 返信
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