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がん拠点病院の地域連携
2011年11月30日(水)
がん拠点病院の地域連携室から紹介状が舞い込む。
張り切って準備しても、本当に退院される方は、半分以下。
半分以上の方は、退院準備の間に、病院で「望まざる最期」を強要される。
これって、人権問題じゃないの?と思う時がある。
がん拠点病医の医療者には、在宅や生活という発想が無い。
自分や家族が病気になってはじめて、気がつくこともある。
病院のMSWばかりを責めるのは、筋違い。
人間の尊厳を忘れた巨大な集団を恨むべきなのだ。
しかし、トップが変われば、全部変わる、変えられる。
橋下劇場を見て、そう確信した。
ここまで来ると、トップタウンでしか変えられない。
どうか、リーダーだけでも、この現実に目を向けて欲しい。
かろうじて自宅に生還した患者さんが、数日で亡くなることもある。
何百回も言ってきたが、
助からないなら、もっと早く、自宅に帰して欲しい。
がん拠点病院には、地域連携という言葉が無い。
紹介してもらうときだけで、終末期には連携無し!
がん拠点病院が、がん終末期医療のがんである!
がん拠点病医の医療者には、在宅や生活という発想が無い。
自分や家族が病気になってはじめて、気がつくこともある。
病院のMSWばかりを責めるのは、筋違い。
人間の尊厳を忘れた巨大な集団を恨むべきなのだ。
しかし、トップが変われば、全部変わる、変えられる。
橋下劇場を見て、そう確信した。
ここまで来ると、トップタウンでしか変えられない。
どうか、リーダーだけでも、この現実に目を向けて欲しい。
かろうじて自宅に生還した患者さんが、数日で亡くなることもある。
何百回も言ってきたが、
助からないなら、もっと早く、自宅に帰して欲しい。
がん拠点病院には、地域連携という言葉が無い。
紹介してもらうときだけで、終末期には連携無し!
がん拠点病院が、がん終末期医療のがんである!
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この記事へのコメント
吹田で、「吹田在宅ケアを考える会」が発足して5年。今年、漸く、「吹田在宅ケアマップ2011」(在宅療養支援診療所:11訪問看護ステーション:7が参加)を発行、ホームページも。吹田市内の在宅療養支援診療所49にしては参加が少ないし、診療内容にも不満があるが、「組織が出来たこと」が嬉しい。
毎年2回、公開のセミナーを開催してきているが、在宅医の皆さんは、「もっと早く、在宅に」と、仰せ。患者にも責任があるが、がん拠点病院が、急性期病院が、組織として動いて下さるにはどうすればいいのか。病院の先生方、匿名で結構なので、そのポイントを、是非、示唆して頂けませんでしょうか。以上
Posted by 小澤 和夫 at 2011年12月01日 10:56 | 返信
最期(臨死期のみならず数ヶ月を含めて)をどこで過ごしたいか?の意思確認を、いつどこで誰が行うか?ですよね。患者と家族の心の準備も必要でしょうし。
急性期病院の腫瘍内科などでは、「癌の進行にブレーキをかける」、いわば癌と戦う治療を行いますね。化学療法もいつかは効かなくなってしまうわけですが、前向きに治療しようとしている人に、最期の話をするのははばかられる場合が多いですね。
ギアチェンジという言葉は好きではないですが、積極的癌治療が限界にきても、多くの人はまだ何か方法があるのでは?と希望を持ちたいものです。そこで医療者が積極的に在宅や転院を促すと、「見放された」とか言われてしまうし。いよいよ具合が悪くなるまで外来でフォローしながら、やっと死期が近いことを受容してはじめて在宅医につながったりホスピスに入ったり。ホスピスも入院まで半月~1ヶ月かかることもあり、入院に至らない方や入って数日で亡くなる方もいますね。
在宅の立場から、もっと早く送ってくれ、という気持ちもよく分かります。ただ患者と家族が死を受容する心の準備ができないうちに周りが周到に動いてしまうと、不信感を招きドクターショッピングされてしまうかもしれませんね。
Posted by 内科医K at 2011年12月01日 05:33 | 返信
K先生:有難うございました。早速のコメントを頂けるとは思ってもみませんでした。嬉しいです。
1.患者・家族サイド:仰せのように、まず、患者・家族の死に対する日頃の心構えです。「人は死ぬ」事は知っていても、「自分が死ぬこと」を前提に、具体的には考えようとはしない方が多いのではないでしょうか。公開講座や出前講座を通じて、少しずつでも、市民の皆さんに呼びかけてはいますが・・。
私たちは300通余りのアンケートを市民の皆さまから頂きましたが、85%の方が「最後は自宅で」と希望されています。それが可能だと考えておられる方は20%、難しいと感じておられる方は65%。難しい理由は、①家族に迷惑 ②急のときに診てもらえる医師がいない、です。
でも、自分の最期は自分で決めようではありませんか…尊厳死であり、自然死であり・・。勿論、最後まで治療をというのも選択肢の一つです。
2.医療サイド:最近、2か所で、医療者と患者の間・・のセミナーがあって、参加しましたが、そこで気がついたのは、「医療者は、患者に言っていれば通じていると考えている」ということでした。「それが本当には、患者さんにどのように伝わっているのか」までは考えていないように感じました。ここは、どうすればいいのかを考えています。 以上
Posted by 小澤 和夫 at 2011年12月02日 11:42 | 返信
患者になる立場の者として、全くその通りだと思います。
「死期が近いことを受容する」ことがどのようにして出来るのか、そのプロセスが豊かでない限り失望しかないと思います。
理想の医療と、医療現場の現実と闘う先生方のご苦労を心からお察し申し上げますm(_ _)m
Posted by 桜 at 2011年12月03日 07:30 | 返信
小澤先生、おはようございます。
1.患者・家族:「どこで死にたい?」と聞かれれば、多くの人が「自宅で死ぬのが理想かなあ?」と漠然と思うでしょうけれど、自分が何歳で何の疾患で逝くのか?とその時家族の介護力がどの程度あるのか?によって実にたくさんの想定ができますね。具体的にイメージすればするほど、「その時になってみなければ分からない」というのが現実かもしれません。配偶者に介護されるつもりでいても、配偶者の方が先に逝っているかもしれないし、その時に自分に正常な判断能力が残っているかどうかも分からない。
私はホスピスで死にたいわ、と思っていても末期がん(とエイズ)でなければホスピスには入れませんし。
私はかつて在宅療養支援+看取りもやってましたし、病院での診療+看取りも、ホスピスでの緩和ケアも経験があります。それぞれの良さはあります。
「自分の最期は自分で決めようではありませんか」延命処置に関する予備知識と心構えはあったほうがいいと思いますが、その時の死に場所までは決め切れないかなあと思いました。
2.医療者:確かに医者の話を患者・家族が「はい、はい」とうなずいて聞いているから分かっているのかと思いきや、「実は頭が真っ白で何を言われたか覚えていない」ということがありますね。忙しい外来の限られた時間できちんと大事なことを伝え、理解していただくためのコミュニケーション技術は難しいですね。
病診連携や病病連携は、都会よりも地方の方がスムーズな場合もあります。お互い顔見知りで信頼関係ができていると話が早いです。
Posted by 内科医K at 2011年12月03日 08:12 | 返信
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