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在宅医療はまだ認知されていない
2012年02月29日(水)
国を挙げて推進している「在宅医療」。
しかし、まだ全く認知されていない。
エって思う方は、続きを読んで欲しい。
しかし、まだ全く認知されていない。
エって思う方は、続きを読んで欲しい。
この10年、強力な在宅医療誘導政策が取られている。
この春の診療報酬改定も、在宅医療だけがアップする。
儲けるために在宅医療に専念する若い医者が増えた。
しかし、一見、メジャーになった感がある在宅医療だが、
霞が関や永田町ではまだ認知されていない。
政治家は、みんな病院で死ぬ。
在宅医療なんてインチキだと公言する議員もいる。
医師会はどうだろうか?
表向きは賛成しているように見える。
しかし「在宅には絶対に手を出すな」と会員に脅迫している医師会もある。
明らかに、本音と建前は違うのだ。
在宅医療が認知されていないと感じる点。
1)在宅診療科が無い
内科、外科などと同じように、「在宅診療科」があるべきだが、
そんな診療科目は無い。
「日本在宅医学会」や「日本在宅医学会専門医」はあっても、
「在宅科」や「在宅診療科」は無い。
作らせてもらえない。
2)在宅医会が無い
医師会の中には、「内科医会」や「外科医会」、
「泌尿器科医会」や「皮膚科医会」など、すべての診療科の医会がある。
しかし、在宅は診療科も医会も無い。
3)レセプト審査でも考慮されない。
内科、外科、整形外科の平均点数はある。
しかし在宅は、在宅科がないため、平均点数がない。
平均点数が高い=悪、なので、「個別指導」という厳しい取り調べを受ける。
医師会は、在宅医を認めない。
在宅医会を認めない。
在宅レセプトの別枠審査を希望しない。
医師会が在宅を認知していない。
だから市民は認知しない。
永田町も認知しない。
僕らは、まだ認知されていない医療をしている。
医療界の、異端児。
いつ捕まってもおかしくない。
これだけ、在宅、在宅と言われながらも
医師会が認知していないのが現実。
医師会長自身が在宅を絶対に認めないと公言している地域もある。
まあ、あとで笑われるのが落ちだろう。
それでも、毎日、粛々とやっている。
面白くて楽しい世界にまだ気がついていない医療者が9割以上。
この春の診療報酬改定も、在宅医療だけがアップする。
儲けるために在宅医療に専念する若い医者が増えた。
しかし、一見、メジャーになった感がある在宅医療だが、
霞が関や永田町ではまだ認知されていない。
政治家は、みんな病院で死ぬ。
在宅医療なんてインチキだと公言する議員もいる。
医師会はどうだろうか?
表向きは賛成しているように見える。
しかし「在宅には絶対に手を出すな」と会員に脅迫している医師会もある。
明らかに、本音と建前は違うのだ。
在宅医療が認知されていないと感じる点。
1)在宅診療科が無い
内科、外科などと同じように、「在宅診療科」があるべきだが、
そんな診療科目は無い。
「日本在宅医学会」や「日本在宅医学会専門医」はあっても、
「在宅科」や「在宅診療科」は無い。
作らせてもらえない。
2)在宅医会が無い
医師会の中には、「内科医会」や「外科医会」、
「泌尿器科医会」や「皮膚科医会」など、すべての診療科の医会がある。
しかし、在宅は診療科も医会も無い。
3)レセプト審査でも考慮されない。
内科、外科、整形外科の平均点数はある。
しかし在宅は、在宅科がないため、平均点数がない。
平均点数が高い=悪、なので、「個別指導」という厳しい取り調べを受ける。
医師会は、在宅医を認めない。
在宅医会を認めない。
在宅レセプトの別枠審査を希望しない。
医師会が在宅を認知していない。
だから市民は認知しない。
永田町も認知しない。
僕らは、まだ認知されていない医療をしている。
医療界の、異端児。
いつ捕まってもおかしくない。
これだけ、在宅、在宅と言われながらも
医師会が認知していないのが現実。
医師会長自身が在宅を絶対に認めないと公言している地域もある。
まあ、あとで笑われるのが落ちだろう。
それでも、毎日、粛々とやっている。
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この記事へのコメント
私の父は5年前に、脊椎圧迫骨折で、在宅医療を受けていたのですが、冬になって、年明けに急に、40度の熱が出て、医者に「インフルエンザと出たから救急病院に入院して!」と言われて、嫌がる父を無理やり、入院させたら、10日後に「MRSAだ」と言われて、尿道カテーテルも引き抜かれて、「俺は死ぬ」と言って、亡くなりました。もうすぐ88歳でした。
母は「私はどんなことがあっても、家で死にたい」と言っています。
母も87歳ですから、これ以上の長生きは望めませんが、楽に死なせたいと思っています。
Posted by 大谷佳子 at 2012年02月29日 01:41 | 返信
適切な問題提起ありがとうございます。
スティーブ・ジョブズもご自宅で亡くなったんですがねぇ・・・
日本はまだまだでしょうか。
Posted by みどり病院 清水 at 2012年02月29日 09:45 | 返信
あ~、もう、そうなんですか!
わかりました、死ぬことになったら尼崎に引っ越します。
先生診てくださいね。
ちゃんとそのときまでハンサムでいてくださいね!
Posted by ノンノン at 2012年02月29日 01:35 | 返信
私の父は在宅医療のお世話になっております。ずいぶんと在宅の先生を探しました。東京23区在住ですので、それなりに在支診の数はありますが、その実態はさまざまです。ある意味密室で行われる医療ですから、治療、投薬に疑問があっても、そして病院での適切な治療があればなくなることはないと思われる症例でも、「お年ですから」で済んでしまい、家族の方もそれで納得してしまうということも起こりえます。老人といっても看取りが目標で生きているわけではありません。看取りはあくまでも結果です。弱くはあっても、生きてある日々を豊かにするために在宅医療があると私は思っています。そのためには在宅医療の質を担保しなければなりません。例えば、ハード面では、開業にあたり保有機器類の義務化(ポータブルレントゲン、迅速CRP測定キッドetc.)、ソフト面では、ドクターの診断能力や資格(病院に採用されるために当然重要視されるさまざまなバックボーン)などを整備していかなけば、「在宅はインチキだ」とかいわれても「ハイ、その通り」ですし、だれからも認知されません。
老人にとっての(末期がん患者もおなじでしょう)在宅と病院での治療のそれぞれのメリット、デメリット、それぞれの自ずともつ限界を冷静に比較し、互いに補完しあうべきではないでしょうか。病院の全否定は理性的とはいえません。私の父も、肺炎になったときは、大学病院に入院しております、そうしなければ助かる命も助からないと思うからです。
在宅医のトップランナーである長尾先生、いろいろな方面の提言・キャンペーン(町医者目線ではまったくありませんね)にお忙しいことと存じますが、ぜひ足元の在宅医療の底上げ、充実のためにご尽力いただきたいと思います。認知・評価はその後にされていくものです。
Posted by lulu at 2012年03月04日 05:04 | 返信
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