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被災地の医療再生は「地域包括ケア」で

2012年03月31日(土)

今日発売の、日本医事新報は、被災地の医療再生について書かせて頂いた。
被災地には、「地域包括ケア」しか無いと思うし、わずかでもお手伝いしたい。
以下、日本医事新報から一部、転載させていただく。
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日本医事新報 町医者で行こう3月号 
      被災地の医療再生は「地域包括ケア」で  長尾和宏

 

これからが支援の本番

 あの日から1年が経過した。地元関係者はもとより医師会、大学病院、病院協会をはじめとする医療者の被災地支援の迅速さに日本の医療界の底力を感じたのは私だけではないだろう。しかし、阪神の時とは異なり今回は「医療」の出番がそれほど多くは無かったように感じる。むしろ看護師や保険師の活躍が際立った。一方、亜急性期から慢性期における介護系ボランテイアの活躍も素晴らしかった。筆者はこの元旦、気仙沼市の面瀬中学の仮設住宅にいた。そこでは災害看護を専門とする看護師や学生ボランテイアたちが集会所に寝泊りし、被災者の健康管理を継続していた。1月3日には入居者に集まってもらい健康管理等の講話を依頼された。しかし平穏な町で暮らす人間が彼らにいったい何を伝えればいいのか、言葉が出なかった。仮設住宅群がまるで病棟のように見えた。何軒かの仮設住宅を訪問したが「狭くて牢屋のようだ」とか「死にたい」という言葉を耳にした。また自主避難者や半壊住宅を補修して生活する方々の家も訪問した。みんな抱きついてきた。泣いていた。欲しいものを聞いたら「コタツ」との返事。それを買うお金も無い現実に愕然とした。PTSDの子供は外で遊べなくなっていた。震災前は海が見えた窓には、海が見えないようにスモークが貼られ、川に近い仮設住宅では子供たちがフラッシュバックに病んでいた。気仙沼、南三陸、石巻、名取などを再度訪れたが、GW時と状況はあまり変わっていないと感じた。瓦礫の積み上げまではできても、そこで停止していた。阪神は、都市部でもあり表面上は予想より早く復興した。しかし区画整理に10年近くかかったところもあった。そして17年経過した現在でも喪失体験に喘ぐ方が周囲に何人かおられる。阪神もまだ終わっていないのに東北が起きた!その想いを震災から4ケ目の7月11日発行の書籍(共震ドクター 阪神、そして東北 エピック)にぶつけた。阪神の二の舞を繰り返して欲しくないからだ。しかし早すぎたのか反応は少なかった。いまなお苦しんでいる人たちの力になれない自分自身の無力さを恥じている。しかしこれからが支援の本番だ、と思い直している。

 

支援する人を支援する

 被災地支援はこれからが本番。しかし具体的に何をすればいいのか分からないという人が多い。私もその一人。顔の見える「ピンポイント義援金」や「ふるさと納税」については既に述べた。今回は支援する人を支援することを提案したい。長期的な復興支援では、ボランテイアの支援も大切な仕事だろう。彼らが疲弊しないように物心両面からの支援があるといい。現在でもボランテイアで活動されている医療者も多い。遠方から通う支援者が多いが、職場を退職して被災地に移住して奉職する志の高い医療者も出てきている。私のような者は、中途半端な活動をするより、彼らを支援することが一番だと思い至った。

 被災地の医師たちも、仮設診療所や病院で頑張っておられる。しかし高台移転という難問の行く末がまだ見えない現状では見通しがたたないだろう。仮設の住宅内の仮設診療所という光景は17年前に見た。御苦労が多いだろうが頑張って欲しい。日本医師会も長期的な支援を続けることだろう。これまで在宅医療を行ったこともなかった医師も在宅医療をはじめられた、と聞いた。関西のあるロータリークラブのご厚意で一台の往診車が寄贈された。その車が活躍している様子の新聞報道は支援者たちの大きな喜びとなっている。

一方、今春からNPO法人への寄付控除税制が緩和されると聞く。特定NPO法人という縛りが緩和されハードルが低くなるらしい。NPO法人への寄付にも、税額控除という施策が適応される予定だ。被災地では復興のための多くのNPO法人が既に立ちあがっている。被災自治体へのふるさと納税と並んで、NPO法人への寄付という寄付税制の画期的な道が広がることに大いに期待したい。支援する人を支援することも、大切な支援のカタチだと思う。

 

被災地は日本の近未来

 被災地はもともと医療過疎であった。そこに震災が追い打ちをかけた。その結果、若年住民のみならず医療者の流出が続いている。特に福島では顕著だ。建物も設備も人的資源も失われつつある地域で、今後、高齢者をどう護っていけばいいのだろうか。被災地が日本の近未来予想図に見える。少子高齢化、医療過疎を先取りしたのが被災地。そんな被災3県沿岸部で、今後どんな医療再生が展開されるのか注視しながら継続支援を呼びかけたい。福島県立医大には災害復興支援講座ができると聞いた。被ばく医療の研究のみならず、地域医療再生の研究までも行って欲しい。そこでは「医局機能」が復権し、「プライマリケア医」が評価されるだろう。あまりに縦割り・細分化された現代医療は反省期に来ている。今、被災地に求められている医師像とは、昔ながらの町医者的なプライマリケア医ではないだろうか。

 さて、この4月の医療・介護の心療報酬・同時改定は、「地域包括ケア改定」だと勝手に理解している。中学校区をひと単位とした「地域という病院」。そこでは医療と介護が多職種連携し、急性期病院、慢性期病院、介護施設らが密接に連携し、地域完結型医療を補完しあう。それが超高齢化社会の社会保障の処方箋。実はそれはすべて、崖っぷちにある国民皆保険制度を護るためなのだ。もし皆保険制度を捨ててもいいというなら「地域包括ケア」など必要ないだろう。映画「シッコ」に描かれている世界になる。しかし、世界遺産ともいわれる国民皆保険制度を護るためには「地域包括ケア」しか方法が無い、と理解すべきだ。ここでは敢えて在宅医療という言葉を使わない。高専賃改め、サービス付き高齢者住宅(サ高住)という新しいカタチの自宅も増えてくる。患者さんによっては、年齢とともに医療のウエイトより介護のウエイトが高くなる。従って、在宅医療というより、「地域包括ケア」のほうがイメージしやすい言葉だろう。

被災地の医療再生の鍵はやはり「地域包括ケア」ではないだろうか。奇しくも被災地では壮大なシミュレーションが行われるかのように見える。そこに芽生える「ひこばえ」とは、「在宅医療」であり、ゆっくりと「地域包括ケア」へと広がるであろう。

すなわち、3.11は「病院」の時代から「地域」の時代への転換点であったように感じる。敢えて転換点を超えた、ことを最後に強調したい。

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