このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
「生きる」とは食べること
2012年04月06日(金)
毎日、毎日、胃瘻の取材が続く。
しかし胃瘻について語れば3時間でも足りない。
胃瘻に関わらずに一生を終える計画だったが、もう狂ってしまった。
内視鏡医でありながらも
胃瘻から逃げ回っていた20年前の私。
原型は今も変わらない。
自分が嫌なことは、患者さんにやりたくないからだ。
しかし、沢山の胃瘻患者さんを診ている。
胃瘻を勧める患者さんもいる。
胃瘻を攻撃するどころか、頼る場合もある。
胃瘻がらみの講演も多い。
尊厳死議論も、胃瘻が想定されている。
胃瘻は知れば知るほど奥が深い。
毎日、毎日、新たな発見がある。
今夜は、ある歯医者さんに言われた言葉が胸に残った。
「胃瘻があるのに、いきなり食べさせようとする医者がいる!
けしからん医者だ」
ドッキ!
私のことかな?
一応、自分なりの診察と経験とカンで
食べれると判断した人だけに食べさせているのだが・・・
「いきなり」が気になった。
そうか、食べさせる時は、歯医者さんに診せたほうがいいんだ。。
嚥下内視鏡をしてから食べさせたほうが、現代のお医者さんらしいのか。
いずれにせよ、
「生きる」とは、食べること。
食べることにはもっとこだわりたい。
ついでに言うなら、「移動」にもこだわりたい。
胃瘻から逃げ回っていた20年前の私。
原型は今も変わらない。
自分が嫌なことは、患者さんにやりたくないからだ。
しかし、沢山の胃瘻患者さんを診ている。
胃瘻を勧める患者さんもいる。
胃瘻を攻撃するどころか、頼る場合もある。
胃瘻がらみの講演も多い。
尊厳死議論も、胃瘻が想定されている。
胃瘻は知れば知るほど奥が深い。
毎日、毎日、新たな発見がある。
今夜は、ある歯医者さんに言われた言葉が胸に残った。
「胃瘻があるのに、いきなり食べさせようとする医者がいる!
けしからん医者だ」
ドッキ!
私のことかな?
一応、自分なりの診察と経験とカンで
食べれると判断した人だけに食べさせているのだが・・・
「いきなり」が気になった。
そうか、食べさせる時は、歯医者さんに診せたほうがいいんだ。。
嚥下内視鏡をしてから食べさせたほうが、現代のお医者さんらしいのか。
いずれにせよ、
「生きる」とは、食べること。
食べることにはもっとこだわりたい。
ついでに言うなら、「移動」にもこだわりたい。
このたびURLを下記に変更しました。
お気に入り等に登録されている方は、新URLへの変更をお願いします。
新URL http://blog.drnagao.com
この記事へのコメント
そうです。生きることは食べること、そして移動することです。東南アジアでは食べられなくなった時は死を意味します。人は静かに命の幕をおろす・・・。じたばたしない。そういう死生観をもてないものでしょうか?潔い生き方をしましょうよ。お腹に穴をあけてまで生きたくありません。食事は目だけで、香りや匂いだけで食べるものではない。食いしん坊の私は口で味わってこそ満足感が得られます。だからこそこだわります。旬に、産地に、料理に、しつらえに・・・。そのために旅をする、移動できなければ人生半分・・・。人は皆、こだわりをもって生きています、そこに、目を向けて治療にあたる医者がいたでしょうか?長尾ドクターは医師である前に「ふつうの人」です。だから、人を診ることができる、そう思います。
Posted by 岡村ヒロ子 at 2012年04月06日 08:58 | 返信
「ジタバタしない」覚悟した人生、いいですね。そうありたいです。
でもジタバタした人生もかっこ悪くはないです。その方の望んだものなら。
自分の生き方には拘りたいですけど、その分他の方の選択も尊重したい。例え終末期でも、食べ物の味が分からなくても(経口摂取出来なくても)我が子が10歳になるまでは生きていたい!と必死に頑張っておられる方もいるかも。外見ではなくそこにある物語に寄り添いたい。
食べる、動ける…大切なことです。でも私にとって、最も大切に思えるのは「自分で選べること」。
そう思えば他人の、「潔い生き方」に見えない選択でも、本人の意志なら貶める見方は失礼では。
その自由さを認め合う社会になった時、結局自分の選択が尊重される(尊厳死できる)時代へ変わっていくのだろうと思います。
今回は長尾先生の発言が高齢者例に限っていないように思えたので、実は高齢者も若年者も人間としての権利は同じではと思っていることを書いてみました。
Posted by 梨木 at 2012年04月08日 10:54 | 返信
コメントする
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: