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ドルミカムについて
2012年04月15日(日)
在宅現場でのドルミカムに関するコメントを頂戴した。ありがとうございます。
在宅現場で現在使われているお医者さんや患者さんを非難する意図は無い。
ただ私自身の在宅ではドルミカムを使うことが無いことだけは書いておきたい。
在宅現場で現在使われているお医者さんや患者さんを非難する意図は無い。
ただ私自身の在宅ではドルミカムを使うことが無いことだけは書いておきたい。
ドルミカムで意識を無くすことは、
緩和医療なのか?
尊厳なのか?
そういう命題がある。
しかしドルミカムは悪くない。
ドルミカムは「結果」であり「手段」にすぎない。
意識を落とす必要が無いのが、理想だと思う。
自然に任していたと、500人の在宅看取りでは、使用することは無かった。
もし5000人なら使用することがあるかもしれないので、断定する資格は無い。
少なくとも半数以上使用するという臨床現場はどうかと思う、位は言わせて欲しい。
意識があることが人間の尊厳だと思う。
尊厳には、意識があり、移動できることが大きい。
その尊厳を、故意に無くすことに、大きな抵抗を感じる。
本人の希望があれば話は別だ。
時々、そんな希望を言う患者さんがいる。
その時は、睡眠薬を飲んで貰う。
セデーション(鎮静)という言葉は、私自身はあまり使いたくない。
手術時とか特殊な状況のみに使うべき言葉だと思う。
しかし終末期に医療者が堂々と「セデーション」と言うことに違和感を覚える。
今週も看取りがあった。
今年に入って、はや23人。
セデーションとは全く無縁な、平穏死ばかり。
外は桜。
散る桜の下で飲む酒は最高だろう。
若者が騒いでいる。
この桜を見ることなく逝った患者さんの顔を想い浮かべている。
私もあと何回、桜を見るのだろうか。
いくら頑張っても、どんな人間も100回しか花見をできない。
そんな儚さを忘れるために、花見はあるのか。
この季節は、毎日が、切なく、恋しい。
今夕は、ある有名人宅でのお花見に参加する。
緩和医療なのか?
尊厳なのか?
そういう命題がある。
しかしドルミカムは悪くない。
ドルミカムは「結果」であり「手段」にすぎない。
意識を落とす必要が無いのが、理想だと思う。
自然に任していたと、500人の在宅看取りでは、使用することは無かった。
もし5000人なら使用することがあるかもしれないので、断定する資格は無い。
少なくとも半数以上使用するという臨床現場はどうかと思う、位は言わせて欲しい。
意識があることが人間の尊厳だと思う。
尊厳には、意識があり、移動できることが大きい。
その尊厳を、故意に無くすことに、大きな抵抗を感じる。
本人の希望があれば話は別だ。
時々、そんな希望を言う患者さんがいる。
その時は、睡眠薬を飲んで貰う。
セデーション(鎮静)という言葉は、私自身はあまり使いたくない。
手術時とか特殊な状況のみに使うべき言葉だと思う。
しかし終末期に医療者が堂々と「セデーション」と言うことに違和感を覚える。
今週も看取りがあった。
今年に入って、はや23人。
セデーションとは全く無縁な、平穏死ばかり。
外は桜。
散る桜の下で飲む酒は最高だろう。
若者が騒いでいる。
この桜を見ることなく逝った患者さんの顔を想い浮かべている。
私もあと何回、桜を見るのだろうか。
いくら頑張っても、どんな人間も100回しか花見をできない。
そんな儚さを忘れるために、花見はあるのか。
この季節は、毎日が、切なく、恋しい。
今夕は、ある有名人宅でのお花見に参加する。
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この記事へのコメント
医療の専門的なことは私にはわからない。でも長尾先生に実際に今日とも明日ともしれないわが母をお世話になっている在宅患者の家族として証言させていただくと、先生は本当によくお話をして下さる。同じことも何度も説明される。また看護師さんに困ったことを相談すると先生が御大自らすっとんでこられる。患者である母も安心できるが、介護者の私たちもどれほど救われているかわからない。
そのドリミカムというものを500例にわたり使わずに来られたということは、患者本人や介護者が死にゆくという現実をしっかりと受け止めながらも常に何か「大丈夫」という安堵感を頂いているからに他ならないからではないか。そのドリなんとかを使って、先生や看護師さん、家族の事をわからなくさせるのはたしかにあまりにも勿体ない。
Posted by チズ at 2012年04月15日 08:54 | 返信
桜を見るとお花見に行きたくなってしまいますが、
こちらでは屋外での飲酒は禁止。
飲んでいいのは、レストランと自宅だけ。
しかも車社会なので、酔いをさましてからでないと移動できず、そのせいか酔っ払いさんを見かけません。
東京だと、残業で遅くなるにしたがって酔っ払いさんが増えて、なんだかわからないけど追っかけられたりして怖かった。
外国でいろいろ戸惑うこともありますが、これはよかったなと思うことのひとつです。
Posted by ノンノン at 2012年04月15日 11:02 | 返信
きょう、肺ガン末期(余命3ヶ月)の父の病床で、ドルミカル(後で注射器の薬剤名を覚え書きし名前を知る、そして何のクスリか調べ・・このHPを拝見)の使用の承諾聞かれ、病人の緩和(無痛、麻薬も併用)と鎮静の目的でと言うことで、私は、日に日に増える、家族の負担や、病院への迷惑?等・色々思う中で、結局、受け入れました。数日前から苦しんだり、家帰りたいと言う事が多くなり、現場は困ったのでしょう?そして、医師に呼ばれ、個人の尊厳や、「早く死にたいと言う」(病床でのうわごとを・)を「私は、本人意志とらえる。」担当医師の私的意見を聞きました。「どうでしょうか?延命はお望みでしょか?」とも。私は、「死期のコントロールは誰も出来ない」と常々思って来ましたが、迷い、母とも相談し、「早く楽にさせてやりたい」と母も言いますし、ついには決断してしまいましたが、しかし、このHPを観てしまい、今、自問自答しています。楽になっのは?私たち家族と医療現場じゃないか?・・最後の会話をしたあと、クスリは投薬され、「苦しいながら意識がある父」はその意識を失いました。私は、間違った決断をしてしまったか?悩んでいます。現場は安直にドルミカルを進めたとは思いませんが・・私は私の意志で選択した、させられた?とも思っています。複雑です。栄養補給は止められ・・今週が山でしょう・・と看護師に言われました。「高瀬舟」を思い出しました。私は・間違ってしまったか?初めてなのに・・長々、失礼しました。
Posted by H.M at 2012年07月08日 04:01 | 返信
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