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クボタショックから7年、尼崎からアスベスト被害根絶を!
日本、アジアのアスベスト被害者をこれ以上増やさない!
2012年07月01日(日)
私の誕生日6月30日は、実は尼崎にとっては、「アスベスト被害根絶」の日でもあった。
クボタショックから7年、増え続けるアスベスト被害患者さんに寄り添う町医者として
昨日、小田公民館で行われた集会に、患者さんの家族とともに参加した。
6月30日は、クボタショックの日、でもあった。
公害としてのアスベスト被害が認められた日。
尼崎は、かつては公害喘息の街だった。現在もそうだが。
しかしこれからは、公害アスベストの街として
日本とアジアの被害者救済にむけて発信する街でもある。
クボタは、石綿被害者260人中、これまでに232人に
「救済金」を払っている。
クボタの工場内の被害者社員も165人も抱えている。
尼崎市東部だけでも、420人のアスベスト被害者が
確認されている。
私も常に、1~2人のアスベスト中皮腫の在宅患者さん
に関わっており、この病気の苦しさを知っている。
2010年までの中皮腫による死亡者は全国で17000人。
このうち石綿救済の認定を受けているひとは、10000人。
労災補償も救済法認定もされていないひとがまだたくさん
おられる。
アスベストを吸ってから40年もたってから発症する病気。
これから20年間、確実に増加することが分かっている病気。
難しそうという人には、いい漫画がある。
「石の綿」ーマンガで読むアスベスト問題。
かもがわ出版1300円。7月1日発行。
2012年アスベスト被害根絶尼崎宣言
2005年6月30日、クボタ旧神埼工場周辺被害者3名は、クボタの石綿による中皮腫発症と、そしてクボタからの見舞金を受け取ったことを明らかにし、アスベスト公害の存在を世に知らせた。そしてこれ以降、アスベスト被害追及の声が全国に広がった。
増え続ける周辺被害者と研究者の協力によって、クボタ旧神埼工場周辺地域における被害の実態もいっそう明らかになってきた。
中皮腫・アスベスト疾患・患者よ家族の会尼崎支部と支援団体はクボタと交渉を進め、2006年4月「救済金」制度について合意に達し、今日まで250人を超える被害者救済に取り組んでいる。
2006年3月石綿健康被害救済法が制定され、2008年6月には医療費・療養手当の支給さかのぼりなど一部が改正された。2010年には中皮腫・石綿による肺がんに加え、著しい呼吸機能障害を伴う石綿肺、著しい呼吸機能障害を伴うびまん性胸膜肥厚を指定疾病に追加させた。2012年労災か環境かを問わず、またたとえ30年前に亡くなった事例であっても、隙間なくいづれかの補償・救済を請求できることが2022年まで確保されることとなった。そして労災認定事例のあった事業所の名称公表も厚生労働省に継続させている。
クボタ・ショックから7年「アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会」では全国のひとたちとともに、広がる石綿被害の現状と泉南など各地や、また韓国での闘い、現在の治療の水準についても学習した。そして、きわめて不十分な生活保障や進まぬ肺がん認定など、救済制度の課題・問題点をあきらかにした。
私たち集会参加者一同は、すべてのアスベスト被害者の家族の公平公正な救済実現にむけて、そして国と企業によるアスベスト問題の幕引きを許さないために、この1年を全力で、韓国やアジアそして世界の仲間とともに活動を行うことを宣言する。
2012年6月30日
クボタ・ショックから7年
アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会参加者一同
問いあわせ先 06 4950 6653 尼崎安全センター
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この記事へのコメント
1960年生まれの主人が子供の頃から尼崎のクボタの近くで住んでいました。昨年肺癌で左肺の全敵手術受けました。最近、昔の友達が肺癌で亡くなった事を知りもしかして、クボタのアスベストが関係してるのかも知れないと思い投稿しました。
Posted by 平田澄恵 at 2017年10月21日 11:41 | 返信
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