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こうなることは分かってはいたが・・・

2012年07月03日(火)

障害者団体と弁護士会が主催する「尊厳死」を考える会にシンポジストとして呼ばれた。
外来も在宅も雑用も全部ほったらかして、弁護士会館に駆けつけたが、ボコボコに。
まあ、こうなることは分かってはいたのだが・・・・

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多勢に無勢とはまさに今日のこと。
何を言っても、反論しかされない。
まあ、仕方がない。

300人対1人の闘い、
にされてしまう悲しさ。

いいお医者さんと悪いお医者さんという構図に、ピッタリはまっただろう。
悪役をやっつけた司会者は、「してやったり」、という表情。
短い時間では、言いたいことが上手く言えないもどかしさ。

私は、日本一悪い医者。
優生思想、人殺しという言葉で私を斬れば、小気味いいだろう。
おそらく会場の全員にそう認識されてめでたく集会は終了した。

わざと失言もした。
その方が障害者の方にはに分かりやすいと思ったから。
そんなところだけ切り取って、テレビで流されるのだろう。

「法制化が目的ではなく、リビンングウイルが尊重される世の中になって欲しい」
というと、その言葉尻をつかまえて、
「それなら法案など取り下げろ」と来る。

12.5万人の協会会員のみなさまには、役不足で申し訳ない気持ちで一杯だ。
失言の責任はいつでも取る。
私の力は、この程度。

尼崎のALSの患者さんを放って出て行って
東京のALSの患者さんから集中砲火を浴びる。
尼崎のALSの患者さんは私を弁護してあげると。

こんな構図は喜劇そのもの。
あるいは、巨人対阪神戦?

馬鹿な医者。
自己嫌悪。

唯一の救いはシンポジストのALSの患者さんが、
「長尾先生が面白すぎて・・」と笑ってくれたこと。
今日、一番嬉しかったことだ。

泣きながら終電で帰阪中。
尼崎に着いたら往診に呼ばれた。
今日という1日は、雨で始まり、悔し涙で終わりだ。







 

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この記事へのコメント

シンポジウムなどに時々出ますが、今日みたいにかみ合わない議論は初めてでした。
主催は東京弁護士会となっていましたので、司会は弁護士と思っていたのですがこれが・・・。

デイの昼食調理ボラから帰宅してお茶して、5時前どれブログでも・・・とPC開いたら、長尾先生も参加と。こういう会はあると知っていたのですが、雨も降っているからパスしようと思っていたのを急拠参加。

大体参加メンバーと持ち時間の配分が不公平で、フェアでなかったですね。
それと話し合うテーマについての共通理解がなく、自分たちの事例以外に想いが及んでいない様子が残念でした。一般席には障害者関係仲間が沢山いらしたようでしたが、タイトルの先頭についている「高齢者」の望まない延命には関心なし。多分朝日新聞の告知を読んで、それを聴きにいらした方も多かったのではと思いますが。

優生思想とか障害者は不要な命と見るのかとか、ピントはずれな発言が多く、「そうじゃない、尊厳死は一定条件時の個人の自由意志の尊重。第一あなた自身、自分の自由意思をサポートして貰えているから(人口呼吸器の装着他)今その発言が出来るんでしょ。他の方の自由意思だって大事と思ってほしい」としみじみ思いました。後半は同じことの繰り返しに呆れてしまい、急いで読まなければいけない本を持っていたので、席でそれを読んでいました(>_

Posted by 梨木 at 2012年07月03日 11:07 | 返信

長尾先生は何か、ちょっと失敗なさって、反省していると「近所にいる、普通のおじさんだ」と思えますけど、ヨーロッパ旅行で、なんとか、責任を果たして、帰国なさったときの高揚感というか、躁状態でいらっしゃると、「やっぱり、私達と違って、偉いんだなあ」と思います。
私も、ペンネームでコメントしておけば、良かったと反省してます。
もっと、軽い調子で、何でも言えちゃいますからね。責任とらなくても良いし。
ペンネームの人達がコメントしなくなったのは、私のせいかも。
うーん、反省してます。

Posted by 大谷佳子 at 2012年07月04日 01:22 | 返信

私も、以前TVで、障害者の方達とその支える会が「尊厳死に関する法制化」に、反対しているとは見たのですが、一体何が論争されてるのか、良く分かりませんでした。
個人の死生観と「障害者」という団体の治療と、介護を廻る法律の違いでしょうか?
それに、何故長尾先生は尼崎の夜間高校生の喫煙防止の講義とか、しんどい仕事ばかり選んで、出かけていらっしゃるのですか?
でも、お疲れでしょうけど、何回かDebateというか、Dialogというか対話を重ねたら、問題点は明確になるかもしれませんけど、お忙しいでしょう。

Posted by 大谷佳子 at 2012年07月04日 11:27 | 返信

おぉ何という神様の御加護か!梨木様の生き証人コメント感謝もうしあげます。

私も梨木様の感じられた御意見と似たようなことを想像していましたが、想像ではコメントできず葛藤しておりました。ですからとても嬉しい投稿でした。有り難うございます。

先生は本当に無防備ですからね~。たまに袋にされちゃうこともありますよね。
でもそれは歯に衣着せずに真実を述べられるからこそ。そしてどんな場面でもわかる人はわかると思います。

大谷様はじめまして。実家の寝た切りの母を長尾先生に診ていただいております。チズと申します。私もほぼ本名ですよ~。少しはしょってます。こちらのブログはいつでもHN代えれますし、・・・改めナントカって心機一転されるのも楽しいですよ。
大谷様の仰るとおりです。長尾先生はとてつもなく偉い方でかつ普通のオッチャンです。これを両立できる長尾先生は衆生を救うために下生されるという菩薩さまのようですよ。

Posted by チズ at 2012年07月04日 11:49 | 返信

こういう体験をして、また障害者にも受け入れられる表現を身につけていかれるのでしょうね。
リーマンさんの言われる、この世に起こることに、
無駄なことは何一つなく、
すべては、よくなるためにの過程に過ぎない…。

先生が、平穏死を目指していかれる道には、こういうイバラの道もたくさん出現するのでしょうね。
でも、また立ち上がり、まっすぐに前を見て、歩いていかれる先生だと思います。
命の燃焼する限り、前を向いて自分の信念に向かい、生き続けていかれる姿が目に見えるようです。
ご自分のことを馬鹿な医者だと言わないでください。
顔も名前も出して、すべての責任を引き受け、行動される先生の姿は、神々しく輝いておられます。
ご自分を褒めてあげてください。
先生の後ろには、先生の生き方を応援している方がたくさんおられます。
今日も心穏やかに、お体ご自愛くださいませ。

Posted by かめ at 2012年07月04日 02:09 | 返信

立命館大学に、『生存学研究センター』という研究拠点があって、ここの研究者が
以前インタビューで、最近の「尊厳死」や「平穏死」ばかりが注目されている風潮に
危惧を覚える。という内容を話していました。


ちなみに、『生存学』の定義は、次のようにされています。

「病い、老い、障害とともに生きること。異なりをもつ身体。
それは、福祉や医療の対象である前に、人々が生きていく過程であり、生きる知恵や技法が創出される現場です。人々の経験を集積して考察し、社会との関わりを解析し、これからの生き方を構想し、あるべき世界を実現する手立てを示す──それが「生存学」です。」


延命をしないことが、優生思想や障碍者不要論につながらないようにすること。
これは勿論重要なことですが、「尊厳死」がなぜその「生存学」と敵対するものと
捉えられてしまうのか、むしろ違和感を覚えたものです。


私自身は、「尊厳死」とは、その人の「生き方」を最後の最後に台無しにすることなく
その人らしく全うするものである、と思っています。
「死に方」というより「生き方」の問題なのです。
ですから、「生存学」と敵対するものではありません。


上野千鶴子氏なども、「死に方まで、医者に満足してもらわないといけないのか」と
いささか乱暴に批判されています。


今回の300人対1人のような多勢に無勢の集まりではない場で、在宅ホスピスに関わり
「尊厳死」問題に取り組む専門家は、こうした一方的な誤解に基づく批判に反論するべきでしょう。
今回のブログを読んで、遠からずそういう議論の場が必要になってくると思いました。

Posted by 花へんろ at 2012年07月04日 02:56 | 返信

自分に気持ちのいいコメントばかり選ばない。
→個人のブログだから、そんなのは勝手だ。
尊厳死協会のえらい人が言うことは影響力があるということを知らないのか。
→それはそれ、これは個人のブログだ。

わかりました。
ぜひ今度尊厳死法制化賛成の方々の集まりに呼んでください。
これから何度もコメントを投稿します。
一通でも掲載された暁には、住所氏名、メールアドレスと連絡先、すべてお伝えします。

Posted by 武井(兄) at 2012年07月05日 12:14 | 返信

今日のアピタルの記事を拝見したのですけれど、「ハンサムなお医者さん」って(笑)。
私、何度も先生はハンサムだって申し上げてますよね。
いやいや~、自覚してくださいませ。
取材の前に鏡を見るのだけ忘れなければ大丈夫ですから(笑)。

Posted by ノンノン at 2012年07月05日 01:09 | 返信

後日談:橋本操さんが「長尾さん、面白い」って言ったのは、呆れてものも言えない面白さだったそうです(笑)
唯一よかったこととして、うれしそうに話してる長尾さんには悪いですけど・・・。

Posted by ポットさん at 2012年07月05日 09:46 | 返信

死を前提とした人と、生を前提とした人との議論?
良き死を考える事を目的とした人と、どこまでも良き生を考える事を目的とした人との、論点のない議論?
その場にいないので分かりませんが、全く相反した方向へ向かっている人達の処へ、相反した結論だけを持って単身飛び込んでおられる図が浮かびます。
でもどちらも生命の尊厳性を求めていることに変わりはないと思いますし、そこに論点があればもう少しお互いの思いが理解されたのではないかと思います。

尊厳死を認め法制化することが、障害を持つ方々の生きる権利にプレッシャーをかける事に繋がりかねない。
何かあちらを立てればこちらが立たずのようでもどかしいものを感じますが、解釈する側が法制化された言葉を深く理解する、哲学的な理解力を持たないと本来の目的が成り立たないように思います。
法律があって人間があるのではなく、人間の尊厳の為に法律があるのですからそれを使いこなす側の力量の問題ではないでしょうか。

Posted by 桜 at 2012年07月08日 11:24 | 返信

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