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スイスレポート
2012年07月29日(日)
ここ、福島県相馬でもいろんなひとに聞かれた。
昨日発売の日本医事新報に寄稿した文章を転載する。
町医者で行こう7月号「死の権利・世界連合総会」
スイスレポート
活発化する終末期議論
超党派の国会議員110余名による「尊厳死法制化」の素案作りが活発化している。6月6日の本年第二回目の総会では「本人が延命治療の拒否を文書で意思表示していれば、2人の医師が不治かつ末期と判断すれば延命治療を差し控えても医師は免責される」という素案を提出。その「差し控え」とは延命治療の「不開始」だけか、「中止」だけにするのかが現在議論中だ。あくまでリビングウイルを文書で表明している人だけが対象の素案だ。一方6月24日、日本老年医学会は「2割の医師が人工栄養中止の経験がある」というデータを公表。同日、日本透析医学会は「本人や家族が希望すれば人工透析の中止も選択肢」と発表。医学会もすでに議論は「中止」に移っている印象だ。今年に入り「平穏死、尊厳死」や「終末期医療」についてのメデイアの関心が急速に高まっている。いよいよ終末期議論は、国民的議論になりつつあると感じる。そんな中、6月13日からスイスのチューリッヒで二年に一度の「死の権利・世界連合総会」が開催された。世界24ケ国から46の尊厳死団体が集合。私も日本代表として参加したので簡単にレポートする。ちなみに12.5万人の会員を擁する日本尊厳死協会は、会員数では世界最大の団体だった。私は「国民皆保険制度の光と影」と題して、本人が望んでも胃ろう栄養の中止ができない日本の現状とその背景を参加者に伝えてきた。
スイスの「尊厳死ツアー」を見学
スイスには尊厳死を請け負う組織が2つある。「EXIT(エグジット)」と「Dignitas(デイグニタス)」。前者はスイス住民のためのNPOで、後者は外国人も受け入れる尊厳死組織。後者はチューリッヒ郊外に「看取りの家」を持ち、近隣の病院と協力して尊厳死が行われている。私も現地を見学したが、正直な話、自分がやっている「在宅ホスピス」の方が全然いいと思った。イギリスやドイツは日本と同様、保守的な国なので、医師が主導してスイスに渡り尊厳死しているのが現状だ。その大半が末期がん患者さん。余命2週間程度の患者さんに医師が緩和医療の一環として麻酔薬を経口投与し死を迎えたあとは骨の形になり帰国している。日本では老衰や認知症の終末期が中心の尊厳死議論だが、外国では末期がんが中心だ。薬剤等で人為的に寿命を縮める「安楽死」は、「尊厳死」とは別物。オランダ、ベルギー、アメリカの一部(ワシントン、オレゴン)では安楽死が認められているのは有名だ。ただし正確にいうと、オランダの尊厳死は日本の安楽死に相当し、オランダの安楽死は日本では単なる殺人罪だ。現在議論されている「日本における尊厳死」は諸外国では当然なので、特に言葉は無い。このようにまず言葉の定義から今後の課題だ。
自分の患者をスイスで尊厳死させ遺体のまま帰国しようとした罪で1年半も投獄された英国の医師や、安楽死を認めさせたオランダの医師と意見交換した。てっきり、欧米は日本より数段進んでいると想像していた。しかしよくよく聞いてみると、そのオランダでさえ様々な意見があり心情的には日本とさほど大差ないという印象を得た。医療の進歩に伴い終末期問題に突き当たるのは先進国の宿命だろう。日本も世界も、終末期医療で悩んでいる。欧州はキリスト教という大きな壁を乗り越えながら一歩ずつ議論を進めている。フランスは2005年にレオネッテイ法を制定し、緩和医療を軸にした尊厳死までの具体的な手順を示している。では日本では?といえば、遅ればせながらまさに現在進行形だ。
「巻子の言霊」
日本からの口演として、尊厳死協会会員の富山県の松尾幸郎氏が「A long way to euthanasia in Japan」を話された。奥さんの巻子さんは8年前、センターラインをオーバーして来た未成年者が運転する車との交通事故で脳挫傷、頸椎損傷に陥った。一命は取りとめたものの、高次脳機能障害と四肢麻痺で人工呼吸器の生活が続いている。意思疎通は「レッツ・チャット」という意思伝達装置を夫が操作し可能になった。巻子さんから時折紡がれる言葉は、「巻子の言霊」と名付けられ3冊目に入った。その巻子さんが、ある日「ころしてください」と発したのだ。その言葉を巡る苦悩を、幸郎氏は発表したのだ。日本の終末期医療の現状が紹介された形だが、大きな拍手とともに国内でも新聞・テレビで大きく報道された。一連の経過はすでにノンフィクションライターの柳原三佳により「巻子の言霊」(講談社)として出版されている。私はこの7月に富山県に巻子さんをお見舞いしたがスピリチュアルペインを感じた。「巻子の言霊」は、交通事故被害者の弱い立場やALSや頸椎損傷による全身麻痺の患者さんの療養の場の諸問題やリビングウイルなど現代医療が抱える様々な課題と夫婦愛が描かれている名著だ。現在、某国営放送がテレビドラマとして制作中で9月2日(日)のゴールデンタイムに放映される予定だ。医師とて、頸椎損傷やALSになり終末期医療の当事者になる可能性があるので、是非ともご覧頂きたい。
「平穏死・10の条件」に込めた想い
石飛幸三先生の「平穏死のすすめ」や中村仁一先生の「大往生したけりゃ医療とかかわるな」がベストセラーになった。しかし私の周囲で聞いてみると、医師ですら「平穏死」や「尊厳死」の意味をよく知らないという。市民にいたっては、そのような言葉を聞いたこともない、と何度もいわれた。石飛先生や中村先生は私より一世代上だ。お二人の大先輩は特養という「施設」での「平穏死」を描かれた。このたび私は町医者として地域における「平穏死」を描いて世に問うことになった。7月17日に「平穏死・10の条件』(ブックマン社)という拙書が発刊。平穏死という言葉はあるものの、多くの病院ではまだ平穏死が叶わない現実を憂い、具体的な方策を指南した本だ。本書は市民に死生観を問う形だが、実は病院医療者に一番読んで頂きたいと願いながら書いた。ご批判は覚悟している。本書が終末期議論が深まるきかっけになれば本望だ。来年は、医学会の終末期シンポジウムや講演を依頼されている。私は決して終末期論の専門家ではないが、市民や患者会や家族会と常に「まじくって」議論するという幸運には恵まれている。是非とも多くの先生方に読んで頂き、忌憚の無い意見を頂ければ嬉しい。また
今回、世界の終末期議論に触れて、日本人の魂に寄り添えるガイドラインや法制化の必要性を痛感した。今後の尊厳死活動に活かしていきたい。
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